砂漠の悪魔 | ||
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読了日 | 2015/12/28 | |
著 者 | 近藤史恵 | |
出版社 | 講談社 | |
形 態 | 単行本 | |
ページ数 | 290 | |
発行日 | 2010/09/29 | |
ISBN | 978-4-06-216454-2 |
年11月終り頃だったか、飲みなれたコーヒーのブランドを変えた。それについては、ここにも書いた。あれから400g入りの袋を、2袋分飲み干して今すでに3袋目の半分くらいを飲んでいるところだ。最初の内は味はともかくとして、飲みなれたコーヒーの味が違うことに、多少の違和感があったが、僕の鈍感な味覚は、好きなコーヒーの味もよくわからないのだ。
結婚したての頃は、緑茶が変わったことや、米の種類が変わったことなど、言われなくともすぐに気が付くほど、味に敏感だったことが信じられない思いだ。当時僕は動物的な勘が働いていることも、身体で感じていた。
と言うのも、車の運転についてスピード狂とまではいかないものの、制限速度を超えることはしばしばあった。だが、今日はこの道でネズミ捕りが行われていると感じると、その通りだったことが何度もあったからなのだ。 文化文明の発達していなかった時代には、人間の五感は今よりずっと敏感だったことは、よく言われていることだが、僕は当時自分の身体でそんなことを実感しているつもりでいた。
しかし、歳をとるにしたがって、そうした勘のようなものが、だんだんとなくなってきたようだ。ミステリーに登場する刑事が長年の経験と勘で、容疑者を見極めるなどと言うことがあるが、僕は全くその逆で五感の冴えは次第に衰えていく感覚に、少し寂しい感じがしている。
そんなことで、コーヒーの味も分からなくなっているのかと思うが、それはまた別次元の問題か?
それでもなお僕は、出来るだけおいしいコーヒーを飲みたいと思う欲求はあって、400g入りの袋を買ってく ると、ジッパー付きの小さなポリ袋に、10~12gくらいずつを詰めて、35杯から40杯位になったものを、冷凍庫に保存する。酸化防止や湿気を遮断するためだ。一方で僕の頭には、そんなことをしたって、味がわからないのでは仕様がないじゃないか、と言う思いも沸くのだが、それでもそうした方が旨いコーヒーが飲めるのだということを信じて、やっているのだが・・・・・。
藤史恵女史の作品は本書で29冊目となった。これほど多くの作品を読んでいる作家は多くはない。
著者は数多くの魅力的なシリーズキャラクターを生み出しており、幅広いファンに支持されている作家だ。僕の観点からすれば、もうとっくに直木賞をとっていても不思議はない、と言う思いを持つのだが、ファンのひいき目だろうか。
本書はどのシリーズにも属さない単独のストーリーで、青春ミステリーともいえるが、ハードな内容を持つストーリーだ。タイトルから想像できるかと思うが、前回に引き続き海外を舞台にしたストーリーとなった。 高校時代から、望みもしない友が親友という思いを押し付けることに嫌気がさして、ちょっとした悪意から、その友人を自殺に追い込んだ男の逃避行の物語だ。
人間だれしも持っていると思われる二面性を追求する、そう言った思いを抱かせるストーリーで、どちらかと言えば僕の苦手とするジャンルなのだが、そこはベテラン作家の腕の冴えで、一気に読ませる力を持っているのだ。
自殺した友人の父親が警視庁捜査1課の刑事であることや、主人公の弱みを握る暴力団組織の幹部など、さまざまな人間と関わりながら、中国の辺境地域に逃亡する彼が遭遇する衝撃的な光景だ。 古いアメリカのテレビドラマ「逃亡者」とは異なる状況だが、一体この主人公の行き先はどこなのだろうということに、恐怖とスリルを感じさせながら、ストーリーは進む。
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