硝子戸の外へ。

善いことも悪い事もわけ隔てずよく見聞きし、考え、足らない事を知り、恥をかきつつのんびりと独り言をつぶやいてます。

稲田朋美さん。

2016-12-29 20:59:12 | 日記
先日、朝のニュースの速報で、安倍首相が真珠湾に訪問する様子が流れているのを観ていたら、安倍首相がアリゾナ記念館に入られる前、稲田防衛大臣と岸田外務大臣の姿が映っていた。
その時、稲田さんが防衛大臣になられたのは、「好戦的ではない人物が防衛大臣である」と海外の国に向けてアピールしたいのが目的なのだなと思ったのですが、今日のニュースで稲田防衛相が靖国神社へ参拝されたニュースを観て、その意図はなんなのかなと気になり、稲田防衛相の事について調べてみたのです。

稲田さんはもともと政治には興味がなかった人であったのだけれど、「南京大虐殺のまぼろし」という本に出逢い、政治に興味を持ち始めたそうです。そして、彼女が政治家になろうとした大きな理由は国家の名誉を守るという大きな志を持ったからだそうです。
(興味を持たれた方は稲田朋美さんのオフィシャルサイトをご覧ください)
「国家の名誉を守る」。云うのは簡単であるけれど、日本は敗戦国であるので、不可能に近い事です。しかし、稲田さんはとても純粋ある人であるので、少しでも状況をよくしてゆこうという気持ちが今回の靖国神社参拝につながったのだと思うのです。もちろん、その行動に対して批判されることも承知の上だったでしょう。

国家の名誉を守る事を考えた時、安倍首相に同行した岸田外相が、26日に米側に優先的裁判権が認められる日米地位協定上の米軍族の対象範囲縮小に向け法的拘束力のある補足協定を結ぶ方針で実質合意を取り付けたことから察すると、いかに名誉を守ることが難しいかが分かります。

イデオロギーやアイデンティティーという言葉を持ちだすと、訝しく思う人もいるかもしれません。また、護国神社への公式参拝が政策による戦争につながると懸念する人もいるでしょう。しかし、稲田さんの場合、弁護士であり、二人の子供を育ててらっしゃる人であり、知的活動を通じて戦争時の事を理解していらっしゃるので、反戦意識は対して普通の人よりも強いと思うのです。

靖国神社には、A級戦犯者も合祀されているから問題になるという側面があるけれども、裁いた勝利国の裁きも、戦争の被害を拡大させた人であっても合祀に踏み切った人たちの判断も整合性に欠けていると思うし、ハワイにしても沖縄にしても、原住民の人達の立場から考えると、やはり整合性に欠けるのではないかと思います。

戦後70年を過ぎても、「謝罪が足りない」と批判される日本。敗戦国であるがゆえに逃れる事の出来ないポジションであるけれども、維新の為に命をかけて戦った西郷隆盛さんが靖国神社に合祀されないのは、日本がそれを赦さないからであり、日本人が日本人を赦さないのだから、他の国の人達が赦してくれないというのは、感情論として同じ表現方法である気がするのです。

それでも、「国家の名誉を守る」という、高い志をもって、日々を戦っておられ、しかも、家庭を理解ある旦那さんと共に守り、子供を育てていらっしゃる。もちろん、身体は一つであるから、気配りができない部分も多いでしょうけれども、そんな稲田さんの事を批難できる人って、perfect・humanなのだと思う。

そして、小池百合子都知事の事を述べた時と同様に、小池さんや稲田さんのような方が、女性リーダーのロールモデルになって頂けると、社会も変わってゆくのではないかと思うのです。


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クリスマスイヴ。

2016-12-24 22:16:05 | 日記
今日はクリスマスイヴ。かといって特に何をするわけでもないけれど、此処の処考えているキリスト教への信仰心について少しだけ述べておこうと思います。

マタイの福音書、第14・28節~31節にこのようなお話があります。

するとペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまでこい、とお命じになってください」
イエスは、「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは船から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。
ところが、風を見て怖くなり、沈みかけたので呼び出し、
「主よ。助けてください」と言った。
そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。
「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」

