たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

2. 野崎の目的/『研究コントローラー』

2016-02-10 21:45:39 | ネット小説『研究コントローラー』
 以下はフィクションです。実在の人物や団体などとはいっさい関係ありませんし、サイエンティフィックな内容についても実際には正しいことではないことも含まれます。

前のお話 1. ことのはじまり/『研究コントローラー』

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2016年2月10日(水)

 「ですから、今回、この手記を彼女が発表された理由っていうのは、そもそも研究社会の閉鎖的な習慣に問題があるわけですよ」
 野崎が研究コンサルタントとしてテレビの教養バラエティ番組で喋っている。芸人出身の司会者が合いの手を入れる。
 「野崎先生!ですけども、こんな本を書いている場合じゃなく、新たに原著論文を書いて科学者として反論すべきだ、って、多くの研究者の方は仰ってますよ?」
 「まったく。研究者っていうのは、キレイゴトをそれっぽく話すのが得意ですからね。彼女が今の状況で、どうやって新しく実験しろと言うのでしょうか?実験する場を奪っておいて、自分だけでいきなり実験研究が進捗できるわけがないでしょう?おそらく論文だって、日本語英語に依らず、彼女一人じゃマトモに書けないだろうし、そんな彼女を承知で『使い勝手がいいから』と今まで雇用してきたはずなんですけどね。そんなこと、研究者はみんなわかっているはずなんですが」
 司会者が意地悪な表情になった。
 「どうして、野崎先生からみると、多くの研究者の発言がおかしく映るのでしょうか?」
 野崎は小さく鼻で笑いながら、さらりと答えた。
 「さあ。よくわからないですけど。まぁ、実験研究を実際に自分でしたことがない理論系の先生達が、研究者代表ヅラをして、自身の学生実験の記憶だけを思い出しながら、あーだこーだ言うのは勘違いのもとだからやめた方が良いと思いますし、実際に実験をしてきている実験系の先生達は、特にこの分野、権威主義で、ことなかれ主義で、物事をよく考えていない人が多いですからね」
 「いやー、だから、野崎先生のような研究コンサルタントの方が必要なわけですね?」
 「いいえ、私など、専門家でもなんでもない微妙な立場ですよ。なので、視聴者の皆さん、私の言っていることが理系代表の意見だとは決して思わないようにお願いします」
 「野崎先生の謙虚な部分がやっとでたところで、ひとまずCMです」

 この野崎と今から話さなくてはいけない。あいつがこんなにもまっすぐカメラをみて流暢に喋っている様子を見ると、不自然に感じる。俺が会ったときには、もう少しナヨナヨしているヤツだったのに。
 突然1000万円を渡されてから、3日後。野崎からメールが次のように入った。
 「戸山渉さま、彼から逃げ切れたこと、誠におめでとうございます。あれは貴方の最低限の身体能力を判断させていただく試験です。ですから、ひとまずは、ご安心してください。それから、ほとんど誰にも連絡せずにいられたこと、これでもって正式に合格です。正式に集まっていただくのは3月なのですが、私が個人的にそれぞれと一度話した方がいいと思いました。きちんと説明いたしますので、2月10日水曜日16時に品川駅のカフェ・ムーンバックスにてお会いしましょう、野崎正洋」
 かなりでかい男だったが、倒された以外はただひたすら逃げただけだ。倒されたときに咄嗟にきちんと受け身をとったので、ほとんど無傷だった。怖かったが、怖すぎて、ほとんど誰にも話さなかっただけだ。村川には喋ったが、彼女の香奈には喋っていない。はじめ村川は「それ嘘だろ。どんな確率だよ」と信じなかったが、現金を見せたら顔色を変えて「今はあまり動かないほうがいい。状況を判断する材料が自然と現れるはずだ」と冷静だった。
 前回はビルの一室を借りていたようだが、カフェとは、今回はずいぶんカジュアルな場所のチョイスである。
 「承知いたしました、戸山」
 とだけ返しておいた。それにしてもあんなでかい男に襲わせて、それが試験か?いったい、何のために?「やっぱり怪しい」と俺は思い、1000万円も返そうと思って一切使わないようにした。

