後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「春爛漫の日々に思う悲惨なウクライナの戦乱」

2024年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。しかしウクライナでは悲惨な戦乱が起きています。何故人間は戦争をするのでしょうか。ウクライナでの戦争を考えざるを得ません。少し考えてみました。
ウクライナの戦乱を歴史的に考えてみます。ロシアが悪いと非難すべきは明白です。しかし歴史的かつ客観的に考えると別な理解が出てきます。
ウクライナの戦乱は旧ソ連の内戦です。旧ソ連の中枢を担ったウクライナとロシア・ベラルーシが対立し戦争になったのです。
1991年に旧ソ連が崩壊します。ロシア・ベラルーシは共産主義体制のままですがウクライナは資本主義の国家になってしまったのです。旧ソ連時代にロシアの親友だったウクライナがロシアを裏切ったのです。当然ロシアは怒り心頭です。恥じも外聞のなくウクライナへ軍事侵攻したのです。
この経緯を見ると現在も続くウクライナの戦乱の原因は旧ソ連の崩壊になります。これは明白な歴史的事実です。

1番目の写真は旧ソ連の地図です。12の連邦国を示した地図です。
1から12までは次のようになります。
1.アルメニア 2.アゼルバイジャン 3.ベラルーシ 4.エストニア
5.ジョージア 6.カザフスタン 7.キルギス 8.ラトビア 9.リトアニア
10.モルドバ 11.ロシア 12.タジキスタン 13.トルクメニスタン
14.ウクライナ 15.ウズベキスタン
(出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%81%AE%E5%B4%A9%E5%A3%8A です。)

それでは何故ソ連が崩壊したのでしょうか?
 豊富な資源に恵まれたソ連は戦後、重工業を発展させました。しかし共産主義の下では競争が乏しく、技術の革新が遅れました。また軍事に偏った経済は、社会に大きなひずみを生みました。
 1985年に書記長になったゴルバチョフさんは、問題を解決しようと自由な経済を導入する「ペレストロイカ(改革)」を始めました。
またアメリカにも歩み寄りました。1989年末に、ゴルバチョフさんはアメリカのブッシュ大統領(当時)と、冷戦の終結に合意しました。ベルリンの壁が崩れたドイツは、90年に東と西が一緒になりました。また、東ヨーロッパでは次々と政権が倒れました。

2番目の写真はゴルバチョフさんです。
ゴルバチョフさんは数々の改革をしながら共産党の一党独裁を見直し、大統領になりました。
ところが、これまでのソ連を守りたい一派のクーデターで力を失いました。代わってソ連を構成する共和国の一つであったロシアのエリツィン大統領がクーデターを鎮め、力を握りました。
1991年12月にはゴルバチョフさんは大統領を辞任。ソ連は15か国に解体され、崩壊しました。ソ連は国連の常任理事国でしたが、そうした国際的な地位や核兵器などは、ロシアが引き継ぎました。
そうしてその後、ゼレンスキー大統領のウクライナが西側の資本主義国家と友好関係を築きます。当然ロシアは怒り心頭です。軍事侵攻です。

3番目の写真はロシアの軍事侵攻が一先ず収まり仮の平和を喜ぶウクライナ市民のデモです。出典は、https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01237/ です。
ウクライナの中央と西部は仮の平和になりましたがロシアは東部の州とクリミア半島をロシア領として併合したのです。これをウクライナは許すことは出来ません。
そのうえ北朝鮮の金正恩氏はロシアを訪問しプーチン大統領に軍事支援の約束をしたのです。従ってウクライナの戦乱は長期化するのです。
日本も長期にわたってウクライナを支援しなければなりません。実に困った情勢です。
ウクライナへのロシアの軍事侵攻は世界の国々と日本にも重大な影響があるのです。

ウクライナの戦争が一日も早く終わって平和になるようにお祈りします。

それはそれとして、 今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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