硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

朝は穏やかに迎えたい。

2017-08-30 22:27:12 | 日記
昨日の朝、憂鬱なニュースで目覚める。憂鬱なニュースが執拗に繰り返される。
布団から出ると妻に「ミサイルが発射されたんだよ」と言われ、「もう、いつもの情報番組やってくれないかぁ。メディアは少しヒステリックだよ」というと、怪訝な顔をされた。
説明するのもおっくうなので、繰り返される情報を聞き流しながら黙ってご飯を食べる。

その説明を妻には告げず、ここでひっそりと行っておくことにします。
北朝鮮のミサイルはベースはウクライナ製らしく、エンジンの構造が違うのだそう。
ウクライナ製といってもロシアが開発したものであり、北朝鮮が世界からの反感を無視し打ち上げ続けることは、ロシアにとって、北朝鮮を介してのミサイルの運用、実験であり、間接的に米国へのけん制になっているのだと思う。

大国の冷戦は継続中なのです。

また、イージス艦や、F35戦闘機、無人戦闘機を運用するには、常にオンライン状態が確保されなければならず、その為には、軍事衛星が多く必要となります。現在日本の上空を飛んでいる民間の人工衛星と呼ばれている物の多くは軍事目的であり、ミサイルの補足は私達が考えているより精度は高いと思うからメディアを通しての情報はいつも違和感を感じます。

その為、Jアラートの存在も違和感を覚えます。
B29爆撃機が迫っているという速度ならJアラートも有効だと思うのですが、音速で飛んでくるミサイルにそのスピードではどうにもできない。おそらく、仮にどこかの街に着弾して大きな被害が出たとします。其の被害をスマホで遠くから撮影し、ネット上に発信されるのと同じ速度でJアラートが発信されるのではないかと思うのです。

注意喚起は必要ですが、被害が出たわけではなく、戦闘状態にもならないのだから、恐怖心や敵対心を煽るような報道は、外交や国政を保つ為にも考えるべきであるけれども、軍備をいま以上に充実させることと、米国から最新鋭の兵器を購入する事で、貿易摩擦を減らすことが真の目的であるなら、国民の同意を得る為には昨日のようなヒステリックな報道も仕方なしなのかなと思ったのです。

でも、北朝鮮への経済的制裁で、石油の輸出を止める事をしてしまった場合、かつての日本が選択した道を取る可能性が高いと考えられるけれども、位置的に三方から大国に挟まれているので、損失、国の存続を考えると、簡単には戦争には踏み切れないのではと思うのです。

映画「ワンダーウーマン」を観る。

2017-08-26 20:59:10 | 日記
八月の中頃から立て続けて「スパイダーマンホームカミング」「ドクターストレンジ」そして、今日「ワンダーウーマン」を観ました。
三作とも原作がアメコミでスパイダーマンとワンダーウーマンはテレビアニメで小さいころから馴染みがあったのですが、時を経て、同じキャラクターで素晴らしい映画に出会えることに幸せを感じます。
「ホームカミング」もすごくおもしろかったのですが、「ワンダーウーマン」は、また違う面白さがあり、心を揺さぶられる場面が何度もありました。また、ストーリがよく練られていて、映像美やアクションという部分で見に来た人が、その後、何回見ても新たな発見や気づきがある作りになっているんだなぁと感じました。

また、ワンダーウーマンを演じるガル・ガドットさんはとても魅力的だったのですが、彼女のキャリアが、ミス・イスラエルと兵役経験があることを事前にしっていたので、ストーリーが進むにつれ「この映画に戸惑いはなかったのかなぁ」と、感じました。

「ホームカミング」はシビル・ウォーからの、「ワンダーウーマン」はジャスティスの誕生からの派生という点も、すごくしびれました。

でもぉ、三作のヒーロー・ヒロインの設定が「とても教養のある人」なのは、観る人たち全てに、夢を追いかける為に、誰かを護る為には身につけなければならない必要な条件なのだというメッセージが込められているのかなぁと思ったりもしたのです。

