まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

紫陽花

2019-06-29 | 暮らし

何十年も前、若かりし頃、詩など書いていた。そして、花の名の漢字が好きだった。特にあじさいはいいなと思って書いたら入選していて読んだら、選者が添削していて、わたしの詩ではなくなっていた。それきり、その本に投稿しなくなった。気に入らなかったら入選にしなければいいのにと思った。

「詩とメルヘン」に投稿したときは、どんな時も、やなせたかしさんは一言一句そのまま載せてくれた。

そのまんまを受け入れてもらえることは嬉しいことだと思った。

ピンクと青が入り乱れているのが不思議だ。アジサイは「紫陽花」と書くけれど、「七変化」とも言うのだそうだ。でも、七変化だと、なんとなくしっくりこない。

どうしてこんなに種類があるのだろう。すべて、実家のまわりにあるのだけれど、いつの間に種類がこんなに増えたのか、毎年見ているはずなのに。それぞれの名前があるのかもしれないが、ぜーんぶアジサイということで、とにかく愛でましょう。

 

 


天国は退屈

2019-06-29 | 暮らし

実家の周りは花・・花・・花。

 

母に「極楽みたいやねえ」と、言うと「ほんとに・・タクシーの運転手さんも、こんなきれいなところないわって言うとったわ」と、しみじみいう。

多分、周りに家がないし、車も通らないので余計にそう思う。この頃、少し物忘れをする母は「早くあの世へ行きたいわ」などと言う時がある。

父の見舞いの帰りに、中央公園のスイレンを母に見せるために車を寄せて歩いた。

「きれいやねえ・・・。こんなとこがあるのを知らんかった・・・。」と、3回くらい繰り返す。

極楽は退屈らしいよ・・と、母に言う。菊池寛の「極楽」の話をする。

お釈迦様が蓮の花の周りを静かに歩いて、ハスの花の蕾がぽんと開く音がするくらい静かなんやって・・。

そんなとこに、おられんなあ。今のほうがいいかもしれんねえ。また3回くらい繰り返す。


坊主あたま

2019-06-26 | 暮らし

庭木が伸びて、金木犀などはアフロヘアみたいになってしまった。庭の草むしりに加えて落葉の処理が大変となる。

植木屋さんに「スパッと切ってください」と、言うと「どういう感じに?」「野球部の選手みたいに。五厘刈りに」と、言うと植木屋さんは笑っていた。気持ちは伝わったようだ。

しかし、五厘は何ミリ?そして、野球部って丸坊主だっけ?

わたし達が中学生の時、女子はおかっぱ。男子は坊主頭だった。学生服は詰襟とセーラー服。陸軍と海軍の兵隊さんか。今でも男子の制服は詰襟だ。女子はセーラー服ではなくグレーのスーツ。

おっと坊主頭の話だった。いや、植木の話だった。

おおっ!!金木星は確かに五厘になった。 

 こちらはどうか。

 おかっぱ頭だ。木は勢いがあるので、またすぐに伸びますよと言われた。

伸びないのは、わたしの身長と、教養と、弓道の技術だ。

 さっぱりしていいもんだ。さっぱりという言葉は、下手くそで「調子は、さっぱりや・・」と、言う時にも使う。

 


梅仕事

2019-06-25 | 料理

母が「今年は梅がならない」と、言うのでそうかなと思って見上げると確かに少なく見えたが、それは視力が悪いせいだったようだ。緑の葉に緑の実は分かりづらい。昨日、地面に黄色くなった梅がたくさん落ちていて見上げると、黄色い梅がたわわになっている。

友達と一緒に採る約束をしていたが一刻も早くとるほうが良い。脚立に登っても届かないところにかたまって実っている。梅酒は青梅だが、色づいたのは梅干しにちょうどいい。

いろいろ調べてみたら、完熟の梅でも梅シロップや梅酒にしても良いのだそうだ。ただ、少し砂糖を控えたほうが良いらしい。

ビニル袋に入れて友達二人に分けた。それでもまだ5キロほど余った。

梅仕事は大変だ。きれいにゴミを取って洗って乾かす。

今回は「さしす梅干し」砂糖、塩、酢で漬ける梅干しだ。土用に3日3晩外に干すが、塩辛くなく、シソも入れなくてよい。婆さんの梅干しがまだ2瓶あるのだが、塩辛い。カビないように作るので塩辛いのである。弁当に持っていくがもっと優しい味がいいかなと思っていたので、少し酸いが「さしす梅干し」は、良いかと思う。

ついでに、梅酒を作る。マイブームで紹興酒を飲んでいた時があったが余っていた。ブームは去ったのである。なので、紹興酒とはちみつとザラメを入れてみた。乞うご期待。

普通の梅酒も作った。廊下の棚に入れる時、奥からだいぶ前に作った梅酒が出てきた。殿が亡くなった年の梅酒だ。銘は「totyan」(父ちゃん)である。まだ飲んでいない。いい色だ。

先日、夢を見た。そのことを娘に言うと「kenが、今日じぃじのことを考えたら曇り空が晴れたんやと、言うとった」とのこと。なるほど。

夢の中の殿はスーツを着ていて、出張だと言っていた。「どこへ出張か」と、娘。

「単身赴任やな。天国へ」「どうしとるかな?」「やかましいおかんがいなくて、のびのびしとるよ」「だね」

 

 

 

 

 

 

 

 


手抜き弁当 お助け松井さん

2019-06-21 | 料理

今日はレトルトカレーだ。

先日、弟が帰ってきたときに面白いのでお土産に買ってあげたのだが、自分でも食べてみたくなった。松井秀喜のカレーである。

これは、ご当地グルメなのだろうか。いや、販売元は「株式会社ニッポン放送NPM1」と、なっている。ううむ・・謎だ。

2種類あって「練習中 ニンニクなし」「試合前 ニンニクたっぷり」と、ある。

ちょい値段が高いのは松井秀喜が殿堂入りの人だからか。それでも、石川県人は松井秀喜が好きだ。母が言う「男前より、松井みたいな面構えが男としていい。あごの細いのは駄目や。がっしりしたあごがいい」と。と、いうことは男前ではないということか。

そして、殿のことを「松井みたいや」と、言った。確かにイケメンではない。実直な顔というのは確かにあるな。

昼にお弁当代わりに皿に入れて、温めたカレーを食べたら結構おいしかった。付け合わせにキュウリの漬物と得意の半熟卵。「練習中」の方だったので次回はニンニクを!!

 


紙一重

2019-06-18 | 暮らし

頭が良すぎると狂気に走るということを聞く。少し抜けているくらいがちょうどいいんだと凡人が慰め合う時に言う。それは定かではないが、「馬鹿と天才は紙一重」とは昔からいうので、あながち嘘ではないようだ。

さて、多くの人が集まるいろいろな会で、組織が大きくなればなるほどいろいろな人間模様がみえてくる。厄介だなあと思うと務まらない。会社なら「給料に見合うだけの働きをしなければ」と、言えるが。実は給料に見合うだけの働きをしていたかどうか自分でも疑わしい。誰かのお陰で働かせてもらっていたかも。

さて、いろいろな人がみんな丸く人間味あふれる人ばかりだったらどうだろう。人の悪口一つ言わない人ばかりだったらどうだろう。愚痴も言うし、不平も言うし、憤慨もしている自分は人間失格となる。でも、不思議な人や、困った人に出会うと、お互い様だなと思えたりする。凸凹で不足があるから補い合う。力を借りたり、ないながらも力を貸す。

丸いボールを段ボールに入れたらスカスカの空間がたくさんできる。でも、凸凹の物は、箱に入れたらパズルみたいにぴったりはまって、中身がずっしりと重いものになる。みんな凸凹でいいんだと気づいた。

しかし、わたしは凸凹以外に、中身がスカスカだったりして。この辺を人に悟られないように生きていかなくてはならない。

 


毎日のお弁当

2019-06-16 | 料理

仕事に行く日の弁当は定番で代わり映えがしない。茹で卵と、ブロッコリーとプチトマトで、メインが少し変わる程度だ。

茹で卵がヘルシーだからというより簡単だからで、ゆであがる2分前にブロッコリーを入れてメインだけ変わるという、変わり映えのしない弁当だ。

誰かを喜ばせるという気持ちがあると少しは変化がでるのではないかと思う。しかし、自分も同じ弁当では面白くなくなった。それで、毎日撮ることにした。自分が楽しいのはいい。楽しくなることを考えるのは楽しい。

豚肉を焼いてとろけるチーズを。ポテトサラダをブロッコリーの下に敷く。茹で玉子が絶妙なゆで具合。これにはこだわっている。

ジャガイモがカボチャに代わり、肉は鶏肉。ごはんには白ごまたっぷり。

定番にごぼうが入っただけ。みそ汁とみかんをプラス。

定番。サツマイモにごま。イチゴとみそ汁。ごはんにとろろこんぶ。

エビフライ、トマトと鶏肉と豆の卵とじ。カボチャのソテー。

 市販のチーズハンバーグをどかん❕カマンベールチーズを添える。パプリカ、きゅうり、ゆで卵は半分。オレンジ。

 鶏肉とジャガイモ、ニンジン、ゴボウの煮物。定番おかずと、パン。みそ汁。

 ひじき入り玉子焼き。 

 蕗の煮物。魚の煮付け。ほうれん草にマヨネーズ。 

 わかめ、豚しゃぶ。

 肉巻き、スライスチーズ、スナップえんどう。プランターのイタリアンパセリ。

 定番。

 ピーマン鰹節炒め。新生姜甘酢漬け自家製。西京焼き。ごはんを焚かなかったので カップうどん。

 市販の冷製茶碗蒸し。エビとマッシュルームのオリブオイル炒め。

 鶏肉とジャガイモ煮物。海苔卵巻き。さやえんどう。

 アスパラガスの豚肉巻き。 卵はちょっと冷やすタイミングがずれると、絶妙の黄身が残念な黄身になってしまう。

さあ、楽しみはこれからも続く・・・・。新聞は楽しい記事の時だけ撮ることにした。最近は異常なニュースが多すぎる。辛いニュースは繰り返し観ると体力がなくなっていく。

楽しいことは自分で作ったり探したりするものなんだなあ。楽しくなりたい人はこの指とまれ。

 

 

 

 

 


婆無食変 ばあむくうへん

2019-06-14 | 暮らし

じゃーーん!! 新作 四字熟語

婆無食変「ばあむくうへん」

元気な婆さんは、年を感じさせない食欲で、それはもう大変なパワー!!という意味。

今日、友達の工房でSさんを交えて一人食事のお粗末さをいかに回避するかの話になった。最近は肉が推奨されるという話から、元気な年寄りはしっかり食べているという話になった。三浦雄一郎もしっかりステーキを食べていたという話などなど。

そういえば、うちの婆さんは糖尿病で「ごはんは半分に減らして」というので、どうしてもおかずを多く作らなくてはならない。先日、5歳の孫が熱を出したので家で看ていた。元気が出て昼食の後「ばあちゃんのとこ見てくる・・」と、言って婆さんの部屋へ行って戻ってきた。「どうした?」と、訊くと「ばあちゃん、ビスケット食べてなんか飲んどった・・」という。食後にご飯が足らなくてお菓子を食べるのか、お菓子を食べたいからごはんを減らすのか定かではないが、食べるのは早いし食べ方もなかなかなので、やはりパワーの源はここにあったのだなと思えた。

基本甘いお菓子が好きなので、ごはんを減らしてでも食べる傾向はある。勧めたお菓子は断らない。多めによそったごはんは「減らしてくれ」と、言う。不思議だ。さて、このバームクーヘンは、にこにこ顔で持って行った。さらに年輪が増えるきがする。わたしは脂肪の年輪が・・。

 


得手 不得手

2019-06-14 | 弓道

この前の日曜日、範教錬士会が加賀の道場で行われた。前日にさっと掃除をして、飲み物とお菓子、弁当の準備をした。いつも、女子の講習会では小松の方々にお世話になるので、少しでも役に立てたら嬉しいと思った。

講習会は手の内の指導や、指導の中での悩みなど、グループ討議などがあって楽しかった。また相互研修では、互いに忌憚なく教えあえて良かった。難なく手の内ができている先生は、やはり中りもあるし会も充実している。高校の時から弓を回さず、上押しをかければいいと習ってきた癖が取れず、少しずつ出来るように気をつけているが苦手なところである。

ここに集まる多くの先生方は、ベテランの弓引きだが、ここまで来ても飽くなき追及をしていく気力満々で、若輩者のわたしはいつも同じ場所でたたらを踏んでいるような気もする。

高段の先生の射をみながらY先生が「やっぱり教士や七段に合格するには、きかん気の人じゃないとだめやなあ」と、言われた。そう思う。わたしのように最後に妥協してしまうような弓を引いていては駄目なのである。

最後に、グループ発表の時に板書することになった。4グループの代表が話すのを書きとっていく。これだけは得意である。話すスピードに合わせて書きなぐって黒板一杯でちょうど終わった。字はきたないが奇跡的な終わり方だ。このバランスが弓にでればいいのに。

 

 


低血圧の季節

2019-06-13 | 身体

健康診断で血圧88/49となっていて「いつも低いので、測りなおしても同じと思います」と、言った。毎年測りなおすたびに何故か減っていくのだ。たくさんの列が出来ているので申し訳ないと思うので進言したのだが無視された。再度測ると83/53となった。「あら~また下がったわ」と、言うので心の中で(だから言ったじゃない・・)と、思ったが検査の方は粘り強い。もう一度測りなおした。82/50またまた下がった。

隣で血液を抜かれているおじさんが「どっか、そこら走ってこい」と、言うので笑ったら4回目は92/55となった。笑うと血圧があがるのだろうか。脈拍は59。どうしてそのまま書き込まないのだろうか。血圧は些細なことで上下するから妥当な血圧になるまで測るのだろうか。

前の会社の知り合いの人は、高すぎて3回測ったそうだ。

血液を採る人は、わたしの血圧と脈拍を見て「えっ!血管は出ますか?」と、言われた。「血管が見つけにくいと言われたことはありません」低血圧だから血管がみえにくいというのは違うのではなかろうか。その方の注射針はビビりながら太い血管に刺さった。痛かーー

痛いと言えば、相変わらずマンモは痛い。拷問かと思える最後のひと絞り。ひえぇーー。二度とするものかと思いながらも、来年になると痛さを忘れているのでまたする。これだけ医学や科学が進歩しているのに、この検査だけは進歩しないなあ。まあるいお椀のようなものをそっと当てて検査出来たらよいのにね。

最後に問診の先生が「食後にコーヒーを飲んで血圧をあげてください」と。コーヒーは一時的に上がるらしいが、継続的に血圧が上がるわけではないので解決にはならないようだ。いつも飲んでいるけど低い。

殿は「高血圧が日本を動かしている」と、豪語していた。早起きで朝の会議にも強いからだそうだ。しかし、わたしは日本を動かさなくてもいいから、自分が動けばよいと思っている。かろうじて低血圧でも今日も生きている。

 


たまねぎ

2019-06-12 | 暮らし

うちの婆さん、正確に言うと夫の母親。いわゆる姑である。今年の暮れで90歳になるとは思えない容姿と気力である。耕運機で畑を耕し、広い畑には草1本生やさない。負けん気の強い人で絶対弱音を吐かない。

決して手伝ってとか、何かをしてほしい・・とか言わない。家電の不具合と電球の交換は頼んでくるが、畑のことは自分が出来なくなったらやらなければいいと思っている。その土地は婆さんの実家の土地なので、婆さんがやめても我が家の管理下ではない。

それでも、最近畑に置いてある物を処分したいと言い出した。ごみ処理場に運んであげるよというと、道具やネットやポールはまだ使うと言う。後のことを心配しだしたのである。

それで「ばあちゃんが亡くなったら、きれいにして返すし大丈夫や」と、言うと、「楽になった・・たのむ」と、手を合わせた。その後、去年まで車庫の入り口に玉ねぎを吊っていたのを、危ないからわたしが吊るというと「年寄りに、危ないし、したらいかんというのは一番いやな言葉や!」と、怒っていたが、今年は「一緒に吊るのを手伝うわ」と、言ったら喜んでいた。

殿はすごく温厚な人だったので、この母親の息子とは思えないなあと思ったこともあった。

さて、玉ねぎを吊ろうと脚立を持っていこうとしたら、小屋にある椅子でいつも吊るという。言われた通り椅子で吊ろうとしたら若干かかとをあげないと届かない。わたしは90歳の婆さんよりチビなのである。「あら~届かんのか~」と、笑われてがくっときた。しかし、元気でいてくれるので、わたしも好きなことが出来るのだと思う。

100歳までびんびんで生きている感じだ。先に逝ってしまいたいと思ったこともあったが、負けちゃおれん!!

しかし、すごい量で、自分の娘に段ボール箱一杯と、近所の妹に一輪車一杯分けてあげてまだ残る。売るほどあるとはこのこと。このパワーには負けるなあ。

 

 


集団健診の季節

2019-06-11 | 身体

毎年、6月に集団健康診断が始まる。その時期は段々蒸し暑くなり、さらに血圧が下がって朝起きあがるとき、頭がふらつく感じがしてまたベットに横たわる。もともとスカッと早起きできるタイプではない。夜更かしが原因かもしれないと思い、居間の電気をLEDに替えたときにタイマーをセットした。さあさあ寝ますよ・・という感じで、10時半に消灯するようにした。

しかし、微妙な時間のため再度点けなおして、またパソコンに向かっていたりする。

それでも自分の意志で消えるのではないので、誰かがいる気がする。

誰かがいるといえば、トイレの便器の蓋がコトンと勝手に動く音がする。センサーで自動で開くようにセットしてはいるが、ドアを開けないのにである。夜中に廊下からカタンと音がするので何だろうと思っていた。カタン、カタンと何回も音がすることがある。見に行くと蓋は開くし確認しにくい。

誰もいないので、ついに殿が出てきたのかもれないと思って娘にラインをした。

「トイレにか?」「なんでトイレなん」「入るの恥ずかしいぜ」そっか・・。スリッパの位置もおかしい・・と、話を膨らませたが、結局センサーの誤動作で、感知するところをちゃんと拭かなくてはいけないことに気付いた。そして、閉まるタイミングがすごく遅くて忘れたころに音がするのではないかと思ったのだが、娘たちと幽霊でも出てきてほしいねと話したりする。

さて、そんな殿も私も、集団で行うがん検診では見つからないがんだったなあと思った。それでも、そのがんにかかっていないという安心感のためにも検診は必要だ。早期にみつかった友達もいる。

どちらも、早期発見ではなかった。わたしは手術をしたので完治したと思っているけれど、蒸し暑くてだるい時、夕方に疲れて声がかすれる時、もしや・・と再発という言葉を思ったりする。

元気で飛び回っていると、そんなことはなかったことのように思うのだけど。

そういう時は、食べたいものを食べる。食べたい!!と思うことは元気な証拠と思う。

美味しそう・・・あ、体重が・・。増えている間は健康なのだ。

 


鈴ケ岳

2019-06-08 | 山歩き

大杉本町から進み「鈴ケ岳まで9km」の看板が出ているところから20分ほど走ると大杉谷川源流に登山口がある。

登り始めるとすぐに登山道を遮る大きな杉の木に出会う。その間を通る。前にも登ったので、見覚えのある景色に出会うと安心して登れる。

 フタリシズカ 

 サンカヨウ 

 オオカメノキらしい。アジサイにも似ている。

 

 ユキザサかな。 線香花火のように花がぱちぱち弾けている感じだ。

山には タニウツギの花が咲き乱れている。

 花を楽しみながら頂上へ着くと、曇っているのに雲が高いせいか白山が見えた。

今年の白山の雪解けは早い。

 

 


知らないうちに

2019-06-03 | 暮らし

いつの間に代わっていた。知らなかった。もしや、偽札ではないかと思ったのである。

1万円札の話である。絵柄が違うことに気付いて見直したら、違うことが分かった。いつ代わったのか知らない。毎日使っているのに、意外と意識がないのがお札である。お金には関心があるはずなのに、お金自体には関心がないらしい。お金の価値と通帳の金額は気になるのだが。

1000円札って誰だっけ?5000円札って誰だっけ?1万円のことを聖徳太子?と、言う人は少ないだろうが、裏の鳥がどうだったかは気づかない。

見たことのない鳥だなあ。こっちが偽鳥か・・いやいや。

諭吉さんは変わらないが、ぴかぴかしたものがない。

財布の中の1万円の話だ。こういうのを見つけると使いにくいものだ。

それにしても、わたしの財布の1万円の出入りは激しい。

「諭吉さん そんなに急いで どこへいく」


たじ

2019-06-03 | 暮らし

ネットで調べても「たじ」は出てこなくて、ただの通りすがりさんが見つけてくれたブログの中で、やはり???というのがあったので不思議で、友達に聞いたら大聖寺では「たじ」と言っていたとのこと。わたしの友達も「たじ」は、知っている。

職場の小松の方に聞いたら、小松でも「たじ」と、言っていたとのこと。「ああ、あれやろ。こんなで、持つとこがあって、蓋があって・・」まさしくである。

但し、「たじ」を知っているのは、年配の人が多い。

消える言葉なのか?方言であるようだ。標準語なら辞典やウイキペディアに載っていると思うが。

さて、こんな風に昔は使っていたが今は使っていないという言葉があるのだろうか。