まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

温モビ(ぬくもび)

2021-02-28 | 暮らし
旅行客が温モビを利用しているのを見た。
加賀温泉郷を観光するのに、徒歩や自転車より楽に移動できる「ぬくもび」。
駐車場に停めてあるのをみんなで可愛い・・と見ていた。
お客さんは「寒いんです~」とのこと。
二人乗りだが、後ろの席の横がすいている。
後ろのカーブとドアのところがひし形に空いている。
天気はいいけど、風は冷たい。


スパクロ君が可愛い。



いよいよ暖かくなり旅行者が増えてくる。
コロナのワクチンが行きわたり、みんなが安心できる日が来ますように。


Made in Japan

2021-02-25 | 暮らし
水色の不織布のマスクをつけたらすぐに紐が切れた。
マスク不足の時に買ったので品質よりも量だったのかもしれないが、何枚も切れたので製造元を見た。
パッケージがアルファベットで、china・・。
今では、中国製に良いものも多いし、ちまたに溢れている。
通販で買った洋服には、日本語で「中国製」のタグがついている。
着心地も良いし、お気に入りである。
最近は「Made in Japan」は、少なくなったなあと思う。
それでも、Made in Japan を、誇らしく思うし、タグが日本製だとほっとすることがある。

「Made in Japan」で、ついついマッチの唄をYouTubeで聴きたくなった。
一生懸命絞り出すように歌うところもいい。
あの頃、マッチだけでなく、わたしたちも若かった。
何といっても「筒美京平」の作曲。初めから胸が高鳴るような伴奏が入る。
「Oh・・メイ イン ジャパン」と、英語というよりカタカナ語に聞こえる。
爪の先まで日本人だね~♪ 黒い髪と黒い瞳が恋しい~♪

東京オリンピックの1964年生まれのマッチは可愛かった。
レコード大賞新人賞を取ったマッチは人気のピークだった。
今でもマッチはいいなあと思う。
わたしの弟も1964年生まれだ。そして、マッチにそっくりだ。
歌もうまい。と、思っていた。
しかし、弟もおっちゃんになった。
お腹も出てきたし、どこがマッチに似ていたのだろう。
マッチのイメージからは大きく離れたが、Uターンして家族みんなで来てくれたことが嬉しい。
母が一番嬉しいのだと思う。
わたしも、夜アルコールを控えてスマホを枕もとに置いて寝なくても良くなった。
とはいえ、枕もとで充電しているが。
いつから、私たちはスマホのしもべになったのか。
でも、そのお陰でいつでも聴きたい唄を聴けるのだ。


二宮尊徳、再び

2021-02-22 | 暮らし
なぜJAに、二宮金次郎像があるのかについての謎が解けた。



昔はどこの小学校にもあったが、何故農協に?という疑問と、小学生のころからこの界隈を知っているのに像に気づかなかった理由。
聞くところによると、旗陽小学校があったとのこと。

明治7年に福田村落の小学校を旗陽小学校として、耳聞山町に開校。
明治43年上福田町に移設。(現在のJA)
昭和10年9月2日に大聖寺町と福田村の合併により錦城小学校に統合され廃校となる。
昭和10年9月に錦城小学校新校舎が完成。
(錦城小学校史より)



廃校となったが、後に農協を建てた時二宮金次郎像を作ったそうで、昔からの物ではない。

JAは大聖寺川べりにあり、そこの橋は旗陽橋という。
深田久弥が、この橋から見る白山が一番美しいと書いている。

昭和9年9月9日に大聖寺に大火があって、錦城小学校界隈は焼けてしまったことで、昭和10年新校舎が出来た。

わたしたちが小学生のころ、毎年9月9日は体育館前に祭壇がしつらえられ、お参りをした。
生前の鶴の写真が飾られていた。
飼育していた動物が死んでしまった中、鶴の親が子供を自分のお腹の中に入れて死んでいたという話は錦城小学校の生徒は毎年聞いて手を合わせる。

二宮尊徳像で、大聖寺の歴史に触れることが出来た。






二宮金次郎!

2021-02-21 | 山歩き
見つけてしまった!
長い間観たことがなかったし、孫の小学校にもない。
この頃は、二宮金次郎(二宮尊徳)を見かけない。
仕事の帰りに電話をかけるために、大聖寺新町のJAの駐車場に車を停めて横を見たら、薪を担いで本を読んでいる二宮金次郎。
ここは何回か通っているのに知らなかった。

「二宮金次郎の生涯」と、いう映画があるそうだ。
監督は五十嵐匠だ。五十嵐監督の「長州ファイブ」は面白かったし、勉強になった。きっと、この映画も面白いだろう。2019年に制作されている。

現代では、本を読み読み歩いていたら交通事故に遭うね。
今の子供たちは「二宮金次郎」を、知っているのだろうか。


今の子供たちは、ネズ子を背負っている「竈戸炭治郎」なら良く知っているだろう。
とはいえ、私も良く知らない。名前とお馴染みのスタイルだけである。
早く言えば財政アドバイザーとか。
何十年も生きてきて、知らないことばかりだ。
この後、知っていることも知らなくなるのが怖い。



雪だるま

2021-02-18 | 山歩き
本当のところ、少し雪が降るのは嬉しい。
景色が綺麗になるのと、雪を掻いては遊べるからである。
しかし、仕事へ行く用意をしなくてはならないと、少ない雪でも軽自動車と、私の運転の技量では怖い時がある。
雪かきが翌日の弓に影響するかどうか、中たらない時はつい自分の技術を棚に上げて外的要因を持ち出すのではまだまだ青い!!
青いまま年を重ねても、外見は渋い。



リビングから見えるので、婆さんが食事の時にとても喜んでいた。
翌日は良い天気。



夕方、空は真っ暗なのに、白山だけが光っていた。
白山の上は風が強くて雲が飛ばされたのかもしれない。
まるで、のぞき窓から見たような白山だ。



ややピンクになりかけて。



豆知識?

