硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

その町の名はバベル

2015-11-15 21:21:23 | 日記
朝刊の一面にはフランスで起こったテロ事件が大きく報じられていて、記事を読んでゆくと主な国の代表者が声明を出していて連帯感を高めてゆこうという動きもわずかにみられました。その中でロシアの大統領は今回の事件に対して「今回の悲劇は、文明に挑戦するテロリズムの野蛮な本性を明確に示した」と、仏大統領に弔電を送り深い哀悼の意を表したそうですが、これを読んで僕は「それが中東やヨーロッパ、人類の歴史なのに、なぜ改めてそのような言葉を用いたのだろうか」と思ったのです。

その意図には、どんな意味が込められているのか分かりませんが、トインビーのいう文明が、広範囲で強固な文化的同一性をもつもので、その多くの文明は「挑戦と応戦」の過程で二つの文明が衰退と繁栄とに別れ、その事象は繰り返されるというのならば、大変残念な事であるけれど、文明の混乱とは避ける事の出来ない運命的な現象であるといえるのかもしれません。

介護の日

2015-11-12 19:42:06 | 日記
介護ヘルパーさんの悲鳴にも似た声が聞こえた。オヤジがまた漏らしたんだろうと布団をかぶる。いつもの事だ。自分に都合のいいことばかり言って現実から逃げて、間違いを認めず、大きく見せようとする。一つの会社に定年まで働き続けたから真面目だったかもしれないが、冗談も言えないさえない男だった。
おふくろとは遠縁の親戚の伝で見合いをしたらしいが、おふくろはオヤジの事が好きではなかった。ただ、おふくろの家庭は厳格だったから、断って親戚の顔をつぶすわけにはいかず、仕方なしに結婚した。それでも俺を生んで育ててくれたが、俺とオヤジには愛情はなく
休みの日などは普段見ないようなきれいな服を着て、飯代だけおいて、いそいそとどこかへ出かけて行き、俺が高校三年の時に突然家を出て行った。その時オヤジは、悲しそうな顔をして「仕方がないさ」と言っただけでなにもしようとはしなかった。

それからオヤジと二人暮らしにはなったが、俺は高校を卒業すると家に引きこもって、ほとんど顔を合わさずにいた。お互いに干渉しあわないのが暗黙のルールになっていった。俺はオヤジの収入で自堕落に生きてきたが、俺もオヤジも歳をとり、老人になったオヤジは定年後、次第に動けなくなって家にいる事が多くなった。
ボケたのか会話もかみ合わず、赤ん坊みたいに尿を漏らすようになった。オヤジのくせに自分の事も出来なくなってきたことに俺はイラついて、漏らすたびに老いぼれたオヤジを罵倒した。オヤジは申し訳なさそうに、
「すまんな」と言った。
でも、オヤジの面倒など見たくない。俺は福祉施設をネットで調べ、会いたくもない人と会い、オヤジを施設に通わせるよう頼んだ。外面のよかったオヤジは嫌がることなく通うようになって、施設ではいいおじいちゃんとしての立場でいられるから喜んでいたが、今年の夏に体調を崩し、病院に入院。退院した者の施設に通うことも難しくなった。それでも俺はオヤジの面倒なんて見るのはまっぴらごめんだった。俺はオヤジがやってきたように、自身に都合のいいことを言ってケアマネのおばさんに一日に2回、ヘルパーさんに来てもらえるよう頼んだ。それでも俺はそれが当然だと思った。

布団をかぶりテレビをつけるとヘルパーのおばさんが俺の名前を金切り声で何度も呼んだから無視するわけにもいかず部屋を出ると、ヘルパーのおばさんが真っ青な顔で
「お父さん死んでるのよ! 早く来て!! 」と言った。
オヤジの後片付けをするたび、早く死んでしまえと思ってたが、いざ現実になると体の力が抜けてゆく感じがした。
ヘルパーさんの後についてオヤジの部屋に行くと、便や尿の匂いと共に変なにおいがした。汚れたパジャマが床に脱がれていて、オヤジはベッドの上で小さく丸まって真っ白になってた。
「オヤジ・・・」
そう呼んで体に触れると、いやに冷たかった。体をゆするとマネキンのように固くなった体は重く動いた。廊下ではヘルパーのおばさんがすごく慌てていて、早口で携帯電話に向けてなにかを話していた。
俺は、突然一人になった。オヤジに対して意地を張っていたが、もう意地を張る必要もなくなった。だがオヤジが死んだという事は収入もなくなるということだ。俺はもうオヤジの子供ではなく、一人の高齢者になりつつある現実にどうすることもできず、横たわって死んでいるオヤジの前で呆然と立ち尽くしていた。
オヤジが長年愛用していたデジタル時計は時を刻み続けていて、カレンダーは11月11日を表示していた。

