たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

心をゼロにして

2016-02-09 01:17:25 | Weblog
 「そんなんでわかるわけないだろ!」とゆびを指して言い放ちながら1人に責任を押し付けて、後ろをチラチラ気にしながら自分の言葉が(この場所での)マジョリティであることを確認する卑劣さを実際に享受しながら、自分自身の行いを省みてみる。

 俺はこのような理不尽さに、常に『それでも!』と都合のいい言葉を自分の心に振りかけて、受け入れようとしてきたのではないか?と。今はまだ良いかもしれない。どんな人間にも迷惑として作用していないのだから。でも、それは、未来に対して、どのような作用を及ぼすかを、一度めちゃくちゃ冷酷に見つめてみなくてはいけないのかもしれない。
 確かに、それすらも俺が変えてやる、という気概の持ち方を俺は宿している。だけど、前にも何度も言っているけど、俺の想いの容量は無限大ではない。確実にリミットがあるものだし、それは時間にも依存している。これ以上、あらゆることに対して、付かず離れずを繰り返していても意味がない気がしている。

 何も自分に責任を課さずに人生を生きている気分に浸るのは、恐ろしく心地いい。自分が本来的にすべきことをいったんすべて投げ捨て、くだらない作業と文章作成に齷齪することで、自分の立場と大義名分ばかりを考えている、ありきたりな研究者の仕事に従事しながら、本当の本当は何がやりたいのか、俺個人として、たった一人の自己認識として、何をしたいか?と問われると、その問いはすでにあらゆる面で叶っているからだ。

 今、久しぶりに、ある種の心からの晴れやかな気分でいれるのは、原理的に無理なことを達成しようとして得られた能力と言葉のぶん、そもそもの俺の願いとして、十分に満足に達しているからだと思う。
 っま、そのような気持ちを抱いてしまうほど、ひどく疲れているだけなんだ、、とも言えるけどね。

 "The most glorious moments in your life are not the so-called days of success, but rather those days when out of dejection and despair you feel rise in you a challenge to life, and the promise of future accomplishment"

 またここから始まる?でも、少なくとも、それが尊いのだ。
 一度心をゼロにして、すべてをオーディションしなおしてみよう。
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