後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

国破れて山河あり・・・少し元気の出る写真をお送り致します

2011年03月26日 | 写真

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今回の大地震・大津波で私自身は被害がありませんでした。しかしとてもガックリしています。

戦後の荒廃した国土で、「追いつけ!追い越せ!」の掛け声でやっと日本はここまで良くなったと思っていました。それが一挙に吹きとんだような気分です。敗戦の後、新制の中学校で特攻帰りの先生が何かというと、「国破れて~山河~あ~り~。城春にして~草木~深し~・・・」と吟じていました。そうやって自分を元気づけていたのです。少し元気になって、また授業を始めていました。

今回の大津波は根こそぎ、全てを奪ってしまいました。山河も荒れ果てました。虚脱感にとらわれています。

しかし昨年撮ってきた写真を見ていたら、高さ3000メートル級の南アルプス主峰連山が雄大に広がっていました。ジッと見ていたら元気が出て来ました。きっと皆様も元気になると信じて数枚の写真をお送りいたします。

写真の左から、農鳥岳、間の岳、北岳です。3_019

甲府盆地からよく見える南アルプスは鳳凰三山の薬師岳、観音岳、地蔵岳です。この写真は韮崎市の山際から撮ったもので左が観音岳、右が地蔵岳で薬師岳は入っていません。

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いつも甲斐駒岳を撮るときはすぐ麓の武川や横手から撮影しますが、これは韮崎の岡の上から遠景を撮ったものです。

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甲府盆地の南半分からよく見える八ヶ岳も山梨県が誇りにしている山です。複雑な形をした火山で長い裾を引いています。麓には清里、甲斐大泉、小淵沢などの避暑地がひろがっています。

如何でしたでしょうか? 雪を頂いた山山の風景写真を見て、元気が出たと信じています。

兎に角、皆が心を寄せ合って第二の国難の地震・大津波の復興に立ち上がりましょう!


福島原発炉心は収束・・・やっぱり安心出来る

2011年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発で東京電力の下請け会社の社員が強い放射能のある水に浸かって被爆障害を受けました。下請け。水漬け。緊急入院。このような言葉に憤る人も居ると思います。特に放射能測定器をもった東電の社員が引率していなかったのです。無責任きわまりない復旧作業と非難されても仕方がありません。被爆した3人へ心からのお見舞いの気持ちと同情をお送りします。軽い症状で終わることをお祈りいたします。

さて今回の事故にはとても危惧すべき事がありました。それは炉心格納容器内ではなく、そこから離れて独立して建っている大型発電気のある建屋の中で起きた事です。それも水の放射能は炉心や貯蔵プールにある核燃料棒のウラン酸化物に含まれている種類の放射性元素だったのです。

この事実は炉心圧力容器へ繋がる数多くの配管が発電機建屋に繋がっていて、そこから強い放射能を持つ水が漏れたのです。東電はその可能性が大きいと昨日、発表しています。これは聞くと衝撃的な事のようですが、私は昨日の新聞、今日の新聞を総合的に見て安心しました。理由は以下の3つです。

(1)文部科学省は毎日東北地方の放射線量を発表しています。昨日と今日の東北地方各地の放射能は変わりなく、安全圏内です。福島市の4.15、いわき市の1.15マイクリ・シーベルト/hour と少し高いのはいつもの通りですが、他は全て安全です。青森市、盛岡市、秋田市、山形市、仙台市、水戸市、宇都宮市、さいたま市、長野市、甲府市、東京・新宿、千葉・市原市、などなど東日本の諸都市の放射線測定値にはここ数日変化がありません。

(2)考えて見ると、大型発電機建屋の燃料棒の成分を含む水が溜まったのは過去にも有ったに違いありません。しかし原発正門わきの放射能の強さはゆっくりですが減少方向へ推移しています。原発工場では危険な現象がつぎつぎ起きていたのです。

やっと復旧体制が出来てきて、その危険な現象に気がつき出したという事だと理解できます。それと同時に復旧に日夜従事する人々の危険がどういう所にあるか分かりだした事になります。復旧作業は命懸けです。戦場と同じです。一番重要なのは小隊長です。小隊長、中隊長の指揮系統がこんどの不幸な被爆事故で出来あがると思えるのです。

(3)文部科学省は大気中の塵、土壌、雨、大気そのものの放射能を精密に測定し始めました。それもヨウ素131とセシウム137の別々にわけた測定値を発表しているのです。けさの読売新聞の30ページに測定値の表が掲載してあります。

その表は単位の表示も明確で、測定値の最高値と最低値の両方が記載されています。この表は科学的に明快な、そして厳密なものという印象を与えます。表の中の数値の意味は私には厳密には理解できませんが、ベクレル/kg やベクレル/(1立方米当たり) をマイクロ・シーベルトに換算してみるといずれも大変小さな値になるのです。

ようするに文部科学省が本気で放射能汚染を測定しはじめたという事が分かり、非常に安心しました。

以上の3つの理由で、私は福島原発は大局的には収束方向へ推移していると信じています。なお完全な安定冷却機能の復旧にはまだまだ紆余曲折があるとは思います。しかし復旧作業に従事している方々の献身的な働きがあるので必ずや完全に収束すると信じています。

福島の人々が一日でも早く安心の出来る平穏な生活に戻れますようにお祈り致します。藤山杜人


海抜16mにある女川原子力発電所は津波対策をいろいろしていました

2011年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

福島第一原子力発電所は女川原子力発電所より随分前に建設され、津波対策が十分出来ていなかったのです。

何故福島原発には津波対策が無かったか?それには歴史的な理由がありました。

東北地方に24年間住んでいた私には解るのです。「三陸には津波があるが、仙台平野以南には決して津波は無い」という東北人共通の常識があったのです。ですからこそ原発だけでなく、火力発電所うも精油コンビナートも製鉄所も全ての臨海工場は津波対策が無いのです。

それはそれとして、今回の津波で女川の市街地は壊滅しましたが、女川原子力発電所は冷却機能も正常に作動し続け、何の問題も起きていません。

しかし2号炉の地下室に海水が浸水しました。2号炉と3号炉の燃料棒貯蔵プールの水が溢れました。全ての原子炉は緊急スクラム装置が正常に作動し、停止しました。電源は津波の被害を受けなかったので原子炉の全ての冷却系統がその後も正常に作動し続けたのです。

女川原子力発電所は沸騰水型原発3基で、1984年、1995年、2002年に建設されました。福島第一原発は1967年から71年に5基作られています。

さて女川原発の耐震対策と耐震設計は何度も公開されているようです。以下では

東北電力の松本康男氏が、2007年開催の「地震・津波に対する原子力防災に関するIAEA/JNES/NIEDセミナー」で講演をしています。講演の題目は、「女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策」です。

そしてその内容は、http://www.jnes.go.jp/content/000015486.pdf#search='女川原子力発電所の津波対策' に御座います。詳しくはこの講演資料にありますが、東北電力では江戸時代から現在にいたる三陸地方の津波を記録した文献を徹底的に調べ、最大16m高さの津波に対する安全設計にしたのです。

今回は幸運もあって高さは16mを少し越えましたが、甚大な被害が起きなかったのです。備えあれば憂いなしです。しかし津波高さが16mをそんなに越えなかった事は幸運としか言いえません。福島原発の状況と比較して何故か深い感慨にとらわれます

今日は女川原子力発電所の設計、建設などに関係した全ての方々へ深い敬意を送りたいと思います。藤山杜人