硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

誘拐なのか家出なのか。

2019-11-26 16:00:02 | 日記
朝の情報番組で、少女の誘拐事件が大きく取り上げられていて、「どうすれば、子供達を守れるか」について、議論がなされていた。

テレビを消して、しばし考える。

思春期の子供は、親を「他者」とみなし、「個人」という「自我」に目覚める。
親の多くは、子供をいつまでも「私の自我から生じた生命」という、「自我」から、手離せないでいる。

親子の関係性は、家族によってさまざまであるけれど、子供が、親ではない「他者」に救いを求めてしまっては、一番守ってあげなければならない身近が、「あてにならない」と、判断したという事でもある。

SNSがなかったころも、家出はあったし、事件性の高い出来事も表沙汰にはならないけれど、あったであろうと思われる。SNSが発達したからこそ、情報が拡散されることになるのだけれど、SNSを規制した所で、親を「あてにならない」「きけんだ」と感じた子供は、家を飛び出すんじゃないかと思う。

この事件は、誘拐であるけれども、きっかけを作ったのは、家出である。

子供たちから尊敬される人になる事って、本当に難しいと思う。

介護職員のつぶやき。

2019-11-11 20:58:41 | 日記
今日、11月11日は介護の日でもあるので、介護現場あるあるを呟いておこうと思う。

介護現場では、利用者さんの気持ちや体調よりも、職員の自尊心を尊重しなければならない時がある。本当はあってはならない事だけれど、そういう場面によく出くわす。

しかし、利用者さんの事より、職員の自尊心を尊重すれば、それは、介護ではなく、作業になる。作業になれば、人を人としてではなくモノとして接することになる。
人をモノとして接し始めれば、それは、福祉ではなくなる。

そして、利用者より一職員の自尊心を尊重する事が、現場を保つ最善の選択だとしている人がその現場に残ってゆくから、同じような失敗が繰り返されていても、それが最善だと思いこんで仕舞う。

人を人として接することの難しさを抱えたまま、葛藤することが、介護という仕事を専門職へと押し上げる力となると思うのであるが、人手不足が慢性化している現場にはそんな余裕はない。

したがって、介護職は、技術職や専門職だと、声高らかに宣言しても、職種として下層から這い上がることは、もはや、無理なように思う。

そして、パスを受ける人が存在しないゲームになりつつあるので、パスの受ける人を確保できる資本力のあるチームが最終的に残ってゆくのではないかと思う。

「祝賀御列の儀」

2019-11-10 20:34:28 | 日記
日曜の午後。テレビで「祝賀御列の儀」を観た。和やかな中にも厳戒態勢が引かれていて、「愛されると、憎まれるは紙一重なんだなぁ」と思った。
「御列の儀」を一目見ようと沿道に沢山の人が訪れていて、スマホやデジカメを持って両陛下の乗る車の方に向けて手を伸ばしている様子が映し出されていた。それを見ていて、ふと、あるおじいちゃんとおばあちゃんの話を思い出した。

三重県には伊勢神宮があるので、神宮参拝の為、昭和天皇が三重県にいらっしゃったことがあります。現在では、近鉄を使用されますが、その当時は国鉄でした。
その際、名古屋から関西本線に乗り、亀山で参宮線へというルートを通るので、陛下がいらっしゃると聞いて、その当時、(戦前)少年だったおじいちゃんは、関西本線の一番近い駅まで、大人たちと共に歩いて観に行きました。(たしか、観に行くようにとのお達しがあったらしい)
沿線には大勢の人が集まっていて、列車が来るのを今か今かと待っていたそうです。そして、列車が近づいてくると、敬礼と言われ、沿線に集まった人たちは一斉に頭を下げました。そして、駅から列車が出発し、走り去ると、ようやく頭を上げる事を赦されました。1時間もかけて歩いてきた少年は、教育されていたから、それが普通だと思っていたのですが、歩いて帰路に就く中、、大人たちが「なんで、(天皇陛下)見られへんのに、こなあかんやろ」と、言っているのを聞いて、びっくりすると同時に、「たしかにそうだな」と思ったそうです。

そして、偶然にも、列車が、亀山駅から、参宮線へ乗り換えたとき、その近くに住んでいた、当時少女だったお婆ちゃんも、やはり大人たちと、観に行ったそうです。でも、やっぱり、敬礼を促され、列車が去るまで頭をあげられませんでした。
そのお婆ちゃん、今でも頭の回転はすこぶる良い人のなので、少女の時、「なんで観たらあかんのやろな」と思ったそうです。そして、「そんなこと口にしたら、引っ張って行かれるで言わへんだけどな」と笑いました。

時代は令和。沿道に集まった人たちは、両陛下に温かい声援を送ると共にその姿を写真に収めていました。両陛下も30分もの間、ずっと笑顔を絶やさず手を振っていらっしゃいました。きっと、大変な思いもしていらっしゃるのに、象徴としての振る舞いを貫かれようとしている姿に感動を覚えました。

天皇や皇室の存在を考える時、少しばかり違和感を覚えますが、「御列の儀」を観ていて、両陛下と国民の立ち位置が、変わることなく、このまま続けば、経済的にはどうなるか分かりませんが、国としては、成長してゆくのではと思ったのです。

アナザー・スカイ in 市川紗椰さん

2019-11-02 23:02:34 | 日記
このテーマで語るのは2回目である。どうしても語っておきたいのはきっとファンであるからだろうと思う。よく分からないけれど・・・。

メキシコを訪ね、タコスと鉄道を堪能する市川紗椰さん。
言葉の表現力と出力に圧倒される。これが彼女の最大の魅力なのである。

時々、偶然に情報番組で拝見して気になったのは、紗椰さんから畏怖が消えた事であった。
余りの違和感に、綺麗な方だから、恋をしてエッジが消えたのかなと勝手に推測していた。

しかし、昨日のAnother・skyを観て、一つ分かった事があった。

市川紗椰さんは何かに協調しようとすると、「容姿」へ比重が傾くために、最大の魅力がぼやけてしまうのである。

紗椰さんはタレントで、モデルで、メディアの中で生きている人であるから、自ずと容姿が先行してしまうけれども、本質はやはり研究者であるように思う。

枠に囚われない時の紗椰さんには「恋心」とは全く異なる、ドキドキを感じ、今田さんの最後の質問に対し、「焼き肉のたれ」と答える紗椰さんに、畏怖を感じたのであった。

華やかな世界に身を置いていても素敵ではあるけれど、今のスタイルを突き詰めていって、市川紗椰というスタイルを確立してほしいと思う。


この文章が本人に届くと仮定して、一つお願いをしておこうと思います。

ジャズのスタンダードナンバーをカバーしてアルバムを出してほしいです。

待ってますね。