川塵録

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神仏を尊び、謙譲の美徳をもつ

2024年06月05日 | 空手
私が24年も学んでいる新極真空手には、道場訓がありまして、その5番目が

神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること

なんですね。
道場訓

道場訓

新極真会の道場訓 一、吾々は心身を錬磨し 確固不抜の心技を極めること

NPO法人全世界空手道連盟新極真会

 

え、神仏を尊ぶ? 空手とは関係ないじゃん、って思うかもしれない。

私も最初はやや違和感を感じたように記憶する。

しかし。

神仏を尊ばないと、ほんとうの意味で謙虚になれない。謙譲の美徳を身につけることはできない。

謙譲の美徳を身につけなければ、肉体的に強くなっても、意味がない。

肉体的に強くなると、えてして、傲慢になって、人をいじめたり、殴ったり、殺めたりすることがある。

それはいけない。

知恵なき力は暴力である。

武を悪用せぬために、武の道を修める者は、同時に、謙譲の美徳を身につけなければいけない。

そのためには、いろんな工夫があろう。

いろいろ謙譲の美徳を身につける工夫がある中で、極真会は、大山倍達総裁は、

神仏を尊ぶ

ということを掲げた。

神仏を尊ばぬ者は、真に謙虚になることはない。

人間世界だけしか知らぬ者は、傲慢になってしまう。

神仏、造物主、サムシング・グレート、かたじけなさに涙こぼれる(@西行法師)存在を感じるからこそ、ほんとうの意味で謙虚になれる。

そう考えているからでしょう。

ちなみにこの道場訓は、吉川英治が監修しました。

ーーーーーー

無神論者として神仏を尊ぶ姿勢を見せない鈴木エイト氏とか紀藤正樹氏の傲慢さを見るにつけ、我が極真会の素晴らしき道場訓を誇らしく思う。

神仏は信じなくてもいい。でも尊ぶ姿勢はほしい。

神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れない人間でありたい。

押忍
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