たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

優等生気取りと怠惰系開き直りタイプ

2017-01-24 01:48:11 | Weblog
 "なるべく失敗しないで最短コースで人生を歩みたい。そのためなら一時的にでもどんな価値観にも心を染めよう"
 こう思っている限り、どんな自己実現もできないだろうと思う。

 俺が何かの考え方やメソッドを話したり提供したときに、そこに個人で構築した価値観を何も入れ込まないままに、"ぜひ失敗しないための方法を教えてください"という優等生風を吹かすヤツも、"こんな環境だから自分が怠惰なのは仕方ないですよね?"と開き直るヤツも、俺は等しく呆れてしまう。

 優等生気取り君は、"自分だけにお得な情報を"と考えているところが、おこがましいのである。俺が、自分の価値観のもと、全力でぶつかった経験を、単にコスパの良い材料としか思っていない。
 へーこらしていると見せかけて、いずれ本性を現す。俺のことを、「もっと正統派に努力すればスゴいのに」などと勝手に評価をし始めるから、悲しくなってしまうことが多い。「ブログや、感情など、余計なことに思考を使っている時間を、すべて実験や研究にまわしたら、スゴいヤツなのに」と思っているような、こういうバカに飽き飽きしている。俺が、あなた方の方法では絶対得ることができない"考える能力"を維持できているのは、こっち側のおかげでもあることを何もわかっていない無能力さを、俺は擁護してあげられないからだ。
 このタイプは、俺を一時期かってくれたとしても、表層的な俺の能力だけをかってくれている点で、こちらが虚しくなってしまうのが常である。

 一方、怠惰系開き直りタイプには、"自分が怠惰で居続けるためのロジック"として、俺の経験を勝手に追体験することで、先回りして分かった気になっているから、同様の残念さを感じる。
 全力でやってみて、ぶつかってみて、どうだったか?というような経験もしていないで、勝手に「何やっても同じですよね?だから努力なんてしないほうがいいですよね?」というように、俺と自分を同一視してくることが、え?って思うのである。この辺りが、多くの理論研出身者が(実験という圧倒的な現実をきちんと自分の目で観てみようとしないから)ダメだなぁと思うのと同じことなんだけど、何かの同じ帰結に(思えていることに)辿り着いているからといって、同じ部類のヤツだと勝手に分類しないで欲しい。自分の価値観のなかで、実際にぶつかってから同じ理詰めを得ているならまだしも、、俺の話を、自分が怠惰であることの正当性の証明に使わないでね、っと思ってしまう。
 こっちのタイプは、たいてい、俺がやや成功しはじめると、(俺だけが)ラッキーでイイなぁ、と思い込もうとする点で、こちらが虚しくなってしまうのが常である。

 この二つのタイプの"勘違い君"たちは対立的な構造になりがちである。どちらにも正しいところがあり、どちらにも悪いところがあるのだが、両者ともに、自分こそが正統的だと思っている。それ自体は間違っている。共通して言えるのは、「自分が構築した価値観を基準に生きていない」ということである。
 だから、かなり不条理なことでもその先のより良きを妄信し、いくらかの偽りを認識してもとにかく何かを成立させようと没頭することで、真実を観ないことが習慣化してしまう。
 だから、少しでも不条理な香りを感じたら全面的に逃げ、いくらかの善意がチラ見えしても何かの枠組みから逃げ続けることで、真実を観ないことが習慣化してしまう。

 まず、ベースをきちんとゆっくり考えてみること。その上で、チャレンジしてみること。それらを繰り返して、自分の価値観を更新し続けていくこと。
 そのような当たり前のこともしていないから、自分の経験が枚挙的になり、経験した意義がいちいち失われていくのである。自分が持っている哲学をベースにしながら行動原理を決め、いくらかのチャレンジをしながら、自分の哲学を更新していけば、勝手に頭は良くなるし、成立するし、多くの人から信頼を得られる。
 そっちのほうが早いし楽しいと思わないのかい?それとも、とにかく今、泡沫の業績か、実の無い論理に、しがみつきたいのかな?