硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

その選択はまちがっていないのか?

2020-08-28 18:08:30 | 日記
首相が辞意表明されている。

天災で家を失った人々、感染症が蔓延し、病で苦しんでいる人々、失業して明日食べるものもままならない人々がいるのに、ほんとにその選択でいいのか?

他の議員さんはこの難局を、首相が辞める事で納められると思っているのでしょうか。
それとも、トランプさんが次の大統領になれないから、おやめになられるのでしょうか。

応援していたわけではないけれど、今の政権でこの難局を乗り切ってこそ、「政治家」なんじゃないかと思っていただけに残念である。

2020オリンピックは・・・。

2020-08-23 22:00:33 | 日記
ニュースを観ていてふと思った。

単純に、東京オリンピックが成功し、日本のGDPが上がることを嫌う人がいたら、心理的に、邪魔したくなるのではないでしょうか。
また、分からないように足を引っ張るのであれば、自身の身も斬るのではとも思う。

妄想だといいけれど、世の中は分からない事ばかりであるのは事実である。

変わってゆくものならば。

2020-08-15 17:43:36 | 日記
今日は終戦記念日。
多くの人は、今日の日をそう呼称する。第二次世界大戦が終わった日と呼称する。戦中に生まれた人、その時、十代だった人も、そのように呼称する人が多い。

いつの間にか、大東亜戦争、敗戦の日、と呼称する人は、この世からいなくなってしまった。

その呼称が使われなくなった世なのだから、人もまた、変わっていかなければいけない。

そのはずであるのに、争いが無くならないのはなぜだろう。

そっとしておいてあげて。

2020-08-14 09:06:52 | 日記
ALS嘱託殺人の記事を読む。

二人の医師が行ったことは、確かに法に触れる。しかし、死を望み、願いがかなった彼女は,生きる苦痛から、解放されたのではないかと思う。
生きていたいと願う人ばかりなら、自殺者は出ないはずである。
身体にハンディキャップがある人でも、生きていたいと強く思う人もいる。
それは、他者からの同調を受け入れない個人の意志である。

テレビで紹介されていた彼女の写真が、海外渡航している姿だったことから、とてもアクティブに過ごされていたことが伺える。
そんな人が、歩けなくなり、自力で食べる事も排せつする事も出来なくなってしまったら、生きる希望が持てるであろうか。拘縮してゆく身体に悲観せず、心臓が止まるまで、心から人生を楽しむことが出来るであろうか。

人は自分が元気である内は、病になった時のことを想像できない事が多い。だから、安楽死という死を法的に議論してゆく事は必要であるけれども、ALSの人を介護していた事の有る介護職員の一人として、生きる苦痛から解放された彼女の事は、そっとしておいてあげてほしいと思う。

よく考えよう。

2020-08-12 21:00:36 | 日記
妻の職場の方は陰性だったことが分かり、ひとまず安心である。
しかし、感染者数は増えていて、いよいよ学校区内に感染者が出た。

極力出歩かないようにして、予防してゆくしかないのだけれど、三重大学のクラスターで、三重大の近くの地域で風評被害が出ていると、耳に入ってきた。
危機は人の感情をむき出しにするけれど、こういう時、行動する方も、自制を働かせている方も、自分を顧み、よく考えねばならないと思う。

なんともやるせない世の中である。

事実が眼前にある。

2020-08-06 22:45:12 | 日記
妻の職場で接触者が出て、接触者はPCR検査受けられるまで自宅待機なのだそう。
また、直ぐに検査を受けられない状況のようである。
したがって、すっきりしない日々がしばらく続く。

バスが一時間に一本しか走らない限界集落に近い田舎だからといって、安心できなくなった事実が眼前にある。

この事象は、パンとサーカスだけを熱心に求めるようになってしまった結果なのかなぁ。

数字は嘘をつかないけれど。

2020-08-05 21:38:11 | 日記
今日も、感染者数が増えた。集団感染があちこちで発生しているようです。

この事象は仕方のない事だけれど、ニュースで観た、各都道府県の感染者数などの表を観ていて、この数字をコロナウィルスではなくインフルエンザ感染者数に置き換えたら、数字はどのようになっているのかなと思った。

数字は嘘をつかないけれど、数字は数字を扱う人によって、数字は嘘をつかなければならなくなってしまうし、印象さえも変えられてしまう。

何処かのメディアでやってみてはくれないだろうか。

ちょっと、踏みとどまってみよう。

2020-08-04 18:58:20 | 日記
三重県でもコロナウィルスの感染者が増えてきています。感染症ウィルスなのだから、広まり方は、風邪やインフルエンザと同じように広ってしまいます。
風邪は風邪薬があるし、インフルエンザもお薬があるという違いがありますが、風邪を拗らせ肺炎になって無くなる方もいらっしゃいますし、インフルエンザがきっかけで亡くなる方もいます。
そして、双方とも、最初は、これくらいなら大丈夫だろうという過信から、体調を大きく崩す場合がみられます。

また、目に見えないものが相手なのですから、どれだけ注意を払っていても罹ってしまうものなのです。

僕の経験として、インフルエンザの予防接種を受け、手洗いうがいをして、マスク着用していたのに、どこかで、インフルエンザをもらってしまって、「どうなってるんだろう」と蒲団の中で幾度か考えたことがあります。
そして、一つの答えとして、感染症ウィルスの流行時に「大丈夫だろう」は「ない」という事だけは分かりました。

欲望の充足という感情は、人類にとって放下できないものですが、それと同時に踏みとどまることも出来るのではないかと思うのです。
法的拘束力といった力も場合によっては必要かと思いますが、こんな時だからこそ、「ちょっと踏みとどまる。」こういった気持ちを持つ事が、世の中を変えてゆくのではないでしょうか。

明るい未来が訪れますように。