竹取翁と万葉集のお勉強

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新撰萬葉集(新撰万葉集)原文 和歌及び漢詩 第一部

2013年11月23日 | 資料書庫
新撰萬葉集 (改訂版)

改訂版案内
 今回、「改訂版」と称して、新撰万葉集の和歌を和歌として鑑賞する視点から、組み替えています。本来の新撰万葉集の姿は次のもので、最初に漢語交じり真仮名で和歌を表現し、その和歌に応じた漢詩を二行書きで添えます。また、本来の姿では和歌に対するひらがな読みはありません。

春歌廿一首
歌番1 伊勢
水之上 丹文織紊 春之雨哉 山之緑緒 那倍手染濫
春来天気有何力 細雨濛濛水面穀
忽忘遲遲暖日中 山河物色染深緑

 これを「改訂版」では次のように和歌鑑賞に視点を置いて変更しています。あくまでも和歌を鑑賞するための便宜であることを了解願います。学問では邪道なことをしています。

春歌廿一首
歌番1 伊勢
漢詩 春来天気有何力 細雨濛濛水面穀 忽忘遲遲暖日中 山河物色染深緑
読下 春来たりて天の気に何れの力(つとめ)か有る、細雨濛濛にして水面は穀(よろし)く、忽に忘る遲遲暖日の中、山河は物の色を染め緑深し。(注:爾雅に「穀、善也」)
和歌 水之上 丹文織紊 春之雨哉 山之緑緒 那倍手染濫
読下 みつのうへに あやおりみたる はるのあめや やまのみとりを なへてそむらむ
解釈 雨が降ると水の上に丸い綾織り模様が乱れる、その春雨よ、綾織り模様を織る春雨が山の緑をすべて染め上げるのでしょうか。
注意 皇后宮歌合 歌番19

 また、今回の改訂により総文字数は7万字を越えたために掲載するGoo ブログの1記事での文字数制限3万字に対するために便宜的に4部に分けて掲載しています。
第一部:改訂版案内から上巻 夏まで
第二部:上巻 秋から上巻 恋まで
第三部:下巻 序文から下巻 秋まで
第四部:下巻 冬から下巻 女郎花まで


注意事項として
 ここに『新撰万葉集』(改訂版)を載せます。紹介する目的は個人の趣味の『万葉集』を鑑賞する時に参照資料とするもので、この『新撰万葉集』自体を鑑賞するというものではありませんので序の漢文や漢詩には読み下しだけで解釈を助ける語釈は付けていません。本来ですと新選万葉集は漢詩の世界と和歌の世界が等しくなるとの企画と推定されるものですので、和歌の鑑賞で十分になるはずです。そこでその和歌の鑑賞のために、漢字表記だけの和歌には国際日本文化研究センターの和歌データベース(以下、「日文研」)のひらがな表記のものを「読下」と称して紹介し、それへの解釈も載せます。ただ、漢詩と和歌とで歌う景色が一致しないものが多々ありますから、何か変なのです。そのためか、その和歌と漢詩の歌意の相違の背景の確認は学問になっているようです。なお、下巻の一部の漢詩ですべての伝本で欠字を持つ漢詩については歌意から、筆者独断で欠字を推定し与えています。その場合、(注:「花」は歌意からの推定)のように表記しています。この欠字推定により全漢詩に読み下しを与えています。
 改めてこの資料を読文する上での注意事項を最初に紹介します。初めに、ここで使用する『新撰萬葉集』の序文の漢文、漢語交じり真仮名表記の和歌と漢詩は、漢字入力の労を省くためにHP「久遠の絆」に載るものを底本テクストし、その底本テクストの台湾繁字体漢字を日本字体漢字に変換しています。
 基礎入力に用いた「久遠の絆」の注釈によると、その『新撰萬葉集』を掲載するに使用した底本は次のもので、それからの校合と紹介しています。
 『新撰万葉集』京大図書館藏
 『新撰万葉集』谷本藏
 『新撰萬葉集注釋』和泉書店
 『新撰萬葉集諸本與研究』和泉書店
 私のGoo ブログへ掲載をするため、「久遠の絆」のものを底本テクストとして、改めて、『新選万葉集 諸本と研究』(浅見徹監修 和泉書院)(以下、「諸本と研究」)に示す「元禄九年版」と『新撰万葉集 校本篇』(浅見徹・木下正俊 私家版)(以下、「校本篇」)とを使い、点検・校合を行っています。そのため、「久遠之絆」のものとは表記や歌番号が一致していません。さらに、序漢文においても文中の句切れや句読点などは私の漢文訓読での解釈により改めて私見で付け直しを行っています。このため、「久遠之絆」のものとは相違しています。さらに、漢語交じり真仮名表記の和歌への読み下しは「久遠の絆」のものではなく、「校本編」と「日文研」とを参考として付け直しています。従いまして、和歌とその読み下しにおいても相違が生じています。つまり、私の校訂作業により独自のものとなっています。
 また、和歌と漢詩とを一対一首として通しの歌番号を振っています。なお、歌番号179の和歌については底本と異伝本では相違をしていますが、対となる漢詩は一詩しかありません。そのため、漢詩との対を尊重して、底本を正とし、異伝本は紛れの挿入と考えます。ここに「久遠の絆」や「校本篇」との歌番号の相違が生じます。
 次に、専門書が避けて来た下巻の漢詩にも読み下し文を付けていますが、ここに載せる序などの漢文や漢詩の読み下しについては正規の教育と訓練を受けていない者が行った私的なものです。従いまして、正統な指摘・指導を受けたものではなく、紹介するものの正誤は不明です。序などの漢文や漢詩の読み下しは「読み物」のレベルでの使用を推薦いたします。引用等を行う場合は、引用者による十二分な検討が必要です。
 その上巻の序の漢文の読み下しでの注意事項として、文中「偷」の文字は字義からの解釈が難しく、「愈」の通字と解釈しています。そのため、訓読での解釈が違う可能性があります。さらに「新撰萬葉集序」において「聞説」の言葉が掛かる位置を「古者」から「唯媿非凡眼之所可及」までと考えています。一般の解釈では「古者」から「觸聆而感自生」までとしますので、本文解釈の根本が違っていることを了解願います。当然、本文解釈の根本的相違から『萬葉集(古万葉集)』を撰集した時代が変わります。ここでの解釈は平城天皇です。


