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晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

水の有る風景 「命の原点、生命の源」【日曜フォトの旅】

2012-01-29 23:52:50 | 心にしみる光景
水の有る星『地球』に棲む人類。

宇宙に、無数に存在する星々の中の、限られた環境が生命を造り出した。

人類は、貴重な生命。
掛け替えの無い『種』


なのだろうか。。。


広大な宇宙には、生命を育くむ可能性を秘めた惑星を持ち得る恒星は、分っている範囲だけでも100億程も有る。

人類は、お互いに殺し合って来た。
今も、世界各地で殺し合っている。

自らの「種」の命を守る事すら出来ない「ホモ・サピエンス・サピエンス」という種は、呪われた生命なのだろうか。。。



しかし、我々はここに居る。

90%の水と、炭素と、幾ばくかの有機物からなる肉体を獲得し、地球上のあらゆる他の生命を遥かに凌駕する容積を誇る頭脳を獲得して、この星に君臨している。

放射能をまき散らしながら。


『私はカモメ』
『地球は青かった』

その、生命の母である「河川」を「海洋」を、我々人類は、汚染している。
水の惑星『地球』を、あらゆる生命の母なる地球を、一生命種に過ぎない「人類」が、勝手に滅ぼして良いのだろうか。



今週のフォトの旅は、あらゆる「水の有る風景」を集めてみよう。



     
     アルプスの氷河。

シャモニーから、蒸気機関車の鉄道で45分、標高1800メートル程に有る『モンタンヴェール』の氷河は、「平地」で訪れる事が出来る最大の氷河だ。

氷河内に長いギャラリーが彫り貫かれ、見学する事が出来る。



高山の頂きに雪が降る。
凍り付いて氷河となる。

数千年の時を経て、数センチずつ下りながら、少しずつ溶けて流れとなって下界へ下る。

アルプスは、水の故郷。
天界より地界へと、水と言う「命の源」を送り届ける。


      
      イタリアとスイスとの国境の小さな湖

イタリアからスイスに抜ける『グラン・サン・ベルナール峠』のつづれ折りの急斜面を登りきると、頂上に小さな湖が有る。

そこをかすめると、スイスに入る。
そこから北にアルプスを下るとレマン湖に至る。


     
     『レマン湖』(スイス)夜景


この湖が、スイスとフランスとの国境である。


     
     フランス側の山頂から「パラグライダー」でレマン湖の上へと飛翔する


レマン湖からフランスに入り、南西行すれば、アヌシーに至る。


     
     アルプスの湖『アヌシー湖』(フランス)

このアヌシー湖は、欧州で最も透明度の高い湖である。
古代ローマの皇帝「アウグストウス」が好んで避暑に滞在した。

     
     アヌシーの町


イタリア側は、コモ湖やガルーダ湖、マッジオーレ湖等の湖が多く点在する。


     
     『コモ湖』(イタリア)


     
     『ヌーシャテル湖』(スイス)


ヌーシャテル湖は、アヌシーに次いでヨーロッパで二番目の透明度を誇る。
湖岸の急斜面の葡萄畑が、美しい。



レマン湖からフランス領に入った『ローヌ河』は、地中海まで南下する。

地中海は、文明の揺りかご。



     
     「ポン・デュ・ガール』ここを二千年前水が流れた

南仏プロザンスの代表的な光景、『ポン・デュ・ガール』は、アウグストウス帝の頃ローマ人が、遥か50キロ先の山のわき水を、ニームの町まで「飲料水」を引いた水道が、『ガール(がルドン)川』を渡る為に架けた橋である。

三層のアーチで川を渡る、最上階の275メートルの中は、水を通す<暗渠>となっていた。

全長50キロメートルが、1000mで40㎝下る勾配で、毎分数百トンの水をニームに供給した。

左右の壁体には、700年程流れた水がもたらした「石灰」が25センチ程も張り付いて、本来の水道暗渠の幅を狭めている。


     
     ニームの分水盤

ニームの町中には、二千年前の分水盤が残っている。
延々50キロを運んで来た「美味しい水」を、各町内に分水する為の給水所である。



     
     エックス・アン・プロヴァンスの温泉源

イタリア半島から進出して来たローマ人達が、最初に「ローマの地方圏(州)」の地位を認めた植民地が「プロヴィンキア(州)」から、なまって名前になった『プロヴァンス』地方であった。

