硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

書店にて。

2023-07-29 20:31:31 | 日記
休日。体が溶けてしまいそうな猛暑の中、動きたくないという意思を振り払い、書店に赴く。

別に無理をして書店に行かなくても良いのであるが、ゴロゴロしていると「なぜ、生きているのだろうか? もっと自由に生きられるはずなのに、なぜ留まり続けなければならないのだろうか? 」などと、答えのない答えを延々と考えてしまい、精神が病みそうになる。

いったん動いてしまえば、気持ちも付いてくるもので、冷房の効いた書店に入ると、それまでのグダグダも忘れる。こんな時、人は怠惰な生き物だなとつくづく思う。

気分も上がったところで、目的の本は一番最後に探すことにして、まずは、いつものように出会いを求めてワクワクしながら、整然と陳列された本のタイトルを観てゆく。

夏休みに入ったばかりなので、毎年恒例の少年少女達向けへのコーナーが設置されていて、興味を引く本もいくつかあった。
手に取って、序文を2~3行読んで、ピンときたら購入するのであるが、そこまでには至らない。
いやいや、目的は他にあるし、部屋の本棚からあふれている本もあるのだから、余分な買い物は控えた方がいいと自分に言い聞かせる。

それでも、気になる本が目に入るとつい手に取って序文を読んでしまう。これがいけない。

日本の作家さんのコーナーで、好きな作家さんの新刊が出ていないかチェックをしていると、思わぬ本に出合った。

なんと、甥っ子の本が有名な作家さんの間に並んでいた。

彼が、この世で誕生し、小さな手で僕の人差し指をぎゅっと握った時に「この手は何を成し遂げるのだろうか」と思った事を思い出し、しばし感慨深い思いに浸る(このような文章は以前にも書いた気がする)

ずいぶん前に、帰郷した姉から、某出版社から本を書きませんかというオファーがきていて、調整しているという話を聞いてはいたが、実現していて、まさか地元の本屋さんにまで並ぶ日が来るとは・・・・・・・。

ネットの世界は膨大だわ。

手に取り、彼のエッセイを読んでいく。とても読みやすく面白い。
彼が、彼のヒストリーをファンに向けて書いたものであるけれど、彼の両親や兄弟が登場すると、やはりと言うべきか、その人物を知っているので、例えようのない感じになる。

文章から登場人物を妄想することは、文章を読み進めていくモチベーションの一つなのですが、登場人物がリアルだと、かえって読み進めにくい。

パラパラと気になる章を読み、本を閉じて、再び有名な作家さんの間へそっと返却。
思わず、「やるじゃないか」とつぶやいてしまった。

想像力豊かな少年が、自分の興味のある事好きな事をやり続け、いい仲間に出会い、時代の後押しと共に、それが対価を生む作業になり、大きな企業が彼らとタイアップして、商いをする時代となった。

それに比べ、僕は何も変化しないまま、いたずらに歳を重ねてしまったなと思いながらも、彼の活躍を嬉しく思った。

大きな車屋さん

2023-07-26 09:17:19 | 日記
ビッグモーターの不正事件が新聞やテレビのニュースで大きく取り上げられている。
その件について、少し思う事があるので一石。

不正について知ったのは数か月前のTwitter。

Tweetを読むと、強制ともいえる指示を出し、末端の従業員の手を汚させることよりも、大きな対価を得る事を優先している人がいると感じ、嫌な気持ちになった。
そして、このtweetは社会を動かす事が出来るのだろうかとも思った。

ビッグモーターのお店の前を通るたびにそのtweetを思い出してはいたが、反応が見られないことに、小さなつぶやきは膨大な情報の中で、忘れ去られてしまうのかなと思っていた。

しかし、誰の手によって、そのつぶやきが救い上げられて、白日の下に晒された。
テレビでニュースを観た時、僕は、情報を扱う人の中にも良心と正義が存在していると感じて、少しうれしくなった。

公にさらされた報道は日に日に大きくなり、社長や役員の人が会見を行うところまでこぎつけたけれども、社長さんの言葉を聞いていて、テレビ時代劇、水戸黄門に出てくる、悪い庄屋、名主、グルになって悪事を働く代官が物語の終盤に黄門様に向かって吐露する苦しいセリフを聞いているようで、とても残念だった。

そして、いつの世も、本質は対して変わりがないのだなと思った。


それでも変わってゆく田舎の風景。

2023-07-24 09:44:54 | 日記
朝から散歩に出かける。日照りが厳しくなってきたので、長い時間は歩けないが、移動手段がほぼ車なので、なるべく歩くようにしている。
歩くコースは単調ではあるけれど、田舎なので四季の移り変わりを感じる事が出来る。
この時期は、木々や草花が青々としていて、一見美しく目に映る。
それは、自然豊かといえるけれども、「となりのトトロ」のような美しい里山の風景はなく、うっそうと生い茂っているという感じである。

それというのも、今まで田畑に出て、農作業を生業としていた人達が、次々に鬼籍に入るか、外に出る事が困難になり、後を継ぐ人との間に価値観の隔たりがある為に、田畑や山がほぼ放棄されているからである。
その結果、山に生きていた動物たちもその生息地を「際」まで伸ばしてきて、頑張って維持している田畑を荒らすにまで至っている。

