訃報
このような記事をブログに掲載するのは
不謹慎で如何なものか?と
思うところもあるが…。
お隣のご主人が亡くなられた。
私の住まいは新興団地であるので、
京都の近所の様な
密度の濃いお付き合いはない。
しかし、そうは言っても
お隣さんであるので
結構何かに付けてお付き合いもあった。
発病を知ったのは昨年の春であった。
私にとっては寝耳に水の話であった。
その当時も元気そのものでおられたのであるが
入院をされたのである。
外科的な治療は出来ないと言われたそうだ。
それで、何クールかの内科的な治療を受けられていた。
しかし、その時には既に家族には、
完治は困難であると告げられたそうだ。
団地の恒例の夏祭りの屋台で
奥様・二人の息子さん達・お孫さんと
そして、私たち夫婦もそのお相伴にあずかった。
ビールを飲んで楽しく過ごされ、
歓談したことが
今も思い出される。
来週はその夏祭りである。
奥様は
「せめて夏祭りまで…。」と
涙ぐみながら、話されていた。
享年65歳
余りにも若すぎる訃報であった。
このような記事をブログに掲載するのは
不謹慎で如何なものか?と
思うところもあるが…。
お隣のご主人が亡くなられた。
私の住まいは新興団地であるので、
京都の近所の様な
密度の濃いお付き合いはない。
しかし、そうは言っても
お隣さんであるので
結構何かに付けてお付き合いもあった。
発病を知ったのは昨年の春であった。
私にとっては寝耳に水の話であった。
その当時も元気そのものでおられたのであるが
入院をされたのである。
外科的な治療は出来ないと言われたそうだ。
それで、何クールかの内科的な治療を受けられていた。
しかし、その時には既に家族には、
完治は困難であると告げられたそうだ。
団地の恒例の夏祭りの屋台で
奥様・二人の息子さん達・お孫さんと
そして、私たち夫婦もそのお相伴にあずかった。
ビールを飲んで楽しく過ごされ、
歓談したことが
今も思い出される。
来週はその夏祭りである。
奥様は
「せめて夏祭りまで…。」と
涙ぐみながら、話されていた。
享年65歳
余りにも若すぎる訃報であった。