硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

スーパーマン。

2022-04-30 20:10:49 | 日記
今春から始まったテレビドラマで欠かさず観ているのが「スーパーマン&ロイス」。
新しいスーパーマンが始まるのかと、とりあえず録画してみる事にしたのですが、すごく面白くてはまり込んでしまった。

テレビドラマ「スーパーマン」を最初に観たのが確か小学生の低学年の頃のような記憶がある。もちろん、何回目かの再放送で、白黒の時もあった気がする。そして、「玉よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルもひとっ飛び」というナレーションもなんとなく覚えていた。

その頃のスーパーマンは、決して弱みを見せず、力強く、必ずピンチを切り抜け、悪を倒し、優しく慈愛にあふれた、マッチョ男というイメージで、子供心に「アメリカの男性はみんなこんな感じの人」なのかなと思っていた。

しかし、今になって考えてみると、制作が始まった当時は朝鮮戦争が始まっていたので、ヒーローを通して、「強い男へのあこがれ」をかき立て、「強いアメリカ」を信じさせる狙いがあったのかもしれない。

それに比べ、現在の「スーパーマン&ロイス」は、リストラにあい、母の死に向かい合い、田舎町へ引っ越し、思春期で難しくなった子供たちやキャリアを失い、スーパーマンが夫である特殊性に悩む妻ロイスとスーパーマンを抑止力として用いようとする軍人の父、モートビルの友人や学校関係者等、対人関係に苦悩する様子が描かれていて、強敵に対峙するスーパーマンの方より、一人の父親としての側面の方が際立っているように思います。

そう考えると、ヒーロー物は、マトリックス4もそうであったけれど、(アベンジャーズもそうだったように思う)ヒーローはもう無敵ではなくなり、ヒーローを支えるパートナーの協力によって、はじめて敵を倒すことができるいう物語になってきたように思う。
そして、もし、子供の頃に観たスーパーマンが、「アメリカの象徴」としての役割を担ってたとしたら、現在の「スーパーマン」にもその役割があるはずであるし、それがあるのだとしたら、現在のアメリカは、「強さ」ではなく、「様々な人々が共に助け、支えあえるアメリカ」を求めているのではないかと思ったのです。




マトリックス4を観る。

2022-04-27 21:19:48 | 日記
とても楽しみにしていた「マトリックス4」を観る。

本当は映画館で見たかったのだけれど、上映期間中、仕事が忙しく、また、なぜか上映時間が中途半端な時間で、しかも2回だけ上映されていたので、ついには見る機会を失ってしまった。

そして、ようやくレンタルが開始されたので、早々に借りて、夜に部屋を暗くしてイヤホンをして映画館の雰囲気を作って気合を入れる。

最近、映画を観る時、ほとんど吹き替え版にしてみる事が多くなった。それは、字を追うことが面倒に感じるようになったからであるが、「マトリックス」は、字幕でずっと見てきたから、吹き替え版にしてしまうと、違和感があると思って字幕を追うことにした。
変なこだわりだと思うけれど・・・・・・。

本編は、相変わらず難解なセリフや皮肉が沢山散りばめられていて、「ん?」と、思ったところはもう一度戻して確認しながら見直す作業を繰り返す。それでもわからないところが多く、哲学者や思想家の本を読んでいるみたいな気持ちになる。

それでも、印象的だったのが、マシンが人類と共生している事や、(マシンがマシンとエネルギーをめぐって争うという事は、マシンには感情があるという事になるのだけれど、その過程が描かれてないので、どういう設定でそうなったのかとても気になるところです。)
1999年の「マトリックス」では、男性が弱いものを守り、世界を変えてゆく設定であったのであるが、2021年では、女性と共に助け合い(どちらかと言うと女性が主体になる感じかもしれない ラストシーンがそうであったように・・・。)世界を変えてゆくに変更されていた。
また、登場人物の多様性も(スカイウォーカーの夜明けもそうだったですね。)さらに多様化していた。
それは、時代の価値観の変化ともいえるけれども、監督のラナ・ウォシャウスキーさんが兄弟から姉妹になられた事もこの作品に大きな影響を与えているのではないかと思う。

アクションシーンは、他のアクション映画が凄すぎるため、(ワイヤーアクションもCG加工も進歩しすぎたと思う。)そこを楽しみにしている人には物足りなさを感じるけれども、ストーリーが秀逸であるから、万人受けしないのではと思う。(攻殻機動隊やアップルシードがそうであるように・・・。)
だから、上映時間が限られていたのだろうと推測する。

2泊のレンタル期間なので早々に返却し、また、時期が来たら何回も観直してみようと思う。その時には、また感想も変わっているのではないかと思うので、その時が来たらまた改めて述べたいと思います。
(メイキングで、練り上げられたストーリーの10%を映像化したと発言されていたので、新たな発見も多そうである。このような難解な映画の解説をマルクス・ガブリエルさんに聞いてみたい!! )


吉野家さんの元常務さんの発言を考えてみる。

2022-04-21 20:14:30 | 日記
ジェンダー問題に対して厳しい妻が「吉野家」の常務さんの問題発言を見て「本当に腹立たしい」とご立腹。

僕は、新聞記事と常務さんが使った実際の言葉の「差」に対して、どうして変換したのだろうという疑問だけが残っていたので、ご立腹している意味が分からず、どうしたものかと改めて調べてみる事にした。

