硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

fan・to・The・driveではなかったでしょうか。

2018-11-30 21:45:03 | 日記
カルロスさんのニュースを毎日聞いているけれど、解らない事が多い。会社のお金を会社には内緒で使ってしまったことが、問題になっているようだけれども、お金のもらい方について金融庁に相談したと発言。その相談相手の金融庁の返事があいまいなので、問題が一層複雑になっているように思う。しかし、真実がどうであれ、歴史的に見ても、お金持ちがお金持ちを擁護する形は、容易には崩せないと思う。

それはさておき、カルロスさんは、倒産寸前の日産自動車を立て直し、(日本人ではできなかったんだろうなと当時も思っていた)フェアレディや、GT-Rを復活させ、次世代自動車リーフも世に送り出した。
しかし、自動車好きの友人曰く、Zも新しいGT-Rはつまらないのだという。リーフも問題があるらしい。
難しいことは分からないのだけれど、車の作り方が当初のよりつまらないらしい。
そこへ来て、カルロスさんの問題である。車好きの意見と、カルロスさんの問題は、離れているようで意外とつながっている気がします。

そして今日、日産が「フォーミュラーE」に参戦すると発表があった。問題を相殺したいかのようなタイミングだけれど、新しいカテゴリーの自動車レースなので、勝ってほしいと思う。F-1は、開発というより「ビジネス」と「ロマン」で走っているところが大きく、友人曰く、ルールがつまらなくしているのだそう。

そんな時代に、新しいパワーユニットを搭載する自動車レースで勝ちぬいて、日産の車っていいなともう一度思わせてほしいと思う。


万国博覧会。

2018-11-26 18:22:31 | 日記
大阪万博が来る。1970年の万博をテレビで何度か見たけれど、印象深く残っているのは、これからやってくるであろう未来を見せていたことだった。

また、戦後という感覚が消え去らぬ、高度成長期に見せた未来は、人々が豊かになり、希望に満ち溢れていたように感じた。

今日のテレビニュースで、大阪府の知事さんが「50年先を見せたい」と意気込んでいたけれど、テレビは一人につき一台、pcかスマートフォンがあればテレビはいらないという世代に、どのような未来を見せられるのであろうか。

「攻殻機動隊」や「ブレードランナー2045」や「ウエストワールド」という作品が、既に来るかもしれないと思わせる未来を見せているけれど、その世界が来るとするならば、人という概念は、オリジナルとフェイク、頭脳とAI、に別れ、その存在はどのような形で共存するのであろうか。
レイ・カールワイツさんが言うように、ホモ・サピエンスは技術的特異点に達するのであろうか、それともノム・チョムスキーさん言うように「人間の話になるとシンギュラリティなどと称して、非理性的になってしまう」だけであろうか。

ただ、言えるのは、どんなに科学が進もうと『人は肉体を有する存在』であり、その肉体そのものが持つ維持機能が限界に達した時、その肉体から離れなければならない。
それを、「死」というのかもしれないが、もし、その死が意味をなさないものになってしまったら、それが人類が獲得した未来だとするならば、それが、人類の至福になるというのであろうか。

未来は誰にもわからない。ただ、地球上の誰しもがハッピーな未来というのは誰も描けないと思う。

ミスキャストではないですか?

2018-11-15 18:22:06 | 日記
連日報道されている、質問攻めの大臣。お二人の事について様々な人から、様々な意見を聞いていると、なんだか、叩かれる前提で、大臣に任命された感じさえします。

ただ、残念に思うのは、頭が良くて、国際感覚も身についている片山さつきさんが五輪相で、地方創生相には、自身で会社を立ち上げ、地元に貢献し、たたき上げた経験を活かした、まさに地方創生を地道に行ってきた桜田義孝さんがよかったのではないかと思う。

適材適所ではないミスキャスト。どう考えても、叩かれる前提で選ばれたように思ってしまうのです。

上京雑記。

2018-11-12 21:37:01 | 日記
人であふれかえる歩道を歩いてゆく。昨日の夜は恐怖を感じたが、今日は上手く人を交わしながら、ぶつかることなく歩けている。お昼も過ぎて、そろそろご飯を食べようかと考えるが、飲食店が衝撃的に多いのに、それなのにほぼ満席である。しかも列をなしているお店もある。書店が密集していて、しかも専門書ばかりを取り扱ってるのに、経営が成り立っていることと同じくらい不思議である。この消費力が、この街を支えているんだなぁと感慨深く思いながら、御茶ノ水駅を目指いしていると、ギターメーカー「ギブソン」の専門店が見え、衝撃を受けた。「ギブソンの専門店!! 」と思わず漏らしてしまった。僕も少しばかりギターをかじっていたので、(今は物置でエピフォンが泣いているのです)その凄さは理解できる。僕の街でイオンが出来た時、島村楽器が入っただけでも、嬉しかったのに、東京では専門店で成り立つ。しかもビルで!
外からちらちら眺めてみる。が、さすがに敷居が高い。店員さんに呼び止められて、「よかったら手に取って引いてみてください」と言われ時の事を想うと怖い。

確かに、地下鉄に乗っているときも、ギターケースを背負う学生さんの姿をちらほら見たけれど、ギブソンの専門店が成り立つなんてと驚く。でも、よく考えてみたら、Bzの松本さんもギブソンであったし、ミュージシャンという職業で飯を食う人を筆頭に、そこを目指す人たちがいっぱいいるのだから、当たり前なのかもしれない。