 野崎との約束は16時。俺はその場所に向かった。15時30分、まだいないだろうと思っていたが、野崎は長身の黒服の姿で一番奥の席に座っていた。身体の割にスモールサイズのカフェラテを飲んでいる。似合わない。それから少しケチなんだな、と俺は思った。
 「野崎先生、戸山です」
 「早かったね。まぁ、こちらの予想通りだけど。なんにも頼まなくても、人も少ないし、目立たないし大丈夫だと思うけど、何か飲みたい?」
 そう言いながら千円札をひらひらさせてきた。
 「飲み物くらい自分で買えます」
 と冷たく言い放ち、「今日のコーヒー」のトールサイズを持ってきた。
 「最初に訊きたいんですが、なぜ、あんな大男を使って、僕の身体能力をチェックしたんですか?」
 「焦らない。焦らない。戸山くんが研究を遂行するのに最低限の身体神経が必要、ってだけさ」
 研究を遂行するのに身体能力を問われるって、どんな研究を俺にさせるつもりなのだろう?意味が分からない。沢山実験できるだけの体力はそれなりにあるつもりだが、それだからって、わざわざあんな男を雇って襲わせるか?、普通。
 「それから、僕が早めに来ると思ったのは何故ですか?」
 「あぁ、それは簡単なことだよ。ただのパターン」
 「パターン、ですか?でも待ち合わせするのはこれで2回目ですよ?」
 「私くらいになると、最初の1回目が偶然なのか、それともその人の性質なのか、簡単に見抜けるようになるのさ」
 そんなものか。確かに俺は前回も早めに行ったし、野崎ほど色々な人と出会うとそういうことに長けてくるのかもしれない。
 「というのは完全に嘘で、実は戸山くんが発信しているSNSの情報をすべて見ていたからなんだけどね」
 「え?僕が使っているSNSはすべて友達限定でしか見ることができないはずなんですけど」
 「そう思っているのは戸山くんだけだよ。見る方法はいくらでもある」
 なんだと?おい、こいつ、俺のことをハッキングしてたのか?
 「これからは気をつけてもらわないと困るから言うけど、戸山くんはカメラや録音機器に意識を向けなさすぎだ。戸山くんが使っているMucintoshだけど、カメラとマイクがついているのは知ってるよね?」
 「カメラは知っていますが、マイクはついていないでしょう?」
 「戸山くん、当然マイクもついているよ。パソコンで電話したことないのかな?」
 無い。おい、まさか、こいつ、実際に俺が喋ったプライベートな会話まで聴いていたんじゃないか?
 「というわけで、あくまで私が把握している範囲だけど、あの後、戸山くんは、村川晋也って友達と、綾瀬香奈っていう彼女さん以外には、この件は喋ってないよね?」
 俺は驚いて口を開けっぱなしにして目を見開いた。
 「よかった。その表情は正解みたいだ。よろしい、よろしい。これからは、パソコンやスマートフォンをすべて切ってから、プライベートなことをしたほうが良いよ」
 薄笑いを浮かべながら野崎は行った。何もよろしくない。おい待て、こいつどこまで俺の会話や声を聴いていたんだ?聴いているだけじゃない!見ている可能性すらある。
 「大丈夫、あまりにプライバシーを侵害しそうなことは、映像は切って音声だけにしていたし、さすがの私でも、得られる情報のすべてを見聞きすることはできない。それに大前提、私は君の趣味や私生活そのものに興味は無い」
 「他人のプライバシーをなんだと思ってるんですか!やっぱり、この話は断ります!」
 「と言っても、1000万円は今返してくれないんだろ?」
 「あんな金、すぐ返しますよ」
 「あれだけ、金がない、金がないって、SNSでも、現実でも、ぼやいていたくせに?」
 「そんなこと、今、貴方に関係ないじゃないですか!」
 「まぁ、待って。やっぱり話は最後まで聴くべきだと思うよ?これを聴いたら、おそらく戸山くんは喜んでミッションに参加してくれると思う」
 俺は帰ろうとした身体を全力でとどめた。「捨てることはいつでもできる。もしものときのためにとっておいたほうがいい」サンプルをさっさと捨てる習慣がついていた俺を見て、研究室の先輩が言ってくれた言葉を思い出した。
 「ミッション?」
 「そう。ミッション。それを説明するために今日は来てもらったからね。まず、前にも言ったように、RC制度の院生には共同研究をしてもらう。戸山くんの共同研究先と研究内容はすでに決まった。慶明大学の高野翔先生と一緒に、大腸菌をリポソームのなかに入れて培養する、という内容の実験研究をしてもらう。高野先生は慶明大の有機合成化学専攻、山岡忠雄教授が主宰する研究室で特任准教授をしておられる。山岡先生と、戸山くんの指導教員の渡辺先生には、私から話をつけるつもりだから、その点は心配しなくて大丈夫だ」
 「リポソームのなかに大腸菌を入れて培養するんですか?それはどういった分野で、どういった意味があるんでしょうか?」
 「待った。研究内容に関しては、いったんおいておこう。4月以降に話したとしても十分だ。それよりも重要なことがある」
 「研究内容よりも重要なことですか?」
 「そうだ。このRC制度においての重要なミッションとしては、研究内容については至極どうでもいい。もちろん、それなりに形になりうるものを私から戸山くんに提供はするが、そんなことよりも、戸山くんには、とにかく、この山岡研究室の内部を隈無く調べてほしいんだ。この山岡研究室というのはとても怪しい・・・、らしい」
 「スパイしろ、ってことですか?」
 「飲み込みが早いね。その通り。スパイとして、潜入してもらう」
 やはり、そういう内容か。野崎が研究内容そのものについてはどうでもいいと言っていた理由がよくわかった。研究はそっちのけでも構わないから、とにかく怪しい研究室の実態を掴んでくれ、ってことか。そのために俺は金を渡されているってわけか。だから、いざという時のために、身体能力もチェックされたわけか。理由はよくわかったが、むかつく。ここまでバカにされていて黙ってはいられない。
 「それなら、いくらでもハッキングできる野崎先生が自分でやればいいじゃないですか?」
 「ただの一個人である、しかもITに疎い戸山くんと、私大トップである慶明大学の内部に存在している一研究室である山岡研を調べるのは、全然違うんだよ。当然、私が調べられる範囲では調べてはいるのだが」
 「でも、何を調べれば良いんですか?」