認知症とは・・・。

2015-11-01 19:45:52 | 日記
宮崎県で起こった大きな交通事故のドライバーが認知症を患った高齢者だったことを新聞記事で知りました。その時、何か述べておきたいという気持ちが起こりましたが、介護現場で働いている者として、感想を述べる事にためらいを感じたのです。
それは、思ったことをストレートに述べれば誰かを傷つけることになるかもしれないし、生きる希望を奪うことになると思うからなのですが、すこしでも認知症と言う症状が断片的でも感じていただければと思い、述べておこうと思い立ちました。

「認知症」僕はこの言葉が嫌いです。会議や報告等で「認知症」という言葉を使う時、かならず胸がチクリと痛むからです。でも、この言葉を用いなければ説明できない事もあるので、使用しています。まず、そこを踏まえてお話してみますね。

認知症と言ってもその症状は様々です。身なりもきちんとしていて会話できる人もいれば、身なりを整えられず言語もまったく使用出来ない人もいます。

後者は「先祖返り」を起こしていて、「赤ちゃん」によく似た行動をとるので見た目ではっきりと分かりますが、そこに至るまでには必ずその過程があります。
その過程では多くの家族が苦悩します。育ててくれた両親が「子供」になり「赤ちゃん」になるのですから、その生理的事象を飲み込むことが出来ません。

また、親はいつまでも親なので「親だから」という認識を手放すことが出来ません。しかし、これは仕方のない事だと思います。それが人情だと思うからです。
でも、それが運命でもあるので、辛い事ですが本人もその子供たちも四苦八苦しなければならなくなります。

その四苦八苦を少しでも軽減するために医療機関や社会福祉があるのですが・・・。今日はその話は置いておきます。

さて、認知症が進行する上でもっとも危険なのは「今までできていたことが徐々にできなくなってゆくという事」なのですが、これがとても微細なのですね。
例えば、文字が書けなかったり、数字が読めなくなっていっても、お喋りが出来たり、箸をもってご飯を食べることが出来たり、トイレに行けたりします。バスや電車にも乗れてしまいます。でも、突然言葉が出てこなくなったり、今自身がいる場所が分からなかったり、行き先を忘れてしまったり、切符を買えても目的地で降りれなくなる場合があります。また、トイレの水を流せなくなったりします。そして微細なのが、洗濯機を使えても洗剤を入れ無くなったり、掃除機をかけることはできてもスイッチを入れる動作が分からなくなるのです。

日常生活の行動として身体に記憶されていることは出来てしまうのですが、その小さな工程が分からなくなるのですね。

自動車も然りです。認知症であっても、初期段階では日常生活に自動車を運転するという動作を身体的に覚えていれば、自動車を走らせることは可能なのです。しかし、道路交通法に則り、自動車を運転する事が困難なのです。そして、自動車運転とは社会に出て活動するわけですから、「掃除機のスイッチを押すことを忘れる」ことよりもリスクが高いのです。

しかし、認知症の人は「自身が認知症であるという事を認めたくない傾向が強い」ようなので、「あなたは認知症ですから運転できませんよ」と言っても、プライドが邪魔して自身の生理的機能の減退を認めません。また、免許証が失効されても、自動車があれば「免許がない」事を忘れてしまっているのですから、運転してしまいます。

また、車が突然無くなれば、認知症の初期症状には物に固執する傾向があるので「盗まれた」と大騒ぎする可能性がとても高いのです。

どちらもいきなり取り上げられては、欲望を奪われるのですから、あらゆる手段を用いて充足しようとするのは人の心理です。

そこで、僕が思いつく方法として、まず車のバッテリーを使えない状態のものに交換するなど、「車が動かない状況を意図的につくっておき」連絡手段がつく車屋さんにも「免許が失効されている」事を知らせておきます。
そして、修理を依頼されても「もう修理できないよ」と告げてもらるように取り付けておきます。そこで新車購入を欲する事があるかもしれませんが、その時点ではおそらく書類が整えられないので、新車購入は無理であろうと思われます。また、独居である人ならば、失効された時点で免許センターから住所近辺の警察に連絡し、地域住民に協力を仰ぎ、車屋さんを通じて先に手を打っておき、「自動車を運転していたことを忘れる」まで、精神の安定を図ることが、責める事の出来ない交通事故を未然に防ぐ方法なのかなと考えます。

高齢者の増加に伴い、あのような事故は、これからもっと増えてゆくのかもしれません。こちらがどれだけ気を付けていても、向こうからぶつかってくるのですから、防ぎようがありません。自動運転車両の普及もこれからですので、機械にも頼れません。

「となりのトトロ 五月物語」を描いてゆく過程で少しだけ触れた、モータリゼーションというものは夢や希望に満ちたものであったようですが、数年後にはこのような暗くて大きな口が開いていたとは誰も思いつかなかったのでしょうか。

いや・・・・・・。盛者必衰の理とはこういう事なのかもしれませんね。