硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

社会を再構築する人々。

2022-10-29 17:38:40 | 日記
外出先で定食を食べていると、真後ろの席で昼食を摂っている女性の会話が耳に入ってきた。こういう時、興味の引く内容であるとどうしても耳を傾けてしまうのが悪い癖である。

ご婦人たちのお話は、自身のご子息の職場の話であった。
どうやら、ご子息が仕事を教える立場になったのであるが、会社の指導指針も「叱らない、怒らない」に改まったのだという。
その一番の要因は、その事によって「すぐに辞めてしまう人」がいるからだそうである。
ご婦人のお話が上手なので、指導転換に奮闘するご子息の様子が目に浮かび、しばし箸も止まる。
ご子息の苦労を話し終えると、ご婦人たちも「叱らない、怒らない」という指針には疑問を感じているらしく、「叱らないときは叱らないとねぇ」とこぼしていた。

少し前までは「叱る、怒られる」は「有」であり、ご子息も怒られないためにミスをしないよう努めたようである。そして驚くべきことに彼は、余計な所で怒られないために、「言われたこと以外はしない」と言う予防線を張って仕事をこなしたそうである。
その話を聞いて僕は、「したたかで賢い人なんだな。うらやましいな」と思ったのであるが、企業としては、マイナスになってなかったのだろうかとも思った。

社員一人一人のプラスαな働きが、大きな利益を生むきっかけになる事があるし、それを行う社員の伸びしろを伸ばすことにもつながるように思う。
それを、社内の体質で摘み取ってきたのであるから、「叱る、怒る」と言う行為には、やはり弊害が伴っていたのだと、誰かが気づいたのではないかと思った。
しかし、ご婦人たちのご指摘の通り、叱るときには叱らないと、「丁寧に説明しても、自己肯定感が高すぎて自分の非を認めない」人もいるから難しいのである。
エントリーしたばかりの人たちは「幼い」のだから、感受性も未熟であるので、仕方がないともいえるが、注意をする側には、仕方によっては「パワハラ」になってしまうケースもあるから、受け取る側の感受性によって「説明」の仕方を変えなければならないという、大変面倒くさいスキルが必要となる。

そうはいいながらも、僕も協調性に乏しい性格であるので、このような事を考え出すときりきりと胃が痛むのであるが、豊かさと自由を「何の疑問も持たず享受」できる人達にとっては、前世代の社会構造というのはやはり受け入れがたいのであろう。いや、そもそも時節の変わり目と言うものは、そういうものなのだろう。

ご婦人たちの話題は違う方向に飛び、それをきっかけに僕も妄想を止め我に返り,再び箸を動かしたのであるが、こうも思った。

ご子息の世代が昭和の旧体制を刷新し、誰もが生きやすい世の中に再構築してゆくのではないかと。




不登校にまつわる思想。

2022-10-28 11:07:05 | 日記
不登校の子供たちが増加していると、ラジオやテレビ、新聞等のニュースで知った。

僕自身は学校に通いたくなかったが、それ以上に、苛烈な軍国主義の中で育った父と、世間体を重視する母の前では、どうすることも出来ず、無理無理に学校に行っていた。
だから、生きづらさを覚える子供たちの気持ちや学校へ行く事の苦痛さもよくわかるが、なぜそんな事になってしまっているのだろうか。
豊かな時代になり、平和であり、好きな事ができる国であるのに、不登校になる理由とは何だろう。そこにどんな闇があるのだろうか。

今の少年少女達の親御さんは、40代前後であろうと思う。
その世代は日本が豊かになり、個人主義が多数派になりつつある時代に、子供だった人たちである。
多数がハイブランド志向で、携帯電話が当然のアイテムになり、20代にはネットが整備された世代である。

その恩恵を受けている世代が、様々な理由で学校に通えなくなっている。

もし、問題があるとしたら、逆説的ではあるが、ハイブランド志向と、携帯電話と、ネットが不登校を助長しているのではないだろうか。
もっと、大きく例えるのなら、「そこに携わった人々の思想」が、彼らの子供たちに影響を与えているのではと思う。