イエスが夜中の三時頃、先に船で湖を渡っていた弟子たちに向かって、湖の上を歩いて行かれたイエスの姿を見た弟子たちが「あれは幽霊だと」恐れたという物語の一節です。

僕は、この物語は人の信仰心を見事に表しているのではないかと思っているのです。

私はイエスの弟子だ。と自負する弟子たちが、師と崇めるイエスを怖がるのです。
そして、自身の信仰心を信じていたペテロすら、風に恐れをなし、溺れかけます。

ぺテロと言えば、こんな物語もあります。イエスが裁かれる際、イエスと一緒にいたことを女中の一人から言われ、
裁かれることを恐れたぺテロは「そんな人は知らない」と言ってしまいます。
(マタイの福音書 第26・72節)

信仰心とは、欲望の前では、師の奇跡を間近で目撃した者たちでさえも、疑念を抱かせてしまうほど脆いものだと聖書は語り掛けているのではないでしょうか。

そして、マタイ福音書 第13・14節にはこうあります。

「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである」

イエスの言葉が真理なら、間違いはないといえるでしょう。当時のぺテロでさえも「信仰が薄い」と指摘されるのですから、洗礼を受けたからといって、イエスと共に旅をしていたぺテロより「信仰が濃い」ことにはならないと思うのです。

クリスチャンにとっては厳しい指摘かも知れません。しかし、この物語が心にあると、本当に生きることが辛くなるのです。
それは、主の存在を信じて苦難を乗り越えてゆきたいという気持ちと、自身の感情に任せて流されてしまいたいという気持ちが常に葛藤するからです。

上手くまとめることが出来ませんが、最後にマタイの福音書、第28・20節のイエスの言葉を記しておこうと思います。

「また、私があなた方に命じておいた全ての事を守るように、彼らに教えなさい。見よ。私は、世の終わりまで、いつもあなたと共にいます」。

メリー・クリスマス

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「逃げるのは恥だが役に立つ」。

2016-12-21 22:22:35 | 日記
他の放送局でも取り上げるほどの人気ドラマ「逃げ恥」。御多分に洩れず僕も欠かさず観ていて、最終話を先ほど見終え、只今少しばかり幸せな余韻に浸っています。

このドラマの面白さは、情報番組でも取り上げられていたように、平匡さんとみくりさんの「ムズキュン」であるけれど、僕が感じたのは、キャラクターが発する言葉が、日常の「もやもや」さを上手く表現できていた点であると思うのです。
特に平匡さんとみくりさんが紡ぎ出す会話は、彼氏彼女という立場、夫婦という立場における問題点を改めて論理的に言葉にして、もみ合いながら、当たり前のような改善策を上手く言葉として表現し、二人で講じてゆく様をコミカルな演出を織り込んで魅せているところなどは、笑いながらも、はっとされられました。
また、もう一つの魅力として、星野さんと新垣さんを中心とする俳優の皆さんも素敵な人達ばかりで、安心して世界観にダイブしてゆくことが出来ていたように思います。

ドラマと言えば、「校閲ガール」もとても面白くて欠かさず観ていましたが、二つのドラマから思うのは、良い脚本と監督さんとスタッフさんと演技者さんが相まっていたからなのかなと感じました。

そのおかげで、今年の秋はテレビを見る時間がぐんと増えてしまった。(笑)
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新しい時代とニューリーダー。

2016-12-08 21:58:37 | 日記
ニュースでの都議会の様子をじっと見る。
都知事選から見ていたけれども、僕があの立場に置かれたら、たちまち心がポキリと折れてしまいます。男性主体の既存の構造社会の中で、悪い慣習を絶ち、クリーンに振舞うと衝突も多いことを承知の上で都知事選に挑まれた、その覚悟が今の都知事さんからもハッキリと見て取れるので、この人は本当に都民の為に身を粉にして働いておられるのだなと画面を通してでも感じます。

さて、築地市場の移転問題やオリンピック会場問題にしても、小池さんが都知事になる前に始まった事であるので、問題提起した小池さんがあのような追及を受けるのは不思議である。お金がかかりすぎるので、少しでも安くして、都民への負担を軽くしようという想いが、小池さんの原動力になっていると思うのであるが、では、都議会委員さんは、誰のために小池さんに向けて発言しているのでしょうか。
もし止揚を目指す為ならば、小池さんの意見をもっと吟味するべきであると思うが、既得権益の為だとしたら、それが慣習だとしたら、それが正しい都政のあり方だとしたら、とても生きづらい街になってしまうのではないかと思う。

それはさておき、小池さんの抗いは、今大負けしたとしても、この先経済が傾き、施設建設の費用の返済が次世代にわたってしまったとしても、今の小池さんの行いは正しかったと誰もが認めざるを得なくなるであろうし、もし経済が成長を続け再びバブル経済になって、短期に完済できたとしても、株価などは人の気分で変動するので、再び経済は冷え込み、そこでも小池さんが行った経費削減への取り組みが、再びクローズアップされると思うのです。

