硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

専門職という虚栄を棄てる時。

2020-01-31 22:06:35 | 日記
特別養護老人ホームで、おやつのドーナツを食べた直後に意識を失い死亡した事故で、准看護師さんが有罪判決を受けたという事件の記事を読んで、思ったことを一石。

裁判は、亡くなった利用者さんの死因や、おやつの形態の変更の確認を怠った過失が争点となっていて、弁護団長さんは「入所者が亡くなる度に介護職員の過失を問われてしまうのか。このままでは日本の介護施設は成り立たない」というコメントを出している。

この記事を書いた記者さんは、「この裁判は、介護中の過失事故で刑事責任が問われたことは人手不足が続く介護現場の委縮につながりかねないとの懸念が強くなるのでは」と指摘している。

記事によると、その利用者さんは事故の数日前からおやつをゼリーに変更されていたが、その日は、ドーナツを出してしまったとあった。

普通のおやつからゼリーに変更がなされていたのだから「嚥下状態が悪い」から、変更になったのだと思う。では、なぜ、変更されたおやつが変更されなかったのかである。

それは判決通り「確認」という義務を怠ったという事でもあるけれど、「ゼリーに変えましょ」と現場のスタッフで決めたはずであるのに、なぜ、それが周知されなかったのかが問題である。
また、嚥下状態が悪い利用者だから、食べる様子を見守ってあげる必要が発生していて、「食事介助」がその時の最も重要な仕事になるから『人が足りないから見守れなかった』という理由は難しい。

この状況を、「罪ではない」とするならば、介護の仕事は、誰にでもできる事が出来なくてもいいという事になり、しいては、介護福祉士などの国家資格も意味をなさなくなるのではないだろうか。それこそが、介護現場が専門職の仕事として成り立たなくなるのではと思う。

個人的には、現在の介護施設は職員の善意で成り立っているのだから、社会資源として維持してゆきたいと社会が望むのなら、准看護師や介護福祉士などの資格を廃止した上で、無罪としてもいいと思うけれど、(極論だけれど勝訴するということは、社会的に見て、仕方のない事だったんだなと納得させることが必要なんだと思う)施設がこの先も「社会資源であり続ける」のであれば、リスクマネジメントの問題もあるのだから体制はどうであったかは問われなけばならないのではと思う。


コロナウイルスからの警告

2020-01-29 23:03:01 | 日記
コロナウイルスの感染被害が日を追うごとに広がっている。

ニュースを観て思ったのは、とても当たり前のことだけれど、人が豊かに暮らしてゆく為には、生きてゆく為の基本的な事、たとえば、飲料水や、医療、環境衛生などのインフラの整備に投資してゆくことが大切なのではないかと思った。

目先の豊かさに気を取られ、当たり前のことをおろそかにすると、こういう事態を招くのだと、コロナウイルスは教えてくれているのかもしれない。

止むことのない福祉施設での事件。

2020-01-12 18:20:16 | 日記
また、施設での虐待がニュースで流れていた。

勤め先の施設に、何処かの団体から利用者への虐待についてのファックスが送られていた。

熟読してみると、なんら目新しい事は書かれていなかった。
内容を要約すると、「なにが虐待なのか」「自制心を働かすには」というものである。
しかし、自制心を育み養うためには、見本を示す存在が必要である。
自力で自制心を獲得するという行為は、神業に近い気がする。

また、介護現場で、時々、生まれ持った優しさを持つ人を見ると、「天才とはこういう人なんだ」と、感心するけれども、そういう人の特徴は、優しさだけに特化していて、施設職員としての評価にはつながりにくく、優しさだけでは駄目なんだなとつくづく思った。(女性職員が「男のくせに」って愚痴っていたのを聞いて心底思った)

では、それを、誰が身をもって教えられるか。であるが、介護現場は女性が主体であるので、構造的に見ると、それを女性が担わなければならないという位置づけとなる。

女性の持つ寛容性を信じたいけれども、組織の問題なのだから、本気で問題に向き合ってゆくとするなら、ファックスを流して終りではなく、福祉を生業とする組織全体で、具体的に取り組んでいかなければならないと思う。

しかし、もはや手遅れのような気もする。
それは、若者がこんな事件が続く職種に就きたいとは到底思えないからである。

厚生労働省は国交省の福祉に携わっている人達は、現状をどう考えているのでしょうか。

違和感。

2020-01-09 22:54:11 | 日記
昨年の11月の終わり頃、夜寝ていると蚊に刺された。12月の最後の日曜日。自宅の大掃除をしていたら、大きなハエが飛んできて、窓にとまった。窓を開けると少し寒い外へ出て行った。 今日、クルマを運転していたら、カメムシが飛んできてフロントガラスにとまった。

たしかに、暖かいんだけれど、どう捉えればいいんだろうか。

スカイウォーカーの夜明け。

2020-01-05 16:19:01 | 日記
スカイウォーカーの夜明けを観る。年末に放映されていたスターウォーズを観ていて「なんでこの映画はこんなに面白いんだろう」と思いながら、「スカイウォーカーの夜明け」を楽しみにしていました。

ところが、いざ観てみると、なんかおかしい。世界に引き込まれないのです。
映像技術は素晴らしいのだけれど、なぜだかワクワクしない。

なんでだろう。

それはさておき、今回もメッセージ性の強いものだなというのはとても感じました。

独裁国家が崩壊する過程をみごとに映像化していたように感じました。

自身は神となり、築き上げた国を強固なものにしようとする老人と、それに抗う血統の孫娘とレジスタンス、独裁国家を良しとしない人民達が力を合わせ、帝国を崩してします。

また、レジスタンスの長が、少し問題はあったけれど、リーダーシップをとってがむしゃらに走り続けた、ポーになったり、スター・デストロイヤーの館長が、女性となり、惑星を破壊してしまったり、幼い頃に拉致されて奴隷となっていた人々が自由を勝ち取り、アイデンティティーを取り戻そうとする姿や、フォースの使い手の躓きと赦しが、物語の柱であり続けたというのも、印象深い。フォースが共にあることを信じて、レイは最後まで憎しみを力にしようとしなかった。それが、おじいちゃんが「わしが間違っていたよ」と気づいて、電磁波をやめて、心を入れ替えるという選択を残したものだとしたらまさに、赦しです。(それをしなかったから自らの力で滅んだんですものね)

そして、映画を観ながら思ったのですが。(物語に入り込めなかった理由はこれにあるのかもしれません)帝国は縦社会の力で銀河を統制しようとします。それに対し、レジスタンス、共和国は横のつながりを重きにおいて平和を維持しようとします。

カイロ・レンが提案した、二人で玉座に就くというのも、大きな制限は受けるものの、戦争は無くなるし、二人ならば、比較的安定した国造りが出来るのではないかと思います。そうすれば、戦艦などの兵器は必要がなくなり、採掘会社が意図的に帝国をよく思わない惑星の人々に武器を売ることさえしなければ、軍縮も進むのではないかと思います。軍縮が進めば、兵隊を作り上げるための拉致もなくなります。
既得権益などが発生し、政治腐敗が引き起こされやすいけれど、辺境の惑星の人々は、謀反を起こさない限り、共和国が主となる銀河と余り変わらない生活が送れるのではないかと思いました。

僕的には大きな感動はなかったけれど、良い映画だったなぁという思いが残りました。

最後に、

jj。少し疲れたんじゃない? 英気を養ったら「スタートレック」の続編撮ってくださいね。楽しみに待っています。