まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

あおだかす

2021-11-29 | 山歩き
大変、大変。
紅葉が綺麗だと写真を撮ってあったのに、あっとあいうまに霰が降り、風が吹き、見頃のイチョウもどこへやら。

イチョウが濡れて掃き寄せるために「あおだかいて」と、言われた。
「あおだかす」とは、「混ぜっ返す」ということの方言。
会議なんかで、話の腰を折る人の事もそういう。
「ありゃ、いつもあおだかいていかんわ」
と、言われる人がいる。
たぶん、煽るというところからきているのかも。
さて、今年最後の紅葉の景色をご覧ください。
一週間前。





窓に映るイチョウ。



桜を見るのも、落ち葉を見るのも年に一回なのに、落ち葉を見ると寒々とするが、11月中旬、北陸にしては良い天気が何日かあった。





道路の落ち葉は急いで掃きます。




瓦の補修工事中。










県立神奈川近代文学館

2021-11-24 | 旅行
田舎育ちのわたしは、草も木も観えない景色に驚く。
しかし、窒息しないのか?この中で暮らすのは難しいな。
ストレスが溜まらないかなとは、都会の人には余計なお世話であろうね。
泊まったホテルは夢のようにきれいで、窓からの景色もうっとりだったが。
街の灯りがとてもきれいね~~ほにゃららら・・
お泊りしたホテル。インターコンチネンタル・・
日本語のホテルってないね。
「ホテルよこはま」とか「ホテルみなとみらい」とか。
ルートイン、ベイ、ロイヤルパーク・・



かろうじて草と木が。彼らこそ、この都会のアスファルトに埋め込まれてつらいのだよ。


国立大ホール。
お上りさんなわたしは、大きな口を開けて見上げていた。
人の力はすごいね。めまいがするね。
低血圧の人間は都会に住めないね。
血圧と関係なかろうが。




元町・中華街駅に降りて見上げると高く高くエスカレーターが続いている。
私たちはエレベーターで上がり、出たところが「アメリカ山公園」。
エレベーターのドアが開くといきなり公園に出るが、まるでビルの屋上のような気がした。狐につままれたような気がした。
そこから港の見える丘公園をめざして歩く。







目指すは「県立神奈川近代文学館」そこでも会いたい人がいる。
本をたくさん送ってくれたTさん。
しかし、アポは取っていない。


大佛次郎記念館の公園から横浜市イギリス館が見える。



イギリス館を横目で見て、大佛次郎記念館を通り後ろにまわると神奈川近代文学館へ行ける。




長い橋を渡り県立神奈川近代文学館。わくわく・・




受付で加賀市から来たことを述べ、Tさんにお会い出来たら・・と、申し込む。
いきなり来たことを詫び、少し寄贈本のことと、寄贈者の方の事を訊くと丁寧に応対していただき、特設展の「樋口一葉」の、本まで頂いてしまった。
ほんの15分ほどだったが、お会いできて良かった。

昼食は駅前で軽くサンドイッチとコーヒーですませる。
店の目の前に「ウチキパン」の看板が見え、思わず「消極的なパン屋かな」と、口にしてしまう。
内気なパン屋ではない。地図にも載っている立派なパン屋である。

ここから、東京駅まで戻り鎌倉、横浜の2日間の文学館視察の旅が終わった。
足が痛くなったのは反省である。
鎌倉はもう一度行きたいと思う。
帰ってすぐ、文学館館長と、Tさんにお礼のハガキを書いた。




横浜中華街

2021-11-22 | 旅行
痛い足を一度休ませて、中華街へ繰り出そうということになった。
窓から見える夜景が美しい。

街の灯りがとても綺麗ね横浜・・♪
いつの昔の歌か。昭和だ。



中華街は火曜だからか、コロナの影響がまだあるのか、もっとにぎやかなのを想像していたので、意外と静かだと思えた。



彫刻の素晴らしさに引き込まれてしまう建物。
横浜関帝廟(よこはまかんていびょう)
簿記の発明者とも伝わる関羽をまつっている。
商売繁盛の神様であるという。



中華料理と紹興酒でお腹を満たして帰ると、本日の歩数は2万歩を越えていた。良く歩いたものだ。
鎌倉市内と、中華街、歩け歩けの旅。
明日は神奈川県立近代文学館。
歩けるだろうか。足の裏が痛い。
ブーツの底は思ったより薄いのだ。


