まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

こんな会社辞めてやる

2016-06-06 | 暮らし

棚を整理していたら、昔のメモがはさんであった。誰か宛てに書いて誰にも見せなかったものだ。

『主人がぽろっと弱音を吐きました。30年一緒にいて始めてです。社長と副社長にかみついたので、役員である自分は首になるかもしれないと。ついこの間まで、上の決めたことに従うのは当たり前だろとわたしに言っていたのに。

「宝くじ当たったらやめてやる。」とか、「ふたりでソバ屋でもやるか。」とか、そばも打てないくせに、自分が蕎麦が好きだからとはいえ、辞めるなどと言ったことなかったのに、おまけにその台詞は、わたしが時折言っていて、笑われていたことでした。

広島に営業の研修に何回か出かけていたわたしは、「辞めた後、何が出来るかうちたてられんで、簡単に辞めるというのはいかんじゃろ。」と、広島弁になっていました。

「それに、調理師の免許を持っているのは、わたしじゃけん、わたしが店長じゃけんね。」と、何で広島弁なんやろ、あはは・・と、茶化しました。夫婦であっても見えない部分は分かりません。特に、会社のことは。できることは、「笑って、笑って」でした。広島出張で目についた団扇を買って帰りました。猫の絵に「毎日の中で一番むだに過ごした日は、笑わなかった日です。」と、書いてあったからです。』

ということを書いたのを忘れていた。そういえば、バス事故が多かった時があったなあ。テレビ出演していたなあ。頭を下げていたので、おとうさんは頭のてっぺんで仕事してるって子供に言った。新聞に写っている写真は、社長と並んで頭をさげていたっけ。白髪頭で禿げていなくて良かったなあと、笑い事ではないのに。その頃、癌が芽生えたのでは?わたしといるときは、殆ど笑っていた。けんかもしなかった。映画や落語を観て楽しんでいたのは、現実から逃げたかったからだろうか。

それにしても、あの団扇はどこへいったのだろう。


バーベキューにたどり着くまで

2016-06-06 | 暮らし

日曜、朝8時から町内の「河川愛護及び美化」(早い話が草刈り)に行く。川沿いを八号線までずっと歩きながら、追い越し追い越され草を刈っていくのである。女性はわたしを含めて5人だけだった。鎌をふるう手はだんだんしびれてくる。両手で刈るが葛の蔓も伸びていて、お嬢様育ちの私には重労働である。おまけに、いつもの年より進み方が遅く、家へ帰ったら10時だった。風呂に入り、洗濯を乾して大急ぎで出かける準備をする。

今日は山代温泉のしょうぶ湯祭りで、3年生が神輿と踊りを踊るので見に行く約束をしていた。子供たちが「先生、見にきて、手ぇふってや。」と、言ってコースのお知らせを見せてくれたのだ。「行けたらいくね。」と、言う返事は「行けない。」と、言うことになるので「行くよー。」と、返事をしたのでこの約束は守らなくてはならないが、草刈りの時間が長かったので神輿は見ることができなかったが、なんとか九谷の広場での踊りには間に合った。ちょうど「手を振って」と言っていた子が手前に来てラッキーだったが、他の子が見つからない。130人くらいの似たようないでたちの中を探すのは難しいが、終わって整列している時に何とか見つけた。ケーブルテレビと、新聞社が来ていた。

やれやれ、集合時間11時というのに遅れてしまった。恒例の加賀市の弓道協会のバーベキューである。刺身あり、魚介たっぷり味噌汁あり、猪の肉がある。若い子が買い出しに行ってくれている間に、玉ねぎやキャベツを切る。H先輩は、大量の魚をさばく。イカを焼く。H先輩は、猟師と漁師で工場の社長である。鴨も捕るのである。今日も鴨肉も焼いた。今日はいつもの年より少なくて、11人だったので食材が余って、手作りのフグの干物と鯵の干物をお土産にもらった。

朝からバタバタしていたのは、ここへたどり着くためだったのだ。