はじめに
 この『新撰萬葉集』への解説として、序の漢文から推定しますと、宇多天皇の寬平年間初頭、菅原道真一門によってこの『新撰万葉集』が編まれ、寬平五年九月二十五日に成立しています。他方、多くの和歌が共通する「寛平御時后宮歌合」は寛平五年(893)年九月以前の成立と推定されていますが、『新撰万葉集』の和歌に付けられた伝統的な「フリカナ」は「寛平御時后宮歌合」の和歌とは一致せず、フリカナを和歌と見ると和歌としては稚拙な姿を見せます。どうも、後年に『新撰万葉集』の和歌に「フリカナ」を与えた人は清音で一字一音借音漢字表記された「寛平御時后宮歌合」の理解が正しくなかった可能性があります。このため、伝統的な和歌に付けられた「フリカナ」が『新撰万葉集』が編まれた時の本来の読みと同じかは保証されません。
 さて、この時の『新撰萬葉集』の姿は、漢文による序文、「寛平御時后宮歌合」の和歌を大部分に使用し、その和歌を奈良時代初期の万葉和歌表記を想像して漢字だけで表現したものとその和歌が詠う世界を漢詩で表したものとを対とする上下二巻の歌集となっています。この上下二巻では「寛平御時后宮歌合」での「左」の歌を上巻に、「右」の歌を下巻に納め、左右上下の対称軸を形成しています。この『新撰萬葉集』の編纂について、その序文では「先生(菅原道真)」は数首の和歌に対して漢字表現とそれに対応する漢詩を寄せただけと記していますから、彼は菅家一門の門弟たちの行う歌集編纂の理解者の立場であって、編纂者主体ではありません。つまり、序を読めば判るように奥書に記す「菅家」がただちに菅原道真を意味する訳ではありません。
 その後、延喜十三年八月廿一日になって上下二巻左右上下の対称軸の姿を、より鮮明にする意図なのか、下巻に序文が追記されています。ただし、下巻序文に「前人」という言葉を使いますから、寬平五年の序の作者と延喜十三年の下巻序の作者とは別人であることが判ります。
 ここで、現在に伝わる『新撰萬葉集』の本編構成で、上巻には春歌廿一首、夏歌廿一首、秋歌卅六首、冬歌廿一首、恋歌廿首を載せ、下巻には春歌廿一首、夏歌廿二首、秋歌卅六首、冬歌廿二首、恋歌卅一首を載せています。異伝本ではさらに下巻に女郎花歌廿五首を載せた姿となっています。参考として、異伝本の載る女郎花歌廿五首は昌泰元年秋(898)に朱雀院で開催された歌会:亭子院女郎花合での和歌を主体とするものです。
 最初に付けられた上巻の「序文」では、「仍左右上下両軸、惣二百有首」と述べていますが、現在に伝わる『新撰萬葉集』ではそれに反し上下巻の構成は紹介しましたように対称を為していません。また、歌数も上巻が一一九首、下巻が一三二首(女郎花歌を含めると一五七首)であり、対称とは云えないものです。さらに部立に於いても上巻の「序文」では「四時之歌」に「恋思之二詠」を加えたものとしていますが、現在に伝わる『新撰萬葉集』はそのような姿ではありません。
 推定で、寬平五年に成った「原新撰萬葉集」は春夏秋冬の四季の歌に恋歌と述思歌とを加えた六部の部立が為された上下巻だったと考えられます。その後、「原新撰萬葉集」を入手したある人物が、延喜十三年になってその人物の感性で現在に伝わる『新撰萬葉集』の再編纂を行ったものと想像されます。場合によっては、その人物により和歌にひらがな読みが与えられた可能性があります。
 個人の感想ですが、延喜十三年に再編纂を行った人物の技量は、相当程度、「原新撰萬葉集」を編纂した人物に比べると落ちると思われます。従いまして『新撰萬葉集』の歌を研究される場合、一度、「原新撰萬葉集」の六部立、上下巻二百有首の姿を探り、その後に削除・追加されたものとの相違を認識するのが良いと考えます。特に漢詩研究を行う場合、寬平五年と延喜十三年とでは漢詩作歌能力が相当に違うと想像されますので、同一に扱うことは危険ではないでしょうか。
 以上、『万葉集』は数次に渡る編纂過程を経て現在の『廿巻本万葉集』が成立していますが、この『新撰萬葉集』もまた数次に渡る編纂を経て成立したものですあることに注意をお願いします。これは従来の解説とは大きく違います。

参照資料:
 『新撰万葉集』HP「久遠の絆」より(「久遠の絆」)
 『新撰万葉集』国際日本文化研究センター 和歌データベース(「日文研」
 『新選万葉集 諸本と研究』(浅見徹監修 和泉書院)(「諸本と研究」)
 『新撰万葉集 校本篇』(浅見徹・木下正俊 私家版)(「校本編」)
 『寛平皇后宮歌合に関する研究』(高野平 風間書房)
 『古今和歌集 新日本古典文学大系 付録 新選万葉集上(抄)』(岩波書店)
 『群書類聚第十六輯 和歌部』(続群書類聚完成会 平文社)


<第一部>
新撰萬葉集序
夫萬葉集者、古歌之流也。非未嘗稱警策之名焉、況復不屑鄭衛之音乎。
聞説、古者、飛文染翰之士、興詠吟嘯之客、青春之時、玄冬之節、隨見而興既作、觸聆而感自生。凡、厥所草稿、不知幾千。漸尋筆墨之跡、文句錯乱、非詩非賦、字對雜揉、雖入難悟。所謂仰彌高、鑽彌堅者乎。然而、有意者進、無智者退而已。於是奉綸、綍鎍綜緝之外、更在人口、盡以撰集、成數十卷。装其要妙、韞匱待價。唯、媿非凡眼之所可及。
當今寬平聖主、萬機餘暇、舉宮而方、有事合歌。後進之詞人、近習之才子、各獻四時之歌、初成九重之宴。又有餘興、同加恋思之二詠。倩見歌體、雖誠見古知今、而以今比古。新作花也、舊製實也。以花比實、今人情彩剪錦、多述可憐之句、古人心緒織素、少綴不整之艶。仍左右上下両軸、惣二百有首、號曰、新撰萬葉集。先生、非啻賞倭歌之佳麗、兼亦綴一絶之詩、插數首之左。
庶幾使、家家好事、常有梁塵之動、處處遊客、鎮作行雲之遏。
于時寬平五載秋九月廿五日、偷盡前視之美、而解後世之願云爾。

