硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

今年もいろいろありました。

2020-12-31 21:28:11 | 日記
今年もいろいろありました。

点で観ると、地球で起こる災難は常に人類に対して厳しいけれども、時間の経過を線で観てゆくと、世の中はゆっくりと良くなっているのではないかと思います。

ウィルスが人知を超えた力によって発生したものならば、人の力ではなく、人知を超えた力によって終息してゆく事が道理なように思います。

運命というものが、あるのだとしたら、受け入れる事が摂理なのかもしれません。

そして、人知を超えた力の源は人の中に存在するとしたら、そこにこそ、賢者や聖人と呼ばれた人たちが求めた真理があるのだと思います。

だとしたら、今、私達は何をすべきか。

それこそが、これからを生きてゆく人たちの 「課題」 ではないかと思うのです。

本年もお付き合い有難うございました。
皆様にとって来年が良いとしてありますよう祈っています。

よいお年を。

未来を行く若者たち。

2020-12-29 10:55:17 | 日記
僕のブログに時々登場する甥と姪。OCN時の(引継ぎ手続きを忘れて消滅してしまった)ブログには、誕生直後から帰郷する度に感じた成長の様子等を記してきた。
月日の流れは速いもので、甥と姪も社会で活躍する人となったのであるが、姉や義兄は個性の強い人で、その世界観には驚かされてきたが、その影響を色濃く受けた子供たちも、独特の道を歩みその才能を開花させ始めた。

以前にも記したことがあると思うが、甥は自分の好きな事だけをやり続けた結果、YouTuberという言葉が生まれる前に、オンラインでつながった仲間たちとの交流を経て、YouTuberになり、趣味が生業に変わり、現在では、フォロワー数が140万人を超え、その人数に達しないと貰えない証明書をもらった。

姪は今年の春に卒業し、(これもいつぞやのブログに記したと思う)首都で就職を決めたのであるが、就職先が決まったのが昨年の秋だったので、コロナ禍に巻き込まれる形になったが、意を決し首都で、生活を始めた。
帰郷が困難になった姪のその生活ぶりは、姉から聞くことでしか分からなくなったが、先日LINEで彼女の仕事が形になったと写メ付きで送られてきた。

それは、今年、再開発が進んだ駅に、彼女が携わった広告が大きく張り出されている写真であった。

その場所は、コロナウィルスが、まだ対岸の火事の出来事であった秋口に僕が歩いた場所。
(上京雑記は途中で頓挫してしまった)

そんなところに彼女が手がけた広告が掲示されていて大変驚いた。

多くの人が「絶望」を感じるこんな時代でも、夢を叶えてゆく人たちがいる。
闇が無ければ、光は意味をなさない。たいへんドライな捉え方かもしれないが、それは、「絶望」の対極がなければ、「希望」も生まれないという事かもしれない。

未来を行く若者たちに多幸有らんことを。

恋物語。1

2020-12-25 20:31:47 | 小説
『付き合ってください。』
『えっ。』

クリスマスが目前に迫った日、僕はありったけの勇気を振り絞り、平川綾乃が楽しそうに話しているタイミングを見計らって告白をした。話が盛り上がっているときに告白すると、成功率が高くなるという噂を信じてみたけれど、平川綾乃の笑顔は、今日の、どんよりした灰色の空のように曇ってしまった。

校舎を出て校門までの道をたわいもない話をしながら歩く。何がきっかけで、いつから始まったのかはもう忘れてしまったけど、僕らの日課といえるようになっていた。
もちろん、楽しい事ばかりではなく、ケンカ寸前の言い合いをした事もあった。でも、そうやって、二人で、この道を歩いてきたから、この時間に終わりが来る事なんて考えたこともしなかった。
でも、当然のことながら時間を留めておくことなんて出来はしない。
僕たちは来年の春に卒業してしまうのだ。

「ダメかな。」

「あっ、なんか・・・意外な展開に、驚いちゃった。」

いつも快活で、裏表のなく、そそっかしくて、バスケが上手くて、勉強が苦手と公言する、ちょっとだけ、本田翼に似てる平川綾乃は、そう言って、ぎごちなく笑った。

今日に至る全ての始まりは、平川綾乃が友達を通して、僕が英語が得意な事を知ってからだ。それ以来、自分の都合のいい時に、しかも、親しい友達であるかのように、「川島ぁ~。英文のここが、わかんないからおしえてよぉ~。」と、押しかけてきた。
押しの強い女子はもともと苦手だったけど、それ以上に、「なんなんだこの人は」というのが、平川綾乃の印象だった。

