棚を整理していたら、昔のメモがはさんであった。誰か宛てに書いて誰にも見せなかったものだ。
『主人がぽろっと弱音を吐きました。30年一緒にいて始めてです。社長と副社長にかみついたので、役員である自分は首になるかもしれないと。ついこの間まで、上の決めたことに従うのは当たり前だろとわたしに言っていたのに。
「宝くじ当たったらやめてやる。」とか、「ふたりでソバ屋でもやるか。」とか、そばも打てないくせに、自分が蕎麦が好きだからとはいえ、辞めるなどと言ったことなかったのに、おまけにその台詞は、わたしが時折言っていて、笑われていたことでした。
広島に営業の研修に何回か出かけていたわたしは、「辞めた後、何が出来るかうちたてられんで、簡単に辞めるというのはいかんじゃろ。」と、広島弁になっていました。
「それに、調理師の免許を持っているのは、わたしじゃけん、わたしが店長じゃけんね。」と、何で広島弁なんやろ、あはは・・と、茶化しました。夫婦であっても見えない部分は分かりません。特に、会社のことは。できることは、「笑って、笑って」でした。広島出張で目についた団扇を買って帰りました。猫の絵に「毎日の中で一番むだに過ごした日は、笑わなかった日です。」と、書いてあったからです。』
ということを書いたのを忘れていた。そういえば、バス事故が多かった時があったなあ。テレビ出演していたなあ。頭を下げていたので、おとうさんは頭のてっぺんで仕事してるって子供に言った。新聞に写っている写真は、社長と並んで頭をさげていたっけ。白髪頭で禿げていなくて良かったなあと、笑い事ではないのに。その頃、癌が芽生えたのでは?わたしといるときは、殆ど笑っていた。けんかもしなかった。映画や落語を観て楽しんでいたのは、現実から逃げたかったからだろうか。
それにしても、あの団扇はどこへいったのだろう。