<訓読>
夫れ萬葉集は、古歌の流(いずるところ)なり。未だ嘗って警策(けいさく)の名を稱えざるにあらざり、況(いはん)や復、鄭衛(ていえい)の音を屑(いさぎよ)しとせず。
説を聞くに、「古には、飛文染翰の士、興詠吟嘯の客、青春の時、玄冬の節、見るに隨(したが)ひて既に作を興し、聆(き)くを觸れるに感(おもひ)は自(おのづ)から生まれる。凡そ、厥(そ)の草稿は、幾千を知らず。漸(やくや)く筆墨の跡を尋ねるに、文句錯乱、詩に非ず賦に非ず、字對は雜揉し、雖(ただ)、入るに悟り難き。所謂、彌高(いやたか)を仰ぎ、鑽(きわめ)るに彌(いやいや)堅き者か。然而(しかるに)、意有る者は進み、智無き者は退き已(や)む。是に於いて綸を奉じ、綍鎍(ふつさく)綜緝(そうしゅう)の外、更に人の口に在るを、盡(ことごと)く以つて撰集し、數十卷と成す。其の要妙(ようみょう)を装ひ、匱(ひつ)に韞(おさ)め價(ひょうか)を待たん。唯、凡眼の及ぶべき所に非ずを媿(とがめ)む」と。
當今(とうきん)の寬平聖主、萬機(まんき)餘暇(よか)、宮の方を舉げ、事有るに歌を合す。後進の詞人、近習の才子、各(おのおの)、四時の歌を獻じ、初めて九重の宴を成す。又、餘興の有りて、同(ひと)しく恋と思の二詠を加ふ。倩(つらつら)、歌體(かたい)を見るに、雖(ただ)、誠(まこと)は古(いにしへ)に見み、今に知る。而して今を以ちて古(いにしへ)に比(なぞ)ふ。新(あらた)は花を作り、舊(ふるき)は實(み)を製(な)す。花を以ちて實に比ふ。今の人は情(こころ)を彩(いろ)り錦を剪(き)り、可憐の句を多述し、古(いにしへ)の人は心緒(こころを)を素(すなお)に織り、不整の艶を少綴す。仍ち、左右上下の両軸、惣ち二百有首、號して曰はく「新撰萬葉集」と。先生、啻(ただ)、倭歌の佳麗を賞(めで)るのみにあらず、兼ねて亦(また)一絶の詩を綴り、數首を左に插(はさ)む。
庶幾(しょき)をして家家の好事を使(なさ)しめ、常に梁塵の動有りて、處處の遊客、行雲の遏(しりぞ)き作すを鎮(とど)めむ。
于時(とき)、寬平五載秋九月廿五日、愈(いよいよ)、前視の美を盡(つく)し、而して後世の願ひを解(ひら)くと、云爾(しかいふ)。


春歌廿一首
歌番1 伊勢
漢詩 春来天気有何力 細雨濛濛水面穀 忽忘遲遲暖日中 山河物色染深緑
読下 春来たりて天の気に何れの力(つとめ)か有る、細雨濛濛にして水面(みなも)は穀(よろし)く、忽に忘る遲遲暖日の中、山河は物の色を染め緑深し。(注:爾雅「穀、善也」)
和歌 水之上 丹文織紊 春之雨哉 山之緑緒 那倍手染濫
読下 みつのうへに あやおりみたる はるのあめや やまのみとりを なへてそむらむ
解釈 雨が降ると水の上に丸い綾織り模様が乱れる、その春雨よ、綾織りの模様を織る春雨が山の緑をすべて染め上げるのでしょうか。
注意 皇后宮歌合 歌番19

歌番2 素性法師
漢詩 春風觸處物皆楽 上苑梅花開也落 淑女偷攀堪作簪 残香勾袖拂難卻
読下 春風は處の物に觸れ皆楽しく、上苑の梅花は開(さ)きて落(ち)り、淑女は偷(ひそやか)に攀りて簪を作すに堪(もち)ひ、残香は袖に勾ひて拂へども卻(のぞ)き難たし。
和歌 散砥見手 可有物緒 梅之花 別樣匂之 袖丹駐禮留
読下 ちるとみて あるへきものを うめのはな うたてにほひの そてにとまれる
解釈 花が散ってしまうと眺めて、散り終わってしまうべきなのに、梅の花は、余計なことに思いを残すその匂いが袖に残り香となって残っている。
注意 皇后宮歌合 歌番3

歌番3 佚名
漢詩 緑色淺深野外盈 雲霞片片錦帷成 残嵐軽簸千匂散 自此櫻花傷客情
読下 緑色淺深、野外に盈(み)ち、雲霞片片、錦帷を成し、残嵐は軽く簸(あお)りて千匂を散じ、此に自り櫻花は客情を傷(いたま)しむ。
和歌 淺緑 野邊之霞者 裹鞆 己保禮手匂布 花櫻鉋
読下 あさみとり のへのかすみは つつめとも こほれてにほふ はなさくらかな
解釈 浅緑の野辺を霞が包んでいても、そこからこぼれるように咲き誇る、その花咲く桜です。
注意 皇后宮歌合 歌番11

歌番4 素性法師
漢詩 花樹栽来幾適情 立春遊客愛林亭 西施潘岳情千萬 雨意如花尚似軽
読下 花樹を栽来して幾(いくばく)か情(こころ)に適(かな)ひ、立春に遊客は林亭を愛で、西施・潘岳の千萬の情、雨意は花の如く尚も軽みに似たり。
和歌 花之樹者 今者不堀殖 立春者 移徙色丹 人習藝里
読下 はなのきは いまはほりうゑし はるたては うつろふいろに ひとならひけり
解釈 花の咲く木をこれからは掘って植えることはしない。春になると花の色が移り変わってゆくが、その移り変わってゆく色に人が見習うのだから。
注意 皇后宮歌合 歌番7

歌番5 佚名
漢詩 春嶺霞低繡幕張 百花零處似焼香 艶陽気若有留術 無惜鶯聲與暮芳
読下 春嶺に霞は低して繡幕を張り、百花の處(ち)に零(ふ)るは香を焼くに似、艶陽の気の若し留(とどむ)る術有らば、鶯聲と暮芳を惜む無からむ。
和歌 春霞 網丹張牢 花散者 可移徙 鶯將駐
読下 はるかすみ あみにはりこめ はなちらは うつろひぬへき うくひすとよめ
解釈 春霞よ、お前は網に張り巡らし花が散ったなら飛び散らないようにしなさい、そして、鶯よ、大声で鳴きなさい。
注意 皇后宮歌合 歌番15

歌番6 紀友則
漢詩 頻遣花香遠近賒 家家處處匣中加 黄鶯出谷無媒介 唯可梅風為指斗
読下 頻るに花の香を遣はして遠近賒(はる)かにして、家家處處匣中(こうちゅう)に加ふ、黄鶯谷より出るに媒介無く、唯だ梅風を指斗(しるべ)と為すべし。
和歌 花之香緒 風之便丹 交倍手曾 鶯倡 指南庭遣
読下 はなのかを かせのたよりに たくへてそ うくひすさそふ しるへにはやる
解釈 咲き匂う梅の香りを風の便りに添えて、鶯を誘い出す案内役として遣わせる。
注意 皇后宮歌合 歌番1

歌番7 佚名
漢詩 綿綿曠野策驢行 目見山花耳聽鶯 駒犢累累趁苜蓿 春孃採蕨又盈囊
読下 綿綿たる曠野を驢(ろ)に策(むち)て行き、目に山花を見耳に鶯を聽く、駒(うま)と犢(うし)は累累にて苜蓿(もくしゅ)に趁(おもむ)ひ、春孃は蕨を採り又た囊に盈(みた)す。
和歌 駒那倍手 目裳春之野丹 交南 若菜摘久留 人裳有哉砥
読下 こまなへて めもはるののに ましりなむ わかなつみくる ひともありやと
解釈 駒を並べて目も張る、その春の野に入り交りましょう、若菜を摘んでいるいるでしょう、あの人が居ないかと思って。
注意 皇后宮歌合 歌番21

歌番8 佚名
漢詩 寒灰警節早春来 梅柳初萌自欲開 上苑百花今已富 風光處處此傷哉
読下 寒灰の節を警(まも)りて早春は来り、梅柳初て萌え自ら開かむを欲し、上苑の百花は今、已に富み、風光處處にして此に傷(いた)まんや。
和歌 吹風哉 春立来沼砥 告貫牟 枝丹牢禮留 花拆丹藝里
読下 ふくかせや はるたちきぬと つけつらむ えたにこもれる はなさきにけり
解釈 吹く風によって立春になったと告げたのだろうか。(積もった雪ですが)枝の中に籠っていた花が咲いたようです。
注意 後撰和歌集 歌番12

歌番9 佚名
漢詩 倩見天隅千片霞 宛如萬朵満園奢 遊人記取圖屏障 想像桃源両岸斜
読下 倩(つらつら)と天隅千片の霞を見、宛(さなが)ら萬朵は園に満ちて奢るが如し、遊人は記を取り屏障を圖し、想ひ像(かたど)るは桃源両岸に斜(かま)へる。
和歌 真木牟具之 日原之霞 立還 見鞆花丹 被驚筒
読下 まきもくの ひはらのかすみ たちかへり みれともはなに おとろかれつつ
解釈 巻向の檜原の山に立つ霞、道行きに振り返って見ても、また、咲く桜の花に目を見張らされます。
注意 皇后宮歌合 歌番27

歌番10 在原棟梁
漢詩 墝埆幽亭豈識春 不芼絶域又無匂 花貧樹少鶯慵囀 本自山人意未申
読下 墝埆(こうかく)の幽亭は豈に春を識らむや、不芼の絶域は又た匂ひ無し、花貧しく樹少くして鶯の囀ずるに慵(ものう)く、本自り山人の意は未だ申(の)ぶことなし。
和歌 春立砥 花裳不匂 山里者 懶軽聲丹 鶯哉鳴
読下 はるたてと はなもにほはぬ やまさとは ものうかるねに うくひすやなく
解釈 立春が来たのに、まだ花の匂いもしないこの山里では鳴くのが物憂いといったような声で鶯が鳴いている。
注意 皇后宮歌合 歌番17

歌番11 佚名
漢詩 無限遊人愛早梅 花花樹樹傍籬栽 自攀自翫堪移袂 惜矣三春不再来
読下 限り無く遊人は早梅を愛で、花花樹樹、籬の傍に栽(う)へ、自ら攀じ自ら翫(め)で袂に移すに堪(た)へ、惜いかな三春の再び来たらざるを。
和歌 梅之香緒 袖丹寫手 駐手者 春者過鞆 片身砥將思
読下 うめのかを そてにうつして ととめては はるはすくとも かたみとおもはむ
解釈 梅の香りを袖に移して留めておけば、春が過ぎ去っても梅の花の思い出と思うでしょう。
注意 皇后宮歌合 歌番35

歌番12 佚名
漢詩 誰道春天日此長 櫻花早綻不留香 高低鶯囀林頭聒 恨使良辰独有量
読下 誰が道か、春天の日此れ長くして、櫻花は早くも綻び香を留めず、高低鶯は囀り林頭は聒(かまび)く、恨むに良辰をして独り量(おもんばかり)を有らしまむや。
和歌 鶯者 郁子牟鳴濫 花櫻 拆砥見芝間丹 且散丹藝里
読下 うくひすは うへもなくらむ はなさくら さくとみしはに かつちりにけり
解釈 鶯は、なるほど、このような訳で鳴くのですね、花咲く桜、その咲いていると眺めていた間に花は散ってしまいました。
注意 皇后宮歌合 歌番9