 「うーん、そう言われると困るんだよなぁ。調べる内容というよりも、まずは今、日本の多くの研究室で起こっている事件を説明しようと思う」
 研究室で起こっている事件?論文不正か何かか?
 「ここ最近、行方不明になる大学院生や若手研究者が、僅かながら増加傾向にある」
 「でも、昔から一定数、大学に来なくなってしまう大学院生はいたんじゃないですか?」
 「もちろん、その通りだ。だが、もっとマクロスコピックに物事を見てみると、局所的なバランスが乱れている」
 「と言いますと?」
 「仕組まれている、ように思える。昔は、この分野にはこれくらいの割合で一定数やめてしまう人がいるであろう、という、ある種の因果関係が言えた。だが、ここ最近、特にこの一年、一部で分野別の離脱者の期待値に依存せずに、やめてしまう人の割合がほんの僅かに増えているんだ」
 「仰っている意味がわかりません。どんな分野でも、あらゆる分野で平等に研究室を辞める人が増えた、という意味ですか?」
 「まぁ、そう言い換えてもいいか。そうそう、つまり、一見すると、研究室を途中でやめてしまう人の率はそんなに変わらないように見えるんだけど、分野別でみたときに、目立たないようにバランスが少しずつ崩れていて、実際その数は僅かなんだが明らかに増えているんだ。おそらく、目立たないように、そこまで考えて、誰かが消しているんだと思う」
 消している?って、それはどういう意味だ?思った疑問をそのまま野崎に言ってみる。
 「それは、どういう意味ですか?」
 「おそらくは、実際に誰かが危害を加えているのだと予想される」
 「ということは、殺人って意味ですか?」
 「いや、遺体はでていないから、殺人とは呼べないよ」
 「じゃあ、誰かが誘拐している、ってことですか?」
 「・・・正直、わからない。とにかく不可解な行方知れずが、ここ最近多いのは事実だ。私はこの件について調査依頼を受けた。いや、正確に言うと、ある資産家から、ある大学院生の捜索を頼まれた。研究室関連の依頼を他にもいくつか受けていて、とりあえず調べやすそうなところからあたってみていたんだが、よくよく調べてみたら、この事実にたどり着いた」
 確かに大学院にいると、人はよくいなくなる。でも、いなくなってしまう人たちがどこにいくのか、実はよく知らない。指導教員の先生がきちんと別の道を確認しているケースが多いとは思うが、なかには研究室にいつまでも所属しながら徐々に来なくなってしまい、放ったらかしになってしまうケースもある。それ自体はよくあることだ。そして、この「よくあることだ」という思考停止は、実は大学院では往々にして行われている。その来なくなってしまう人たちが実は殺されているのだとしたら?誘拐されているのだとしたら?いったい何の目的で?それは確かに解決しなくてはいけない問題だ。あれ?でも親が気がつくんじゃないか?
 「で、戸山くん、やるでしょ?」
 野崎が俺の思考の途中で割って入ってきた。だが、野崎からの質問で初めて即答できる質問だった。
 「やります」
 「それでこそ私の知っている戸山くんだ。無駄に正義感の強い戸山くんなら、引き受けてくれるはずだと思ったんだ」
 無駄に、って、野崎はいつも、こういう一言が余計だと思う。こういう言葉さえ無ければ俺は野崎のことが好きになれるし、それは俺だけじゃなく、他の人だってそうなはずだ。
 「戸山くんの共同研究先である慶明大学の山岡研では、現在D4の井川英治くんが、おそらく昨年の10月頃から行方不明になっている。実際、今も在籍はしているし、もともと研究室は休みがちだったようだ。はじめ、10月からだから、博士論文の題目決めがあるはずで、それで現実逃避のために休んでいるのか?、と思っていたんだけど、私の依頼人が、それはおかしい、と言ってきてね・・・」
 「僕は、その井川さんって人の情報を集めればいいんですか?」
 「いや。というよりは、学生である戸山くんからの視点として、山岡研内のおかしな点をあげてもらえればいい」
 「でも、来年D1の僕と教授とじゃ、あんまり接点がないんじゃないでしょうか」
 「そうだね。でも、逆に言うと、山岡教授は戸山くんなんかに気をつけないから、都合がいいっちゃいいんだよ」
 本当はスパイをする目的で、大義名分として共同研究を持ちかけようとしている野崎は、ものすごく平然としている。そんなこと当然だろ?と言わんばかりに。とんでもない事実を目の前にして、俺は緊張してきた。俺はふと、自分がカフェにいることを意識した。この会話、聴かれていたらまずいだろ。と思ったが、周囲は閑散としている。これも計算済みなのだろうか?
 「戸山くんに特にお願いしたいのは、ゼミだ。ゼミは研究室の空気の8割以上を作る。そして、これはこないだの面接でわかったことだが、そのゼミにおいて、戸山くんは全然何についてもついてこられないほど、頭が悪い」
 俺はムッとした。
 「なので、スマートグラスを使ってもらう。これで私とこっそり電話をしながらゼミに参加してもらう」
 スマートグラス。あのgogleが出したヤツか。
 「使い方の練習をしなくちゃいけないな。3月になったら渡すよ。あと、今後の私との連絡用に、このスマートフォンを持っておいてくれ」
 業務用のスマホか。まぁ、便利だろう。と思って受け取ると、チャット形式のSMSのアプリしか入っていない。
 「これは?」
 「ああ、それは、通常のインターネットの回線ではなく、まったく別の回線を利用するスマホなんだ。原理はほとんど同じなんだけどね。だからアプリがSMS一個しか入ってない。普通のインターネットにも繋げない。そのかわり、ハッキングされる心配も無い。いわばパラレルインターネットだね。だからそれは、パラレルスマホってわけ。私との連絡に最適だろ?」
 「え?誰にハッキングされる、っていうんですか?」
 「戸山くん、少しは自分の頭で考えましょうよ。犯人に決まってるじゃん」
 「そこまで能力が抱負な人っていますか?」
 野崎は立ち上がった。どうやら帰るつもりらしい。座っているときの姿勢が悪いせいか、立ち上がると余計に長身に感じる。
 「というか、相手はかなり大人数なんじゃないかなぁ。あ、そうそう、当たり前だけど、この件は内密に。まぁ、村川くんと香奈さんに話すかどうかは、戸山くんに一任するけどね。今後はそのパラレルスマホに連絡するから、よろしく。じゃあ、私は次の約束があるから、これで失礼するよ。くれぐれも、カメラとマイクに気をつけてね」