そんなことをいろいろ考えながら坂を上ってゆくと、ビル群の多くが大学である事に気が付いた。なるほど、だから、ありとあらゆる文化が密集していても成り立っているのかと納得。
右手の道に人が列をなしているのが見え、何の列かなとよく見ると、ESPのギターワークショップという看板を発見。ESPのショップってすごすぎる。(グラスルーツのエレキベース持ってました)驚きを隠せないまま歩いてゆくと、もう、楽器屋さんの連続であることに気づいた。

その前に、「名代 富士そば」の文字を見つけ、ほっとし、外の自販機でチケットを購入。お店の中は、ビジネスマンや男女の学生さんがいて繁盛している。厨房に入っているおばちゃんとおじちゃんがよいコンビで手際メよくニューをさばいてゆく。チケットを渡すと、一番近くの席に座り、美味しい水を飲みながら、出来上がるのを待つ。演歌が静かに流れている。若者が多いのに、不思議と違和感がない。チケットに刻印してある番号が呼ばれお蕎麦を取り、黙々と食す。ここでもやはり、旨いのである。かつ丼も、この値段でこの味は感動的である。

空腹を満たし、店を出ると、しばらく楽器店のショーウィンドウを除きながら歩いてゆくと、地下にベースばかりが置いてあるのが見えたので、これは見ておかなければと、お店に入り、階段を下りてゆくと、そこにはいまだかつて見たこともないベースの数々が並んでいた。
思わずため息。一時期、ユーズドで探していたベースも普通に並んでいて、あるところにはあるんだなと、感心。我を忘れてじっくり見ていると、若い店員さんが「よかったら、手に取って引いてみてください」と声を掛けられ、我に返る。身体に緊張が走る。ぎごちない笑顔を作り「ありがとうございます」と言って、ふわりと店を出る。

先ほど通ったお店では、試し引きをしてる人の姿が見え、それがまた、普通に上手いので、このエリアではかなり上手くないと試し引きなんてできないのではと思ってしまった。

坂を上りきると御茶ノ水駅が見えてきて、さてどうしたものかと考えていると、妻からメールが入り、今どこにいるのかと問うてきた。時間は2時を回っている。今から新幹線に乗れば、6時半には家に戻れる。しかし、なぁ、と思いながらも、御茶ノ水駅にいる事を写真を添付して送信した。
東京駅まで切符を買いホームに降りると、ここもまた工事中であった。狭いスペースでの工事という事で、川の中に足場を組みその上に重機をのせるという、なかなか見られない工事の風景に感心してしまっていると、隣に並んだキャップを深くかぶったモデルさんのような女の子が、両手を駆使して、すごい速さで、LINEを送っていた。後ろを通り過ぎてゆくファミリーの子供たちは笑顔で若いお母さんに甘えていて、お父さんも嬉しそうに微笑んでいた。川向こうには生活している人々の居住地がある。見上げればどこまでも続いているのではないかと思うようなビル群が立ち並んでいる。その先にはどこにいても変わらぬ青い空が見えている。アナウンスと共にびっくりするほど長い列車がホームに入ってきた。扉が開き、程よく空いている車内の座席に座り、流れてゆく風景をぼんやりとみながら、東京という街の魅力について考えた。

僕の住む町のある青年は、東京の大学に行き、「東京は怖い」といって、卒業後すぐに帰ってきた。その話を聞いて、住んでみなければわからない事もあるんだなと、思ったが、やはり、住めば都であり、ハイリスクであるが、趣味に生きることが出来る街でもある。そこにはありとあらゆるものの消費という運動がなければならないが、毎日が祭りのようでもあり、つねに死と隣り合わせになりながら生きねばならないともいえる。億ションに住み、高級外車に乗り颯爽と街を行く人もいれば、着の身着のままでゴミの中から何かを拾い上げ、川沿いや公園で段ボールに包まり日々を暮らす人々も存在している。様々な境遇を抱えている人々を連れて、街はどこまで膨張する気であろうか。そう考えていると、ふと、大友克洋さんの「AKIRA」を思い出した。
たしか2020年に東京オリンピックが来る設定であったなと・・・。

気が付けば終点、東京駅である。やはり、家に帰ろう。職場と、妻と母にお土産を買って行こう。「田舎の学問より京の昼寝」は終了である。東京駅で、頼まれていた崎陽軒のシュウマイを買い、帰路につく。新幹線は2時間弱で名古屋へ。近鉄に乗り換え、地下を出ると、すっかり日は落ちて暗くなっていて、沿線沿いに低く広がる街灯が、淋しい。関西とも関東ともいえない独特の方言の会話が聞こえる。僕の中で、少しづつ身体と心が、田舎モードに変わっていくのを感じた。