首都は『エックス』

ラテン語で<水>を表す『アクアエ』のなまった言葉で、実は温泉がわく湯治場として栄えたのだった。

町で一番名高い通り「クール・ミラボー」に、当時の温泉の水源の一つからのわき水が「噴水」になっている。

この「苔だらけの」塊からしたたる水は、この通りに同じ様な噴水があと二つあるものと比べて、人肌に温かいのが実感出来る。

セザンヌの世界である。



ヨーロッパは大陸。

大河が悠久の時を刻んで、流れて行く。


     
     セーヌ河上流

セーヌは、フランス中央部やや東に依ったブルゴーニュ地方に源が有る。


     
     「セーヌ水源の碑」 


セーヌ河は他の多くの河川と同じく「女性形」である。

水源地には、「セーヌ源泉」を表す記念碑の女神像画飾られている。
ここから、水が湧き出ている。

この「セーヌ水源地」の周囲100メートル四方の土地は、パリ市の所有で、そこだけ「パリの飛び地」と言う事になっている。

セーヌ河の中の島で誕生し、セーヌの水運で富を得て、セーヌ河と共に時を刻んで来た、セーヌ河生まれのセーヌ河育ちのパリの、矜持とでも言おうか。



     
     ジヴェルニーのモネの家の日本庭園「睡蓮の池」

パリ首都圏、かっての王家の領地「フランシリアン地方」から、ノルマンディー地方に入ってすぐに、セーヌの支流の小さな河『エプト川』が流れて居り、その川の流れを庭に引き込んで塞き止め、日本式庭園を作った「クロード・モネ」の家が有る。

彼は「ノルマン人」であった。



世界中にほぼ共通に言える事は、主立った町は、川沿いに立地している。
夫々の町のシンボルとしての川が有る。


     
     ストラスブールの旧市街


アルザスの主邑「ストラスブール」はライン川沿いに有り、その支流『リール川』が町中を貫き、小さな運河も掘られている。


     
     『ドルドーニュ河』と「エスタン」の町

フランス南西部のドロドーニュ河地方は、太古の時代にネアンデルタール人が住み、クロマニオン人も住んだ。

このエスタン(Estain)の領主だった家柄(d'Estain家)の娘さんを奥さんに貰い受け、自分の姓ジスカールにハイフンで繋いだのが、『ヴァレリー・ジスカール=デスタン』元大統領であった。

学閥は、貴族の末裔と閨閥を作って「政界」に支配権を確立するのは、洋の東西を問わない様だ。



     
     『カオール』の町とロット河

ロット河は、ドルドーニュの支流で、カオールの町は中世に置ける強大な司教の依って立つ町であった。

歴史的なデザインの木造船が、係留されていた。



     
     『ディナン』の町の外郭を流れる『ランス川』

ブルターニュ地方、ノルマンディー国境に近いディナンの町の領主「デュ・ゲクラン」が、百年戦争開始当時『モン・サン・ミッシェル』守備隊長に任命され、イングランドの攻撃から島を守り抜き、フランス国王軍の司令官にまで出世して行った。

広いランス河の河口には堤防の様な物が造られて居り、満ち引きの潮位の差の激しい特徴を利用して『潮汐発電所』として稼働している。

フランスは、「原発」だけでもないのだ。
そう言えば、ピレネーの山中に「太陽熱発電所」(ソーラー・パネルでは無い、巨大な鏡)すら1970年代に造られている。


     
     ピレネー「太陽熱研究所」


     
ブルターニュ半島南側に有る「ポン・タヴェン」の町は、ポール・ゴーギャンが滞在し、彼を慕った若手の画家達が多く訪れ、後期印象派の絵画の拠点の一角になった。


     
     ポン・タヴェンの町と『アヴェン川』

せせらぎに浮かぶ小さな町の、流れに沿った光景は、まさに「一幅の絵」である。


この「ポン・タヴェン」からやや西に行ったあたりの海の原産の<牡蠣>が、丸い殻を持つ『ブロン』と言う種類のカキで、ローマ人達は余りの旨さに独占したくて、先住ケルト族と戦いを起こして征服した、と言う故事がある。

ローマ人の美食追求、恐るべし。



     
     『バイユー』の町の水車小屋


ノルマンディーの町バイユーは、1066年に公爵ギヨームがイングランドの王位を受け継ぎ、7つの王国に分かれていたイングランドを始めて統一して『ノルマン征服王朝』を打ち立てた頃の、ノルマンディー公国の首都であった。

ギヨームが、先のイングランド王「エドワード三世」から後継者に指名され、それに反対したエドワードの義理の弟ハロルドと闘った「ヘイスティングスの闘い」に至る歴史の流れを表した『マティルダ王妃のタピスリー』という、素晴らしい名品が残されている。

必見。



水が「非常に貴重な」環境もある。

例えばサハラ。


     
     ガルダイア郊外の伏流水


アルジェリアのサハラのど真ん中に、地下を流れる伏流水がある。
その流れに沿って、地上にはヤシが茂っている。

この一角に『ガルダイア』の町が有る。
初期イスラム教徒が、後から来た別のイスラムによる征服を逃れて移り住み、先年以上外部との接触を断って来た。

平家の落ち武者の様な、独特の町である。



     
    オアシスの光景1


サハラに貴重な水源は「オアシス」と呼ばれ、井戸に遊牧民達が水を汲みに集まって来る。


     
     オアシスの光景2

砂漠の中の岩場から水が流れ落ちていた。


     
     オアシスの光景3

水の湧く池の周りに、「野生のルッコラ」が群生していた。



     
     『ティミムーン』の町の外に有る分水場

アルジェリアのサハラの町『ティミムーン』の周辺では、貴重な水を夫々の畑に分けて流す為の「分水場」があり、水番が守っている。



     
     チャド湖畔


アフリカ大陸最大の湖であった『チャド湖』は、ここ20年でどんどん干上がって、今や往年の三十分の一の面積も残っていない。
砂漠化の流れは、誰にも止められない。。。

湖岸に、淡水の牡蠣のからが大量に打ち上げられて、堆積していた。



     
     シャリ河の渡し船乗り場

チャド湖に注ぐ『シャリ河』は右岸がチャド、左岸がカメルーン。
この渡し場はチャド。



     
     典型的な丸木舟(ベナン)

奴隷海岸と呼ばれたベナンは、18世紀「ダオメー王朝」が栄え、スペイン人から鉄砲火薬を与えられて他の部族を征服し続けて行った。

その捕虜達をスペイン人に渡して、さらなる武器弾薬を手に入れた。
スペイン人達は、その捕虜を「奴隷」としてアメリカ大陸に大挙して送り届けた。



     
     マラケシュの水売り

モロッコの古都マラケシュの、『ジャマル・エル・フナ広場』の名物の水売り。

羊の皮の水袋で水を売り歩く。
最近は、観光客の写真に映る事でチップを(結構な金額)要求して稼いでいる。



大河は大陸を流れる。

その大河は、時として闘いの防壁となり、商品の流通路ともなった。
遡行する商人の船から税を取り立て、敵の航行を防ぐ為に、河中に城が築かれたりもした。

     
     ライン川の『猫城』



大陸を横切った大河は、やがて海へと注ぎ込む。



     
     『リスボン』と『テージョ河』河口

スペインで『タホ(Tajo)河』と呼ばれる河は、古都トレドの横も流れて、ポルトガルに入って『テージョ(Tejo)河』と発音が変わる。

町の河岸に、「エンリケ航海親王」の『大航海記念碑』と、要塞兼税関であった『ベレムの塔』が並んで、偉容を誇る。



     
     『ポルト』の町と『ドウエーロ河』

上流の急斜面で栽培される葡萄で作る赤ワインが、この『ドウエーロ河』を運ばれて、ポルトの街で熟成され『ポルト酒』となる。

エッフェルが架けた鉄橋と、いまだに使われている「ポルト酒」の原酒のワインの樽を運ぶ木造船の光景が、ポルトの典型的な眺めである。



生命は海で誕生し、陸へ上がって進化したと、言われている。

潮騒は、誰しもの胸を騒がせる。
人は、海に帰りたい「本能」のようなものが有るらしい。



     
     『ドノスティア(サン・セバスティアン)』

北スペイン、バスクの主邑『ドノスティア』(これはバスク語名。標準スペイン語カタルーニャ語名ではサン・セバスティアンとフランス名で呼ぶ)の湾に浮かぶ島。



     
     『ラ・ボール』の海岸

ブルターニュ半島南側、もうブルターニュも果てで「ロワール河口地方」にかかるあたりに、『ラ・ボール』の街は有る。

英仏海峡の『ドーヴィル』、地中海の『カンヌ」『ニース』と並ぶ、有名リゾートである。
ここの海岸線は、大西洋岸各国の中で「最長」の砂浜を誇っている。




     
     『サンタ・テレーザ』の港

地中海のイタリアの島「サルデーニャ島」の北端、『サンタ・テレーザ』の港には、フランスのコルシカ島からのフェリーが着く。




     
     『ボニファーチョ』の港

コルシカ最南端の『ボニファーチョ』は、有数の高級クルーザーの寄港地として名高い。

小さな港に、外洋を楽に横断出来る豪華大型クルーザーが、舫っていた。


     
     コルシカ最南端の海

ここの海は、「水色」で特に美しい。



豪華クルーザーと言えば、モナコの右に出るものは無い。

そのモナコに、海洋学者「クストー船長」が館長として招かれていた『海洋学博物館』が有って、必見である。
そこの「水族館」は、断崖絶壁の上にそびえ建ち、地中海の水を直に汲み上げて使っている。


