ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

一人もいなかった?

2018-08-28 08:44:45 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「今さらながら、猛省」8月21日
 医療福祉部藤沢美由紀記者が、『差別禁止へ法整備を 自民議員のLGBT「生産性」寄稿』という見出しで「記者の目」を書かれていました。その中で藤沢氏は、『性的少数者は、各種調査で人口の約6~8%いるとされる。30人学級のクラスに1~2人いる計算だが、もし身近にいないと思うなら、その周囲は当事者にとって安心な場ではない、差別があるかもしれない、ということだ』と書かれています。ドキンとしました。
 性的少数者は12~3人に1人ということは知っていました。あくまでも「知識」として。しかし、その事実を自分の問題として考えてことはなかったのです。私は、学級担任として300人超の子供たちを指導してきました。単純に計算すれば、20人弱の性的少数者がいたはずです。しかし、私が認知している限りでは、教え子の中に性的少数者は1人もいなかったのです。確率を考えれば、実際にいなかったとは考えられません。つまり、私の学級は、性的少数者が差別を恐れなければならない環境だったということです。
 教委に勤務し、人権尊重教育を担当するようになり、講師として東京都の人権課題などについて話すようになりました。もちろん、性的少数者の問題もその中に含まれていました。しかし、子供や保護者から、あるいは教員や校長から、性的少数者についての相談をいけたことはありませんでした。中学校で、女子生徒もズボンでの登校を認めてほしい、という問題が提起され、「あくまでも標準服であるので、特段不都合な事情がない限り、個々の生徒の要望に沿う形で対応してほしい」と指示したことはありましたが、それはあくまでも、冬季の防寒やスカートでは休み時間等に思い切って運動できないという趣旨からの申し出であり、性自認の問題として対応したわけではありませんでした。管轄下の中学校、千数百人の生徒がいたわけですから、先ほどの計算で言えば100人を超える性的少数者がいたことになります。個々でも私は、彼らが差別を恐れなければならない環境を放置してきたことになるのです。
 私はこのブログで、何回も人権問題を取り上げ、人権教育のあり方について論じてきました。ある意味、「偉そうに」「上から目線で」です。しかし、「知識」はともかく、その知識を実際の行動に反映させるという点では、全くの落第生だったのです。今さらながら猛省です。しかし、だからといって、今後、このブログでは人権問題や差別について一切触れないというのも、かえって無責任であるような気がします。引き続き、折に触れ人権教育について触れることをお許しいただきたいと思います。今よりも少し謙虚に。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする