硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

鬼滅の刃

2020-10-28 17:31:09 | 日記
この間、フジテレビで2週続けて放送された「鬼滅の刃」を一気に観る。

テレビでも、ラジオでも、本屋でも、コンビニでも、サービスエリアでも、ショッピングモールでも、ついには、妻の口から「竈門炭治郎」という固有名詞が出るほどに、必ず目や耳にする鬼滅の刃。

どれどれと思いつつ、観ていると、やっぱり面白い。時頼胸が熱くなる。

けれど、はまり込めない・・・。音楽との関係性を語った時と同じように、「すごくいいんだけれど、心を鷲掴みにしてくれない」

石ノ森章太郎さんや、手塚治虫さんから始まり、宮崎駿さん、高畑勲さん、永井豪さん、松本零士さん、富野由悠季さん、押井守さん等の作品が日常にあった時を経て、岸本斉史さん、尾田栄一郎さん、久保帯人さん、を、大人になってから知った。

それが、いけなかったのかもしれない。(涙)きっと、そういう道を辿ってきてなかったら、間違いなくはまり込んでいただろう。
(小学生だったら、学校の登下校中に、「全集中」とか「水の呼吸」とか言っていたに違いない)

けれど、胸を打つ作品には違いない。

文学は素晴らしいけれど、一定のハードルを超えなければ、作者が紡ぐ言葉は届かない。
しかし、漫画やアニメは視覚や聴覚に働きかけ、チャンネルを合わせた人に、何かしら届くものである。

他者を思いやる事の出来る炭治郎君や炭治郎君の仲間たちの気持ち、鬼として世を去る時、人間だった頃の事を思い出す鬼たちの気持ち等、感情に働きかける作品であるから、世界の人達の心に届いて、いじめや差別が少しでもなくなればいいのになと思う。



本当の事を聞かせておくれよ。

2020-10-26 17:04:29 | 日記
菅総理の本の内容が、部分的に変更になった件ついて一石

文春さんが、本の内容を熟知した上で、菅さんに許可を得て変更をされたのだとしたら、文春さんは本を作る仕事をされているのだから、そこを問い詰められる事は予想できたはずである。
文春さんが、忖度して変更したとしても、気が付いている人がいるのだから、やはり、揚げ足を取られてしまうし、文春さんが、責められてしまう。
文春さんが、変更したのは、誰かの指示であったとしたら、菅さんの足を引っ張っておきたい人からの指示であると思う。
国会が開かれた時、菅さんが、この件について執拗に問われ、文春さんには何も問われなかったとしたら、メディアを操作できてしまう力のある人物が、意図的に文春さんに指示したのではないかと考えられる。

もし、的を射ていていたら、すごくがっかりである。

ローマ教皇とイエスの御言葉。

2020-10-23 22:24:58 | 日記
ローマ教皇フランシスコさんが、「同性愛者も家族になる権利を持っている。何者も見放されるべきではない」とおっしったという。

これは、「もし、百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を探しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなた方に告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません」というイエスの御言葉ではないでしょうか。

カトリック教会は、同性愛、離婚、避妊はタブー視しているが、それは、律法学者が言った事ではないだろうか。
それが間違っているならば、イエスや神の名を借りて、侵略や搾取を繰り返してきた歴史を、どう説明するのであろうか。

イエスは言われた。

「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と。

歴史の改ざん?

2020-10-22 17:37:45 | 日記
昨日の新聞記事に、菅総理が以前出された本が再版されたが、ある部分が削除されていたと記してあった。

その内容は、「政府があらゆる記録を克明に残す事は当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠った事は国民への背信行為」だそうである。

政治家の覚悟とは、そういう「もやもや」した事も平然とやってのける胆力を持つ事かもしれないけれど、有権者は、どう判断するだろうか。

菅さんの選挙区の横浜は、いつ行ってもエネルギッシュで魅力のある街という印象が強いと感じる。
それは、やはり、菅さんの功績によるところが大きいからであろうか。

そう考えると、本のアップロードくらいは、些細な事なのかもしれないけれど、歴史の改ざんというのは、このようにして進められてゆくのかもしれない。

その発言に絶対的な自信があるのはなぜだろう。

2020-10-21 17:42:27 | 日記
今日の朝刊に、足立区議の白石さんがLGBT問題発言について謝罪されたという記事が小さく載っていた。

問題発言をニュースで観た時、すごく自信満々に発言されている姿に、なぜ、その発言にそれほどまでに正当性を感じているのか不思議だった。

白石さんの論理だと、若者が子供が生まないから、足立区がだめになる。という事でしょう。
それなら、後期高齢者が長生きしすぎるから、足立区がだめになる。といわれたら、どんな気持ちになるでしょうか。

少数派の気持ちにも耳を傾け、誰もが住みやすい地域にしてゆくのが、区議さんの仕事ではないでしょうか。
そして、「少しの思いやり」があれば、こんなことにならずに済んだはずである。

だから、謝罪はされていたけれど、本心は変わっていないと思う。

なんだか、ため息の出るお話である。


学術会議と政府。

2020-10-19 21:59:55 | 日記
日本学術会議問題について、思ったことを一石。

難しいことは分からないけれど、大変勉強のできる集団と、大変勉強のできる国会議員さんが、何故もめているのかが分からない。あらゆることを学び、研究し、経験してきたいい大人達ばかりなのに、何故もめるのでしょう。知というものは、止揚を目指せないものなのでしょうか?
両者ともども、私達に向けて優しく説明できないないとは、どういう事なのでしょうか。

私達は、頭が悪いから、知らなくてもいいとでも云うのでしょうか。

スッキリできないのだったら、議員さんも学術会議の人達も、人数を今の人数から、三分の一位減らして、痛み分けにすればいいのではないかと思う。

「きまぐれ☆オレンジロード」 あの日にかえりたいとは思わないけれど・・・。

2020-10-18 19:43:46 | 日記
つい先日、蒲団の中でウトウトしながら、東京FMの「one morning」を聞いていたら、すごく聞き覚えのある曲が流れてきた。蒲団から手を伸ばし、ボリュームを上げて聴き入ると、覚醒しつつある頭の中で、曲に合わせて、記憶の奥底からある映像が引き出され、再生された。
その曲は、池田政典さんの「ナイト・オブ・サマーサイド」。そして、その映像は「きまぐれオレンジロード」のOPである。
心が当時にトリップして、切ない思いがこみ上げてくると、パーソナリティの鈴村健一さんから、衝撃的な事実が知らされた。蒲団の中で、一瞬息が止まる。

鈴村さんは、ハードキャッスルさんに「きまぐれオレンジロード」のストーリーの概要を手短に紹介した後、「あの日に帰りたい」を良い作品だったと、熱く語った。
「あの日に帰りたい」は、田舎では上映されず、VHSになるまで待って、今は無きレンタルビデオ屋さんで予約までして購入したのに、一回観て、そのまま押し入れにしまいこんだ、いわくつきの映画だっただけに、鈴村さんの話に驚いたけれど、よく考えると、当時、テレビシリーズは辛い日々からの現実逃避でもあったから、あの結末には救われず、失望してしまったのだと、今になってようやくわかった。そして、望月智充さんだから、(望月さんの脚本だから12000円だしても良いと思ったんですが・・・)あのストーリが描けたのだ気づいた。きっと、今観ても、心がむず痒くなると思うけど、鈴村さんの解説通り、今だからこそ、ビルディングロマンスの物語として観ることが出来ると思う。

昨日の朝。ネットニュースで見つけた4コマ漫画がすごく面白くて、夜にもう一度続きを見ようと検索しようとしたが、なかなか見つからなくて、諦めていた時、「きまぐれオレンジロード」のイラストが載っている記事があり、読んでみると、イタリアでも放映されていて、とても人気があったと記してあった。

そして今日の朝。蒲団の中でウトウトとしながら「サンデーフリッカーズ」を聞いていると、すごく聞き覚えのある曲が流れてきた。
中原めいこさんの「鏡の中のアクトレス」は、覚醒しつつある頭の中で、記憶の奥底にある映像が引きさされ、再生された。

フアフアした気持ちで聞いていると、曲の最後に、春風亭一之輔師匠が、

「まつもと泉先生のご冥福をお祈りします」と言ってくださっていた。

半世紀も生きていると、好きだったアニメの、原作者、ヒロインの声優さんの訃報に立ち会わなければならなくなるんだなとしみじみ思った。

僕のパソコンの壁紙コレクションには、一度も壁紙にしない画がある。

それは、映画「ワンダー・ウーマン」を検索しているときに見つけて、とても美しかったから思わず保存した、高田明美さんが描いた、鮎川まどかである。

「スロー・バラード」

2020-10-16 17:04:04 | 日記
                      31


「ついてしもたな」

浩二が言う。俺も、なんとなく、

「なんか、今までの人生を、急ぎ足で振り返ったみたいだったな」

「俺も、久しぶりにようじと話せておもろかったわ」

 ロータリーを左から入り、駅の前で車を停めると、俺たちは、しばらく沈黙した。二人とも、何か言葉を探していたけど、うまい言葉が見つからなかった。その時、カーラジオからRCサクセションの「スローバラード」が流れ、

「忌野清志郎や。よう聴いたな」

と、浩二が嬉しそうに言うと、俺もほっとして、皆がバンドに憧れていた時の事を思い出した。

「そういえば、RCのコピーバンドやろうって言ってたな」

「おおっ! そんな時あったなぁ。もう、すっかり忘れとったわ」

「楽器も持ってないのに、バンド組んだ時、誰が何をやるかでもめてさ」

「そうやったなぁ・・・。一番早ようにエレキ買うたんは、キヨヒコやったな」

「少年ジャンプに載ってる、通販のエレキセット! 」

「現金書留で買うたやつな。あれって、フェンダーもどきやったけど、エレキもシャリーンて音も初めてやって、めっちゃしびれたわ」

「確かにな。バンドやってるってだけで、女子にモテたしな・・・・・・。そういえば、キヨヒコって、高校でバンド組んでたって聞いてたけど? 」

「そうらしいな。けど、もうやめたらしいで」

「すごく練習してたのに、なぜなんだろうな」

「そやったなぁ・・・・・・。なんか噂によると、高校の同級生に、バンドやっている奴がいて、そいつが、何とかって言う、プロのバンドの前座に出ることになってなぁ」

「マジで! そんな奴がいたのか ! 」

「そうなんさ。それで、キヨヒコ、そのコンサートを観にいったんやけど、同級生のめちゃめちゃ巧いギター見て、やめてしもたらしいで」

「そうなのか・・・・・・。」

同じ年だというのに、飛びぬけた奴が、まだまだいる。俺は、自分の世界の狭さに、ため息を吐いた。

「・・・・・・俺たちの世界って、狭すぎたのかもな」

「う~ん。おれは、今のままで十分やわ」

「そうかぁ・・・・・・。浩二さ、今でも聴いてる? RC」

「・・・・・・。いや、聴かんようになったな」

「そうか。」

「・・・・・・。」

 その時、俺達は、なにかを失ったのかもしれない。それは、小さい頃に買ってもらって、親から大事にしなさいっていわれた、大事していたおもちゃを、親の手によって棄てられた時のように。

「今日は、無理言って悪かったな」

「きにすんな。今度返ってくるとき、電話くれたら、また駅まで迎えにきたるわ」

「・・・・・・。じゃあ、また頼む」

「おおっ」

「じゃあな」

「・・・・・・。がんばれよ」

「おまえもな・・・・・・」

カーラジオから忌野清志郎が「悪い予感のかけらもないさ~。」と、シャウトしていた。その時、何度も聞いていた歌なのに、初めて、「いい歌だな」と、思った。

 カローラのドアを開けると、電車の到着を知らせる駅員のアナウンスと、踏切の警笛音が響いていた。
俺が 車から降りてドアを閉めると、浩二はクラクションを軽く鳴らして、スッと車を走らせた。
 駅前では、バスから降りたコート姿のサラリーマンは、煙草に火をつけながら、足早に改札へ入ってゆく。
ロータリーの端にある電話ボックスには、女子高生が3人も入っていて、変わり交代に、楽しそうに受話器に話しかけていた。

彼らが、それぞれの社会で身を置くように、俺たちの間にも、それぞれの時間が始まろうとしている。

 それは、つい先日、青森と北海道を結ぶ青函トンネルが開通したと同時に、青函連絡船が引退したように、始まるものもあれば、役目を終えてゆくものある、というのと同じだろう。
 中には、役目を終える事を認めたがらない人もいるけれど、相対する意見を排除しようとしてまで、古いものに拘らなければならない理由は解らないし、「温故知新」って言う四文字熟語の、その世界観も、俺にはまだ理解できない。
けれど、ためらいながらでも手離さなければならないものを手放さなければ、世界が広がらない事は、僅か19年の人生でも何となくわかってきた。だから、今は、自分を信じて、前進するしかない。

「想い出に浸るのは、ちょっと。早すぎたかな」

少しだけ後悔した俺は、浩二のカローラがロータリーの左端にある喫茶店の向こう側に消えるまで見送ってから、駅の階段を一気に駆け上った。

                       終わり。

「スロー・バラード」

2020-10-15 08:41:00 | 日記
                  30


 左手にレンガ色の3階建てビルが見える。あの手前の信号を右折して、商店街を抜けると、私鉄駅前だ。浩二は慣れた手つきで、シフトダウンし、ウインカーを出して、商店街通りへカローラを向けると、通りの突き当りに駅前ロータリーの噴水が見えた。

 その頃の駅は箱みたいに小さかったけど、俺たちが高校へ入学する前の年に新しくなった。地元の子の話だと、偉い人が鉄道会社と掛け合って、特急が止まる駅にしたから、それに合わせて、駅も大きくしたらしい。そして、この商店街は、保育園の時から高校生の時まで、何かしらお世話になっていた。小学生のころまでは、電車に乗る前や、降りた時に、お婆ちゃんや母さんに、商店街のおもちゃ屋や定食屋に連れて行ってもらった記憶がかすかに残っている。中学生の頃は、自転車で商店街の模型やによく来た。高校の時は、ひろゆきとパチンコ屋の帰りに、ユキミとはラーメンを食べに行くときにこの商店街を通ったし、レコード屋には、帰りのバスが来るまで、よく暇つぶしさせてもらっていた。

 しかし、今ではそのレコード屋も店を閉めてしまって、浪人中、たまたま入った隣街のCDショップで、レコード屋の店長に偶然出会った時に、軽く会釈をすると、店長も俺の事を覚えていてくれていて、「店、閉めたんですね」って聞いたら、「しょうがねえわぁ。いくら音楽が好きでも、儲からんだら、食ってけへんでなぁ」と、言って笑っていた。仕事がなくなったというのに、すごく明るい店長には、びっくりしたけれど、その時、俺は、生きる為には、諦めも、軌道修正も、選択肢の一つなんだと思った。

 近くのショッピングセンターには来年の秋にリニューアルオープンと書かれた垂れ幕が掛かっていた。噂によるともう少し大きくなるらしい。いろんなお店が入ったショッピングセンターがオープンする来年には、この商店街も、今以上に淋しくなるのだと思う。



「スロー・バラード」

2020-10-14 17:06:14 | 日記
                       29


 試合は散々だったが、俺は、それよりも、つねあきが、なぜあのカーブを打てたのかが気になっていた。みんなはまぐれだろうと思って気にも留めていなかったが、バックネット裏での素振りと何か関係があるのではと思っていた。そこで、意図的につねあきの隣に座って、皆が意気消沈している帰りのバスの中で、頃合いを観て、その理由をこそっと聞いてみると、つねあきは、小さな声で、「ここだけの話にしといて」と、前置きして、その秘密を話してくれた。

「みんな『あの球打てへんなぁ』って言うとったで、なんでなんかなと思て、研究してみたん。それで、バックネット裏で、球の軌道を観察しとったら、配球にはパターンがあって、決め球が、外角のカーブで、同じ軌道やったから、道具と一緒に持ってきてる「野球入門」の「カーブの打ち方」を、よく読んで、やってみてたんさ。そしたら、タイミングが合ってきたんで、これは意外といけるかなと思て、ギリギリまで練習してたんさ」

「うそっ。そんなんできるの! 」

俺は驚いたが、つねあきは、びっくりするほど冷静に答えた。

「ホームランは出来すぎやけど、磯部小のピッチャーは、自信過剰やったで、僕なんか楽勝と思てくれてた事と、プロの理論と本の力と、三振を取ることにこだわってたみたいやから、投球数が増えて、一回の表の時より、随分甘なっとったからやと思うよ。そんな、条件が重なって、打てたんやと思う。僕の力だけでは、どうにもならんだよ」

 俺は、その時、天才っていうのは、つねあきみたいな人の事を言うんだと思った。
つねあきは、その天才ぶりを発揮して、中学卒業後、進学校へ進み、俺が予備校に通い始めた頃、あっさりと京大へ行ってしまった。

「つねあきのホームラン。あれ、気持ちよかったな」
「あっさり三振するかと思てたけど、ほんま、まぐれてすごいわ」

そう、あの真相は、俺しか知らない事だった。


「スロー・バラード」

2020-10-13 21:10:28 | 日記
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 3球目、セットポジションから投げられた球は、球速を落として内角低めに入ってきたが、無闇に振っただろうと思われたバットに当たり、ファールになった。
まぐれとはいえ、この試合で、初めてバットに当たった。俺たちはそれ以上は無理だと分かっていても、「タイミング合ってるぞ! かっ飛ばせー!」と、つねあきを応援した。ピッチャーもまぐれと思ったらしく、目の前に迫ったノーヒットノーランに、にやにやしていた。

 4球目、つねあきは、なぜかバットを長めにに持ち替え、ベース寄りで構えた。ピッチャーは、そんな変化に気にすることなく、ゆっくりと振りかぶり、決め球のカーブで三振を取りに来た。
試合終了だなと、誰もが思っていた時、俺たちがかすりもしなかった外角のカーブを、開き気味に構えたポジションから少し腕を伸ばして、金属バットがボールの芯を捉えた時の、パンッという、音と共に、ボールはライト方向へ飛んでいった。 その瞬間、俺たちは一斉に「入れぇ! 」って叫んだ。

 ピッチャーは振り返って、心配そうに球の行方を見ていた。ライトとセンターが、この試合で、初めてボールを必死で追っていた。俺たちはつねあきに「走れぇ!! 」と叫んだが、つねあきはバッターボックスから、まるで理科の実験の時のように、ボールの行方を観ていた。

ボールは渇いた秋の風に乗って、ぐんぐん伸びて、ライト側のラッキーゾーンへ吸い込まれた。

「やったぁー! 」

 それまでノーヒットノーランで抑えられてた気持ちが爆発して、俺たちは両手を挙げて叫んだ。つねあきもは、嬉しそうに、ガッツポーズをして、独特の走り方で走塁を始めた。その時の背番号12番は、一番まぶしくて、まるで、「ドカベン」の一場面を観ているみたいだった。
 ピッチャーはマウンドで落ち込んでいて、それまで、余裕をかましてた磯部小のチームの雰囲気もピリッとした感じになった。その後、急にピッチングが崩れて、ストライクが入らなくなり、押し出しで、もう一点もらったけど、監督に「しっかりせえ! 」って怒鳴られたら、すぐに立ち直り、2アウト満塁の場面で回ってきた4番の羽田君は、俺たちの期待を背負ったまま、あっさりと三球で仕留められてしまった。

「スロー・バラード」

2020-10-12 16:44:16 | 日記
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 4番でエースの羽田君の球は、俺たちにはなかなか打てない球だったけれど、磯部小のチームにはあっさりと打ち返され、逆に、磯部小のピッチャーが投げる球は、全く打ち返すことが出来ず、3回裏には「もう、勝てない」と誰もが諦めていたが、補欠のつねあきだけは、諦めず、俺たちが試合に出ている間、もくもくと、バックネット裏で素振りをして、出番を待っていた。

しかし、チーム全員が、諦めてしまった試合はどうにもならず、コールドゲームが決まり、7回表、2アウトで、監督もようやく諦めて、補欠のつねあきを代打指名した。

 つねあきの体育の成績は、ずっと「がんばりましょう」だったけど、算数と理科は得意で、小6の夏休みの自由研究には、当時の俺たちにはわからない方程式を書いてきて先生を驚かせた。
だから、つねあきに、「どこの塾に通っているの? 」と、聞くと、意外にも、「勉強は嫌いやで、学校と家だけやで」と、答えた。
 ちょっと驚いた俺たちは、しばらく半信半疑だったけど、放課後の野球に誘うと、喜んでは参加してきて、先生に「はよ帰れ」と言われるまで遊んでいたから、いつの間にか、それが、つねあきの実力なんだと納得した。

バッターボックスにつねあきが入った時、打てないことは分かってたけど、一緒に野球をやってきてくれたから、皆で「がんばれ~! つねあきぃ! 」って、大声を出して応援した。

 その時のつねあきは、すごくうれしそうで、何を思ったか、強打者が予告ホームランをするように、バットの先をライトの観客席に向けて伸ばした。俺たちは「おおおっ! ええぞ、つねあき。かっとばせっ~! 」って言うと、磯部小のピッチャーはマウンド上で顔をグローブで隠して笑っていた。

 つねあきは、最初、バッターボックスの中央に立って、バットを短めにもった。それを見た磯部小のピッチャーは、にやって笑って、セットポジションから、少しスピードを抑えてキャッチャーが構えたミットへ狂いなく投げ込んだ。つねあきは、ボールをキャッチャーミットに入るまで見たみたいやったけど、俺たちは、「さすがに打てんよなぁ」て思った。
2球目、1球目でつねあきの実力を理解したのか、大きく振りかぶって、一球目よりも球速を上げて、ど真ん中へ投げ込むと、キャッチャーミットが真で球を取る「パーン」という音が響いてきた。つねあきも一生懸命にバットを振ってたけど、かすりもしなかった。

「スロー・バラード」

2020-10-11 17:59:13 | 日記
                  26


「なぁ、小6の時、市営球場で磯部小と試合したん覚えとる? 」

「10月の市長杯? 」

「そうそう。ひどい試合やったな」

「たしかになぁ・・・・・・」

それは、小学6年の時に出来た、野球チームの初のリーグ戦で、誰もが一度は憧れる、野球選手になるという夢を打ち砕いた試合だった。

「あのカーブ、かすりもしなかったな。」

「あのピッチャーな。あいつ、海陽高行って、甲子園いったんやでぇ。それで、ベスト8や」

「やっぱりな。プロを目指す子って、こういう子なんだろうなと、バッターボックスで思った」

「そうやなぁ。たしかに、別次元やったもんな。けど、どこからもスカウトこやんくって、今は普通に会社員しとるらしいで」

「へぇー。やっぱり厳しい世界なんだな」

「まぁな。先の事は分からんもんや。まぁ、俺らが下手過ぎた事に気づいてなかったんが一番あかんのやけどなぁ。外野の奴、俺らが三振するたび、にやにやしとったもん」

「それ、俺も気づいた。なんか、腹立ったな」

 後で知った事だけれど、初戦の磯部小は、リトルリーグと掛け持ちの子がレギュラーで、優勝することが目標だった。それに対し、俺たちのチームは、レベルもメンバーも、放課後野球の延長だったから、皆で野球ができるということで満足していた。だから、力の差は歴然だったけれども、その事実を知らずにいた俺たちは、球場に向かうマイクロバスの中で、誰もが、「勝てるんじゃないか」という、根拠のない自信を抱いていた。


「スロー・バラード」

2020-10-10 18:31:39 | 日記
                   25


 駅までの道で、父親の転勤先のイギリスへ、ユキミもついてゆき、向こうで大学を受験する事を聞いた。 それも、明日出発なのだという。
 突然の事に動揺しながらも、俺には考えの及ばない選択に衝撃を受けて、「ユキミは凄いな。俺なんか、浪人して大学を目指そうって言うのにな」と、言うと、「親の仕事の都合だから、仕方がなくだよ。それよりも、こんな僕と友達になってくれて本当にありがとう。おかげですごく楽しい学生生活を送れたよ」と軽く頭を下げて微笑んだ。俺も「勉強を教えてもらって、すごく助かった。塾にも通わず学力が上がったのはユキミのおかげさ。ありがとうな」と、礼を言った。

すると、ユキミは急に涙ぐんで、うつむくと、

「ううん・・・・・・。耀司君と、離れてしまうのが辛い。こんな・・・。事、聞いてびっくりするかもしれないけど、もう、逢えなくなるから、・・・・・・敢えて言うね・・・・・・。僕は、耀司君のことが好き。けど、僕は男だから、ずっと苦しんでた・・・・・・。気持ち悪い・・・・・・、って思うよね。でもね、これが僕なんだ。最後に、こんな事を言ってほんとにごめんね」

そう言い終わると、声を押し殺して、ぽろぽろと涙をこぼした。

 その時、正直どうしていいか分からなかったけど、ユキミがどうであろうと、ユキミには変わりないし、人として尊敬している事も変わらない。だから、俺は、

「気持ち悪いなんて思わない。ただ、俺は女子の方が好きという違いだけさ。それから、キリスト教圏は同性愛には厳しいらしいから、上手く立ち振る舞えよ」
と、冗談交じりに応えた。すると、ユキミは泣くのを止めて、

「ずるいなぁ、そういう所。でも、耀司君らしい」

といって、微笑んだ。その時、ユキミは心は女子なんだなと初めて思った。

「じゃあ、これから、最後の晩餐だ。ラーメン食いに行こうぜ」

「うん、ありがとう」

俺たちは、いつものようにラーメンを食い、いつものように、手を振って、互いのホームに降りて別れた。

そんな事を想い出していたら、浩二は、右側の市営球場を観て、野球少年時代の話を始めた。
小学生の頃、誰もが、一度は野球選手を夢見てたくらいだから、思い出深いのは確かだ。


「スロー・バラード」

2020-10-09 20:52:19 | 日記
                      24


 高校時代に出来るつながりは、小学生や中学生の時とは違って、進学の選択によって起こる、環境の変化もあってか、大人に近づいている感じがした。そう思わさせてくれた、もう一人の友達は、友情を通して俺の世界を広げてくれた。

 ユキミは、色白で線の細く、名は体を表すという言葉がぴったりな容姿で、物静かで、スポーツは全くだったが、勉強がすごく出来て、成績は学年の首位をずっとキープしていた。
かといって、威張るわけでもなかったが、俺たちとユキミの間には、「目に見えない城壁」があり、それを知っているのか、意図的に関りを持たないように、しているようにも見えた。

 そんなユキミと個人的に話をしたのは、学園祭の準備で、二人で荷物を倉庫から持ってくることが始まりだった。腕が細いユキミは、重いものを持つとフラフラするから、俺が重い方を担当してやると、すごく恥ずかしそうに、「本当にごめん。ありがとう」と言うと、それから、彼なりに頑張っていた。個人的な事で彼の声を聴いたのは、それが初めてだったが、その時の印象が、城壁を感じていたのは俺の思い込みかもしれないと思わせてくれ、隣の席だった事と、音楽の趣味も似ていたから、休み時間にもちょくちょく話すようになり、勉強が分からない所を、ユキミに聞くと先生よりわかりやすく教えてくれた事に俺は感動して、三年の夏休みには、ユキミに頼み込んで、時間を合わせ、図書館へ通い、ユキミは自分の勉強もそこそこに、理解力の悪い俺に腹も立てず、根気よく勉強を教えてくれた。その代わりに俺は、図書館の帰りや、ユキミが、悩みに悩んで入部したという、書道部の休みの日の帰りに、ラーメンやハンバーガーを奢った。

 ひろゆきとは真逆にいるユキミは、部活以外の交流はなく、行動範囲も狭く、学校と家を行き来する生活だったらしく、学校帰り、寄り道に誘うと「いつもありがとう。こんな時でないと、食べられないから」と、嬉しそうにラーメンを食べていた姿が印象的だったが、俺たちの感覚とは少し違うユキミには、家庭事情もあるんだろうと察して、これ以上プライベートな所には踏み込まないように気を付けていた。

そんな「見えない城壁」を感じさせていたユキミが、俺だけに「壁」を取り払ってくれたのは、卒業式の一週間前の事だった。