歌番13 藤原興風
漢詩 霞光片片錦千里 未辨名花五彩斑 遊客迴眸猶誤道 應斯丹穴聚鵷鸞
読下 霞光(かくこう)片片、錦は千里にして、未だ名を辨(わ)く花は五彩を斑(まじらわ)せず、遊客は眸を迴らし猶も道に誤(まよ)ひ、應(まさ)に斯(こ)の丹穴に鵷鸞(えんらん)を聚(あつ)めむべし。
和歌 春霞 色之千種丹 見鶴者 棚曳山之 花之景鴨
読下 はるかすみ いろのちくさに みえつるは たなひくやまの はなのかけかも
解釈 春霞が色、とりどりの色に見えたのは、それがたなびく山の花を映したものだったのかもしれない。
注意 皇后宮歌合 歌番37

歌番14 佚名
漢詩 霞天帰雁翼遙遙 雲路成行文字昭 若汝花時知去意 三秋係札早應朝
読下 霞天に帰雁の翼は遙遙にして、雲路に行を成して文字昭かなり、若し汝の花時に去意を知らば、三秋に札(ふみ)を係(か)け早く朝(ちょう)に応ずべし。
和歌 春霞 起手雲路丹 鳴還 雁之酬砥 花之散鴨
読下 はるかすみ たちてくもちに なきかへる かりのたむけと はなのちるかも
解釈 春の霞が立って山際に雲の通り路の様になって行くならば、里から離れて北へと帰って行く雁のように、心変わりで去って行くのでしょうか。
注意 後撰和歌集 歌番75

歌番15 在原元方
漢詩 花花數種一時開 芬馥従風遠近来 嶺上花繁霞泛灩 可憐百感毎春催
読下 花花は數種を一時に開き、芬馥(ふんぷく)は風に従ひ遠近来たり、嶺上に花繁く霞は泛(うか)び灩(み)ち、憐(あわ)れまむ百感は春毎に催すべし。
和歌 霞立 春之山邊者 遠藝禮砥 吹来風者 花之香曾為
読下 かすみたつ はるのやまへは とほけれと ふきくるかせは はなのかそする
解釈 霞が湧き立つ春の山辺への道のりは遠いけれど、そこから吹き来る風には、もう咲いた花の香りがします。
注意 皇后宮歌合 歌番29

歌番16 佚名
漢詩 霞彩班班五色鮮 山桃灼灼自然燃 鶯聲緩急驚人聽 應是年光趁易遷
読下 霞彩は班班にして五色鮮かにして、山桃は灼灼にして自ら然(しか)と燃ゆ、鶯聲は緩急にして人の聽くを驚らせ、まさに是の年光の遷り易きを趁(お)ふに応ずべし。
和歌 霞起 春之山邊丹 開花緒 不飽散砥哉 鶯之鳴
読下 かすみたつ はるのやまへに さくはなを あかすちるとや うくひすのなく
解釈 霞が湧き立つ春の山の辺に咲く桜の花、まだ、見飽きないのに散ってしまうのかと、鶯も鳴いています。
注意 皇后宮歌合 歌番25

歌番17 佚名
漢詩 紅櫻本自作鶯栖 高翥華閒終日啼 独向風前傷幾許 芬芳零處徑應迷
読下 紅櫻は本より自から鶯の栖と作(な)り、高く華の閒を翥(と)びて終日(ひねもす)に啼く、独り風前に向ひて傷むこと幾許(いくばく)ぞ、芬芳は處に零(ふ)り徑はまさに迷ふべし。
和歌 鶯之 破手羽裹 櫻花 思隈無 早裳散鉋
読下 うくひすの われてはくくむ さくらはな おもひくまなく とくもちるかな
解釈 鶯が花を破っては蜜をついばむ、その桜の花は美しく咲いたと思う暇もなく、早くも散ってしまうのか。

歌番18 佚名
漢詩 縦使三春良久留 雖希風景此誰憂 上林花下匂皆盡 遊客鶯兒痛未休
読下 縦(ほしいまま)に三春の良きを久しく留めしめ、雖だ風景希なりと此を誰か憂へむ、上林の花の下の匂ひは皆盡(つき)るも、遊客たる鶯兒は痛しくも未だ休まず。
和歌 乍春 年者暮南 散花緒 將惜砥哉許許良 鶯之鳴
読下 はるなから としはくれなむ ちるはなを をしむとやここら うくひすのなく
解釈 今、春ではありますが、このままに一年の年は暮れて欲しい、そのように散る桜の花を心残りと鳴く鶯の声が聞こえます。
注意 皇后宮歌合 歌番23

歌番19 佚名
漢詩 偷見年前風月奇 可憐三百六旬期 春天多感招遊客 携手携觴送一時
読下 偷(ひそ)かに見る年前の風月の奇、憐むべし三百六旬の期、春天は多感にして遊客を招き、手を携へ觴(さかずき)を携へて一時を送る。
和歌 如此時 不有芝鞆倍者 一年緒 惣手野春丹 成由裳鉋
読下 かかるとき あらしともおもへは ひととせを すへてのはるに なすよしもかな
解釈 このような桜の花が散る時があっては欲しないと思うと、この一年の全ての季節を春とすることは出来ないでしょうしょうか。

歌番20 佚名
漢詩 残春欲盡百花貧 寂寞林亭鶯囀頻 放眼雲端心尚冷 従斯處處樹陰新
読下 残春の盡(つく)るを欲し百花は貧(とぼ)し、寂寞たる林亭の鶯の囀は頻なり、放眼雲端に心は尚(ひさ)しく冷(さ)め、斯に従ひて處處の樹陰は新たなり。
和歌 鶯之 陬之花哉 散沼濫 侘敷音丹 折蠅手鳴
読下 うくひすの すみかのはなや ちりぬらむ わひしきこゑに うちはへてなく
解釈 鶯の住処としている花が散るようだ、その鶯が淋しそうな声でいつまでも鳴いている。

歌番21 素性法師
漢詩 嗤見深春帶雪枝 黄鶯出谷始馴時 初花初鳥皆堪翫 自此春情可得知
読下 嗤(よろこ)びて深春を見(なが)め雪を帶びる枝、黄鶯は谷を出で始めて馴れる時、初花初鳥は皆翫(め)でるに堪たり、此れ自ら春情を得て知るべし。
和歌 春来者 花砥哉見濫 白雪之 懸禮留柯丹 鶯之鳴
読下 はるくれは はなとやみらむ しらゆきの かかれるえたに うくひすのなく
解釈 春になったので、それを花と思ったのだろうか、白雪が懸かった枝に鶯が鳴いている。
注意 古今和歌集 歌番6 初句は「はるたては」と異同あり。

夏歌廿一首
歌番22 紀友則
漢詩 嘒嘒蝉聲入耳悲 不知齊后化何時 絺衣初製幾千襲 嗤殺伶倫竹與絲
読下 嘒嘒(けいけい)たる蝉の聲は耳に入りて悲しく、知らず齊后の何(いづれ)の時ぞ化するを、絺衣(ちい)、初て製(つく)る幾千の襲(かさね)、嗤(ほほえみ)は殺(はなはだ)し伶倫の竹(ちく)と絲(げん)。(注:殺、又疾也)
和歌 蝉之音 聞者哀那 夏衣 薄哉人之 成砥思者
読下 せみのこゑ きけはかなしな なつころも うすくやひとの ならむとおもへは
解釈 蝉の声を聞くともの悲しくなる、夏の衣ではないが、あの人の私への気持ちが薄くなってしまうような気持ちがするので。
注意 皇后宮歌合 歌番41

歌番23 佚名
漢詩 夜月凝来夏見霜 姮娥觸處翫清光 荒涼院裏終宵讌 白兔千群入幾堂
読下 夜月は凝(あつま)り来たりて夏に霜を見せ、姮娥は觸處の清光を翫(め)で、荒涼たる院裏の宵讌(しょうえん)は終りて、白兔千群は幾(いくら)の堂に入る。
和歌 夏之夜之 霜哉降禮留砥 見左右丹 荒垂屋門緒 照栖月影
読下 なつのよの しもやふれると みるまてに あれたるやとを てらすつきかけ
解釈 夏の夜に霜が降り置いたかと見間違えほどに、荒れ果てた屋敷を煌々と白く照らす月の光です。
注意 皇后宮歌合 歌番50 歌句に多々異同がある。

歌番24 紀友則
漢詩 蕤賓怨婦両眉低 耿耿閨中待曉雞 粉黛壞来收涙處 郭公夜夜百般啼
読下 蕤賓(すいひん)、怨婦(えんふ)の両眉は低(た)れ、耿耿(こうこう)たる閨中は曉雞を待つ、粉黛は壞来し涙を收む處にして、郭公(ほととぎす)は夜夜に百(もも)を般(めぐ)りて啼く。
和歌 沙乱丹 物思居者 郭公鳥 夜深鳴手 五十人槌往濫
読下 さみたれに ものおもひをれは ほとときす よふかくなきて いつちゆくらむ
解釈 さみだれの降る夜にもの思いをすると、ホトトギスが夜が更けてから鳴いて飛び過ぎたが、さて、どちらの方角をさして行くのだろうか。
注意 皇后宮歌合 歌番54

歌番25 紀友則
漢詩 好女係心夜不眠 終宵臥起涙連連 贈花贈札迷情切 其奈遊蟲入夏燃
読下 好女、心に係りて夜は眠らず、終宵臥起して涙は連連たり、花を贈り札(ふみ)を贈り迷情は切にして、其れ遊蟲の夏の燃(ともしび)に入るをいかむとせむ。
和歌 初夜之間裳 葬處無見湯留 夏蟲丹 迷增禮留 恋裳為鉋
読下 よひのまも はかなくみゆる なつむしに まとひまされる こひもするかな
解釈 宵の間だけともと短い命と思える夏虫が、人が焚く火に惑わされ身を焦がす、そのような身を焦がし命を失せるような惑い悩ませる恋をしているのです。
注意 皇后宮歌合 歌番45

歌番26 紀貫之
漢詩 日長夜短懶晨興 夏漏遲明聽郭公 嘯取詞人偷走筆 文章気味與春同
読下 日長く夜短して晨(あさ)の興(のぼ)るに懶(ものう)く、夏を漏(わす)れ遲く明(おき)るに郭公を聽く、嘯(うそぶ)き取りて詞人偷(ひそやか)に筆を走らせ、文章の気味は春に與(くみ)して同じくす。
和歌 夏之夜之 臥歟砥為禮者 郭公 鳴人音丹 明留篠之目
読下 なつのよの ふすかとすれは ほとときす なくひとこゑに あくるしののめ
解釈 夏の夜は眠りについたかと思うと、ホトトギスの鳴くひと声に日がのぼり始めることだ。
注意 皇后宮歌合 歌番46

歌番27 佚名
漢詩 夏枕驚眠有妬聲 郭公夜叫忽過庭 一留一去傷人意 珍重今年報舊鳴
読下 夏枕、眠に驚き妬聲(とせい)有りて、郭公の夜に叫びて忽(たちまち)に庭を過ぐ、一留一去、人の意(こころ)を傷(いた)ましめ、珍重す今年の舊鳴を報するを。
和歌 五十人沓夏 鳴還濫 足彈之 山郭公 老牟不死手
読下 いつとなく なきかへるらむ あしひきの やまほとときす おいもしなすて
解釈 いつと決めることなく同じように鳴き、毎年の夏を迎えるだろう、葦や檜の生える山に棲むホトトギスは、毎年に鳴き出すその鳴き声を忘れることはない。
注意 皇后宮歌合 歌番67 初句「いくちたひ」と異同がある。

歌番28 佚名
漢詩 菖蒲一種満洲中 五月尤繁魚鼈通 盛夏芬芬漁父翫 栖来鶴翔叫無窮
読下 菖蒲は一(ひとつ)の種(たねくさ)にして洲の中(うち)に満ち、五月に繁ると尤(な)るも魚鼈(ぎょべつ)は通(す)ぐ、盛夏芬芬にして漁父は翫(よろこ)び、栖に来たる鶴は翔び叫(な)きて窮まり無し。
和歌 蕤賓俟 野之側之 菖蒲草 香緒不飽砥哉 鶴歟音為
読下 さつきまつ のへのほとりの あやめくさ かをあかすとや たつかこゑする
解釈 夏、五月を待ってから野辺の辺で咲く菖蒲草の花、その香りを利き飽かすことがないと、鶴の鳴き声がします。