「ホームカミングは」ヴィルディング・ロマンス。「ワンダーウーマン」はラブ&ピース。基本はとてもシンプルであるけれどすごくお勧めな映画です。

映画を思い返していたら、監督のパティ・ジェンキンスさんか脚本のアラン・ハインバーグさんは、まさかとは思うけど、ひょっといたら、久保帯人さんの「ブリーチ」が好きなんじゃないだろうかとふと思った。

もし、この質問が本人に届くことがあったら、何処かコメントしてほしいなぁ。よろしくお願いします(笑)



ノスタルジア。

2017-08-24 21:13:05 | 日記
デイサービスに勤めていると、まず、お年寄を自宅まで迎えに行きます。また、新規で迎えに行くとき、地図を確認してお年寄りの家を探すのですが、その家は20年前に付き合っていた女の子の家の近所だったのです。

僕と彼女の家はずいぶん離れていて、また、普段使わない道を通っていかなければならなかったから、お付き合いを断ってから、その道を通る事は無くなりました。でも今回、仕事上どうしてもその道を通らなければならなかったのですが、不思議と当時の記憶が少しづつ蘇ってきたのです。女々しいと思われるかもしれませんが、想い出が記憶の何処かにあったのです。

行く道の風景そのものは当時とあまり変わらなかったけれど、彼女の家にお邪魔する時に手ぶらではいけないと立ち寄ったお店はもうなくなっていた。

幹線道路から路地に入ると彼女の家が近づいてきて、このあたりだったかなぁと前方の家を観ていると、かすかな記憶の中に彼女の家の面影を見つけた。表札には彼女の苗字。
間違いない。家の前の通り過ぎる時、すこし観てみたら、家は二世帯住宅に建て替わっていて、家の軒には使い古されたベビーカーがと小さな自転車が置いてあって、広くなった駐車場には可愛い車も止まっていた。

付き合っていた頃、結婚に踏み切る勇気がなく、急にモテ始めて勘違いをしていた僕は、彼女の気持ちを汲み取ることをしなかった。今思えばぐずぐずだった自分が嫌になるけれど、あの時の選択は今の彼女にとっての幸福に繋がっていたのかなと思った。彼女は長女さんだったから、きっと優しい旦那さんと子供たちと彼女の両親と暮らしているのだろう。

それと同時に、別れを切り出した時彼女が言った、
「あなたは、人を好きになる事がどうゆう事だかわからないと思う」
という言葉が、胸にチクッと突き刺さった。

この歳になって、ようやく彼女がどういう気持ちで言ったのか痛いほどわかるようにはなったけれど、過ぎた時間は取り戻せないのだから、どうする事も出来ない。

お年寄りをのせて車を走らせると、公園の横を通った。その公園は当時、公園を作る為の基礎工事が終わったところで、二人でなにもない公園を訪れた時に彼女が嬉しそうに、
「この公園、今は何もないけれど、木がたくさん植えられて、みどりでいっぱいになるんだよ」と言っていた通り、緑が一杯の公園になっていた。
しばらくは、この道を通る事になるけれど、遠ざけていた風景に少しづつ慣れてゆけば、ノスタルジーな気持もやがて解けてゆくのかなと思う。

悲しき紛争の歴史

2017-08-17 19:50:35 | 日記
録画してあったNHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」「731部隊の真実」を観る。たいへん重たいテーマであったけれども、当時では言えなかった事、調べる事がタブーであったことを丁寧に掘り起こして、少しでも真実に迫ろうという試みが感じられて観る側もうんと考えさせられました。
二つの番組に共通するのは、「思考停止した組織トップの末路」「権威と利益に執着した個人が引き起こした弊害」「それによって交換された弱者の死」だと思いました。

