まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

普通の日々

2020-02-27 | 料理
保冷が出来る少し重い弁当箱は小さく見えるが、意外に入る。
殿が福井循環器病院に入院していたときに買って、毎日自分の弁当を作って持っていき、お昼も一緒にいて午後に帰った時の弁当箱。それを仕事にしていた。
ずっとしまってあったのを、再び出して使ってみた。



いつのお弁当か分かると思って、新聞の上に載せたけど、この頃の記事は新型肺炎、コロナ、死者・・と、とても広げることが出来ない。


穏やかな日が来ますように。


消えた予定

2020-02-26 | 暮らし
毎日、毎日、コロナのニュースは日々拡大していく患者の数を報道する。
まるで恐ろしい映画を観ているような気持になり、これが現実なのだということが信じ難い。しかし、現実なのだ。

名古屋で開催される中日本女子大会も、中止になった。加賀市内の市の開催の講座も、町内の老人会の落語会も中止だ。

いつもの日曜は、仕事か弓道かなので、日曜が休みとは何年ぶりだろうかと思う。

不要不急ということで、予定はことごとくなくなっていく。もしかしたら仕事以外はすべてが不要不急のことだったのだと今思う。
いや仕事も、世の中から見たら不要不急の場所かもしれない。
観光目的のお客様がみえるからだ。(たまに勉強のためにみえる人もいるが)

世の中は文化の名のもとに進歩しているが、人間はそんなに進化していない。
それどころか、いろいろなことが便利になって、自分のことも人にしてもらうような世の中になった。トイレすら、勝手に蓋が開き勝手に流れていくではないか。

世の中の人は、おしゃれになって、世界旅行などは当たり前になって、もしかして、そういうことは生きていくうえでどうしても必要かといわれると、今の状況では不要となるのかも。
大きなビルも、衛星も原発も、半径一里の生活をしていたら不要なのかもしれない。昔、何かのCMで「一里四方のものを食べてりゃいいんだ!」って、頑固おやじ風な人が言っているのがあったっけ。
太陽が出たら畑に出て、暗くなったら寝る。それでいいのだーーと。

さて、婆さんに「名古屋へ行ったら2週間は職場へ来ないでって言われた」と、冗談半分で言ったら「あらー。そりゃ困るわ。ばあちゃんに移るがいね」で、あった。

普通という幻

2020-02-19 | 暮らし
つい言ってしまいがちな「普通~」。
気の合う仲間同士で、誰かのことを「普通はそんなことしないよねー」と、言ってしまいがち。価値観が同じ仲間ならいいが、そうではない時落ち込む。
友達に「普通はこのくらい知っているよね」と、言われそれを知らなかったとき落ち込む。
でも、普通ってなんだ?と、思う。
普通の発想では切り抜けられない世の中だというのに、普通を求められる。
誰かの普通は、誰かの基準であって、わたしの普通ではない。普通は幻のようなものだ。
「普通はすれ違ったら挨拶するよね」ではなく、「すれちがったら挨拶をするのは礼儀ですね」である。
普通を口癖にすると耳障りである。気を付けなくては。
「外から帰ったら、普通手を洗うよね」ではなく「外から帰ったら、手を洗いましょう」あるいは、「わたしは洗っています」なのである。「普通って誰よ!!」と、時々反論したくなる時があったりする。
それを言われたとき、必ずテンションが下がる。
レストランで「何にいたしましょう?」と、訊かれて「普通みなさんは何にしますか?」とは言わない。「この店のおすすめは何ですか?」

わたしはわたしで普通ではない。友達もみんな普通ではない。変人というわけではないが個々に良いものを持っている。
そういえば、田中真紀子議員が「凡人、軍人、変人」って、言っていたなあ。
安部首相は何人だろう。鯛人か?




リーダーは何をしていたか

2020-02-18 | 読書
本多勝一の『リーダーは何をしていたか』を、読み始めた。
遭難を検証する本である。本多勝一は信州の伊那谷に生まれ山を良く知っている新聞記者である。検証と取材、現地を歩くことで臨場感が半端ない。
寝る前に読んだら、眠れなくなって困った。
第一部 1980年、逗子開成高校の北アルプス遭難。冬山を登ったことのない先生が、山岳部の高校生5人を連れて、北アルプス唐松岳の八方尾根で遭難し全員死亡。
雪山にワカンも持たずに出発、ツェルトなし、磁石なし。山の初心者のわたしでもぞっとする話だ。降り積もる雪に、ラッセルし、つぼ足で歩く。雪の闇夜は想像しても怖い。わたしたちは雪国にいてホワイトアウトを想像できるが、雪の怖さを知らないリーダーである先生はどこまで危険を予測できたか。
生徒たちがこの山行に消極的だったようで、父親に「こんどは山の歌ができるよ」と、もらしていたという。
さて、山の歌というところで、逗子開成高校といえば、旧制中学時代(1910年)にボートで12人遭難し、有名な歌「真白き富士の根、緑の江の島~♪」が作られた。

この吹雪の北アルプス遭難の後、遺族と学校との裁判が続く。
リーダーは過失致死の責任を問われる。

高校生たちの遭難直前の遺影を見たら眠れなくなったのである。雪の中で肩を並べ笑顔で写っている彼らをみて心が痛む。

そのあとも、別の遭難の話が続くが、常にリーダーの無謀ではなく、無知であることを本多勝一は訴えている。
この本を読破するには勇気がいる。






スピーチ

2020-02-17 | 弓道
市内のライオンズクラブの表彰式で、最後に謝辞を述べることになった。
スポーツ賞と文化賞の表彰があったのだが、小中学生が多く、最年長のわたしは孫みたいな子供たちと授賞式に出た。
日頃はよくしゃべるのに、大勢の前になると声が震えそうだ。それでも感謝の言葉を伝えなくてはならない。
感謝できる人はもっともっと強く大きくなれると思うということを述べた。
お世話しているTさんが、「ご苦労さん」と、声をかけてくれたので「途中言うことあったけど、とばしました」と、言うと「まだ何を言おうとしたんや!そんで十分や」と、笑われた。弓道の後輩がスピーチしている姿を撮ってくれた。
表彰状と楯を婆さんに見せると「立派なもんやー!」と、楯を褒めていた。


表彰状には「栄誉を讃える」との、ひとことが書いてあった。これはいい。長々読まなくてよいし、簡潔明瞭。

授与してくれた会長も同年で、世話をしているO君も同窓生で、みんないいおっちゃんになっていた。

2月に入ってから、ずっと行事続きで、気が抜けないことが多い。弓道女子部の講習会も、協会の総会も無事終わったが、まだ半分残っている。
名古屋の大会は、時節柄心配もあるが何とか無事に終われば春が来る。

翌日、ラインに友達から「新聞みたよー」のラインが入って、またまたありがたい。

娘から、「友達の子供も受賞して、おかあさんのスピーチ聞いて泣いたって言うとったよ。何しゃべったん?」と、言われた。
きっとわたしと同じことを考えていたんだと思う。子供に対しての願い。

みなさんのお蔭様です。




中央公園散歩

2020-02-15 | 白山

木の枝の分かれ方は、フィボナッチ数列であると知ってから、木の枝を見るのが楽しみになってきた。
剪定されるとその分かれ方は乱れてしまうのだろうか。
規則正しく増えていく枝分かれが面白い。じっとみていると吸い込まれる。


それと、不思議なのは、部分的に見える山は大きく感じる。




カメラの倍率は同じなので、写真で撮ると同じ大きさであることが分かる。
しかし、肉眼で観るとやたら白山が大きいと思えるのは下の景色だ。
大聖寺の街並みから観えるときも、まるでレンズで拡大したように見えるのは錯覚なのだけど、その錯覚が感動を呼ぶ。
人も、恋愛中錯覚を起こして結婚してしまいますね。
オキシトシンが多くなるといいのだそうで。
残念ながら、この年になると錯覚も起こさなくなるけれど、楽しい、きれい、面白いことが見つかれば元気でいられる。


線に潰されて窮屈そうな白山。


いつの間にかテン!!

2020-02-14 | 暮らし
便利軒さんがみえて、筆ぐるめの引っ越しと、プリンターの無線ランをつないでくれた。ありがたいことだ。2月は行事が重なり、メールのやり取りも忙しく、ずっと気になっていたのだった。協会の総会資料も審査へ行く前に全部仕上げて、部数をコピーしておいたので無事総会も終えることが出来た。今回は、理事長が赴任中で、代理で報告もしなくてはならなかった。働き盛りは忙しく、留守番は年配と呼ばれる者たちが、緩慢な事務能力をもって対応をしなくてはならないので、パソコンの環境をスムーズにしてくれる助っ人はありがたい。
「Windows10になってますね。」「えっ??」
筆ぐるめの住所を移し終えて、Hさんが言った。見ると前のパソコンの画面が、Windows10になっていたのだ。
アップデートをしたつもりが、アップロードしていたのだろうか?

それにしても、いきなり10になって、世の中についていくのは大変だ。
この後どうなるのだろう。次の変換期にはついていけるのか?その頃にはのんびりしているだろうか?



俺たちに明日はない

2020-02-10 | 弓道
名古屋での弓道審査のため金山で泊まった。
Tさんと韓国料理の店に入り、しこたま食べたが、お酒は眠りが浅くなるため少しだけでやめた。
駅にはマスクの人が多い。わたしたちもマスクと、薄い手袋と、持ち歩ける消毒用のジェルを持って行った。
出がけに母から電話があって、こんな時期に行くなと言われたが、「そうですね」とは言い難い。
さて、翌日ガイシスポーツセンターで受付をするが、名前の前に赤字で「未」とある人が多い。わたしたちの第二射場には欠席の「欠」よりも「未」が多いので、受付の締め切り時間9時に間に合わないのは欠席ではないかと疑問に思っていた。
案の定、受審者が口々に、第3控までに間に合ったら審査を受けさせてくれるなら、前の日から泊まらないで、自分の出番に間に合うように来る!!と、言っていた。
どちらにしろ、欠席者19名とみて、自分がどこに立つか確認し、石川県の仲間と待ち時間を過ごしていた。
すると、いきなり弓立が倒れて、ばちーーんと硬い音がした。
悲しいかな、わたしの弓は力いっぱい地面にたたきつけられて、拾うと弦輪が横向きになっていた。
弓立を止めてあった拍子木のようなものが根元にあって、それが外れてしまい、弓や矢筒の重みで、反対側にたわんで倒れたのである。
わたしと仲間たちは、もう弓を弓立に立てずに、窓側に避難させた。
相変わらず、待ち時間は長く、出番間際に神頼みをしたが、甲矢は大きく後ろにそれた。
乙矢は、前の人が弦切れを起こしたときに、つい弦音に反応して、取掛けてしまい、妻手を引っ込めるわけにもいかずそのままの状態でいたら、手に力が入ってしまったのか、大三に移行するときに矢が落ちてしまった。座して恐縮の意を表わし退場。すべては、自分の落ち着きのなさである。
だいたい神頼みなどは無意味だ。神様は努力したものには、頼まれなくても力を貸してくれる。努力が足りないものには結果は表れない。当然の結果といえば当然なのである。道は遠い。
帰りにTさんと不甲斐なさを嘆き、また挑戦する決意を誓いながらも、心の奥にこの調子では難しい・・と。なぜか映画の「俺たちに明日はない」が、頭に浮かんできた。いかんいかん・・行く道を間違えそうだ。
家に帰って、なぜか玄関の鬼柚子をながめ、「ケーシー高峰に似ているな」と、思い癒される気がした。新型肺炎の騒ぎの危ないご時世で、無事帰ってこれたことを幸せに思う。
運や技量が足りないことより、本当に足りないのは感謝の気持ちだったかもしれない。





ちらっと雪

2020-02-06 | 暮らし

今年は雪が少ないので、うっすらと積もっただけで嬉しくなる。
北陸の冬には雪が美しいのだが、あっという間に融けてしまった。


朝起きて、ウッドデッキが白くなっていると気持ちがいい。光がさしてキラキラ光ると誰にも取れない宝石のようだ。


仕事の日は帰りに、休みの日は朝に、母の様子を見に行く。その帰りに山が見えると登りたいなあと思う。