それでも、彼女に英語を教えたり、雑談したり、お昼ごはんを一緒に食べたりしているうちに、彼女の魅力に触れてしまったのか、「好きって事なんじゃないか」「ひょっとして僕の事も好きなんじゃないか」と、想うようになってしまっていた。
でも、「友達」「同級生」という距離だから、この関係が続いているともいえなくはない。だから、無理にその壁を乗り越えて気まずくなるよりも、現状維持の方がいいかなと思って今まで来てしまった。

「う~ん・・・・・・。川島君て、すごく丁寧に英語教えてくれるし、喋っていても楽しいけど・・・・・・。なんて言うか・・・・・・。彼氏っていう目で見てなかったし・・・・・・。う~ん。なっていったらいいのかなぁ。」

平川綾乃はそう言うと、モコモコの手袋をした小さな両手を身体の前で合わせ、150センチくらいの身体を、粉雪が舞い降りてくる曇り空に向かって「う~ん。」と言って伸ばした。

「あ~。やっぱり困るよね。突然そんなこと言われても。」

「・・・。なんか焦っちゃった。」

「そうだよねぇ・・・。やっぱり、好きな人がいるの ?」

「あ~。うん。ずっと気になっている人はいるんだよね。その人の事を追って、進学してきたしね。あっ、これ、内緒だよ。」

おどけて見せる平川綾乃にドキッとしたけれど、ずっと一人の人の事を想い続けていたのなら、最初から僕が入り込む余地はないうことになる。すぐにでも、この場から逃げ出したくなった。

「そうかぁ・・・・・・。」

「うん。」

平川綾乃は、小さく頷くと、それ以上の事は話さなかった。ますます気まずくなった僕は、

「そっ、そりゃ、そうだよね。好きな人がいない方が変だよね。平川さんは可愛いから、モテるしね。」

と、変無理無理に変な言葉を紡いだ。でも、かえって泥沼にはまっていく気がした。
周りの景色が歪む位、くらくらして、立っているのが、やっとだった。

「いやぁ。そうでもないよ。」

「・・・そ、そうなんだ。」

もっと早くに告白していれば、ゆっくりと距離を縮められたかもしれない。しかし、今更後悔してもどうにもならない。限られた時間ではどうする事も出来ない。気持ちばかりが焦る。聞きたいことは山ほどある。でも、聞くことで嫌われてしまうのが怖いという気持ちが先だってしまって、それ以上前には進めずにいた。

校門前の駐車場に水色の軽乗用車が止まっているのが見える。運転席には平川綾乃のお母さんが乗っていて、彼女を迎えに来ていた。

「あっ、お母さん、もう来てるね。」

「あ~、ホントだね。今日は早かったね。いつもは少しここで待ってる感じだもんね。」

僕の中では、現状維持する事と、きっぱりフラれて、卒業式までの日々を憂鬱に過ごす事、どちらを選択すればよいかで揺れ動いていた。
でも、戸惑っていたら、このチャンスは二度とやってこない。
閃きに身を任せ、車に向かおうとする平川綾乃を引き留めた。

「あのっ、平川さん。」

「うん  ?」

「付き合っている人がいないんだったら、僕の事・・・考えてくれないかな ? 返事は急がないよ。気になる人に告白してからでもいいよ。それくらい僕は、平川さんの事が好きなんだ。」

すると、平川綾乃は、少し照れを隠すようにおどけて、

「わかった。わかったよ。川村がそこまで言うなら・・・・・・。じゃあ・・・、考える時間もらっていい ?」

と、照れくさそうに言って僕の方をまっすぐに見た。
後は、待つだけ。
悪い返事だったとしても、ぐっと耐えて、心で泣けばいいだけだ。

「もちろん。」

「なんか、ごめんね。中途半端になって。」

「僕の方こそ。」

「じゃあ、また明日ね。」

「うん。また明日。」

「バイバーイ。」

平川綾乃は手を振りながら、水色の軽乗用車へ向かって走っていくと、温まった車に急いで乗り込み、お母さんに向かって何か話しかけていた。
僕はいつものように立ち止まり、水色の車がロータリーを回ってくると、お母さんに、軽く頭を下げた。お母さんも優しく微笑みながら会釈をしてくれる。それは、いつもの事なんだけど、今日はなんだかドキドキした。
後部座席の平川綾乃を見ると、いつものようにスマートフォンに向かっていた。
なんだか、少しがっかりもしたけれど、きっと、そういう所も含めて彼女の事が好きなんだなと思った僕は、この恋が成就しますようにと願いながら、水色の車が校門の桜並木の向こうに消えるまで、小さく手を振った。

「知は感情を納得させることが出来なかった」の?

