後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「大好きな観光地の西伊豆の魅力、三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎」

2024年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム
人それぞれ好きな観光地があります。風景が良く食べ物が美味しい観光地は魅力があります。そのうえ交通が便利なわりにはお客があまりいなくて静かな所なら最高です。
今日は私が大好きな観光地をご紹介したいと思います。西伊豆の三津浜、戸田、土肥、堂ヶ島、松崎をご紹介致します。
伊豆半島の西側は鉄道も無く、その上道路が細くて不便です。東京からの観光客も東伊豆に比べて少ないのです。おおげさに言えば陸の孤島です。
しかし西伊豆は景色も良く温泉も良いのです。そんな訳で私は西伊豆には何度か旅をしました。そこには美津、戸田、土肥、安良里、田子、堂ケ島、松崎、妻良という美しい所が連なっています。西伊豆には沼津から入り、海岸沿いに南下します。西伊豆の魅力を私どもが撮った写真でご紹介いたします。
1番目の写真は駿河湾に面した美津浜から見た富士山です。西伊豆の海岸沿いを走っているとこのように富士山が見えます。
2番目の写真は美津浜の沖に係留してあるヨットです。
3番目の写真は展望台の上から見た戸田港です。湾を囲んでいる岬は砂が流れて来て出来たものです。伊豆大島の波浮港のような火口湖ではありません。
4番目の写真は戸田からさらに南下して土肥に行く道から見下ろした海岸です。
伊豆半島の西側は険しい山々が海にそのまま落ち込んでいます。絶壁の下の岩礁に太平洋の白波が激しく打ちつけています。
そして同じような険しい道が土肥、堂ヶ島、松崎、そして石郎崎、下田へと続いているのです。
さて戸田には「戸田造船郷土資料博物館、駿河湾深海生物館」があります。ヨットや帆船が好きな人なら見逃せない博物館です。
江戸幕府が西洋式帆船の造船技術を導入し、風上にも登れるスクーナーを10隻以上も建造した事実を紹介しているのです。
5番目の写真は戸田にある「戸田造船郷土資料博物館、駿河湾深海生物館」の入り口です。
6番目の写真は日本で作られた最初の西洋式の帆船「ヘダ号」の大きな模型です。
1855年5月に西伊豆の君沢郡、戸田村で完成しました。そしてロシアに向けて出港したのです。それは明治維新の12年前の史実です。
7番目の写真は現在世界各地で航海練習に使用されているスクーナーの写真です。
江戸幕府はこのスクーナーの構造の帆船を君沢形と命名し、幾つかの藩に、その造船技術を伝えたのです。江戸幕府は西洋式の帆船の量産体制を作ったのです。そして東京湾防備の品川台場の付属砲艦として12隻が一時期配備されたのです。
それはさておき伊豆半島の西海岸をさらに南下します。
8番目の写真は堂ケ島温泉の「かくれ湯、清流」という旅館の部屋からみた夕日です。この夕日を眺めながら冷えたビールを飲みました
さて堂ヶ島に近くに松崎という町があります。コテを使った鏝絵の天才、入江長八の漆喰画(鏝絵)の生まれた町です。
長八は幕末に松崎の浄感寺にあった塾で学び、23歳で江戸に出て、狩野派の絵師に絵画を学び、それを漆喰細工へ応用し、独創的な漆喰を用いた「鏝絵」を生み出したのです。そして浄感寺の本堂の天井に有名な龍の鏝絵や客間の欄間に天女の絵や室内を飾る鏝絵など合計20点の鏝絵を完成したのです。現在その本堂と左右の客間は「長八記念館」として公開されています。
9番目の写真は入江長八の天女のコテ絵です。彼はその後江戸へ戻り、明治維新後の東京で活躍します。
10番目の写真は入江長八の作った漆喰の壁です。松崎には長八の作品50点を集めた「長八美術館」があります。長八の作品は鏝絵だけではなく多くの建物の美しいナマコ壁としても残っています。

松崎をさらに南下すると美しい港町の妻良があります。民宿に泊まって駿河湾でカサゴを釣った思い出のあるところです。
あまり長くなるので今日はこれで終わりと致します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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