上京雑記。

2018-11-11 20:26:11 | 日記
九段下の駅を降りて、神保町の文字を探しながら階段を上ってゆく。地上に出ると、そこもまたビル群の真ん中であった。ナビで現在地を確認して、神保町方面にむかう。徒歩の場合は、いろいろ見てゆきたいから、地図のように使い、行く方向だけ間違えなければよい。
しばらく歩いてゆくと、「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴の硯の井戸の碑を見つける。こんなビル群の中にと、想ったが、馬琴さんは江戸中期の戯曲作家であるから、時代劇に出てくるような街並みがここにもあったのだと思うが、たった200年位でここまで街並みが変わってしまう科学の進歩には畏怖を感じられずにはいられない。川の上の首都高速が走る川を渡り、複雑な交差点を渡り、「もやもやサマーズで観たような風景の中を」しばらく行くと広い通りに出た、道路標識とナビを見て方向を決め歩いてゆく。いろんなお店があって、いろんなものを見せてくれるのだから、大変面白い。早速、レコードショップを見つけ入ってみる。懐かしいジャケットが並んでいる。お客さんはおじさんばかりである。
jpopsコーナーの中に、棄ててしまったレコードがないか探す。音源がCDに代わった時、坂本龍一さんがレコードを棄ててしまったというエピソードに真似て、棄ててしまったのだが、レコードが見直されている昨今、少し後悔している。
そのレコードはCDになっていない為、聞くことが出来ないので、出会ったら買おうかと探してみるも、ない。ないのである。自分のマニアックにあきれつつも、縁がなかったのだと諦め、再び通りを歩いてゆく。
街には古本祭りの登りが出ていてにぎやかであるが、まだ、本通りではない。それなのにたくさんの人がぞろぞろと歩いている。土曜日なのにお祭りのようである。
大きな交差点に出ると、いよいよ古本祭りの中心地、岩波ホールが見えた。ワクワクしながら露店に並ぶ古書を人ごみに押されながら観てゆく。見つけたら買おうと思っている本は、島崎藤村の「夜明け前」である。ネットならすぐに買えるのだけれど、敢えて古本をさがしてるのですが、僕の街では見つけることが出来ずにいた。しかし、ここならばと期待は高まる。岩波書店の本ばかりが陳列されているカフェにはいってみると、驚くほどのラインナップである。無論、夜明け前の上、中、下巻すべてそろっている。他にも気になる本がたくさんあるが、カフェが併設されているので、後ろで食事をしている人がいると思うとじっくりとはいかない。さーっと素早くチェックし店内を一周。すごくおしゃれすぎて落ち着かずそそくさとお店を出た。

それはさておき、神保町の古書店に驚くのは、県立図書館に大切に貯蔵してあるような本が普通に並んでいる事であった。これを個人が買うというのだから文化の高さも群を抜いている。
大きな本屋で、本を吟味する旅の思うのは、長い時間を掛けてい、あらゆる国籍の人達が、言葉を通して、あらゆる手段を講じて表現しているのに、世の中から貧困や争い事が無くならないのはなぜだろうかと考えていたのであるが、ここにきてはたと気づいた。
長い時間を掛けて、あらゆる国籍の人達が、言葉を通して、あらゆる手段を講じて表現しつづけてきたから、辛うじて今の世が成り立っているのだと。

そんなことを考えながら、少し歩いては立ち止まり、吟味し、また歩いては立ち止まり、吟味するという動作を繰り返し探し物する。時頼、面白そうな本に出逢い、手に取って購入を考えるも、ぶれてはいけないとゆっくり本に戻す。誰かが手に取り、購入し、読むかもしれない本であるから、丁寧に扱うのがルールであると思うのだが、本の好きな人が集まっているはずなのに時頼雑に扱う人がいる事にも驚きを隠せなかった。

アダルトDVD屋さんまできて、また、折り返し、見落としがないか店舗側の陳列棚もじっくりとみて、店舗にも入ってみた。しかし、なかなか出会えない。
これは無理かなぁと思っていると、長嶋書店さんの前で、陳列されているある本が目に飛び込んできた、その本には図書館で扱われていた印であるシールが貼ってあった。すごく気になる。何気に本屋さんを回っているとき、時々この衝動が襲ってくる、本が「読んでみて」と、語り掛けてくるという感じかもしれない。手に取り表紙を開き序文を読む。おもわず、「お~っ」と唸ってしまう。
最初は解らなかったけれど、背表紙を開いたところに値段が書いてあるのを知ったので、背表紙を開くと図書カードを入れる小袋がついていて、文教大学越谷図書館のシール、そして、300円の文字。ふむ、これは買わなければと、本を手に持ったままそのまま店舗の中のレジへ向かうと、学生位のお嬢さんがいらっしゃった。本を手渡すと、少し緊張した面持ちで、値段を確認し、レジを打ち、本を丁寧に紙袋に入れてくれたので、お礼を言って、本を受け取った。

紙袋。地方の本屋ではビニール袋しか見なくなりましたが、本屋さんの名前の入った紙袋ってほんとにいいですよね。

書店を出ると隣が日本工業大学らしく、無料でコーヒーが振舞われていたので、お言葉に甘えて、コーヒーを戴く。奥の席に座ると、紙で作る立体的なウサギのキットが無造作におかれていた。壁には大学の紹介がされているモニターと書籍が並べ有れていた。手作り感のある座席から、と切れることなく流れてゆく人をぼんやり見ながら、コクのあるブラックコーヒーを飲み一息。心と体が東京という土地になじんでしまっているのを実感。
このまま、家出。なんてできるわけないか。と苦笑い。しかし、この後どうしたものかと思案。行きたいところはまだまだある。とりあえず、東京駅に行くにはどうすればよいかと考え、天気も良いので、歩いてゆこうかと、ナビを開くと、付近に御茶ノ水駅がある事を発見。

「天気も良いし、時間もある」決まりだな。

ペーパークラフトも気になったが、コーヒーのお礼を言い、大学のフリースペースを出ると、人ごみの中を御茶ノ水駅に向けて歩いてゆく事にした。

上京雑記。

2018-11-09 16:32:07 | 日記
緩やかな斜面の上に水平に保たれ、南向きの大きなガラス窓が印象的、近代的で、その中には白いベランダという二重構造になった、凝った建物である。椿の花が咲く公園前に先生の半身像があり、その下に則天去私の言葉。にやにやしながら写メに収め、記念館に向かう。
真新しい記念館に入ると、警備員さんが丁寧にあいさつをしてくれたので、軽く会釈をして奥へ進むと、モニターがあり、先生の生い立ちや交流などが映像に纏められていて、その前に設置してあるソファに座り、休憩がてらじっくりと拝見。とても上手く構成されていて、蓄積された情報の記憶と映像がリンクしてゆくのでたいへん楽しめた。
そして、すべて見終わったのちに、入場料を払い、いよいよ漱石山房へ。

