日本も、安全保障上の弱さをつかれて、アメリカに貿易上の譲歩をすることはある。だからと言って、日本には単独で安全保障上の強化を図るにも限界がある。その微妙なバランスは国際社会の協調の中で、生成されていくものかもしれない。さて、北朝鮮だが、北朝鮮は自らの安全保障上の弱さを世界の協調という枠を無視して、自らだけで補おうとしている。これまで、禁じ手と思われた手を矢継ぎ早に実行して、核武装と援助という彼らにとって二つの大きな成果を手に入れたいと動いている。だが、ケソン工業団地からの労働者を離脱させた手も、韓国側の撤退で窮地に陥ってしまったのは北朝鮮側であった。どのような威嚇や手を打っても相手が乗ってこなければ、核武装はできても、援助は得られず、後には、さらなる制裁だけが待ち受けていることになる。多くの国民は今の困窮状態に慣れて、耐えられるかもしれないが、早晩、耐えられない層が現れる。それはより指導部に近い層である。このことを知っているだけに、北朝鮮が打つ手、打つ手がうまくいかずに、袋小路に立ちいっている今の状況は、実は怖い。窮鼠猫を噛むということわざがあるが、そのような状況に近づきつつあるように思われる。そして、北朝鮮は最後の禁じ手を持ち出した。韓国系アメリカ人の逮捕抑留と裁判という人質作戦である。この種の問題が起こると始末が悪い。北朝鮮の国外にも多くの北朝鮮人がいるのだが、彼らを逮捕しても、捕虜交換などができないのである。人の価値の重さの違うことを実感させられるのである。でも、せかっく、北朝鮮が人道的な問題を持ち出してくれたので、北朝鮮のメンツだけは立てて、北朝鮮の全面降伏の内容で、幕が引き下ろすことができないかと願うばかりである。
Y-FP Office Japan
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