2020-12-21 10:31:37 | 日記
先月のブログで「知は感情を納得させることが出来ない」というテーマで、一石講じてみましたが、それ以来、「なぜなんだろう」という疑問を払しょくさせることが出来ないでいました。

しかし、う~んと考えていると、不思議なもので思わぬところで思い浮かぶものです。

其の時のブログには「学術会議も分科会も何故その英知を発揮しないのか」という疑問を提起したものですが、思考が伸びたきっかけは、「福島原発事故」の今を考えていたときに、震災以前に、防波堤の高さについて、意見を出されていた人がいたという事を思い出した時でした。

おぼろげは記憶では、問題提起された方の意見は、決定権のある人達に問題とされなかったという結末だった様に思います。

そこで、研究者という仕事をされている人は、皆が皆、問題を解決したいという情熱がないわけがないはずであるから、学術会議の中にも、分科会の中にも、「何とかしたい」という気持ちを持った人がいたはずであるし、「防波堤」の問題を提起した人がいたように、問題提起をした人がいるはずである。

もし、それが真実なら、それを、「問題としない」と判断した人物がいたという事である。

問題をなんらかの理由で問題としないと決定した人達こそ、「知は感情を納得させることが出来なかった」という事になるのではないかと思ったのでした。

トヨタ プリウスを運転する。

2020-12-18 18:31:03 | 日記
新型プリウスを運転する機会を得た。

まず一言目に、車の進化というものに驚く。
ドアのキーシリンダーにキーを入れて、ドアのロックを開けるという動作や、ウィンドウを専用のノブを回してウィンドウをを下げるという動作が必要な頃から車に乗ってきた者として、いくつかの固定観念を捨て去らなければ、新型プリウスを運転することは出来ない。

キーレスエントリーには慣れたが、シートに座り次の動作を考えていると、メーターパネルが次の動作を表示した。なるほどと思い、プッシュボタンを押すと、次にギアの操作が表示される。しかし、エンジンが掛かっていない。腕を組みしばらく考え、もう一度やり直すと、それでも、エンジンが掛からない。なぜだろうと、考えて気が付く。そりゃそうだと自分に突っ込みを入れて苦笑い。ハイブリッドなのだから初動はモーターなのである。
シフトはシンプルなのであるが、Pのボタンが別にあり、それを押さなければパーキングにならないという構造に驚く。Pを押して、解除し、シフトを手前に引き下におろすとÐレンジにはいる。これで動くのか?と不安になる。それは、ガンダムを始めて動かすときのアムロレイの気持ちと同じであるように思う。

ゆっくりアクセルを踏むと、静かにするする走り出す。驚くほどスムーズである。
デジタルパネルを観ると、いつの間にか変わっていて、速度や、タコメーターの役割をするグラフが表示されていた。

恐る恐る、車道へ移ってゆき、車の流れに乗ると、沢山の情報が入ってきた。
まず、驚くべきことに、フロントウインドウにスピードとエンジンの回転グラフが表示された。つぎに、サイドミラーに何かが表示されていた。不具合ではなく、なにかのお知らせであろうと思い、そのまま走行を続けるが、こういう車を運転する時は、しっかりとマニュアルを読んでおかなければいけないと後悔する。

信号が赤に変わりブレーキを踏んでゆくと、すごく良く効くブレーキであることに驚く。
なんというか、一昔前のスポーツカーのタッチと同じかそれ以上であるように思った。
そして、ハンドル。人差し指と親指の間が少し膨らんでいて、普通の人なら必要ない形状であるが、わざわざのその形状にしたトヨタの意気込みを感じる。