そして、ハイブランド志向の個人主義がむき出しの大人と共に生きていれば、自然にハイブランド志向の個人主義がむき出しになるであろうし、インターネットでは、どうしても自己肯定してくれる言葉を自身で選んでしまうシステムでもあるので、情報において抗体が付いていない子供にとっては、自身の殻を強化するだけになり、繰り返していれば思考は硬直してゆく。
そこには、強さを疑わない人と、ありきたりな強さを疑う人と、自身の弱さに絶望する人が生まれ、集団行動と言う場では、ありきたりな強さを疑う人と、弱さに絶望した人が零れ落ちてしまうのは、校則とか親の思想ではどうすることも出来なくなる。

日本は江戸時代に続いて2度目のルネサンス期を迎えているように思う。
経済はさておき、文化や芸術や競技が世界に向けて花開いているのは、それ以前の世代が豊かさを獲得したからである。
その豊かさを、いかにして次世代に還元し、才能を伸ばしてゆくかを、うまくつかんだ人たちが現代の成功者であるように思う。
しかし、その反面、搾取される人も多く存在してしまうのは歴史的に見ても、避けられない事象なのではないかと思うが、時代が進んでいても政治が硬直している間は、教育や福祉はどうにもならないであろうし、そもそも新自由主義とはそういう思想だったのではないかと思った。






議員さんが忘れてはいけない事なのかも。

2022-10-26 11:15:28 | 日記
経済再生担当相の山際さんが辞任された。

それは質疑に対して答えをぼやかし続けた結果であったのだろうけれども、その行為は有権者に恥をかかせた事になるのではないかと思った。
その人たちは彼が「嘘をつく人」であったことを知らないで票を投じたのであるから、票を投じた人の眼は節穴だったと言われてしまう。

国会議員を目指している時は、純粋に地方をよくしたい、国をよくしたいと言う想いと情熱があったから、多くの人が彼のために動いたのだろうと思うのであるが、なぜこうなってしまったのだろう。

彼は一体何に溺れてしまったのであろうか。

逮捕者。

2022-10-21 17:20:30 | 日記
その人は、子供のように嘘をつく人であった。自分のついた嘘を嘘で固める事の出来ない人であった。しかも、その事に気が付かない人であった。
誰にでも話しかける事が出来る人で、柔和で愉快な印象なので、話は聞きやすく理解しやすいが、話のつながりに矛盾が生じる事と、情報量とワードが乏しいので、2,3質問をすると返答に窮してしまいがちであった。

そのような違和感を抱いていたが、同じ職場で働く人であり、年金受給者の年齢に達している人なので、気を悪くさせてはいけないと、出かかった言葉はすべて飲み込んでいた。

ある日、その人から、身体の治療のため長期休暇しますと職場へ電話があった。
しかし、次の日、警察から当人の身元確認の電話が入った。

その人は、取り調べでも、柔和で愉快に話していると思われるが、話している相手は警察官であり、疑う事が仕事の人であるので、子供のように嘘をつくその人は、冷たい拘留所で、ここでは嘘が通らないと、気づいたのではないだろうか。

大人だから、人生の先輩だからと言葉を飲み込み続け、その結果、失望させられた僕は、冷静に考えられるようになるまでの期間を経て、今ようやく、その人の言動を振り返って改めて考えてみて、その人は、物心ついた時から、自身を弱さを露呈させないために、出会うすべての人に嘘をついて生きてきたのではと思った。


フィンセントの「ひまわり」

2022-10-15 21:44:45 | 日記
ロンドンにあるナショナルギャラリーで展示されている「アルルのひまわり」が環境活動家の手によって汚された。

余りにもショッキングな出来事だったので、その続きを観ていたら、環境活動家の一人が「芸術と命、どちらが大事なんだ?」「絵の保護と、地球と人々の保護とどっちをより心配している?」と述べていたので、少しばかり考え込んでしまった。