文学館から二階堂へ

2021-11-22 | 旅行
深田久弥氏は、昭和7年鎌倉二階堂の大塔宮(だいとうのみや)前の借家に移った。
そこへ行くために鎌倉文学館から再び歩く。
一緒に来てくれた友達は健脚なので、この際、街並みも良く分かるので歩こうということになった。
江ノ電を恨めし気に見送って歩く。
由比ガ浜駅から鎌倉駅方向の反対側まで行くのだから相当の距離があるはず。


鶴岡八幡宮を斜めに見て通り過ぎる。
マスクをした狛犬たち。文学館を14時30分くらいに出て、この時点で15時。30分ほど歩いた。




途中、雪の下を通る。この辺りは、小林秀雄が住んでいたのだが、番地は分からない。今日出海も雪の下で、深田久弥たちはいつも集まっては飲み、語り、山へも誘っていたのだ。
「岐かれ道」というバス停から左へ入り、鎌倉宮又の名は大塔宮へ向かう。
いよいよ近づいてきた。


ついに見つけた。二階堂91。文学館の館長さんから聞いた住所なので間違いない。
ここが当時住んでいたところだが、今では他の家が数件建っている。
文学館から小一時間歩いたことになる。
少しかかとのあるブーツを履いていたので、足の裏が痛くなってきた。
ぺたんこの靴ならもっと速く歩けたと思うが。


すぐ目の前に鳥居がある。
毎日、この鳥居を見ながら生活をしていたのだなあと思った。



本当に、大塔宮の真ん前だ。
15時30分になっていたので、さすがに帰りは鎌倉宮前からのバスに乗った。
鎌倉駅からいざ横浜へ。電車に乗る事30分。
みなとみらいへ。
後で地図を見て、鎌倉中心街を完全に横断していたことを確認しすごいと思った。ひとりならタクシーを使うかも。


鎌倉散歩

2021-11-21 | 旅行
約束の日、朝の電車が濃霧で5分遅れていた。
少しずつ霧が晴れてくるかと思ったが、わたしの乗るダイナスターはさらに遅れて、加賀温泉7時11分発が7分遅れで出発。
金沢で新幹線の乗り換え時間が4分しかない。
先日、このブログで「あろうことか三隣亡」の時のようになるのが怖くて、早く駅に着いて、車も余裕をもって駐車したのに、あの忌まわしい一日が蘇るようで緊張する。
ついに金沢到着まで1分も縮まらなかった。
到着前からデッキに急ぐ人たちで列が出来、旅慣れない私も1秒でも早く乗り換えに間に合うように走る体勢になっていた。
ドアが開いた瞬間に、だぁーっと人々が走る。
一緒に走ったが、様子がおかしい。
5~6人の人たちに着いていくと、中央口の階段を下っていく。
おっとっと・・新幹線乗り換え口は中二階だ。
あの人たちは金沢駅でバスに乗り換えるのかもしれない。
ついて行ってはいけないのである。
新幹線改札を抜け一番手前のエスカレーターを上ると、東京行き22番線のホームである。
「かがやきですか?」と、50歳くらいの作業服の方が声をかけてくれて、少しほっとした。
ホームに停まっている新幹線の前で「間に合ってよかったですね」と言いわれ「はい。ほんとに」と、答えそれぞれの号車へ。
わたしがよほど焦って見えたのかもしれない。
座席に着くと、2分しか経っていなかったことに気づいた。
乗り換え小走り2分。

東京駅では横須賀線に乗り換え「いざ鎌倉」。やれやれ。

午後の約束なので、御成通りのイタリアンレストランで軽く昼食。


天気が良くて、汗がでるくらいだ。
由比ガ浜大通りを歩いていると六地蔵がある。
ここはかつては刑場だったそうだ。刑死者の霊を慰めるために6体の地蔵をまつったという。


鎌倉駅から由比ガ浜駅まで電車に乗れば、鎌倉文学館迄10分くらいで着くのだが、午後に伺うという約束なので、時間調整を兼ね昼ご飯を豪勢に食べた後、大通りを歩くこと30分。

文学館の入り口にさしかかる。
鎌倉文学館の本館と、広い庭の敷地は、加賀百万石藩主前田利家の系譜である旧前田侯爵家の鎌倉別邸だった。
石川県ゆかりの場所だったのである。
広い敷地に、4月~6月は見事なバラを見ることが出来る。


門から建物まで少し歩く。森を散策する感じだ。


なぜかトンネルがある。
源頼朝が鶴を放ったという故事にちなむ「招鶴洞」という。


トンネルの石には細かな模様があった。
これは何だろう。


館長室が3階にあり、そこで館長と少しお話をした後、窓の外の景観を楽しみながら、建物の案内をして頂いた。
何回か建て替えられ、昭和11年、今の洋館が完成したそうだ。
第二次世界大戦後、佐藤栄作元首相も借り受けて別荘として使用していたこともあったということ。
昭和58年に、前田利建氏より鎌倉別邸の建物が鎌倉市に寄贈され、補修と増改築を施し鎌倉文学館となった。
高台にあり格別の景色の所に建っている。
さすが百万石の力かな・
由比ガ浜の方向に相模湾が見える。



こちらから撮ると2階建てのようにみえるが、3階建てである。
今回の特別展は「芥川龍之介」
常設展のど真ん中に、「深田久弥」「大佛次郎」があって嬉しかった。



帰りがけに館長と文学館をバックに記念撮影。
バラは殆ど咲いていなかったが、館長おすすめの大輪の『鎌倉』と名付けられたバラがすごくいい香りで咲いていた。
大月さんという方が品種改良して見事に咲かせたそうだ。


後ろ髪を引かれる思いで文学館を後にして、江ノ電の通過を見て、またまたひたすら歩く。さて、次は深田久弥氏の住んでいた二階堂へGO!





鎌倉文士たち

2021-11-19 | 旅行
『鎌倉文士とカマクラ』を読んで、深田久弥が川端康成や小林秀雄ら鎌倉文士と呼ばれた仲間たちと『文学界』を創刊したことを知り、鎌倉文士と深田久弥の関わりに興味を持った。
また、深田久弥にのめり込んだ方から寄付された大量の本の整理をしたことも手伝って、小林秀雄や今日出海たちとの文章もおもしろい。
丁度『玉まつり』という門玲子さんの本が出版され、加えて鎌倉へのあこがれみたいなものが芽生えてきた。文学少女か!!


『鎌倉文士とカマクラ』の出版社のアンケートに答えたついでに、質問を書いたら、著者から直接返事を頂いた。
その著者が、「鎌倉文学館」の館長富岡幸一郎氏だった。
お返事のハガキの最後に、「コロナが収まったら鎌倉文学館へどうぞお越しください」との文があり、機を見て行きたいと思っていたところ、実現することになった。コロナ感染者が減ってきて、いよいよ県外もいいかなと思えたからだ。
行く前にもう一冊、深田久弥の前の奥さんが書いた『透きとおった人々』も読んだ。これは、北畠八穂さんの随筆で、鎌倉で関わった人々のことが書いてあるのだ。中原中也、太宰治、堀辰雄、大佛次郎、川端康成、室生犀星・・・・まだまだ、その頃活躍していた人々とのやりとりが、微細に書かれている。
それは、そばに深田久弥がいることも想像できる。



さて、館長の「いつも火曜に文学館にいますのでどうぞ」という言葉を真に受けて、いきなり行くのもどうかと思い、手紙を書いて、11月6日の火曜に行く予定を伝えた。ケータイ番号も書いておいた。
電話がかかり訪問時間を決めた。
同じ博物館連絡会があり、一応われらの館もささやかながら仲間であることが助けになった。
虎の威を借る狐のようなものである。








特大ブロッコリー

2021-11-13 | 暮らし
顔より大きなブロッコリーが採れた。
新聞の上に置いたら、丁度瀬戸内寂聴さんの記事の上で、何だか遺影にお供えをしたようになった。
寂聴さんの語り口が思い出される。
「忘己利他」(もうこりた)
「もう懲りたではありませんよ。己を忘れ他人の為にことをすることです」
なかなかそのように生きていけないのが人間です。
99歳まで生き抜いたという感じだ。
寂聴さんのように亡くなるまで、人の為に尽くせるだろうか。
自分の楽しみが第一番の日々だ。しょぼ・・・