歌番29 壬生忠岑
漢詩 難暮易明五月時 郭公緩叫又高飛 一宵鐘漏盡尤早 想像閨筵怨婦悲
読下 暮れ難く明け易き五月の時、郭公は緩(ゆるや)かに叫(な)き又た高く飛ふ、一宵の鐘を漏(わす)れ盡すと尤(な)るも早くして、像(すがた)を想ひやる閨筵の怨婦の悲しみ。
和歌 暮歟砥 見禮者明塗 夏之夜緒 不飽砥哉鳴 山郭公
読下 くるるかと みれはあけぬる なつのよを あかすとやなく やまほとときす
解釈 やっと、暮れるのかと眺めていると山の端は明けて来る、その短い夏の夜を飽きることなく鳴く、山に棲むホトトギスです。
注意 皇后宮歌合 歌番73

歌番30 佚名
漢詩 山下夏来何事悲 郭公處處數鳴時 幽人聽取堪憐翫 況復家家音不希
読下 山下に夏は来たりて何事か悲しみ、郭公の處處に數(あま)た鳴く時、幽人は聽き取りて憐翫(れんがん)は堪がたく、況や復た家家に音を希(のぞ)まならざるや。
和歌 郭公 鳴立夏之 山邊庭 沓直不輸 人哉住濫
読下 ほとときす なきたつはるの やまへには くつていたさぬ ひとやすむらむ
解釈 沓手鳥の名を持つホトトギスが「沓の代金はどうしたのか」と鳴き声を立てる春の山辺には、沓を作っても届けない人が住んでいるようです。
注意 皇后宮歌合 歌番69

歌番31 佚名
漢詩 五月菖蒲素得名 毎逢五日是成靈 年年服者齡還幼 翩鵲嘗来味尚平
読下 五月、菖蒲は素より名を得たり、五日に逢ふ毎に是れ靈と成る、年年に服する者は齡は幼(わかき)に還へり、鵲は翩(と)びて嘗(こころ)みに来たりて味(おもむき)は平なるを尚(たつと)ふ。
和歌 菖蒲草 五十人沓之五月 逢沼濫 毎来年 稚見湯禮者
読下 あやめくさ いくつのせちに あさぬらむ くるとしことに わかくみゆれは
解釈 菖蒲草の花はどれほどの五月の節会ごとに化粧を浅く施しているのでしょうか、毎年、そのやって来る年ごとに早乙女のように若く見えますのです。
注意 皇后宮歌合 歌番71 歌句に多々異同があります。

歌番32 佚名
漢詩 去歳今年不変何 郭公曉枕駐聲過 窗間側耳憐聞處 遮莫残鶯舌尚多
読下 去歳も今年も何も変らず、郭公は曉の枕に駐まり聲は過ぐ、窗間(そうかん)に耳を側(そばだ)て憐みを聞く處、遮るは莫しも残鶯の舌(さえずり)の尚も多し。
和歌 去年之夏 鳴舊手芝 郭公鳥 其歟不歟 音之不変沼
読下 こそのなつ なきふるしてし ほとときす それかあらぬか こゑのかはらぬ
解釈 去年の夏にたくさん鳴いてくれたホトトギスと同じホトトギスか分からないが、今年の鳴き声も変りません。
注意 皇后宮歌合 歌番62

歌番33 凡河内躬恒
漢詩 郭公一叫誤閨情 怨女偷聞悪鬧聲 飛去飛来無定處 或南或北幾門庭
読下 郭公の一叫(こえ)は閨情を誤(まどわ)し、怨女は偷(わず)かに聞きて鬧聲(とうせい)を悪(いと)む、飛び去り飛び来たりて定むる處なく、或は南或は北、幾門の庭。
和歌 疎見筒 駐牟留郷之 無禮早 山郭公 浮宕手者鳴
読下 うとみつつ ととむるさとの なかれはや やまほとときす うかれてはなく
解釈 嫌いと思いながらも留まっている里の川の流れは速い、それで山から下りて来たホトトギスは水の流れの様に浮かれながらも鳴いている。
注意 皇后宮歌合 歌番60 歌句に多々異同があります。別歌とするべきか。

歌番34 佚名
漢詩 蝉人運命惣相同 含露殉飡暫養躬 三夏優遊林樹裏 四時喘息此寰中
読下 蝉は人と運命を惣く相ひ同じくし、露を含み飡(しょく)に殉(したが)ひ暫く躬を養ふ、三夏、優遊す林樹の裏、四時に喘息す此の寰中(かんちゅう)。
和歌 脱蝉之 侘敷物者 夏草之 露丹懸禮留 身許曾阿里藝禮
読下 うつせみの わひしきものは なつくさの つゆにかかれる みにこそありけれ
解釈 蝉の抜け殻自体でも、もの悲しいものではありますが、夏草の許で露に濡れかかった、その身にこそもの悲しさがさらにあります。
注意 皇后宮歌合 歌番43

歌番35 紀友則
漢詩 怨深喜淺此閨情 夏夜胸燃不異螢 書信休来年月暮 千般其奈望門庭
読下 怨み深く喜び淺し此の閨情、夏の夜に胸は燃へ螢に異ならず、書信は来たるを休みて年月は暮れ、千を般(めぐり)て其の門庭を望むを奈(いか)にせむ。
和歌 夕去者 自螢異丹 燃禮鞆 光不見早 人之都禮無杵
読下 ゆふされは ほたるよりけに もゆれとも ひかりみねはや ひとのつれなき
解釈 夕方になると、私の思いは蛍より燃えているのに、私の恋焦がれるその火の光が見えないのか、あの人は素っ気ない。
注意 皇后宮歌合 歌番58

歌番36 紀有岑
漢詩 一夏山中驚耳根 郭公高響入禪門 適逢知己相憐處 恨有清談無酒罇
読下 一(ある)夏、山中に耳根は驚き、郭公は高く響きて禪門に入る、適(たちまち)に知己に逢ひ相ひ憐れむ處、恨らむに清談は有るも酒罇は無し。
和歌 夏山丹 恋敷人哉 入丹兼 音振立手 鳴郭公鳥
読下 なつやまに こひしきひとや いりにけむ こゑふりたてて なくほとときす
解釈 夏の山に恋いする人が籠もってしまったのだろうか、ホトトギスが声をふりしぼって「片恋、片恋」と鳴いている。
注意 皇后宮歌合 歌番56