熊本の内坪井旧居も観に行き、明治村に移設された千駄木町の家も観て、そしてついに早稲田の家に来た。聖地巡礼のクライマックスである。

多量の書籍が山積みになっている漱石山房再現展示室は、夏目先生を始め、寺田先生や東洋城さん、小宮さん等、多くの学者さんや文学者さん達の当時の息遣いを感じられるようである。しかし、日清、日露戦争で勝利した独立国家日本を冷静な目で見定めて、「滅びるね」と作中で言わした先生の胸中を察すると少し心にさざ波が立った。
テラスを回り2階に上がると、様々な所蔵資料を観ることが出来た。愛用の万年筆で書かれた直筆の原稿の文字は出力に追い付かないことを物語っていた。また、漱石山脈と呼ばれる、先生と友人、門下生の皆さんの写真があり、文字でしか知ることのない人達の写真を見ることが出来て感動。満州鉄道の総裁、中村是公さんはもっと大柄な人かと想像していたので、こんな人だったのかぁと感心。そして大塚楠緒子さん。

とてもきれいな人である。

楠緒子さんが亡くなられた時に先生が詠んだ句「あるほどの 菊投げいれよ 棺の中」は、とても印象的で情緒的でもあり、楠緒子さんの姿を見て、このような句が詠まれたのも、必然であったのではないかと思った。

展示資料室を堪能し、一階におりるとグッツを吟味する。魅力的なグッツが沢山あるが、無駄遣いはいけないと、吟味に吟味を重ね、一番実用的なノートを購入。その流れで、となりのcafé soseki でレモネードを所望し、カウンターで一息入れた。

エネルギーをチャージし、再び公園へ行き、ぼろぼろになった猫の墓を観察する。どうやら空襲で壊れ、そのがれきから再構築したものであるから、傷んでいるのだと初めて知った。
前の道にはバットやグローブを持った野球少年が元気よく坂を下り、公園裏に隣接する家々には、日当たりの良いテラスで干された洗濯物が揺れていた。こんな閑静な住宅地にある山房も、戦争の惨禍に巻き込まれていたことには想像が及ばなかったが、平和を無条件に享受できている現代のささやかな幸福を少し喜んだ。

散策を終えると、次の目的地へと移動する為、スマホに情報を入力すると、徒歩15分圏内に地下鉄の駅があり、そこに向かえという。記念館を過ぎ、坂を上りきると再び下り坂。早稲田小学校の前を通り過ぎると、再び上り坂。何とも起伏の多い土地である。まよわず、どんどん細い道を進むと、ナビ通り早稲田通りに出て、道の向かいに地下鉄への入り口が見えた。東京メトロ東西線である。信号待ちをしてる間に、八百屋さんの前に陳列してある野菜を観る。僕の住む町では、大型スーパーの進出を機に、個人の八百屋さんは店を閉めてしまった。元八百屋さんのおじさんに話を聞いた事があるが、大型スーパーが出来たとたん、商売が成り立たなくなったと言っていたが、逆に都心では、個人の八百屋さんが、まだ地域を食を支えることが出来ているの事が不思議であったが、よく考えてみれば、住宅街の近くに広く後代に空いた土地がない都心であったが故に、この形が残っているのであろうと思った。

横断歩道を渡り、地下に潜り、九段下駅を目指し地下鉄に乗ると、おやっと思った。車内の広告や駅の広告に漫画、アニメ系が多く、なぜなのだろうとよくよく考えたら、たくさんの学生さんが利用するからだと気づいた。

消費対象に合わせて表示する広告を変えるというのも、業績を上げるという観点から考えると当たり前と言えば当たり前であるが、地方の単線で、このような傾向はあまり見られない光景であるから、僕にとってはたいへん面白い事象なのである。

地下鉄は快適に走る。神楽坂の案内が流れると、思わず口ずさんだのは「あなたのリードで、島田も揺れる」で始まる、神楽坂ハン子さんの「芸者ワルツ」である。芸者さんが、お客さんを好きになってしまうが、芸者である為に、一緒になれないという、時代を感じさせる切ないラブソングである。しかし、そんな古い歌を「神楽坂」というキーワードで反射的に歌ってしまうのだから、職業病といえなくもない。
そして九段下の案内が流れると頭に浮かんだのは爆スラの「大きな玉ねぎの下で」である。
カラオケで良く歌ったので、瞬時にメロディが流れてきて、鼻歌を歌っていたら、ドアが開いた瞬間、そのメロディが構内に流れていた。やはり、名曲なんだなぁと感慨深く思った。
改札を抜け、いくつかの階段を上がり、地上へ向かい、次に目指すのは、神田。

神保町で行われている「古本祭り」である。




上京雑記。

2018-11-08 23:15:07 | 日記
油の焼ける匂い、重機の音、作業員の人達が仕事をしてる姿が見えた。どうやら地下に道路が出来るらしい。住宅が密集している場所でのダイナミックな工事に驚く。もうすぐ東京オリンピックということもあり、渋滞を少しでも緩和するための公共工事なのであろうけれど、この資本力はどうだろうと思いながら、踏切を渡り、フェンス沿いの道を雑司ヶ谷駅方面に歩いてゆく。やわらかく暖かい日差しの中、のんびりと散歩。すると、しだいに雑司ヶ谷霊園の森が見えてきた。見覚えのある風景とぼんやりとした記憶を頼りに霊園内を歩いてゆくと、今日の目的の一つである夏目先生の墓石が見えてきた。

