ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

偏見は残っている

2024-05-13 06:50:13 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「語る意味なし?」5月7日
 オピニオン編集部小国綾子氏が、『月経を語ろう』という表題でコラムを書かれていました。その中で小国氏は、『経血はケガレ「洗って捨てる」が社会規範だったのだ』『サニタリーボックスは私が若い頃は「汚物入れ」。「汚物」という表現に疑問すら持たなかった』などと、月経についての過去の見方について触れ、『老若男女が月経を語れば社会が変わる』という、日本福祉大国際学部教授小國和子氏の言葉を紹介しています。
 私自身、小国氏が言う古い見方にどっぷりとつかっていた人間ですので、何も言う資格はありません。ただちらっと頭に浮かんだのは、「精通」についてはどうなんだろうということでした。
 月経と違いSDGsの重要課題ではありませんし、「生理の貧困」のような問題が起きているわけでもありません。性教育でも触れられています。でも、まだ誤解が多いように思うのです。私は指導主事時代に、同業の女性指導主事から、「男性は溜まってくると、出したくなる。それはトイレを我慢できないのと同じ。だから極端に言えばだれが相手でもいいからセックスしようとする。そんなとき、相手の女性はトイレの便器と同じで、自分と同じ人間という感覚ではなくなってしまう」という趣旨の話を聞かされたことがあります。こうした認識をもつ人は少なくないような気がします。でも、こうした認識は正しいのでしょうか。私は強い違和感を覚えるのですが。男はケダモノ、とでもいうこうした見方は。
 昔、純潔教育と呼ばれるものがありました。女性は結婚するまで処女でいるべきと教え込むわけですが、そこでは男は排泄欲、獣欲に支配された生き物だから、警戒してもし過ぎることはない、という考え方が根底にありました。酷い話です。ある意味偏見であり、男性蔑視思想と言ってもよいでしょう。そしてそれは上述した女性指導主事の認識と重なっているのです。こうした偏見は、現在の性教育で正されているのか、私は不十分だと考えています。男女双方が相手を正しく理解することこそ、尊重し合う関係構築の基盤であるはずです。

 

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