 時計の針は16時30分をさしていた。そう言い残すと、野崎はカフェラテを一気に飲み干し、店を後にした。なんだか話が大事になってきたが、とりあえず、ここで少し修士論文の修正作業でもするか。そのほうが心を落ち着かせることができる。そう思い、ノートパソコンを広げた。


 18時、俺は都内の、先ほどとはまったく別のカフェにいた。
 「貴方の言った条件はクリアしたわ」
 「そうかもしれないが、やはり危険だ。どんな方法でやっているのか、まだ何もわからないんだぞ」
 そう言いながら、俺は次の言葉を探していた。
 「私は京阪大学に行く。私は彼女を信じているから」
 「だが、それだとテーマが思いつかない。何よりも君をあのような環境に身を置かせるわけにはいかないんだ」
 「女だからって、バカにしているわけ?」
 「そうではない。ただ、何かがあったときに、危険すぎると言っているんだ。ただでさえ、あの研究室はネットで良い噂は聴かない」
 「わかったわ。それなら倍だす。だから、テーマを考えて」
 まったく、バカとハサミは使い用、と言うが、あの2人のほうが、遥かに使いやすい。これだから高圧的な女は嫌いなんだ。
 「それで、あの2人、潜入してくれそうなの?」
 「ああ。私の適切な人選と、君の演技力の賜物だよ」
 俺はうんざりしながら、自分の腕時計のベルトをいじって会話を止めた。

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3. スマートグラスの威力/『研究コントローラー』につづく

ただ、この2. の話のアクセス数によっては、つづきません笑。
ちなみに、現在、4. のタイトルまで決まっていて、「4. RCの意味/『研究コントローラー』」です。お話の骨格としては、最初から全部決まっています。
コメント (2)
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