墓石には、まだ色彩豊かな生花が添えられていた。僕もお水やお花や線香をあげようかとも思ったが、ご家族のご迷惑になるのではないかと考え、墓石の前に立ち静かに手を合わせるだけにとどめた。
頭の中に思い浮かぶのは、久米正雄さんと芥川龍之介さん宛に送られたはがきの一文。
「うんうんと死ぬ迄押すのです。それ丈です。決して相手をこしらえてそれを押しちゃいけません」
僕は牛にもなれんだろうなぁと苦笑い。
目を開けふと考える。沢山の学者さんや文豪がこの墓石の前に立ち、手を合わせたのかと思うと恐縮してしまうが、若いころ本を読まなかった僕が、文豪と呼ばれる人の墓石に2度も訪れるのだから、これも何かの縁であろう。だから先生も気にせずにいてくれるのではないかと思った。墓前を下り来た道を戻ってゆくと、何やら注意書きのような看板が立ててあって、ざっと読んでみると、霊園内で置き引きやら痴漢行為やらが発生しているようで、大変驚いた。いくら都会と言っても霊園である。この感覚は、田舎住まいの僕には到底理解できぬと思った。

霊園を出て再びスマホを取り出し次の目的地を入力すると、次はどうやらバスに乗れという。徒歩15分ほどでバス停に着き、また、その時間にちょうどバスが来るとまで書いてある。電車は解るが、バスを選択するとはと、少し不安になりつつも、ナビに従って歩いてゆくと、住宅密集地の細い路地に向かった。ほんとにこれで大丈夫なのかと不安になったが、ナビはきちんと方向を示している。

誰かの日常が、誰かの生活が、身近に感じられる、起伏の多い狭い道を歩いてゆくと,ようやく通りに出て、目白通りを少し歩くとナビの通り、高田一というバス乗り場を見つけた。すると、驚いたことにバスがやってきたではないか。焦りに焦り、行き先の確認をするがドアが閉まった頃に、行き先を確認出来、しかたない見送ろうと思っていたら、運転手さんが此方を見て待ってくれているではないか。僕はすかさず手を挙げ、すいませんと言ってそそくさとバスに乗ると親切な運転手さんはバスを静かに発進させた。慌てに慌てているので財布もうまく出せないでいるが、見守っててくれているようなので、次のバス停でようやく料金を料金箱に入れることが出来た。今日のニュースでバスの運転手さんが、眠っている乗客の財布をかすめたことが報じられていたが、とても親切にしてくれる運転手さんと出会っただけにとても残念である。

通信端末機の誘導によって、知らない土地の、知らない路線のバスに乗り、下車する目的地の文字だけを頼りに、移動してゆくのだから、どうにも不安で仕方がないが、比較的すいている道路の中のバスは順調に走ってゆく。
「ホテル椿山荘東京」というどこかで聞いた事のあるバス停で、多くの人が下車して云ったので、空いている後部座席に座り、少し落ち着きを取り戻し、車窓からぼんやりと流れる風景を眺めていると、下車するバス停の名が呼ばれ、すぐさまボタンを押した。
「牛込保健センター」
地図脆く観ることなく初めて降りる土地。変な気分である。スマホを確認すると、横断歩道を渡りその先の道をしばらく行くと目的地であることを示していた。信号が青に変わり道を渡ると、また坂である。
これだけ起伏が多ければ、敵も攻めにくいであろうと考えた、徳川家康と家臣たちは、ここまで江戸という街が大きくなることを予測できたであろうかと考えながら緩やかな坂を上ってゆくと、次の目的地が右側に見えてきた、時間も10時になっており、なんともいいタイミングである。

「新宿区立夏目漱石山房記念館」

まさに、聖地巡礼の旅である。

上京雑記。

2018-11-07 21:20:58 | 日記
気が付くと、窓からわずかに入る光で、朝が来ていることが分かった。手を伸ばしベッドサイドの壁に据え付けてあるスイッチに手を伸ばし灯りをつけると、朝の6時を回っていた。テレビをつけるとズームインサタデーが始まっていて、東京は今日も快晴である事を知る。そういえば、東京である。汐留まで上野御徒町駅から地下鉄で40分弱でいけるはずである。観に行ってみようかと、一瞬思うも、眠気に負け再び目を閉じてしまう。次に目を覚ますと7時すぎであった。お腹もすいていたので、顔を洗い、服を着替えてホテルを出て、朝食をとることにした。
空を見上げると雲一つない快晴。少し肌寒いが気持ちのいい朝を迎えられた。通りは、昨夜のような賑わいはないが、荷物を搬入する業者さんや、職場へ向かうスーツ姿のビジネスマンが動き始めていた。朝食は無論「名代 富士そば」である。店に入るとビジネスマンが数人そばをすすっていた。朝限定のメニューを迷わず選択し、厨房にいる青年にチケットを渡し、美味しい水を飲みながら、蕎麦が出来るのをじっと待つ。ジャズもいいが静かに流れる演歌も心地よいものだ。今日も旨くて暖かい蕎麦と明太子入りのご飯を黙々と食し、幸福感に浸る。

店を出ると、早速昨晩に見つけた大徳寺へ向かうと、金属製の門は開かれ、階段の上から、御線香の香りとお経が聞こえてきた。階段を上りきると、早朝でもあるのに、ちらほらとお参りしている人の姿が見えた。
お堂に入り「南無阿弥陀仏」唱える。お坊さんが朝の務めをなさっているので、静かにお堂を出ると、左手にお稲荷さんなどの祠が見えたので、順番に拝んでゆくことにした。そして、最後に、凛とした立ち姿の銅像を見上げ、手を合わそうとすると、日蓮大聖人である事に気づく。これは失礼したと「南無妙法蓮華経」と唱えると、ビルの合間から日蓮大聖人を通して朝日が差し込んできた。これはまさに竜の口と、合掌。いい事があるのではないかとおみくじを引いてみるも小吉。余りいい事が掛かれていなかったので、早々に、おみくじを結ぶ場所に結んだ。

階段を降りると、ちらほらと開店の準備を進めている姿が見える商店街を抜け、ホテルに戻り、今日の予定を大まかに決める。スマートフォンに行きたい場所を入力すると、たちまちそのルートを示してくれる。何とも便利な世の中である。一昔前なら、ガイドブックか地図を見て、念入りにルートを下調べしていたが、今は今から出発すれば、どの時間の地下鉄に乗り、どの時間に乗り換えて、歩いて何分かかるまででてしまう始末であったが、時代に逆らって、意地を張り恩恵を受けないというのも、偏屈である。
ここは素直に喜んで、スマホを確認すると、乗り換えがいくつかあるが、確認しながら行けば大丈夫であろうと、荷物を纏め、チェックアウト。

上野御徒町駅から大江戸線で、飯田橋まで行き、東京メトロ有楽町線に乗り換え、東池袋で下車するというルートを確認しながらトレースしてゆくことにした。上野広小路交差点から地下鉄に潜ってゆき、案内板を見ながら改札へ向かう。日常にこのような行動がないので、たいへん戸惑うのであるが、大江戸線と東京メトロ銀座線を間違えぬように気をつけてようやく切符売り場にたどり着く。ホームに向かい、飯田橋方面に向かうかを再確認し、地下鉄が来るのを待っていると、すぐに来た。

交通の便の良さは本当に驚く。東京では自動車はいらないという話を聞いたが、確かにその通りだなと感心した。
地下鉄は空いていてすぐに座れ、快適な移動となった。様々な人がいろいろな目的をもって移動してゆく姿がなんとも不思議に写った。飯田橋からさらに地下に潜ってゆき、東京メトロに乗り換え、座席に座ると、となりの小学生の少年が、巧みにスマホを使い、LINEで連絡を取っていて、入力の速さに驚いていると、地下鉄が駅に入ろうとするとき、その少年は全ての送信を終え、そのスピードを維持しながらスマホの電源を落とし、扉が開くとさっと立ち上がり、下車していった。だらだらゲームをしていたのなら、何も驚かないのであるが、情報を処理するという作業を、大人以上にきちんとさばいてゆくのであるから、驚きを隠せないのである。きっと、こういう人たちが、未来を切り開いてゆくのではと思った。

東池袋駅で下車し、案内板を確認しつつ何回もエスカレータを乗り継いで上がってゆくと、綺麗な青空がみえたが、外に出ると、驚いたことに都電荒川線の工事が行われいる最中であった。

上京雑記。

2018-11-06 20:10:37 | 日記
テレビの音が耳に入る。ふと目を開けるとデジタル時計の数字は8時を過ぎていた。お米を食べなかったせいもあってか、お腹がすいていて、どうしたものかと考えた。

コンビニで何か買ってくるというてもあったが、ホテルから一歩外に出れば、多国籍な食事ができる環境にあるから、少し贅沢でもするかと、ホテルを出たものの、食に関して拘りがない上に、飲食店の連続であるので、ふらふら歩きながら決めかねていていた。

何食べるかなと考えていると、東京に来た時の実行したかった目的でもあった、「富士そば」を食べる事を想い出した。サマーズの三村さんや、有吉さんやマツコさんがまだ売れない頃によく食べていたとテレビの番組で言われていたのが、とても印象深く心に残っていた。其の後も、「激レアさんを連れてきた」で、富士そばの創業者さんのお話を興味深く聞いていた為に、富士そばを食べたいなと強く思ったので、東京に来て食べないわけにはいかぬと、高架下の道を歩いてゆくと、ユニクロのとなりに、その看板を見つけた。横断歩道を渡り、お店に入ると、お客は僕だけであった。少し緊張したが、平静を装い、自販機で「特選富士そば」のチケットを買い、調理場にいるおじさんに渡すと、手際よくさばいてくれ、美味しい水を戴きながら蕎麦の出来上がりを待った。

小さな店舗には演歌が流れていて、雰囲気に合っていてとても良い。
蕎麦が出来上がると、おじさんが呼んでくれ、待ってましたと、蕎麦の乗ったトレイをとり、席に戻り、箸をつけた。僕が住んでいる三重県はどちらかというと、関西圏なのであるが、我が家では、しょうゆを大量に使用する味付けてあったので、おもわず「上手い!」と言ってしまった。お蕎麦は好きで、いろいろなお蕎麦を食べて来たけれど、この料金でこの味とは!と驚きを隠せなかった。