でも、それは自然にとって、自然の営みであり、境界線は「人」が引いたものでしかないことを意味する。

その構造はこの先も不変であるだろうから、自然と人とのせめぎ合いは続くけれども、景色というものは、人の手から離れても変わっていくものなんだろうな、結局人類はどれほどテクノロジーを進歩させても自然に勝てはしないのだろうなと、額から噴き出る汗をぬぐいながら思った。



Twitterを始めてみたものの・・・。

2023-07-19 10:00:36 | 日記
Twitterのアカウントを作ったきっかけは、LINEでジブリのスタンプを購入したことが始まりでした。

スタンプを購入すると、STUDIO GHIBLIから、イベントがあるごとにLINEからお知らせが来るので、欠かさずチェックしていると、地上波でジブリ作品が放映される度に、公式Twitterのみで観られるものがあるというお知らせも同時に紹介されていた。

気にはなってはいたが、TwitterというSNSは、いい印象がなく、正直、怖かった。

だから、暫くは何もせずにスルーしていたのですが、意志の弱さというべきか、怖いもの見たさと言うべきか、見てみたいという欲望にかられたというべきか、ジブリ作品の地上波の連絡の際に、四苦八苦しながらTwitterのアカウントを作成。
そしてようやく見られるようになり、ファンの声や、イラストに歓喜。
それで、個人的な目的は達成されたはずだったのですが、ほっておくと、Twitterからのお知らせが入るようになった。

そのお知らせは、某タレントさんのtweetで、セクシーなショットであった。

「なぜに?」

と、思いながらも、そのままにしておくと、また、そのタレントさんのtweetのお知らせが入った。

「なぜに?」

タレントさんなら沢山いるのに、なぜこの人なのだろうと不思議に思っていると、日を追うごとに他の方のセクシーショットのお知らせも来るようになった。

何故にと考えていると、一つの解にたどり着いた。それは、「僕がオジサンだから、こんなの好きでしょ? 」と、Twitterが判断したのかということでした。

大変悔しい。(笑)

そして、どうして、最初に来たお知らせのタレントさんが、その人だったのかにも気が付いた。(同じ県民だったからだと思う)

さらにTwitterからのお誘いは続き、フォローする人を見つけてみませんか? という誘惑を僕に投げかけてきた。

その誘惑に対し、どうするべきか悩みましたが、Twitterは言論の場でもあるから、自分の本棚の中に納まっている本の著者の、思想家、保守的な学者、右寄りのジャーナリストと、最近、ネットで知った、期待している国会議員さんフォローする事にした。

もちろん、そこには狙いがありました。

バランスよくフォローする事で、情報が偏らないだろうと思ったからでしたが、読む者にとって大変ストレスのかかる事態になってしまいました。

それは、tweetが、偏っていないために、何が正解なのかが全く分からなくなったからです。

TwitterとかYouTubeは自分の好みのものを意図的に見聞きできる嗜好品ですので、繋がれば、欲望が充足され、それで、利益が出る仕組み。それを逆手にとってフォローすれば、ストレスがたまるのは理に適ってるなと思いました。

そして、ストレスのもう一つの原因は、Twitterの特徴である、開かれた言論の場でした。

開かれた言論の場というのは理想的なのですが、(まったく自由と言うわけでもないが)頭のいい人、そうでない人、真実を真摯に語る人、大ぼらを吹く人、人を助けたい人、人を貶めたい人が、一斉に同じ土俵で語るので、全部を読んでいると、次第に気分が悪くなってきます。

推し活に特化すれば、幸せなのかもしれませんが、推す人もいないので、(いないというよりも、推す気力、そこまでの動機がない。いやちがう。画面越しのコミニュケーションにときめかないからかも)そこに力量を注ぐことができません。
でも、それは単に僕が時代にうまく乗れていないだけかもしれません。

少し話は外れますが、昨日の新聞にイーロンさんが他国より日本でのTwitterの活用率が高いというコメントを出した記事が載っていました。
それを見て、思ったのは、日本の国土は狭く島国なので、識字率が高い事と、SNSにつながれる環境が他国よりも整っているからなのかなと思いました。

その事象は、自由な言論の場という意味では、成熟された国ともいえますが、(国に関する事は制約されているけれど)それによって引き起こされる弊害も多い。(誹謗中傷など)

そう考えると、SNSはうまく利用すると、幸せを得られるけれども、上手く利用できないと不幸になってしまうと言えるのかもしれませんね。




宮崎駿さんと高畑勲さん。

2023-07-17 16:16:38 | 日記
先週、三重県総合博物館で行われている「高畑勲展」を鑑賞し、今日、宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。

ジブリファンだった(もう過去形なのかもしれない)者として、とても充実した時間を過ごせた。

具体的な感想を述べると、どちらも「ネタバレ」になってしまいかねないので慎重に、感想を述べたいと思う。

高畑勲展は、高畑さんの作品や文章に触れる事で、幼い頃に観てきた高畑アニメをクリエーターの側からうかがい知る事が出来てとても良かったです。それが「高畑勲展」での一番の収穫でした。

宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」は、宮崎アニメの頂点といえる作品でした。

アニメーションを芸術作品にまで昇華させていたと言え、おそらく、日本以上にヨーロッパで高い評価を受けるのではないかと思う。
物語の序章部分は、手塚治虫青年、高畑勲青年、宮崎駿少年が身体を通して感じ取った風景なのだろうと思った。

そして、美術がとにかく秀逸であった。
ターナーやブータン、ルノアールの風景画のような背景がとても美しく、また、コアなジブリファンに向けた演出も素晴らしい。

アテレコも抑揚が抑えられていて、小津安二郎さんの作品のようでとてもよかったです。

観終わって強く感じたのは、宮崎さんはこの作品を高畑勲さんに観てもらいたくて作ったのではないかと思いました。

最後に僕が個人的にグッと来たポイントは、「高畑勲展」では、「ハイジ」のキャラクターの設定の原画。

迷いのない線、正確に描かれるハイジにはほんとうに感動しました。

「君たちはどう生きるか」では、エンドロールのクレジットの中の「田中敦子さん」と「男鹿和雄さん」の名前を見つけたこと。

好きなクリエーターさんが作品に携わっているのをみると、嬉しくなりますよね。

そして、なんといっても、オープニングで、もう観られないだろうと思っていた、2023 SUTGIO GHIBLIの文字を見たこと。

宮崎駿さん、ありがとうございました。お疲れさまでした。



タレントさんの自死について思う事。

2023-07-14 10:19:30 | 日記
タレントさんの自殺のニュースを見聞きする。
動機はSNSの誹謗中傷が原因らしい。
ジェンダー問題を考える時、公共社会での活動において明確な落としどころが見つからないので、問題提起する発信者には称賛と批判の両方が投げかけられるだろう。

しかし、批判の声の方が圧倒的に辛辣で、罵詈雑言の言葉が投げかけられるのが事実であり、批判者は、最初から対話を求めず、否定に徹し、自身が正義であることを盾にしている。
その人たちの事を「ソーシャルジャスティスウォリアー」と呼ぶらしいが、「論破」する目的で発信しているだけなら違和感が残る。

明らかに、不正を働き、人の命を奪うような輩に罪を償わすための働きなら、そのように呼んでも差し支えないと思うが、タレントさんを精神的に追い込むことには納得がいかない。
その働きを例えるなら「ソーシャル・パワーハラスメント」と呼ぶのではないだろうか。

自殺したタレントさんにおいては、彼の主張が間違ったものであったとしても、彼の存在を否定することは正義とは言えない。
なぜなら、彼のSNSは彼個人の意見であり、マイノリティの中の人の小さな発言なのであるから、批判者に正義があるなら、時の観察者として、時節の流れを鑑み、意見を吟味した上での批判が求められるのではないか。
そうでなければ、この問題の根本であるジェンダー問題は向上しないのではないかと思う。

そして、当事者は、SNSは不特定多数の意見を浴びる事が前提にあるから、メンタルコントロールに自信がなければ、止めればよかったのではないかと思うし、タレントという人気ありきの職業がしんどいなら、普通に生きてゆく選択もあったのではないかと思う。

そしてメディアも、この類の問題を一向に解決に導けないのだから、問題の深堀はやめて、そっとしておいてあげて欲しいと思う。


少しだけ残念な話。

2023-07-12 18:11:44 | 日記
コンビニやホームセンターなどでお買い物して支払いをする時、なるべく小銭を出すように心がけている。
だから、もたもたしてしまう事もあるが、支払いを終えてお釣りをもらう時や、商品をレジから回収する前に、「早くしろ」と言わんばかりに、商品をレジにおいて清算を始めようとするお客さんに時々で会う。

なるべく素早く済まそうと努力はしているのですが、「一円足りない」とか20円足りないという場合もあり、その度に後ろの視線が背中に刺さるのを感じてはいるが、そのような人に出会うと、「悪いことしたかなぁ」「3秒くらい待てないもんだろうか」と感じてしまう。

でも、その事象を考えていて、ふと、そういう人と出会うようになったのは、ここ数年のことなのではと思った。

では、なぜ、そうなったのか。
これはあくまでも個人的な感覚でしかないが、キャッシュレス決済がマジョリティになり、現金払いがマイノリティになった現代では、モノの流れが速くなり、人もそのスピードに順応していっているので、スピードに対応できない者に対して、不寛容になってしまうのではと思った。(呂布カルマさんが出ているACのCMが流れ始めた時には、違和感を感じていたが、今ではよく理解できる)

でも、お客さんによっては、キャッシュレス決済なのに、ポイントがどうとかで(この辺りがよく分からない)ずいぶん待たされる時もある。

しかし、この事象はまた別のものであるようなので、今日のところは取り扱わないでおこうと思います。

よく分からない事ばかりであるが、急速に社会が変換しつつあり、人もその変換に対応していっている途中であることは確かである。

そして、その事から、いつの時代も、年配者が時代の流れに、少しづつ、ついていけなくなってゆく事象も、自然なのだなと思った。