◇籐椅子の猫
朝夫は籐椅子に寝ていた猫をどかして、腰かけた。急に眠気に襲われ、うとうとっとした頃、姿を消していた猫が戻って来た。そして彼の膝の上にのり、先程からの眠りのつづきに入った。
朝夫は膝が重くなっているのに気づいて目が覚める。なんか寝苦しいと思ったら、こいつめ。彼は猫の首をつまんで床に降ろし、間隔を取るために足で邪険に押しやる。
朝夫は中断した眠りに入る。開けた窓からクチナシの花の香りがきて、心地よさにすぐうとうとっとする。
いつの間にか、また膝が重くなっている。うすうす分ってはいるが、睡眠のほうを重視して、猫とはかかわらないことにする。
うたた寝の中で、猫と人間との長い歴史について瞑想する。おそらく、男と女の世界がはじまる以前から、猫は人間の世界に入り込んできていたのだろう。
もし妻がいたらの話だが、その女を椅子から追い払ったら、夫に愛想が尽きて、戻ってこないのではないか。
それがこの猫ときたら、追い払えば、今度はちゃっかり、膝の上にのって眠りの続きに入っていけるのだ。怨みもなければ、椅子を独り占めにしようなどという魂胆もない。むしろ膝の上のほうが、ぬくもりも程よく、柔らかくていいと、極上の座布団にしてしまうのだ。
ああ、この魔物にかかったら、人間もお手上げだ。
人類は今や猫族に占拠されてしまっている。人種、民族、思想、国境を越えて、猫は人間の世界に入りこんでしまった。
猫ほど平和な使節はないだろう。いったい誰が、この小さな生き物を送り込んできたのだろう。そうやって、国という国を席捲してしまった。いちばん寝心地のよい膝の上を我が物にしてしまった。
そう思ったところで、朝夫はぶるぶるっと身体をゆすって覚醒した。こうしてはいられない。今日中に読んでおかねばならない論文があったのだ。
彼は立ち上がって、膝の上の猫を振り落とし、書架の本を取りに行った。
猫は一つ大きく伸びをして、それで体のしこりが取れたのか、姿が見えなくなった。裏口には猫の通れる孔が開けてあるから、そこを押して外に昆虫でも探しに行ったのであろう。それとも青菜に飢えて、柔草でも食みに行ったか。
朝夫は惰眠をむさぼった遅れを取り戻そうと、きょう四杯目のコーヒーを淹れて、読書に集注した。
日も沈み、カーテンを閉めて、電燈のスイッチを入れる。それからまた読書にふける。
椅子に疲れたので、夕食は座卓ですることにする。卓上に買い置きの料理を並べ、やはり調理済みの焼き魚をレンジであたためて出す。
さて食べようとすると、座卓の向こう側を、カギになった猫の尻尾の先が、スーッと鮫の尾びれのように通った。焼き魚を半分よこせ。さもなければ、今度はおまえの、胡坐の上を占拠するぞとばかりに。
了
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