「批判の流儀」4月9日
『指導要領に「銃剣道」』という見出しの記事が掲載されました。中学校保健体育で必修の「武道」に「銃剣道」が明記されたことについて報じる記事です。記事によると、『戦前の軍事教練の流れをくみ、インターネット上で賛否が渦巻いている』とのことです。
具体的には、『「戦前回帰だ」「人殺しの技術を教えるな」など疑問や不安の声が上がる』、『銃剣道はスポーツで十戦向けの銃剣格闘をは違う。剣道やなぎなたも元々は相手を殺傷するためのもので、銃剣道だけ批判されるのはおかしい』というような論争になっているようです。
私も銃剣道が明記されたという記事を目にしたときには違和感を感じました。最近の教育勅語論争なども併せて考えると、戦前回帰という不安も理解できます。では、批判派かというとそう単純でもありません。
この問題の最も重要な点は、戦前回帰の流れ、にあります。それを肯定するか阻止するか、という問題なのです。私は阻止派です。しかし、銃剣道という一つの問題を深堀して論じるのが適切かというと、そうは考えません。余り焦点を絞りすぎると、上述したように、「剣道もなぎなたも~」という本質とは離れた議論に陥り、馬術や水練も武道の心得の一つだった、居合い道というのもある、実際の戦闘では弓による死者の方が多かった、手裏剣は武士だけでなく町人にも広がっていた、そもそもなぜ槍術が入っていないんだ、棒術もあるぞ、などと議論が拡散していって、そのうちに既成事実だけが積み重なり、だんだんと人々の関心が薄れ、いつのまにか問題があったことも忘れられてしまう、という結果になってしまう可能性が高いと考えるからです。
そうではなく、戦前回帰という根本を強く意識し、枝葉の問題にエネルギーを費やすのではなく、戦前回帰という大問題に直結する事柄について注力することが大切なのではないかと思うのです。もちろん、小さな問題をないがしろにしては、少しずつ戦前回帰が進んでしまうという考え方もあるでしょう。しかし、「戦い」というのは、戦力の逐次投入がもっともよくないとされているのです。大きな問題に力を結集すべきだと思う理由です。
学校教育における大問題は何か、私は政治の介入を容易にした教委制度改革だと思っていますが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます