まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

待ってました!クドカン

2024-01-30 | TV
木更津キャッツアイで、親子ですっかり宮藤官九郎に魅せられた。
なので、「不適切にもほどがある!」宮藤官九郎書下ろしが、めちゃ面白いと娘からのLINE。
見逃してもTVerで、無料で観ることができるという忙しい世の中だ。
昔なら、見逃しておしまいなのだが、NHKプラスはあるし、録画はできるし、楽しみを増やせば眠れなくなる。

さて、1986年の昭和のおじさん(阿部サダヲ)は、体育教師。
野球部の部活など、懐かしいしごきの場面がでてくる。
男手一つで育てている娘が不良で、そのやりとりの不適切さ。
その昭和のおじさんが令和にタイムスリップするという。
「不適切なセリフや、喫煙シーンがありますが・・・」の注釈入り。

そして、セクハラだとか、パワハラだとかで、上司がそのハラスメントのハラスメントに遭うという「ハラハラ」があるということを最近知って、令和の生き辛さについて疑問が多いわたしなど、このドラマで昭和を懐かしんでしまう。
すごく変だし、途中でミュージカルか?ってとこもあって、しっちゃかめっちゃかなとこが、クドカンらしくておかしい。

「こんな未来のためにオレたち頑張って働いてきたのか!!」と、
「だからロボットに仕事を取られるんだ!!」と。

この先、どう展開するんだろう。
いかん。はまる。


日常会話

2024-01-27 | 暮らし
最近、年配の人との会話が多くなってきた。
介護施設で働きだした訳ではなく、自身が高齢になってきたと気付くのに何年もかかったのだ。
年寄りの博識家は、何でもない会話に必ず何らかの結論を出そうとする。
あるいは、訳知り顔にたくさんの知識をひけらかす。
その中に、私が前に話したことを、重大な情報のように語る。
それって、私が前に言ったことだけど・・と、心に思いつつ、自分も同様のことをしているのでは?と、人のふり見て・・なのである。

地震以後、日常という言葉が妙に心に沁みる。
殿がいなくなって、日常の何でもない会話がなくなった。
暗がりで扉にぶつかった・・とか、階段をひとつ踏み外したとか、瞬間に報告したいことで、時が経つとどうでもいいことを、家族につぶやくという、そんなささいな日常がなくなった。
「寒いね」と、言ったら「寒いね」と、言うだけの殿が懐かしい。
それでも、仕事へ行き、普通にご飯を食べて寝ることが出来れば御の字だ。

何かしても、継続して力になることができないことがもどかしい。
水がないことはどんなに大変なことか。
急に家族が奪われることの辛さは計り知れない。
ふかふかの布団で寝ることの幸せ。
暖かい部屋で、温かい食べ物。
ささいな日常の憂さがあっても、殿の声が聞こえなくても、何の不満があろうかと思う。











今朝の新聞

2024-01-18 | 暮らし
少し前までは、朝のTVニュースと新聞は、ウクライナの戦争のニュースから始まっていたが、今年は能登地震の被害状況が日に日に明かされていく。
同様に、第一面に死者の数が大きく書かれ増えていく。
ようやく、避難状況や2時避難の報道が出るようになって、それでも落ち着かない。

今朝の新聞「中日春秋」に、深田久弥のことが書かれていて、ほっとした。
「日本百名山」の中の「白山」の書き出しだ。
山好きの人は、この書き出しはそらで言える人は多い。
「日本人はたいていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そして、その山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている」
輪島市の中学生が白山麓の施設への集団避難を始めた。
霊峰白山のご加護がありますように。
また、輪島の人々のふるさとの山、高州山は嶽山と呼ばれるとのこと。
ふるさとの山を、晴れ晴れと仰ぐ日が早くきますよう。

元旦の翌日、こんな時でも、悠々と聳える白山が心強く感じたのは、わたしだけではなかったと思う。
娘や近所の人も、天候の挨拶に「今日の白山はきれいやったね~」と言う。
いつも見ているのに、つい写真に収めようとする。


弓仲間たち

2024-01-17 | 弓道
長い間、石川県で弓を引いていて、宝達志水までは殿が元気な時は、試合に出かけたが、能登方面は殆ど行ったことがない。
羽咋へは、遠いけれど講習会に頑張って車を走らせて出かけたけれど。

しかし、しばらくコロナ禍で抑えられていたせいか、解禁になって、TさんとYさんと共に、昨年7月に中能登の大会、9月には和倉温泉に泊まって能登島の大会に出かけた。
また、宝達志水も殿と出かけて以来久しぶりだった。
長い間弓を引いていて初めて能登で弓を引いた。それも立て続けに。

まさか、こんなことになろうとは。
今、宝達志水の道場も射場の隆起と、矢道と安土の地盤沈下で危険な状態。
能登島の道場も、安土は崩れ、矢道は隆起、射場の照明落下と、危険な状態。
中能登の立派な体育館続きの道場の、的場の屋根が崩れたとのこと。
本来、日々の生活が基本なので、弓が引けるようになるのはその後となる。
能登の仲間の無事を案じ、被災者の方々のニュースを観るにつけ、今ある自分の非力さを知る。
先日、わずかながら、居ながらにして出来るので、ネットバンキングで義援金受付の振込先に振り込んだ。
これとて、有名人のように多額に出来るわけではない。

水が不足というHちゃんに、電気はきたというから、さつまいもを炭酸水の缶1本で、甘くておいしいふかし芋ができるよ~とLINE。
炊飯器に入れて米を炊くようにスイッチポンで。


去年、試合の合間に、Hちゃんと「なかなか中らないよね~」と、話していたことを思い出して、中らなくてもそこにいて、ふたりで並んで座って笑っていられたことが、どんなにかいい時間だったか思い知らされた。









非常持ち出し袋

2024-01-07 | 暮らし
逃げろ~と言われて、まず、何を持って出るか?
非常持ち出し袋を長い間点検していなかった。
軍手、マッチ、懐中電灯・・・などなどあるが、果たして、逃げた瞬間に何がほしいか。
婆さんは、財布にたんまりお金を入れていて、乾パンの缶詰や水を持ち出していた。わたしは、フリースの毛布一枚と、いつもの通勤のカバンしか持っていなかった。最近はあまり現金を置いていない。置きたくても持っていない。
内心、うちが水に浸かったら相当なものだと少し楽観視してはいた。
幸い、家の中の被害も殆どなかったので。
けれど、長い間見ていないので確認はした方がよい。
案の定、懐中電灯の電池は液だれしていた。
幸い電池を入れ替えたら点いたが心もとない。
ついでに、最近山へも行っていないので、ヘッドランプを入れた。
山用のコンロもいいかもと思う。
さて、新聞も間に合うから入れてあったのだが、これはちょっと辛い。
「熊本で震度7」と、書いてある。
被災して、被災の記事を見るのはつらいかも。
2016年4月15日だった。14日の午後9時に地震がきたのだ。


1月4日の中日新聞の「災害時の生活情報」という記事が載っているのと入れ替えた。
こちらの方が賢明である。


さて、今回16時10分。夕方はお腹がすく。
水も大事なので、どちらかというと飲食が大事だ。
食べ物でまずほっとする。
とはいえ、温かいものがあるともっとほっとするだろう。
カプ麺はいいね。水でも出来るアルファ米もいいね。
登山用品は役に立つ。

「食べ物が届かん」「水がない」
「畑へ行って大根とか採って来て食べたんや」と。。。水や食べ物を届けたい。
届けたいが、今はとにかく支援隊に任さなくてはならない。
こんな時に、盗みを働く人もいるという記事に驚く。
まず募金だ。

判断と決断

2024-01-03 | 事件簿
今朝もヘリコプターが飛んでいる。
元旦から、救急車や消防車のサイレンがひんぱんに聞こえる。

何が怖かったかというと、初詣の時に並んでいる人々のスマホが一斉にウォンウォン鳴りだした時だ。
けたたましく鳴る音が止み、何が起きるか分からない一瞬の静けさが恐怖を倍増させる。効果的と言えば効果的なのかもしれないが、恐怖のどん底に陥らせるので、叫びだす女性、泣く子供がいた。

その後、落ち着いたころに、TVで震度7が再びやってくると出た時、またあの音と揺れが来るのかと思った。
来ますよ、来ますよと心構えを通り越して、恐怖で震えるのは、すでに怖かったことを知っているから。
加賀市の震度5でも怖いのに、能登の方はどんなに怖かったことか。
誤報だと分かっても、緊張と恐怖は簡単に去らない。

避難して17時30分の津波予報の時間になる。
その後、少しずつ落ち着いてきて、まずお腹がすいたことに気づく。
夕食の時間だが、婆さんは防災の袋をちゃんと持って出てきたが、わたしはフリースの毛布だけつかんで出た。
寒いので、毛布は正解だったが、食べるものは大事だ。
まず食べて飲んで落ち着くことだが、乾パンの缶を出されたとき、まだいいわと思った。

TVの「にげてください!!」が、すごかったので、逃げたけど、加賀市の防災有線を聞いていない。
わたしが帰って来た時はすでに地震の後だったからだ。
後で[聞いたら、これまた怖い音だ。
効果音の後「大地震です!!」「大地震です!!」ゆっくりと落ち着き払った声だ。
でも、この緊急放送を直接聞いていた娘はすぐ電話してきて地震の後、「おかーさん、どこにおるん?」
「家内安全をお参りしていた」
「え~~!!早く帰って!!」と、そりゃ言うわね。

元旦からなんということだと思ったが、元旦で良かったのは、家族みんなが一緒にいたことだと娘は言う。
いつもの16時10分は、部活、学童、仕事とみんなばらばらだ。
とはいえ、帰省した姉妹がふたり一緒に亡くなった方もいる。
互いに連絡がつかないという不安は何とも言えない。
能登にいた弟と連絡が取れたが、無駄にスマホを使うのもどうかと思って状況が変わったら連絡してと言ったのに、体調はどうか寒くないか食べ物はあるか?と、心配の種を増やして何度もスマホを手に取って我慢していた。

地震の被害が甚大であることを今朝の新聞で知る。
珠洲の津波の被害。冷たい水に浸かって救助を待ったこと。
輪島朝市通りの容赦ない火事の被害の記事は戦後の焼け野原同然だ。
弟が動けなかった「のと里山海道」は、道路が寸断されている。
家屋倒壊、孤立。

1月20日から21日の2日間の女子講習会をどうするか判断しなくてはならないと思った。
そして、決断を下さなくてはならない。
事務局と相談しながらも、心は招聘の先生をとっ散らかった家に招くような事になるので、中止の気持ちを持っている。

また、能登の弓仲間が避難所にいる。
自分も数時間の避難で心穏やかでなかったのに、被災者の人々の心中を察するなら開催はできない。
関係者に相談するものの、決断は主催者がしなくてはならない。
それも早急に。

令和6年能登半島地震

2024-01-02 | 事件簿
地震に名前がついた。「令和6年能登半島地震」と、ニュースで流れた。

昨夜、実家の猫にエサをあげて、しばらく婆さんと過ごしていたが、20時過ぎに娘たちが家に戻ったというのと、TVのニュースでの様子で、わたしたちも帰ることにした。
時折、揺れるので気持ち悪い。服を着たまま寝た。

帰ってから改めて我が家の被害を見た。
箪笥の上のシーツ袋が落ちていた。
達磨も棚から落ちて、頭の上にひびが入った。
これでは願をかけたのが無効になりそうだ。



娘は、飾ってあった皿が割れたとか、棚を開けたら雪崩れて中身が出たとか。
そのくらいの被害で済んだが、能登はそうはいかない。
ニュースでは、珠洲市は壊滅的、輪島の火事も悲惨。
志賀町の家屋倒壊被害の甚大さを繰り返す。

遠くの従姉や、弓仲間からのお見舞いの連絡。
また、能登の弓仲間の安否確認。
里山海道で足止めされた弟たちの脱出の心配。
ゆうべ「どうして帰ろうか見当がつかない」とのLINEあり。
暗くなるので、動かない方が良いし、明るくなってから判断しますとのこと。
陥没しているところがあり動けないのだ。
弟が送ってきた画像。心配で気が気でない。


朝早く弟からLINEで、「車を捨てて歩き出した」とのこと。
周りの人たちとも相談し、徳田大津インターまで6キロほどなので、歩くとのこと。
志賀町の弓仲間が避難しているというので、そのインターに着けば避難所にいけるだろう。
10時過ぎに到着し、警察の誘導で旧土田小学校に到着。
救援物資を頂いて一息とのことで、とりあえず良かった。

暮れに、従弟妹会をしてみんなでグループLINEをつないだことが良かった。
何もできないわたしの代わりに、従弟達のおかげで、励まし、次の行動相談、道路状況、あちこちの情報を交換し、結局、K君が迎えに行くことになった。
避難所から河北までのルート、才田橋が落ちそうだということ、支援の緊急車両が続々北上しているので南下は渋滞するだろう。
津端から金沢方向が渋滞。
能登半島外浦は志賀町まで行けるが、以北は輪島まで道路崩壊のため前進できず。その周辺が渋滞の予想。
あちこち通行止めの情報。
ナビでの渋滞情報を頼りに、K君の救出作戦。
16時44分救助者確保。よかった。
帰り気を付けてね~。。
LINEでつながって、従弟妹達のおかげで助かった。
あたしゃ何もできず老婆が狼狽しただけだった。

夕方、18時40分に帰宅。
お疲れー。従弟妹LINEでは無事を喜んで終了。

その頃、羽田では支援物資を運ぼうとしていた海保の飛行機と、JALの衝突。
正月明けて2日間つらい・・。

能登半島地震

2024-01-02 | 事件簿
今年の我が家集合は娘の都合で、1月5日になったので、元旦の午後は久々にゆっくりと、出しそびれた賀状を出し、郵便局から菅生石部神社で初詣して帰ろうと思った。
神社は長蛇の列で、駐車場も満車だったので、小学校の駐車場に停めてゆっくり歩いて神社の正面へ行くと、列は少し短くなっていて、まず参拝者の様子を写して順番待ちしていた。
4時ころ私は鳥居の下にいた。




鳥居を抜け上記の画像を撮った途端、手にしたスマホが、みんなのスマホと共鳴して、異様な緊急警報がウッウッとうなりを上げて「地震です!!」と。
恐怖心を煽る。なんや?なんや?地震!!と、恐怖心をピークにして、次の瞬間ぐらっときた。
「鳥居から離れましょう!!」と、前の家族と一緒に段を上がったところで、グラグラッとさらに激しく揺れた。
今までに経験したことのない大きな揺れに、若いお母さんがパニックになって「キャ~!!」と、うづくまり周りの人が、大丈夫、大丈夫と、かばって数秒の恐怖は終わった。

すぐ家へ帰る人、階段にカバンを置きっぱなして逃げる人いろいろ。

直後、治まったので、わたしはとにかく家内安全を願って、お賽銭を奮発し孫の合格祈願のお守りを買った。
周りの人も、ことの重大さを知らず、とりあえずお参りをすまそうと列が少なくなったことをいいことにお参りしている。


車に乗ろうとしたころ、娘から切羽詰まった声が。
「どこにおるん?」「津波やし避難せな!」大聖寺は低いので、山中方面と中央公園へ向かうとのこと。
私の家は川沿いなので、逆流したら危ないかもしれない。
実家は山の上なので、弟に電話したら「今、七尾や~」と。
えっ~~。家族3人でドライブ中!!
TVをつけたら、「にげろ」「にげろ」
我が家の被害状況は、棚の上の物が少し落ちたくらいで、さほどでもない。
しかし、切羽詰まった「にげろ」に、私も娘もせかされて中央公園に向かう。
車が数珠つなぎに中央公園へ向かっている。
近くのアビオの渡り廊下も落ちた。

廊下のところがずとんと落ちたらしい。
LINEに入ってきた。


加賀市内の町のあちこちも、隆起している。
震度5でこのようなことになるのだ。
震度7の能登は大変だ。



弟たちは今夜は車の中だ。心配だ。
従弟たちとのLINEに知らせる。




あけましておめでとうございます

2024-01-01 | 暮らし
あけましておめでとうございます。
殆ど訪問者も、イイネもないブログだけれど、たまに声をかけてくれる少数の訪問者の皆様に感謝いたします。
そして、このブログを読んでくれた方だけに、幸いが訪れますようにお祈り申し上げます。


玄関から見える坪庭は、殿が逝ってしまってから、手作りした。
殿に見せたかった。今年は9年目だ。
9歳も年を重ねたのだ!
殿の歳を4年も越えてしまった。
あの世で会ったら、少し老けたと思われるだろう。
うちの婆さんくらいの年まで生きたら親子になってしまう。
どうしてくれようか。自然に任せるしかないが。


晦日の夜は、英語の歌詞の多い紅白を聴きながら、人は歌が好きなんだなあとか思いながら、年明けの弓道協会の総会のための資料作りをしていた。
何十年もこの仕事をしていて、次の世代に渡そうとするけれど、定年になっても定年延長で働き続けるし、みんな忙しそうで。
渡したい座は、誰も受け取らず、渡したくない王座は、皆奪い合う。

Adoとか椎名林檎とか、衝撃的な歌を歌うので、訳が分からないので、そのうちお経のようにも聞えてきて仕事に没頭できたりする。
意味が深く突き刺さる歌だと手が止まる。
あいみょんは分かりやすくていいなあ。手を止める。

  恋に焦がれた 人は 人は天の上 ♪
  いつかあの場所で 強く強く手を結び抱いて ♪
  ~~~~~
  大切な人を失う 未来なんて こないで ♪

なんと、さらっと歌って泣かせる。やばい。