歌番37 佚名
漢詩 邕郎死後罷琴聲 可賞松蝉両混辡 一曲彈来千緒乱 萬端調處八音清
読下 邕郎(ようろう)は死して後に琴聲を罷れ、賞ずべし松蝉の両に混れて辡(きそ)ふを、一曲を彈き来たれば千緒は乱れ、萬端の調ふ處、八音は清(すがすが)し。(邕郎は李邕の人物と思われます)
和歌 琴之聲丹 響通倍留 松風緒 調店鳴 蝉之音鉋
読下 ことのねに ひひきかよへる まつかせを しらへてもなく せみのこゑかな
解釈 琴の音にその音を響き通わせるような松を通り抜ける風音、それを調べとして鳴く蝉の声が聞こえる。
注意 皇后宮歌合 歌番75

歌番38 紀友則
漢詩 月入西嵫杳冥霄 郭公五夜叫飄颻 夏天處處多撩乱 曉牖家家音不遙
読下 月は西嵫(せいじ)に入りて杳(よう)として冥霄(めいせい)たり、郭公は五夜に叫(な)きて飄颻、夏天は處處に多く撩乱し、曉の牖(まど)、家家に音は遙かならず。
和歌 夜哉暗杵 道哉迷倍留 郭公鳥 吾屋門緒霜 難過丹鳴
読下 よやくらき みちやまよへる ほとときす わかやとをしも すきかてになく
解釈 夜道が暗いせいか道に迷ったホトトギスが、私の屋敷ではありますが通り過ぎることが出来なくとここで鳴いている。
注意 皇后宮歌合 歌番65

歌番39 佚名
漢詩 鳴蝉中夏汝如何 草露作飡樹作家 響處多疑琴瑟曲 遊時最似錦綾窠
読下 鳴く蝉、中夏に汝は如何せむ、草の露を飡(しょく)と作(な)し樹を家と作す、響く處は多く琴瑟の曲かと疑がひ、遊時には最とも錦綾の窠に似たり。
和歌 都禮裳無杵 夏之草葉丹 置露緒 命砥恃 蝉之葬處無佐
読下 つれもなき なつのくさはに おくつゆを いのちとたのむ せみのはかなさ
解釈 僅かな命の夏の草葉に置く露を命の源と頼りにする、その虫の儚さです。
注意 皇后宮歌合 歌番48 初句「はかもなき」と異同があります。

歌番40 佚名
漢詩 一生念愁暫無休 刀火如炎不可留 黈纊塞来期盛夏 許由洗耳永離憂
読下 一生の愁ふる念(おもひ)は暫も休(いこ)ふは無く、刀火は炎の如にして留るべからず、黈纊(とうこう)は塞き来たりて盛夏を期し、許由は耳を洗ひて永く憂(うれひ)を離る。
和歌 夏草之 繁杵思者 蚊遣火之 下丹而已許曾 燃亘藝禮
読下 なつくさの しけきおもひは かやりひの したにのみこそ もえわたりけれ
解釈 夏草が茂る、その言葉の響きではありませんが、貴女への茂る思いは、蚊遣り火が灰の下で燻ぶり燃えるように、表には出さすに心の中で恋焦がれ燃え続けています。
注意 皇后宮歌合 歌番52

歌番41 佚名
漢詩 郭公本自意浮華 四遠無栖汝最奢 性似蕭郎含女怨 操如蕩子尚迷他
読下 郭公は本自り意は浮華にして、四遠に栖は無く汝は最とも奢なり、性は蕭郎が女怨を含むに似、操(みさお)は蕩子の尚(なお)も他(あだ)に迷ふが如し。
和歌 誰里丹 夜避緒為手鹿 郭公鳥 只於是霜 寢垂音為
読下 たかさとに よかれをしてか ほとときす たたここにしも ねたるこゑする
解釈 誰の里に夜の宿りに避けて行ったのか、ホトトギスよ、それでもここにあっても、夜を過ごすようなホトトギスの鳴き声がする。

歌番42 佚名
漢詩 三夏鳴禽號郭公 従来狎媚叫房櫳 一聲觸處萬恨苦 造化功尤任汝躬
読下 三夏に禽鳴きて號して郭公、従来(このかた)、狎れ媚びて房櫳(ぼうろう)に叫(な)く、一聲、處に觸れ萬恨は苦しく、造化の功は尤(ゆう)して汝の躬に任す。
和歌 人不識沼 思繁杵 郭公鳥 夏之夜緒霜 鳴明濫
読下 ひとしれぬ おもひやしけき ほとときす なつのよをしも なきあかすらむ
解釈 あの人は気づかないでしょう、そのような私のあの人への思いは激しい、ホトトギスよ、短い夏の夜でも、片恋、片恋と、鳴いて夜を明かすようです。


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新撰万葉集、検索について (作業員)
2014-12-14 11:43:25
大学生レベルでネット検索で簡便に得られる「新撰万葉集」の原文及び読み下し文は、およそ、幣ブログ程度です。
そのため、ネット検索でヒットしやすいようにタイトルやキーワードを変更しました。
感謝 (千葉海風)
2023-09-04 14:46:14
ブログを拝見しました。新撰万葉集の序文の解読は古田武彦氏著作を読んで興味を持ちました。有難うございます。
状況の説明 (作業員)
2023-12-02 15:01:33
現在、新選万葉集とそれにきわめて関係する皇后宮歌合の現代語訳付けや漢詩の読み下しを行っています。
ただ、新選万葉集の漢詩の読み下しは非常に苦戦をしていまして、皇后宮歌合の方は新年年明けには修正版をブログに載せますが、新選万葉集の方は初夏までにはと考えています。
訂正のお詫びについて (作業員)
2023-12-18 13:44:34
2023年12月、和歌に現代語訳、漢詩に読み下し文を付ける作業を行いました。この関係で和歌と漢詩に校訂を行ったものがあります。また、訳文を付けたことで文字数が大分となり、4部に分けて載せています。上巻は第一部第二部に、下巻は第三部第四部に分かれています。
ご迷惑をおかけいたします。

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