そして、シートも少し硬めで、ホールド感も良い。これも一昔前のスポーツカーのようである。
信号が変わり、ゆるっとアクセルを踏むと、時速50キロくらいまで、するすると加速してゆき、エンジンへとチェンジした。そのスムーズさにも驚く。

小高い山を登ると一キロほどワインディングロードになるので、少しだけ、自身にスイッチを入れ、ブレーキやハンドリング、アクセルワークをレーシーに切り替えドライビングしてみた。
すると、驚くべきことに、その動きはスポーツカーそのものであった。
コーナーが迫ってくると、軽くブレーキをかけ、フロントに荷重をかけ、早くスムーズにアクセルが踏めるラインを予測しながら、ハンドルを切ってゆくと、時速40キロ以下である為でもあるが、硬めのサスペンションはわずかに沈むだけ。扁平率の低いタイヤは殆どよれることなくアスファルトを捉える。ボディも剛性があるのか、ひねる感じもせず、するりとコーナーをクリアした。

その時、思わず、「恐ろしい車」と呟いてしまった。

フルオプション車ではあるけれど足回りなどはノーマルであるのだから、驚くしかない。
もう少し幅の広いホイルにハイグリップタイヤを履かせて、ショートサーキットを走らせれば、すごく楽しいだろうなという感じが伝わってくる。

車を乗り終え、停車させると、メータパネルが、僕の運転をほめてくれていた。
なかなか憎いじゃないか。

プリウスという車が度々悪者にされている報道を観るけれど、こんなに素晴らしい車を悪者にしてしまうのはなんだか悲しい。
ここまで、ハイテクになったのだから何とかならないのだろうかとも思う。

そして、思ったのは、この車は「乗り手を選ぶ」と感じた。
多くの人は、誰でも乗れる車という認識であると思うが、僕はそうではないと思う。

まず、アクセルを踏んだ時の、あのスムーズすぎる加速に対し、身体が反応していなければ安全が確保できないと思う。

次に、アクセルとブレーキの位置である。
つま先をスライドさせるだけで、アクセルとブレーキの切り替えができるのだから、コーナーが連続するサーキットでは理想的な位置である。

しかし、そういった運転をしない人にとっては少し厄介である。

間隔が狭ければ、踏み間違いやすい。これは本当に痛感した。
その中でも、一番気になった点は、アクセルより少し高めにブレーキがあるので、股関節を使い、一度足を持ち上げるか、足首でしっかりとつま先を上げて動作をしないとブレーキペダルに足が乗らない構造になっている。
これは、介護予防運動を行ってきた経験からすると、下肢筋力の低下している人や、関節の可動域の狭くなった人には、少し難しい動作となる。
それは、きっと惰性で動作を行えば、ブレーキを踏んだつもりでアクセルを踏む危険性を含んでいる。

ハンドリングも、操舵性が抜群によいので、慌ててしまうと、本人が思ったよりも切りすぎてしまうのではないかと思った。
(逆に言うと、ハンドルから路面の状態が伝わってくるのだから、面白いのである。)

したがって、一昔前のスポーツカーよりも性能が上なのであるから、乗り手を選ぶと言う表現も、間違っていないと思う。

逆を言えば、開発者の心意気がすごく伝わってくるとてもいい車である。

それが分からない人は、この車は遠慮した方がいいと思う。

しかし、これがノーマルでしょ。Gz仕様ならどんなに凄いか、一昔前のスポーツカーしか経験のない僕にとっては、まったく想像がつかないなぁ。

エビデンスがないという言葉の違和感。

2020-12-17 17:03:47 | 日記
「gotoトラベル」が止まってしまった。

飲食や観光を生業としている人たちにとっては死活問題となっている。
しかし、政府が「集団免疫戦略」という方針を取らない限り、現時点では手の打ちようがないとも思う。

さて、「goto」をどうするかで揺れ動いていた際に、「根拠」「エビデンス」という言葉が使われていて、その言葉にずっと違和感を抱いていたのですが、ようやく、一つの結論に行きつきました。

それは、政府が講じた、水際対策をウィルスがやすやすと乗り越えてきたのは何故かという議論がなされなかったから、「根拠」という言葉が使えたのではないかと。


疲弊する医療現場と、介護福祉士という資格について。

2020-12-15 12:58:21 | 日記
コロナ感染者のケア全般を看護師さんが引き受けていて、疲弊していると報じられていた。
福祉の仕事に就いていた者として、身心が疲弊してゆく状態は痛いほど想像できる。