御汁までいただき空腹を満たす。心と体が温まり、久しぶりの幸福感を味わった。
お店を出ると、きらびやかなネオンが克明に街の輪郭を浮き上がらせていて、その中に摩利支天大徳寺参道入り口という看板を見つけた。こんな繁華街の真ん中にもお寺があるのかと、興味を惹かれ、ジーンズメイトの前の細い路地を入ってゆくと、人も少なくなり、時間も9時近くになっていたので、シャッターを下ろすお店が多くなっていて、この商売はこのくらいの時間が引き際なのかなと思いつつ、突き当りを案内板に従って右に曲がると、左側に大徳寺が見えた。しかし、さすがに夜である。金属製の格子によって、閉じられていたが、金属製の門というところが、実に都会的であって、市民の善意だけでは維持出来ぬのだなと痛感した。
せっかく見つけたのだから、お参りするのは明日の楽しみにして、シャッターが下りて幾分人も少なくなった商店街をホテル向けて歩いてゆくと、飲食街の並ぶ通りでは、お酒を楽しんでいる人であふれていた。その時、ふと身体と脳が人ごみに順応していることに気づくと、夜の街も楽しんでみようかという気にもなったが、明日も行きたいところが沢山ある。時間も気にしながら移動しなければならないと思うと、これ以上の長居は無用と、まっすぐホテルに帰り、「紅の豚」をうとうとと観ながら、再び眠りについた。

上京雑記。

2018-11-05 21:13:27 | 日記
改札口を横目に坂を下りてゆくと、ホームに沢山の列車が行き来しているのが見え、不意に「どこかに故郷の香りをのせて~」と口ずさみ、「配達帰りの自転車で、止めて聞いてる国訛り」という歌詞にじんと来る。井沢八郎さんの「ああ上野駅」という歌であるが、この歌をこよなく愛したディサービスに通うおばあちゃんに教えてもらわなければ、上野駅を行き来する列車に、このような思いをしなかったであろう。
そして、もう一人のおばーちゃんの東京でのエピソードも不意に思い出した。
旦那さんが公務員だった為、全国を点々とし、東京へ移り住んだ時、東北弁は受け入れてもらえているのに、関西弁はどうしても受け入れられなくて苦労をしたのだそうである。
しかし、夢を追いかける為に上京したり、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」の「僕」のように故郷離れてしまった人や、さんまさんやダウンタウンさんのおかげで、意図的に関西弁を使う関東圏の若者たちの事を想うと、世はすっかり変わってしまったのだなと感じた。

坂を程よく下ってゆくと、下の通りに飲食店が並んでいるのが見えた。昼食を取る事も忘れていたのでお腹がペコペコであった。宿に行く前に何か食べていこうと思い、その中から、隣国で真似されたこともある、有名なラーメン屋が目に入り、お客さんも並んでいないようなので、この機会を逃がすまいと、横断歩道を渡り、お店に入った。どんな旨いラーメンが食べられるのかと、期待を膨らませチケットを購入し、案内されたテーブルに座ると、テレビで観た光景に、これこれと、少しにんまりしがら、注文票の標準値に丸をしてゆく。店員さんはきびきび動き、気持ちがよい。
しばらく待っていると、期待のラーメンが配膳され、お腹減っていたので、一気に食す。豚骨スープも麺も、美味しいのだけれど、何か足りない。
よくよく考えると、東海圏で過ごしてきた僕のソウルラーメンは「すがきや」なのである。
あの味は、いつ食べてもうまいと思うので、全国的に有名になったラーメン店であったとしても、ソウルフードには及ばないのである。

坂を下りきり、信号待ちをしていると、またたくさんの人に囲まれ、少し怖くなる。こんな時、合気道の達人が人ごみでとるという振る舞い方を思い出し、背を壁にできるポジションを見つけ、信号が変わるのを待つ。人が沢山いるのに、イチャイチャするカップルに圧倒されつつ、信号が変わると、自身にスイッチを入れて、スマホのナビを片手に歩き出す。
日常では、歩いているとき、こんなに人が多いという事はまずない。僕の住む町では人に出会う事の方が少ないので、気合を入れて歩いてゆく。

アメ横商店街通りに入ってゆく頃には、日は沈み、建物に囲まれた狭い空は紺色に移り変り、ネオンの灯りが商品を華やかなに際立たせていた。人ごみに埋もれて歩いていると、多国籍な人々に囲まれ、様々な言語が飛び交い、お酒の入った人たちに、少し恐怖を感じた。
その状況下であるから十分に気を付けて歩いているのであるが、それでも、すれ違う際に身体が当たってゆくので、前方から歩いてくる人の、歩き方を観察し、それに合わせて、身体の行方を決めてゆきながら進むスタイルに変更。
ナビを確認しながら、よろよろになりつつも、今夜のお宿のネオンの先に見つける。安堵し、疲れ切った身体を押し込むようにホテルに入ると、フロントの女性がさわやかな笑顔で対応してくれてようやく緊張がほぐれた。ウエルカムドリンクをもらい、部屋のカギ受取ると、まっすぐ部屋に向かい、部屋に入ると、ドッと疲れが出た。早々に上着を脱いで、テレビをつけると、綺麗にベッドメイクされたベッドに倒れこんでしばらく眠ってしまった。

上京雑記。

2018-11-04 19:45:44 | 日記
平坦な道ばかり歩いていると起伏のある道が恋しくなる。四季で変わる美しい自然の風景も日常であると、目まぐるしく変貌する都市の姿に憧れを懐いてしまう。

ムンクの「叫び」が来日した。これを見逃せばオスロまで行かねばならない。しかし、残りの人生でノルウェーの渡航は考えられない。しかも、近くにはルーベンスまで来ているという。東京の資本力の凄さに驚きつつも、この機会を逃す理由はない。一月前から、11月2日3日と有休を取得し、観光も兼ねて意を決して一路東京へ。

天気は快晴、少し寒さを感じるが爽やかである。早朝出発したので、直接美術館には行かず、上野駅北口から出て、三ノ輪方面に歩いてゆく。
世間では当たり前のようではあるが、僕にとってスマートフォンを持って東京を行くのは初めてであり、ナビゲーションシステムアプリがこんなにも便利なものなのかと痛感した。