彼らがなぜ抗議しているのか。その動画だけでは何も見えてこない。
よく知らなければ「子供じみた事をしているだけではないか」で終わってしまう。
せっかく、デジタルネットワークと言う便利なツールがあるのだから調べなければもったいないので、少しだけ調べてみると、ざっくりとではあるが、彼らは「このまま石油を使い続ければ大きな気候災害に見舞われるから、新たな石油ライセンスを止めるために抗議している」のだそうである。
21世紀のこれからを生きていかねばならない若者たちにとっての気候災害は、少し先の未来の出来事になるかもしれないが、石油マネーで富を得ようとしている人々の、少し先の未来は、この世には存在しない確率が高い。だから、そこには埋めがたい溝が横たわっている。

難しい事はわからないが、大富豪が大富豪で居続けるためには、歴史が示しているように犠牲は顧みてはならないという事であろうか。

富豪たちの手によって、絵の価値が上がったフィンセントの作品。
環境活動家の手によって、汚されてしまったフィンセントの作品。

心身を削りながら筆を持ち続けたフィンセントは、この事象をどう思うだろうか。

主は、共に歩まれているはずなのに。

2022-10-08 17:32:38 | 日記
信者2世だった女性が同じ境遇で苦しんでいる人を助けたいという思いで話されているニュースを観て、やるせない気持ちになった。

彼女は自らの意志で信仰したわけではないのに、ご両親はなぜ、彼女を精神的に追い込んだのだろうか。
ご両親はなぜ、不明瞭であるにもかかわらず、主からメッセージを受け取ったと主張する人の言葉を信じて疑わないのだろうか。

彼女の両親の信仰の救い主がイエス・キリストなら、経典は「聖書」であろう。

ならば、黙示録 22・18-19にある、

私は、この書の預言のことばを聞くすべてのものにあかしする。もし、これにつけ加える者あれば、神は、この書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受け取る分を取り除かれる。

の、御言葉はどうなってしまうのであろうか。

ヨハネ伝には、こう記されている。

初めに、言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。

それでも、信仰するものが違うのだと思われるならば、主はなぜ十字架にかけられる事を受け入れられたのか、考えてほしいと思う。

そして、彼女にこそ、神のご加護がありますように。

ミサイル実験の理由。

2022-10-04 09:44:58 | 日記
Jアラート放送が発動され、北朝鮮からミサイルが発射されて北海道、青森に着弾する恐れがあると注意喚起がなされた。
それを観ていた妻は「なんでそんな事をするんだろう。どうか落ちてきませんように」と心配そうに言った。

ミサイルの動きとはタイムラグのある情報を元に注意がなされているので、地上にいる人々にはどうすることも出来ないし、ミサイルの迎撃も100%成功するという事はないので、不安は募る。

しかし、なぜ、ミサイルを打つのだろうか。外交上、そのリスクは高いはずである。
地位も名誉も権力も国中の言論もお金も、発する言葉の行方も自分の意のままになっているというのにそれ以上求めるものがあるのだろうか。
もし、何か理由があるのだとしたら、答えはその中にあるように思う。

これは個人的な妄想ですが、北朝鮮は韓国と休戦中であるから、ミサイルを打ち上げる事で、「私は貴方たちを護っている」というメッセージを国民に知らせるためであろうと思う。
私利私欲を貪るだけなら、国民から反発を受けるであろうし、ロシアと違い国土が小さいので、フェイクの情報もバレやすいので、ミサイル開発はとても分かりやすいのではないかと思う。

東シナ海に向けて打てないのは、地続きである中国への配慮であろうし、太平洋に向けて打つのは、日本国は何もできないと高を括っているからであろう。

日本は経済的に豊かにはなったけれど、戦後レジームはそのままである。
このミサイルの影響は、じわりじわりと大きなうねりとなって亡くなられた元首相の意志を乗せ改憲へと進んでゆくのではないだろうか。

そして、なによりも、このミサイル開発、実験によって、防衛、兵器開発、双方で儲けられる人が一番得をしているという構造がどうにも解せない。