命令だからと、問題を無視して命令を履行してしまう人々の心理は理解できますが、問題を無視して、人の命が掛かっていることを顧みず、命令を下す最高権力者の心理は到底理解できません。中途半端な状態であきらめてしまっては、被害を被ると思ったのかもしれませんが、好転しない状況下では、中途半端であろうとなかろうと結果は予測できそうな気がするのですが、結果論としては問題を先延ばしにして、被害を大きくしただけのように思います。そう思うと、知性や意思は、感情を納得させる力がないという岡潔さんの言葉が心に響いてきます。

時代の移行期には、様々な要因によって混乱が生じます。その混乱を軽減し軟着陸させる事がエリートと呼ばれる人たちの役割であると思うのですが、彼らが自身の感情に納得できなければ、同じような現象が繰り返されてしまうのも、仕方のない事かもしれません。

現在では、国が豊かになる為には領土を広げる事よりも、科学力や経済力、基本通貨を保持する国になる事が必要であるから、国同士の戦争が起こるとすれば、某国がミサイルを他の国に向けて発射し、攻撃を加えるか、大国が軍事的活動を有利に運ぶために小国へ侵攻するかしないと、小さな紛争は起こっても、国同士の衝突は起こらないと思いますが、残念なことに、紛争が起これば、いかなる時も倫理観や道徳観が無視される状況が生まれ、それによって多くの犠牲者が出てしまうのは、人類の性によるものなので、それに伴って紛争の歴史も繰り返されてゆくのかもしれません。

8月15日。

2017-08-15 20:52:27 | 日記
此処の処、人々が新しい時代、新しい価値観へと向かうには、多くの犠牲を払わなければならないのかなと、事あるごとに頭の中に浮かぶのです。

でも、人が必ず死なねばならない存在である以上、その事象は予定調和なのかもしれません。

だから、この世を「浮世」と例えるのかもしれませんね。


ゴジラ展

2017-08-09 16:36:20 | 日記
昨日、名古屋市博物館で開催されているゴジラ展を観に行きました。
子供の頃、夢中になって観ていた映画の制作過程がどのようなものであったのかを知りたいという理由で足を運んだのですが、その気持ちを十二分に満たすことが出来が展覧会でした。

昭和29年に公開された「ゴジラ」。僕はテレビ放送で(このころは家にはテレビは一台というのが普通でした)家族と共に見た記憶があるのですが、総天然色世代の僕には白黒画面での映像はなんだか怖いという印象しか残りませんでした。
でも、ゴジラ展でかかっていた白黒の「ゴジラ」を観てみると、「シン・ゴジラ」も確かに面白かったのですが、訴えてくるものが全然違う事にとても驚き、それは、制作されたのが昭和20年代、つまり戦争という理不尽な争いが身に染みている人たちが創ったことが、作品に普遍的な印象を与えたからではないかと思いました。

また、展示品の中には「第五福竜丸」の記事もあり、この展覧会のメタファーを感じる事も出来ました。

また、児童の頃、今ではもう跡形も残っていない映画館へ観に連れてってもらって、強い印象を受けた「ゴジラ対ヘドラ」が(環境破壊をテーマにしていたというのはしっかり覚えていて、汚れた用水路をみては「ヘドラが生まれるかも」と恐怖した記憶があります)余りにも小さい頃の事であったことを再確認して驚嘆しました。

そして今日、朝刊の小さな記事の中にゴジラの中に入っていた中島春雄さんの悲報をみました。
とても複雑な思いの中で記事を読み、一面のコラムの記者さんも同世代のようで、その働きを賛美してみえた。(中日春秋です。興味のある方は一読してみてください)

時代は過ぎ去り、時間は未来へ向かってゆくけれども、その功績とゴジラという時代の鏡はこれからも受け継がれてゆくのだろうと思います。

名古屋市博物館、ゴジラ展 9月3日まで。


HIROSIMA。

2017-08-06 22:20:11 | 日記
介護職という仕事柄、お年寄りの昔話を聞く機会が多く、現在では世代も変わりつつありほとんど戦争体験は聞かれなくなりましたが、10年ほど前は大正生まれの方が多くそのおかげで戦争体験の話を聞く機会に恵まれていました。
そして、原爆体験のお話も3人の方から聞くことが出来ましたが、その中の男性の体験談は、一度も聞いた事がないたいへん印象深い話をされ、僕に大きな疑問を投げかけたのです。

その男性も三重県在住で、県内で内地勤務をされていたのですが、昭和20年の7月末か8月に入ってすぐの頃に広島の第二総軍という部隊に配属になったそうです。
そして、8月3日か4日には広島に移り、各地から多くの兵隊さんが集まり、運命の8月6日の朝、屋外に出て集合する途中、その男性は忘れものに気づき、宿舎へ入った直後、広島上空で原子爆弾が爆発。何が起こったのか分からない状況の中で宿舎が倒壊し、数時間後、ようやく助け出されて、何が起こったのか理解したのだそうです。
被害状況を確認する為、歩いてゆくと死者や負傷者が沢山いて、死体が浜辺や河川沿いに積まれていたそうです。

そして、最も印象深く残ったのは、同じ第二総軍に所属していた、李グウ公という韓国の王子様のお話でした。8月6日、李グウ公の御つきの吉成中佐という方は、李グウ公と共に第二総軍司令部に行く予定だったのですが、体調を崩され、李グウ公は一人で司令部へ向かい、その途中に被爆されたそうです。体調を崩された吉成中佐はそのおかげで被害の免れたのですが、リグウ公がなくなった為、責任を取って自殺したのだそうです。

この二つの出来事から、僕は疑問がわき、色々考えてみたのです。

まず一つは、原爆が投下される数日前に、たくさんの兵隊さんが広島に集められたという事と、その中に韓国の王子様がいた事です。

原爆投下を設定するにあたり、ち密な諜報活動もなされていたのだから、多くの兵士が集まる事も、その中に韓国の王子様がいる事も分かった上で、原爆投下が行われたとみるのが妥当です。
第二総軍という組織が広島に編成されることが、事前に外に漏れていたという事は、情報を流した人が存在したという意味であり、日本の兵力を一気の消耗するチャンスを与えたという事になります。また、韓国の王子様が原子爆弾で亡くなったとなれば、韓国の国民感情は、反米感情よりも、アメリカと戦争を始めた為に王子は被害を被ったのだという想いから、反日感情を抱く人が多いと予測し、大東亜戦争後の朝鮮戦争への介入も勘定に入れての作戦だったのではないかと思われる。

では、正義はどこにあるのかという問いには、答えを持ち合わせていませんが、なにか触れてはいけないものに触れてしまった気がしてならないので、個人の妄想でしかありませんが、未来に向けて、あえてここに記述しておくことにしました。



一年前の事件をもう一度考えてみる。

2017-08-05 09:28:02 | 日記
市民プールで泳いでいると、時間の変わり目で隣のレーンが知的障碍児のスイミングスクールに変わった。一息つくために泳ぐのをやめて立ち止まり、隣のレーンを観ると子供たちは楽しそうにプールの中で遊んでいて、プールサイドではお母さんたちが我が子の姿を微笑んで見守っていた。

ふとそこで考えた。

福祉施設で働くと、入所者の施設での生活のみしか知ることが出来ず、閉塞感に苛まれてしまいがちになります。
また、時々来園する入所者の家族との出会いを観ていても、その部分のみを切り取って考えてしまうと家族の捉え方を歪ませてしまいます。
社会的弱者が集まる環境にいると、精神的に成熟していないと人は不遜、驕慢になります。
介護福祉士や社会福祉士などの資格を有していれば、一度は職業倫理の概念に触れているはずですが、智性や意思は、感情を納得させる力がありません。
良い師に出会うことが出来なければなおさらです。

入所に至るまでの家族の葛藤を、親と子の結びつきを、身体を通して知ることが出来ていれば、あのような事件は回避できたのではと、プールで楽しんでいる子供たちを見て思ったのです。