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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

藻類(2):食用藻類あれこれ

2007年07月19日 | 自然と生き物の話題
藻類(5):食用(1)
 淡水性の藻類では、スイゼンジノリ、ネンジュモ(カモガワノリ)、カワノリ(大谷川ノリ、菊池川ノリ)はその地方地方での名産品というか特産品で、佃煮状にしたものは、今もお土産として売っている。食用にするのであるから当然清流に生息するものであろう。残念ながらそれらが繁茂している所は見たことがない。
 これは淡水産か海産かよく分からないが、お好み焼きの香り付けと色づけに欠くことが出来ない藻類にアオノリがある。和歌山では有田川と古座川が特に有名である。有田川から頂いた時は「さすが有田川ですね。良い色をしている。」古座川から頂いた時は少し替えて「さすが古座川ですね。以下同文」となる。鮎とかの魚でもそうであるが、内水面ではそのローカル性を自慢にするのが常であるから。
 しかし何故かよく分からないが、このアオノリは、河口から少し上流に掛けての所謂汽水区域で獲れるのであるが、和歌山県では制度的に見ると「海産」と言うのか「海の漁師のもの」になっている。戦後何処かで制度的に整理されたようである。

藻類(6):食用(2):ヒジキ
 総菜の材料にヒジキがある。ヒジキは味がある訳でもないし、如何にも消化に悪そうである。よくこんなものを食用にしたと思ってしまう。何となく陸上での雑草を食べているように思ってしまう。ヒジキと油揚げとマメを煮込んだものがポピュラーである。「さいら」は余り好きではない。決してヒジキそのものが嫌いという訳ではなく、そもそも一緒に煮込む大豆が性に合わない。ヒジキも迷惑な話だ。
 和歌山は多分古来からヒジキの産地であったようである。どのあたりか今思い出せないが、県内に「鹿尾菜(ヒジキ)島」と言う小さな島がある。多分ヒジキが繁っていて、島の色も茶色に変わっていたのであろうと想像する。決して、売っているような黒色ではなくて、繁茂しているヒジキは茶系統である。
 その和歌山の紀南に古座町「姫」(今は串本町であるが)というところがある。そこで収穫されるヒジキは全国的で無いかも知れないが、少なくとも和歌山では有名で、収穫・茹で上げ・乾燥のプロセスは和歌山の風物詩としてよく放映される。「姫ヒジキ」という。てっきり、その産地の地名から「姫ヒジキ」と言うのだろうと思っていた。ところが、「姫ヒジキ」なる商品名はそこだけではない。産地表示ではないのである。(新)芽のヒジキのことである。可能な限り「柔らかい」ヒジキを好むためであろう。と言っても、その乾燥した姿・出来上がった総菜からは幾ら「姫」といっても「ピチピチ 色白ギャル」を想像することは難しい。敢えて想像すれば、その色から今は死語になっている「ガングロ ギャル」であろう。

藻類(7):食用(3):モズク
 モズクは藻類の中では珍しく、主産地は温かい海域、日本では沖縄産のオキナワモズクがよく知られている。また、ポピュラー性から見ても、藻類の中では後発部隊というか、都会の食卓に出てくるようになったのは最近である。三杯酢とかで和えて食べるのが通常である。だから、流通スタイルも他の藻類では見られない特徴がある。既に「調理」されたものがだから「保存」が利くプラスチックの容器に「一人前」らしく入れて売られる。
 このように流通形態が工夫されなければ、きっと今のようにポピュラーなものではなかったと思う。おかずの品数が足りない時の一つの添え物としての便利さに意義がある食べ物の行き方であろう。同じ様なことが、「納豆」にも言える。昔の納豆は麦わらで包んで売っていた。多分その量は家族全員に見合う量であったと思う。それが今では、モズク同様の流通スタイルになっている。モズクが納豆に習ったのであろうが、古来から食用にされているものも、容器と量と手間は現代的になっている。モズクでふとそんなことを感じた。

藻類(:8)食用(4):テングサ
 テングサ類は寒天の原材料である。夏の暑い時期によく食べるのであるが、何故「寒天」というのか不思議に感じた時もあった。和歌山県内の海岸を歩いていると夏にはこのテングサを乾燥している風景によく出会う。ヒジキと同様にテレビなどの風物詩にもなる。
 分類上は何種類かあって、それぞれ寒天の品質に差が出る。従って、その種類によって価格差が出る。ノリも同じであるが、不思議とそのテングサをランク付けするのは昔は長野県の方々であった。入札前にその方々に来て貰いランク付けを行う。何故海のない所から来るのか?不思議であり、今も不思議に思う。
 しかし、不思議に思うのはそれだけではない。あの寒天とは似ても似つかぬテングサからどうして寒天が出来るのか?不思議であった。葛と言い、寒天と言い本当に昔々からの人の知恵には驚かされる。今はもう余り見受けないが、「棒寒天」を乾物屋で売っていた。それを戻して寒天にするのである。殆どは染めていない白いものであるが、中には赤色にすこし着色したものも売っていた。各家庭には「寒天突き」があって、細長いひも状の寒天を突き出した。意外と力が要るように子供心に思った。夏の家庭での一時の涼を求める楽しみの一つであった。 
 その寒天であるが、思いも寄らぬ使い道があった。「微生物」」「細菌」を培養する時の「培地」の用途である。シャーレとか試験管にこれを敷いて、細菌を植え付ける。これは栄養的に無栄養であること(細菌が寒天を分解しない・試薬とも反応しない)と、そのゲル状が丁度培養に適しているのであろう。最近知ったことであるが、DNA分析に欠かせない「電気泳動」にも使用されていたらしい。思わぬところで活躍していたテングサである。と言っても、最近は化学的に合成されているのであるが。
 その有用な用途のために科学の進歩には必要な物質であったので、戦前の我が国ではこの寒天が戦略物質として扱われ、その輸出は厳しい管理下に置かれていたそうだ。


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