本来なら、リネンの交換、清掃、おむつ交換などの排せつ介助なら、介護士や看護助手の仕事である。けれど、コロナウィルスというリスクの前では、その現場に立ち入ることが出来ない。

しかし、介護福祉士ならば、「国家資格」であるし「感染症」に対しても予防方法などの基礎知識は学ぶのだから、手伝えそうな気もする。

でも、介護福祉士も外されてしまうというのは、介護福祉士は、その資格に「意味がない」という事を公に認めてしまったという事でもある。

少しでもリスクを回避する為の措置かもしれないけれど、それならば、看護師さんのリスクに対してどう対応してゆくのでしょう。

しかし、介護士が医療行為以外の部分を担えるようになったとしても、経験的に、看護師さんの一部の人達には、ヒエラルキーが強くあり、介護士は下位層とみなしている人がいる為、介護士が、わざわざ大変な現場に出向き、安価で嫌な思いをするとは思えない。

また、介護現場においても、無資格の職員が、勤続年数が長いというだけで、幅を利かしてしまえるというありさまである。

その事から、どこにもその資格の効力を発揮できない、介護福祉士という国家資格はもう廃止するべきではないかと思う。

なぜ、何も手を打たなかったのか。

2020-12-12 21:21:01 | 日記
医療現場が崩壊寸前の状態まで来ていると報じられていた。

なぜ、こうなるまで何も講じなかったのだろうかと疑問に思ってしばらく考えた。

そして、ふと腑に落ちた。

菅総理は、総理になられた時「自助 共助 公助」という指針を表明されていましたね。

そこから考えると、医療現場に対し、なにも手を打たなかったのは「自助力」というものを引き出せる体制を構築しておきたいという意図があったのではないかと思ったのです。

つまり、一度、医療という資源を解体して、国民に「医療をあてにしすぎてはならない」という意識を芽生えさせ、自助力を促し、共助という、自治体レベルの助け合いを機能させつつ、公助という医療資源を再構築させたいという思いがあれば、あえて何も講じないという選択にも納得がいったのです。

頭のいい人たちが集まっているのだから、何も考えていないという選択はないはずなのだけれど、本当の所はどうなんだろうか・・・。


こういうのどうでしょう。

2020-12-08 16:59:03 | 日記
Gotoトラベルとコロナウィルス感染拡大の因果関係を東京大学等の研究チームが調査したと報じられていた。

それが出来るなら、一昨年の11月から昨年の3月ごろまでのインフルエンザ感染者の拡大と終息がどのような動きであったか調べられないでしょうか。

それを調べたうえで、今回の調査と重ねて考えれば、感染拡大の根拠の精度も少しばかりは高まるのではと思うのです。

こういうのどうでしょう?

医療崩壊と言うけれど。

2020-12-07 20:26:42 | 日記
コロナ禍で、どこの病院も看護師さんが足りなくなっていると報じられていた。

しかし、もともと不足状態であったから、コロナ禍で、拍車がかかっただけである。

小さな声に耳を傾けず、根本的な問題を先送りしていた人たちが、即席で何が出来るというのだろうか。

そして、人が人を思いやる気持ちが希薄になれば、困るのは、病院であり、ドクターであり、看護師であり、患者であるように思うのだけれど、なんとかならないのでしょうか。

これは・・・⁉

2020-12-02 16:37:34 | 日記
情報番組で、コロナ禍で飲食店や卸売業や生産者の経営が難しくなっていると報じられていた。自粛要請でお客さんも足が遠のくから、売り上げが伸びなくて大変なのだそう。
そして、ウーバーイーツの配達員さんも仕事が減ってきているとだそうである、

飲食店さんは、お客さんが来ないから、食材を沢山仕入れても余ってしまう。
食材を卸している卸売業者さんは、生産者から仕入れても、飲食屋さんが買ってくれないから余ってしまう。
生産者は、買ってくれる人が少ないから、例年通りの計画で作ると余ってしまう。
ウーバーイーツさんは、コロナ禍で、ダブルワークをする人が増えて、仕事の依頼に対して、人が余ってしまっている。


ふと思った。これは、「デフレ経済」と呼ばれるものなのではないかと。