     
     水族館の蛸

モナコの水族館は、流行の大型水槽等は無い、オーソドックスなものながら、世界中の魚類が集められて居り、その種類の多さは世界に類を見ない程の規模である。



地中海と言えば『コート・ダジュール』


     
     サン・ジャン・カップ・フェラ周辺の海岸線

ニースからモナコまでの海岸は、実に美しい。
小さな、宝石の様なリゾート・タウンが点在する。

もし、かっての王侯の様なヴァカンスが過ごしたければ、最適の場所である。


しかし、海岸線は休暇専用と言う訳では無かった。


     
     コタンタン半島の海岸線

北フランス、ノルマンディーの『コタンタン半島』東側の海岸線は、とぎれとぎれに「断崖絶壁」が続く。

1939年6月6日。

連合軍に依る、決死の「大上陸作戦」の決行された場所であった。
海上に黒く見える「岩礁」みたいなものは、連合軍が使用した「上陸揚舟艇」の残骸である。

「人類の不幸な出来事は、子々孫々に語り伝えるべきである」という哲学で、撤去しないで「保存」してある。



人間は、闘いを止められない生き物なのか。。。。


自分達の住む「唯一の美しい星」地球を、何度も何度も破壊出来る程の核兵器を持っている。

一体何の為に使うつもりなのだろう…。



最後に「おまけ」を。


「命の水」を仏語で言えば「Eau de vie」です。

そのものズバリ「命の水」と言う言葉なのだが、これはコニャックの事をさすのです。


コニャック地方で、様々な伝統的なやり方を尊守し、法的に厳しく定められた歴史的な作り方で造り上げた、ワインから作られる蒸留酒を『コニャック』と呼びます。


或る倉に熟成され、保存されている貴重な古酒。

     
     チョークで誇らしげに書かれている「1899年」というヴィンテージ

樽に入っている間は、まだ熟成が続いている。

完全に熟成した、各種の畑やグレードの原酒をブレンドして、コニャックは作られる。



更に貴重な古酒。

     
     1803年!

これらの古酒はそれ以上樽においておくと酸化劣化するので、ガラスの大型フレスコに入れて密封して保存する。

何か、特別な「記念商品」等を作る際には、原酒の一種としてブレンドされて使われる事が有ります。


今宵は、大宇宙を夢見て生命の未来を考えるも良し。
種の起原を思うも良し。

潔く、酔っぱらって寝てしまうも、又良し。


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6 コメント

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水、水、水 (Himbeere)
2012-01-30 12:37:15
パリさま、
水のある風景・・・何と素敵なタイトルでしょう・・・。

自分がまるでそこにいる様に、スクロールしながら旅を致しました。ヨーロッパの水は豊かで叙情的で美しさを感じますが、サハラの水は、人間の厳しい命を感じます。地中海に入りますと、何故か「ハーレクイン」の夢物語の世界を思い出しました。^^;そして最後に、お勉強、「命の水」がコニャックの事とは・・・一つお勉強に成りました。私は飲めませんが、香りは好きです!^^少しだけ飲めるのは・・・カルバドスです。同じ蒸留酒でも、こちらはシードルからですよね。良い銘柄をご存知でしたら、お教え下さいませ!

今週も素敵な旅を有難うございました!
同じく・・・ (kappa)
2012-01-30 19:46:50
>今週も素敵な旅を有難うございました!

私も同じことを書こうと思いました。

ありがとうございます。
心洗われる風景ありがとうございます (あつし)
2012-01-30 20:45:41
水と緑と青い空。
まさに時々パリさんがとってくる風景写真は美の宝庫ですね。
辛い憂き世をひとときでも忘れて癒やされる素晴らしい風景。
これでまた明日を生きる勇気が湧いてきます。きたるべき自分の足で自分の目で風景の場所に行きつくときのために。
どうもありがとうございました。
Himbeereさま。 (時々パリ)
2012-02-03 20:07:44
コメントありがとう御座いました。
ツイッターでもお世話になって居ります。
水無くしては誰も生きて行けませんからね。
水の有る光景は、そのまま生命の光景であります。
「オー・ド・ヴィー」は、広義では蒸留酒全般に遣いますので、カルヴァドスも荘呼べます。
「命」がエッセンスの事で、蒸留してエッセンスを取り出した、と言うニュアンスなのだと思います。
いつか、シードルとカルヴァの事も書きたいと思ってます。
ツイッターではいつもコメント頂いて居りますが、やはりブログ本体にコメント頂くと嬉しいです。
あつし様。 (時々パリ)
2012-02-03 20:09:58
コメントありがとう御座いました。
たまには、肩の力を抜いて、心の休息も大切だと思います。
kappa様。 (時々パリ)
2012-02-03 20:13:23
コメントありがとう御座いました。
心の珠箒は、オサケだけでは無く…。
なんてカッコ付ける訳では有りませんが、自分自身が息抜きを求めていました。
毎日毎日怒り狂って居るだけでは、行きて行けません。
御ブログの様に、音楽等を掲載出来れば良いのですが…。

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