宿命を受け入れる、それが自由の本当の意味じゃないか
思想史家の渡辺京二さん
天宿命人運命天が命を宿し、人がその命を運(めぐ)らす
この「宿命」と「運命」の違いは、大学生時代、安岡正篤を読んで、私が考えた言葉。
宿命と運命を分けると、いろいろ他責しなくなる?
宿命は選べない。男に生まれたとか、日本に生まれたとか、平成の世に生を享けた、とか。
運命は選べる。運命は創るもの。運命は自分でめぐらすもの。
宿命に他責したってしょうがない。
その宿命を前提に、どんな運命を創るか。
そこに人間の自由がある。
その自由度は、いろんな人の伝記とかを読んだり、歴史を学ぶと、案外広い。
小川さゆりさんとか、鈴木みらいさんには、その「自由度の広さ」を学んでほしい。
っていうか、その「運命の自由度の広さ」を学ぶことこそが、歴史を学ぶ意義だと言えるかもしれない。
アンネ・フランク、ヘレン・ケラー、マーガレット・サッチャー、V.E.フランクル、近くはCoCo壱番屋の宗次徳二さん…
「運命の広さ」「運命の自由度の大きさ」を体現して証明した人は、歴史を紐解くと、すっごくたくさんいる。
そういう人を見本に、自責する人生が、幸せなんだと思う。
笹川良一と東條英機の交流について私の好きなエピソードを調べていたら、この高山さん/渡辺さんの記事に当たりました。いい邂逅でした。
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天を怨みず人を尤めず
論語のこの言葉を味わっている。
この論語の一節は、短冊にして子供に示すかなぁ。
子供にも他責しない人生を送ってほしい。