普段、山や田畑の風景の中で生活しているせいか、建物ばかりの風景に圧倒されつつも、ナビは確実に僕を追ってくれている。電車の中で、ほとんどの人がスマホを使用し、電波で何かと繋がっているにもかかわらず、混線もせず、衛星は僕を見失わない。当たり前と言えば当たり前であるけれど、追われているという違和感は残る。

歩きつつ建物を観察してゆくと、仏閣の多さに驚くが、よく考えてみれば、江戸という街は、幾度も大火に見舞われ沢山の人が亡くなっていて、今も、変わらず沢山の人が死に向かっているのであるから、鎮魂と弔いの為には、欠かせないのであろうと思いつつ、右側のビルの合間から時頼みえる、スカイツリーに、思わず「大したもんだ」と呟く。

しばらく歩いて、程よく時間が経過した所で折り返し、上野公園を目指していると、鷲神社に出くわす。酉の市の準備が進んでいる最中のようで、気になり境内へ。世話役であろう人達がにこやかに会話しながら清掃を行っていた。石段を登り、なでおかめを避け、賽銭箱に賽銭をあげ、願いを込め祈り、なでおかめを撫でた。

境内を出て、左に曲がり、ナビを時々確認しながら、大通りを歩き、細い路地を入ってゆくと、右側に線路と上野山が見えた。上野山と言えば、幕末の戦争ではたくさんの兵士が命を落とした場所でもある。あの犠牲がなければ、現代社会はあり得ないのだと思いつつも、彰義隊の武士たちは、この未来の光景にどう思っているだろうかと考えながら、階段を上り、高架橋を渡ると、日本学士院と寛永寺が見えた。
路側帯には、タクシーと観光バスが連なっていた。団体旅行の人達に飲み込まれないように足早に歩き、左に折れると、国立博物館が見え、修学旅行の学生さんたちが楽しそうに話をしながら入館していった。

2年ぶりの西洋美術館。前回は伊勢サミットの真っただ中だったので、最寄りの駅のホームから、新幹線の車内、国立西洋美術館まで、(美術館前では荷物チェックもありましたね)厳重な警備がなされていて驚いた事を想い出す。

平日にもかかわらず、たくさんの人がチケットを求め、列をなしている。女性が多いので、何かの拍子で痴漢行為と誤解されてはと少し気後れする。ようやくの事でチケットを購入し、入館。案内に従って歩いゆくと、17世紀に活躍した、バロック期の画家の作品は、ダ・ビンチやラファエロ、ミケランジェロといったルネサンス期の巨匠たちからの技巧を継承しつつも、対抗宗教改革という思想を作中に込めていて、その作品からは、我々には計り知れぬ、大きな力が働いているのだと、錯覚してしまうのか、それとも感じてしまうものなのかと感動する。
また、拘りの強さというのもカンバスを通して色濃く出ており、外交官という肩書も持ち、貴族階級間での名声を確実なものとし、ナイトの称号を得た成功者であったというのも頷ける。
また、リアルタイムで観ていた「フランダースの犬」のネロ君が最後に観たいと思った気持ちも、ようやく理解できた。それを想うとネロ君はあの年齢でとても成熟していた人だった為に、気苦労が絶えず、疲れてしまったのだなぁと思った。
ショップでポストカードを2枚購入し、次に目指すは東京都美術館のムンク展である。

公園内はたくさんの人であふれかえっていた。平日だというのにお祭りのようだ。両側のカフェは満席のようで、入店を待つ人の姿も見えた。
確かに、「創エネ・あかりパーク」というイベントが行われいて、大道芸人がパフォーマンスをしている様子ではあったが、それが目当ての人ばかりではないのに、この人の多さに閉口する。
足早に往来を横切り、東京都美術館へ向かうと、銀色の球体目の前に現れた。アバンギャルドな球体に感心しつつ、階段を下るとようやく入り口が見えた。地下に降りねば入館できない東京都美術館の構造や、地方ではあまり見受けられない、多国籍な海外の人も多さにも驚いた。

荷物をロッカーに預け、チケット売り場に向かうと、ここでも、チケットの購入を待つ人の列が出来ていた。ルーベンスだけではなく、フェルメールも来ているというのに、また列に並ばねばならないのかと驚きながらも、チケットを購入し、ムンクの作品群を鑑賞する。

ふと、周りを見渡すと、気のせいかルーベンス展の鑑賞者とムンク展の鑑賞者の客層というものが少し異なるのではないかと思った。
たしかに、作品も対照的で、当時は前衛的であり、ニーチェの影響もうけていたというから感じるところも異なるからであろう。しかし、作品「不安」「叫び」「絶望」「嫉妬」は「自己告白」や「生命のフリーズ」というテーマがあったことには感動してしまった。しかし、ゴッホもそうであったが、こういう感性の持ち主は精神を病んでしまうのは、神が与えた試練なのか、運命なのだろうかと作品を鑑賞しながら、今でも、神と信仰に向き合い、思索を重ねた二人の巨匠は、神の右座で、カンバスに向かっているのではないかと考えた。

鑑賞を終えた頃、太陽は西に傾き、館内の照明もアーティスティックである事に気づき、ロッカーから荷物を取り出すと、ベンチに腰掛け、ムンクの様々な絵画に変容してゆくデジタルアートをしばし眺めてから、美術館を出た。影が伸びた銀色の球体の横を通り抜け、再び賑わう中央を横切り、西洋美術館のルーベンスに別れを告げ、文化会館の前で、はしゃいでいる、無理をして背伸びした高校生達に、あんな頃もあったねぇとかみしめながら、上野公園の坂を下って行った。