硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

新しい年号に想いを寄せて。

2019-04-30 20:54:50 | 日記
あるおじいちゃんがまだ少年だった戦前、昭和天皇が国鉄に乗って駅に停車されるというので、多くの人達が徒歩で駅に出向いた。昭和天皇を一目見ようと集まったのであるが、列車が到着すると、皆は一斉に頭を下げた。そして列車が出発し、駅から離れると、最敬礼をした後で、一斉に「天皇陛下万歳」といって、万歳をした。しかし、駅に集まった人たちは駅を離れる際に「私達は何をしに来たんだろう」と口々にしていたそうである。天皇陛下を一目見ようと集まったのに、観ることが出来ない。おじいちゃんは当時を振り返り、軍部が天皇陛下を神格化する為に、統制したのだろうと推測する。その後、国民を利用しようとする人々の思想は、義と仁と強制と恐怖をもってじわりじわりと浸透してゆき
おじいちゃんが青年になる事には、選択肢のない中での最善の選択として、志願して予科練に入隊し、特別攻撃隊の隊員として、訓練を受け、いつか順番が回ってくると思いつつ、多くの先輩を見送る事となった。


天皇陛下の為に命をささげるといった、無慈悲な思想を作り上げた人たちがいるという事実は無効にならず、逃げられぬ世襲という生きづらさ、自身の選択によって、起ったわけではない戦争責任という重荷を背負いつつ、平成の天皇は、国民に寄り添い、国の為に祈り、内外を回り、人々の心を暖められ、博愛の精神を示された。

沢山の人と接するのだから、想像を絶するご苦労も多々あったはずである。

年号が変わっても、不安定な国際情勢は変わらないし、政治もどこを目指しているのか分からない。天災はいつどこにやってくるかもわからないし、いつか貧しい生活を強いられなければならなくなるかもしれない。それでも、私達は生きていかねばならない。

しかし、どんなに貧しくなろうとも、ご苦労を重ねられて確立された象徴という存在を、再びいいように利用しようとする人達を、国政に立たせてはならない。

願わくば、新しい年も、穏やかで平和な時代であってほしいと思う。

なん・・・だと・・・!

2019-04-25 21:16:57 | 日記
姉からLINEが入った。なんだろうと思い、開いてみると。甥っ子が某少年漫画誌のアンケートに載ったとあった。
何のことだかさっぱりわからない。続けて送られてくる写真を見ると、甥っ子が少年漫画誌をもって微笑んでいる。
今週号だよと、言葉が添えてあったので、仕事の帰りにコンビニに行って確かめてみればいいかと、疑問を後回しにした。
まぁ、アンケートを出して、何かが当たったのかと、思っていたのだが、コンビニに寄って、某少年漫画誌をひらいて、アンケートハガキを観てみると、その問いは「ゲーム実況者」についてであった。

なるほど。

二十数年前、姉が帰郷し、一人の男の子を生んだ。人差し指を彼の手のひらに当てると、きゅっと握りしめた。彼の小さな手には、希望があった。

彼が成長すると共に、通信が飛躍的に進歩し、自分の好きな事を追求し続けた彼はYouTuberという言葉が生まれる前に、それになってしまった。

少年漫画誌のアンケートハガキには、彼のハンドルネームがあった。

やるじゃないか。

異国でのテロから分かる事。 その2

2019-04-23 20:59:19 | 日記
スリランカでのテロが、イスラム過激派によるものではないかという見方が強まっている。
その動機が、ニュージーランドのモスクで起こった銃乱射事件であるという。
イスラムの民がやられたのだから、キリスト教徒にやり返すのは当然であるというような論理らしいのですが、イスラム教もキリスト教も起源をたどってゆくと同じところに行きつくので、上手く呑み込めない。

また、「ナショナル・タウヒート・ジャマーア」と言われる組織は、「統治する権利を持っているのはイスラム教のみで、不信仰者は(異教徒は)イスラム教徒の統治を認め、忠誠を誓う条件下のみで生存が許される」という思想があるそうなので、異教徒は認めないという考え方はわかるのだけれど、もし仮に、彼らのコミニュティーが、イスラム教徒だけになった場合、イスラム教内の宗派、学派間での争いも無くなるという事になると思うのですが、本当に無くなるのでしょうか。

なくならないのだとしたら、人は何に対して信仰しているのか分からなくなります。
そしてそれが、神ではなく、利権争い、覇権争い、という神とは関係ない思想から成り立っているのだとしたら、宗派、学派間での争いは、聖戦ではなくなってしまいます。

神様は、人類に対し、どんな試みをなさっておられるのだろうか。

異国でのテロから分かる事。

2019-04-22 21:23:51 | 日記
スリランカでのテロ事件が報じられていた。いつも思う事なのですが、何のために、みしらぬ人の命を奪うのかが、分からない。 恨みがあるわけでもない、傷つけられたわけでもない。考え方の違いを、言い争ったわけでもない。
もし、そこに宗教的な思想が潜んでいたとしたら、神と呼ばれる存在から、直接、人を無差別に殺しなさいと、言われていないはずなので、無差別テロは神のお告げという理由にはならない、

では、目的は何だろうか。おそらく、生身の人から生身の人から口伝で、実行されるのだから、神の思想ではなく、神のお告げを拝借し、都合のいいように口伝した人の、思想や欲望がテロの引き金になっているのだろうと思うのですが、この事件から分かる事は、人は不完全性を手放すことが出来ない存在なのだということだけなのかもしれません。

ノートルダム大聖堂。

2019-04-19 20:45:34 | 日記
朝、蒲団の中からテレビのスイッチを入れると、ノートルダム大聖堂の火災が映し出された。

その時、不思議と驚かず、「やはり燃えてしまうんだな」とか、「フランス国内では心を痛めない人も沢山いるんだろうな」とか、考えた。

大聖堂で祈りをささげる人たちにとっては、悲しい出来事だったかもしれない。でも、建造物が着工された当時、教皇庁とフィリップ2世によって、同じキリスト教で、同じフランス人のカタリ派の人々が迫害されたことが、今もどこかで語り継がれていたとしたら、末裔の人達は感傷的な気持ちにはならないだろうと思う。また、革命の国でもあるフランスでは、自由主義の人々も、他宗教の人々も、同じであろうと思う。

歴史的価値があり、美しく象徴的な建造物であり、誰かの心の拠り所ではあるけれど、その側面には、悲劇もあったのだという事も、忘れてはならないのではないかと思うのです。

ロシアって本当にそんな国なのと思わせる映画。

2019-04-12 17:54:21 | 日記
此処の処、気持ちが不安定だった。このままではいけないと、DVDを借りて、一時的に映画の世界に逃避しようと、レンタル店へ行き、鑑賞後感がスカッとしそうな作品にしようと、吟味に吟味を重ね選んだのが「レッド・スパロー」というスパイ映画。

選んだ理由は、何かの映画の、長い作品紹介の中で「面白いかも」と思ったからであったが、観てみると、スカッとするどころか、かなり重い映画でしたが、目を逸らすまいと頑張って最後まで観てやりました。

でも、リアリティ感があり、ロシアの国家の中枢で働く人は、こんな人たちなのだろうかと思わせられる所や、フェミニストの人が見たら激怒しそうとか、いろいろ考えさせられる作品で、原作者や脚本家は、シェークスピアの影響を強く受けているのではないかと思う位に、人が殺され、また、女性不振に陥ってしまいそうになります。

こういう映画もたまには良いけれど、娯楽としてスパイ映画を観るなら「ミッションインポッシブル フォールアウト」のような鑑賞後感の方が今は好きなのです。

選挙と懐メロ。

2019-04-04 21:13:08 | 日記
知事選と県議選がやってくる。地元に近い所から立候補した議員さんが、近くの公民館にみえ、お話されるというので、聞きに行ってほしいと、母が、自治会の人から頼まれた。しかし母はめんどくさいからと言って、僕が代わりに行くことになった。

僕自身は、政治家の人がどんな話をされるか、とても興味があったので、少し楽しみにしていったのですが、その内容は新聞記事で読んだようなことばかりであった。
少しがっかりしたけれど、漠然と、議員さんになるのもなってからも大変なのだなと、思ったのであるが、職場でのレクリェーション活動で、「ああ上野駅」を皆で謳っていた時、ふと思った。

「ああ上野駅」という歌は、1964年のヒット曲で、東北地方から集団就職で出てきた青年が東京で職を得て、頑張って生きてゆくというお話で、その歌詞の中に、「くじけちゃならない人生が、あの日ここから始まった」や「お店の仕事は辛いけど、胸にゃでっかい夢がある」という詩があります。
それは、敗戦から立ち上がり、高度成長期になり、これから豊かになってゆくのだという、期待感があったから、前向きな詩も生まれ、皆に愛されたのであろうけれども、年号も新しくなろうとしてる現代には、テレビも電話も、自動車も、洗濯機も冷蔵庫もクーラーも、一人一台所有できる個人主義的な世の中になり、平均的な豊かさは多くの人にもたらされてしった。

だから、議員さんが、河川や海岸の護岸工事、道路の整備、若者の流出や、海外の人を受け入れて人口減少に歯止めをかけ、超高齢化社会に備え、看護師や介護士の人員を確保する。というような、大味のお話をされたのも、私達がそこそこに満たされていることが前提にあり、日本経済は今以上に発展しないから、国から多く予算を摂ってきて、地方で消費する事が、地方経済を安定させる唯一の方法であると、考えたからではないかと思った。
自治会の人々も、それを望んでいるから、その議員さんを押しているのであるが、無党派層の人達が選挙に行かない理由の本質は、議員さんに、何を求めればよいのか分からないから、選挙に行く必要もないと思ってしまったのではないかと思った。

新しい年号に想いを馳せる。

2019-04-01 20:23:25 | 日記
新しい年号が発表された。「令和」はどんな時代になるのだろうか。
平成は、近代になってから、内外の戦争がなかった素晴らしい時代であった。
これが、時代の頂点だとしたら、人はまた、争いの時代へと舵を切るのであろうか。
大国の覇権争いは、し烈を極めており、何かの拍子で、突然世界が瀕死の状態になるやもしれない。

憂鬱な事件や事故が毎日のように報道されているけれど、日本は、それでも、何とか、平和と保っている、いい国である。今以上に富もうとすると、きっと、外の国との間に軋轢が生じ、争いが起こるのではないかと思うのだけれど、どうか、令和という時代も、戦争の無い、そこそこ幸せの国であってほしいと思う。