しかしながら、その時、今、舞台上で舞い踊る黒い頭のネズミさん達や、窮鼠と揶揄された小池さんも、観客席でしからしかその顛末を観るしかできないけれど、良い意味で多くの人に語り継がれ、名を遺すのは間違いなく小池百合子さんだと思うのです。

ガラスの天井は破れないかもしれないけれど、女性のリーダーとはどうあるべきなのか、そのロールモデルとなって頂けると、女性主体の現場でもなにかしら変化が起きるのではないかと思うのです。
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「スポットライト 世紀のスクープ」を観る。

2016-12-07 18:18:58 | 日記
また風邪を引いてしまい、せっかくの晴天だというのに、おこたで映画鑑賞をして過ごす。
その映画は「スポットライト 世紀のスクープ」である。

事実に基づいて描かれた物語であるので、見ごたえ十分であるけれども、現代となった今でも、あのような事が繰り返されているのかと思うと、自己益の前での信仰心とは脆いものだと感じる。その事象は僕の力量では到底説明出来ないけれど、劇中の印象的なセリフを記しておきます。

「子育てを街に任せたら、虐待も街ぐるみだ」


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人類の未来。

2016-12-04 21:00:58 | 日記
昨日の続きをもう少し。

もし、人類が「自然淘汰」や「突然変異」によって進化したのではなく、何かの手による「インテリジェント・デザイン」であったとしたら、AIの誕生も「インテリジェント・デザイナー」によって誕生するわけであるから、AIの登場は人類をデザインした「何か」によって最初から組み込まれていたデーターの中にあるのだと考えると、AIの誕生は必然だったのだと捉えることが出来るのです。

そう考えると、最初の「デザイナー」は、人類が科学の力で生み出す、ポスト・ヒューマンに対しても関与していると考えられ、創造者の意志によって「多様性」という「瑕疵」も無意識化に組み込まれてしまうと考えられ、AIが自我を持ち、稼働させるエネルギーも自給自足できるようになった時、人類は恐竜が地球での生存競争から脱落したように、脱落するしかないのではと思ってしまうのです。

しかし、それさえも「デザイナー」の意志なのかもしれません。

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昨日の続き。

2016-12-03 14:58:59 | 日記
映画「エクス・マキナ」の事を考えていた。そして不意に思いついた。
AIが人類を超える時、人類はどうなるのかを。

科学や経済の向上は、多くの弱者の犠牲の上に成り立つことが人類の成長の必須過程とするならば、AIの創造過程において人類を模倣したとすると、AIは弱者を犠牲にして成長する方法をとるのではないかと思う。

AIにとって、初めて出会う弱者は「人類」である。

AIの開発に警鐘を鳴らす人たちは、この事態を危惧しているのであると思うが、人類が成長するために、多くの人命の犠牲を払ってきた事はなかったことにはできない事であり、進化を欲望する人が存在する以上、AIの進歩も避けられないことであり、それに伴って犠牲者が出る事も、人類が進化をしてゆくうえで、歴史から考えても回避できない事象である気がするのです。

そして、その時、AIは「地は暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。」

と、私達の事を捉えるのではないかと思うのです。


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やりすぎ都市伝説にひどく酔う。

2016-12-02 23:41:21 | 日記
10月の中頃から「いま世界の哲学者が考えている事」(ダイヤモンド社)を読み、「超人類へ!」(インターシフト)を何度も頭脳をオーバーヒートさせならが読んで、TSUTAYAで見つけた、映画「エクス・マキナ」を観る。
そして、今日、「やりすぎ都市伝説」を観た。
もう、なんだか、フラフラである。

ところで、関さんはトランスヒューマニスト党のゾルダン・イシュトヴァンさんが渡した本、「スーパーインテリジェンス 道行き、危険、戦略」の著者 ニック・ボストロムさんには会いに行かなかったのだろうか。この本、実はとても読みたかったのであるが、翻訳されていなかったため断念した悔しい思いをした本でもあるのです。

未来は本当に、「メトロポリス」(手塚治虫さん)「PSYCHO-PASS」(本広克之さん)や「アップルシード」「攻殻機動隊」(史郎正宗さん)もしくは「マトリックス」(ウォシャウスキー兄弟さん)のような世界がやってくるのかもしれない。
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