実りの秋 美味しい秋

2021-11-12 | 料理
忙しかったわけでもないが、月日の過ぎるのが早く感じる。
柿がなり、みかんが実り、美味しい季節。





過日、山代の「なか尾」へ、GOTO EATを持って前の会社の友達と食事へ行った。
ミシュラン一つ星。
まず美しい入れ物をながめながら、そっと蓋を取る。


テーブルに紅葉が。
じゃがいもを栗のイガのように揚げてある。
柿の入れ物。前菜の一皿からわくわく。


この後、刺身、レンコン入りしんじょうのお吸い物、牛肉のステーキ
焼き物 葉っぱの形のじゃがいも


あゆと、百万石椎茸を焼いてくれる。
次々と出てくるが、どれも美味しくて、また板長さんの生け花のような飾りつけのセンスの良さ。



焼けた百万石しいたけを4等分して皿に取り分ける時、「25万石になりましたね」と、言ったら
「15年勤めていますが、そういう風に言われたお客様は始めてです。次に使わせていただきます」と、言われてしまった。
大切に25万石を頂いた。何回も美味なタレを塗りこんであって、あぁ、お酒が欲しいなあと思ったが車で来たので残念。
食べる。しゃべる。長い間行儀よく我慢していたことだ。
わたしたちは久しぶりに互いの近況を話しながら皆の無事を喜び、今日の日に感謝。
楽しい時はあっという間に過ぎてしまう。



あろうことか!!三隣亡

2021-11-08 | 暮らし
三隣亡とは、この日に建前をすると火事になり三軒隣まで滅ぼすという意味らしいが、良くないことが続けて起きると「三隣亡だぁ~」と、言ってしまう。
さて、今日がそんな日だった。

ガンの予後の検査を毎年1回するのだが、昨年はコロナ禍でキャンセルし、2年ぶりの検査となった。
今日はついでに21世紀美術館で「鉛筆画展」を、やっているのを見ようと思った。
わたしは運転があまり好きではない。どこへ行くにも「殿」という運転手がいたからだ。
と、いうわけで久しぶりなので、ゆっくり電車で行こうとしたら加賀温泉駅前の駐車場がなくなっていた。新幹線の工事のついでに駅の様子も変わり駐車場の場所が移動していたのだが、ぐるぐるまわって探していたら電車の時間に遅れた。


仕方なく車で行こうと走り出したが、途中でガソリンが殆どないことに気づいた。このところ値上がりしているので入れ渋っていたからだ。
ガソリンスタンドまで少し戻ってロスタイム。
山側環状から行くと走りやすいのに、2年ぶりに走っていたら、八幡の分岐で下りそこなった。だいぶ走って気づいた。
仕方なく金沢の町の中を走る。何で犀川大橋を渡っているのだ~。どうして香林坊の混みあっているところを走っているのだ~と、情けない気持ち。
検査の予約は11時なので、10時半までに受け付けなくてはならない。
何とか間に合った。入り口に感染対策スタッフが3人いて、テーブルや検温器が3台あって消毒液も、2個ずつ置かれていて物々しい。
自動の受付機から吐き出された用紙には、診察11時30分、CT13時とある。昼をはさんで中途半端な時間になった。
11時に診てもらえたが、13時までには時間があるので、早めに軽い昼食を摂った。造影剤を使わないので食事はOKと言われた。

この長い待ち時間に21美へ行こうとひらめいた。
朝から裏目に出ることばかりなので、タクシーで行こう。
駐車場を探してもたもたするより時短になるかもしれない。
そして、12時半に戻ろう。名案だ!!
と、タクシーに乗って「21世紀美術館へ」と、言うと、動き出してからしばらくして「今日は休みと思います」
「割引券には休みと書いてないですよ」
「じゃあ聞いてみますね」と、無線で問い合わせてくれた。
無線からの声は休みと言っているようだった。
「月曜は休みだそうです」
親切な運転手だ。21美で降ろされて途方にくれなくてすんだ。
Uターンできるところまで行って戻ってもらった。
1400円は時間つぶし代金だった。

11時20分から本を読んで時間をつぶした。
13時に検査を始め終了してお金を払い、院内で駐車料金を払って車に乗ると13時12分。
この12分の為に朝から裏目裏目の時間が過ぎていったのだ。
帰りは山側環状を慎重に走り無事家に着いた。

夕食で婆さまに「楽しみにしていた鉛筆画展、休みやったんや。あ~がっかり」と、話した。昨日パンフレットを見せて、「ここに寄ってくるわ」と、パンフレットの素晴らしい絵にふたりで感嘆の声をあげていたので、婆さまは「又、行ってきたら・・」と、いうので
「ついでならいいけど、また行くのはね~、割引券に休みの事も書いてないしね~」と、言いながら、もう一度パンフレットを未練がましくながめていると、え!!
小さな字で右の「金沢21世紀美術館」の上の藤の花にかぶって「会期中無休」と、ある。
めまいがした。朝からすべて、自分の確認不足だと思う。

最後まで裏目だった。
うらめしや~