切り取りの問題発言を読んでみると、なるほどと思うと同時に、考え方がもう古いとしか感じなかった。

吉野家の牛丼を食べる事の出来ない環境で住んでいて、就職や進学で街に出てきて吉野家の牛丼を食べて、ヘビー・リピーターになってもらう企画を出せというのが狙いだったらしいけれど、ファーストフード産業はたくさんあるのだし、20代前後の女性という、場所に関係なく情報を収集できるスマホを携帯し、嗜好性も考え方も多様化している世代をターゲットにしてヘビー・リピーターになってもらおうとするなら、お店の存在自体が、可愛いかおしゃれでなければいけないし、メニューも大きく見直さなければならないし、そうすれば、どこかのファーストフード店と変わらなくなるだろうし、そうするとサラリーマンや労働者が入りにくいお店になってしまうだろう。

また、大谷翔平選手や藤井聡太棋士といった一流の若い人の言葉を感じる世代に対して、どんなに前置きをしても、強い言葉を使って、問題を考えさせることは、「この人は、いったい何を言ってるんだろう」にしかならない。

過去の業績は輝かしいかもしれないが、それが今通用するものではない。
50歳ならそういった人物に数多く接してきただろう。
年老いた上司にがっかりした事もあっただろう。
その時、「こうはなるまい」と、思わなかったのだと思う。

分かってはいるのだろうけれど。

2022-04-18 19:28:20 | 日記
侵攻する国が、「武装解除し拠点を放棄すれば、命を保証し負傷者を治療する」と、要求している。

この言葉には違和感がある。

武装を解除せず、防衛する側の気持ちを考えると、

「私たちの住む街をむやみに破壊し、罪もない人々を無差別に殺し、私たちの街を暴力で奪おうとする者達に対して、なぜ防衛をやめて投降しなければならないのか」

ではないだろうか。

なのに、なぜ、投降を呼びかけている者たちは、要求をのまなければ壊滅させるというのだろうか。
彼らが迷うことなく「従わなければ壊滅させる」と言い切れる正当な理由とはなんだろうか。もし理由があるとしたら、その理由は他の国が承認できるものであろうか。

最前線に身を置いている兵士たちが、命令が間違っていると気づいていても、命令を反故する事はできないのであろうか。
それは、反故にすれば権利を奪われるからだろうか。それとも、自身や身内の命が危うくなるからだろうか。

だとすれば、侵略する側の構造というのは、中世の戦争と何ら変わりないのではないかと思う。

胸が詰まる思い。

2022-04-13 17:24:18 | 日記
今朝の新聞記事を読んで、胸が押しつぶされそうになった。

第36海兵旅団の幹部の人がフェイスブックに残した言葉である。

「もう弾薬は残っていない。明日からは素手での戦い。死ぬか捕虜になるか」
「地雷や砲弾などの戦闘物資が補給されたのは一回だけ」
「我々が街を47日間守り続けてきた」
「水たまりから水分を補給するほど」
「親愛なるウクライナ国民は、旅団の事をよい記憶と共に思い出してほしい。兵士たちは可能なことも不可能なことも成し遂げたのだから」

突然の侵略によって防衛せざるを得ない状態に放り込まれ、地勢的に盾にならなければならない人々の覚悟を想像すると胸が詰まる。
全方位的に攻撃を受けた国の中でも、トロッコ問題は発生していて、そのために多くの人命が犠牲にならなければならない理不尽さを、それが戦争だからでまとめてしまわなければならないとは、なんと理不尽な事だろうか。

主よ。どうか、試みにあわせず悪より救い出し給え。

そのメッセージにどう応えるか。

2022-04-11 18:27:19 | 日記
暴君は新たな総司令官を任命した。

総司令官につく人は、内戦が続いている国で大将を務めていた人である。
出口の見えない内戦が今もなお続いている国で大将を務めていた人を新たな戦闘地の総司令官に選び、世界に向けて発信したという事は、手段は択ばないというメッセージであり、その国で普通に暮らす人々にとっては、今よりも命が危ぶまれるのだというメッセージであるように思う。

具体的に想像するならば、息を吐くように人の命を奪う事の出来る人や、苦しむ姿を見て高揚する人が、前面に出てくるという事である。

国連やEU、アメリカはこのメッセージに対して、どう応じるであろうか。
うまく停戦に持ち込む力を期待したいが、毎日伝えられる映像が、「トロッコ問題」の解なのではないかと思えてしまうのである。

どうして誰も言い出さないのだろう。

2022-04-02 21:44:13 | 日記
コロナ感染者数が増加している。テレビや新聞はその変動を、数字を用いて表している。
もし、その手法が、わかりやすく不特定多数の人々に注意喚起を促すためだとするならば、「予防接種を受けたが、感染してしまった人」の人数も表すべきではないだろうか。

その方が、注意喚起の意味をより強くすると思うのですが、どうして誰も言い出さないのであろうか・・・・・・。