2021-02-15 | 暮らし
日曜に舅と夫の七回忌をした。
お寺の住職とは同級生である。高校は違うが、小学校、中学校は同じだった。
彼は教師となって、結婚するころにお寺を継いだようだ。
さて、晴れて暖かい日となって、経の声はいつ聞いてもいい声である。
その後、説教をして下さったのは興味深く、良いお話しだった。
夫が亡くなった時、momoは4歳、nanaは生後10か月。
kouは9歳、kenは6歳で、ランドセルをじぃじに買ってもらったばかりだった。男の子ふたりはけんかをしたりして、じっとしていられない様子だった。
今では、中学2年、6年、4年、年長。4月になればnanaも一年生だし、kenも中学生だ。
住職は、子供達にも分かり易いお話をしてくれた。
お寺の過去帳に、160年前に、加賀市で一度に100人以上の葬儀を行った時期があったのだそうだ。それは、コロリ(今でいうコレラ)であったそうだ。その後も、流行り病といわれたスペイン風邪。
そういう危機を乗り越えて、ご先祖様が生きていてくれて、みんな今があることを感謝しましょう。手を合わせましょう。
kouは、小さくうなづいていた。

「手と手のしわを合わせてしあわせですよ」
の時は、nanaも手を合わせていた。
お弁当を取って、分散して年寄りは座敷で、子供達は居間で、若い親たちはキッチンのテーブルで、食べてからマスクをして、しばらくして三々五々帰る。
帰りがけに、保育園のnanaに「お坊さんのお話わかった?」と、聞くと
手を反対にして、節を合わせると「ふしあわせ・・」と、笑っていた。
kenは、「ちょっとした豆知識やね」と、いう感想だった。

婆さんは耳が遠いので、ありがたや~。と、いうより説教が始まったらやたら説教のお金を出そうと千円札をひらひらしていた。
ふたりの、爺さんはのんびり笑っているけれど、わたしは年々笑っていられなくなりそうだ。
夫の妹と旦那さんと久々に話が出来たが、コロナさえなければ、料亭でお酒もしっかり飲んでもらえて、それこそ大声で話して笑って過ごせただろうに。
しかしながら、ここは辛抱でみんなの健康を願って解散。



菜の花忌

2021-02-13 | 暮らし
昨日2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」であると知る。
菜の花と言えば桃の花とお雛様につながる。
今年も玄関に飾るため車庫の2階から大きな箱を出してきた。
段飾りは出来ないが、お内裏様とお雛様だけ毎年飾る。
うちのお雛様には金屏風がない。襖のような飾りなので、毎年人形だけ飾っていた。
しかし、今年は襖のような飾りを後ろに置いてみた。
試しにやってみた。今までなぜ気づかなかったのだろう。
何もないよりインパクトがある。
中庭が格子の間から見えるのも良い。


文学者の忌というのは、太宰治の「桜桃忌」(6月19日)しか思い当たらないが、実はたくさんあるようだ。
藤沢周平は「寒梅忌」(1月26日)
井伏鱒二はそのまま「鱒二忌」(7月10日)
江戸川乱歩は「石榴忌」(7月28日)
便利な世の中なので、ネットで見ればすぐ分かるのであるが、すぐ忘れる。
梶井基次郎は、やはり「檸檬忌」(3月24日)これは覚えやすい。
美しいのはいい。
さて、明日は殿と舅の七回忌。
3月8日に逝った殿につけるとしたら何だろう。
仁侠映画が好きで「仁侠忌」ではちょいおかしいし。
畑の隅に今咲いているものといえば、イヌフグリと水仙だ。
フグリはやばいし「水仙忌」にしよう。
3月には桃の花が咲く。「花桃忌」は可愛すぎるな。これはわたしが欲しい。
文学忌なので、有名な作家でないとつけられないから密かに心に留めておこう。
このお雛様、わたしの若い頃のようではないか。
いかん「〇〇危」と、なりそうだ。


「詩とメルヘン」サンリオ出版 バックナンバー

2021-02-12 | 山歩き
昔々、やなせたかし氏が編集していたイラストと詩の本で、何回か載ったのだが、掲載されたのをスクラップしてしまったので、本が欲しいと今更ながら思った。断捨離しなくてはならないのにである。
やなせさんの評も嬉しいかったので探したらあった。アマゾンではない。
アート ブルーというところ。
ネコポスで、美しいのが送られてきた。満足だ。この本から出たイラストレーターはプロとして活躍している。イラストコンクールの賞金は50万円だった。
詩は1回6000円だったと思う。お金より、プロのイラストレーターに絵をつけてもらえることが最高に嬉しかった。15作品載ったのである。
やなせさんに「おなじみの〇〇さん」と、書かれた時は天にも昇る心地だった。また、何回か絵を付けてくれた「井上直久」さんが、お手紙を下さったのも嬉しかった。井上さんのイラストが宮崎駿の映画に採用された時、すぐに映画を観に行った。「耳をすませば」である。

やはり、残りの人生に少し自分の楽しみを残しておくべきだ。
今でも十分楽しめる内容だ。
あら~こんなのもあったのだ。飛鳥だ。





「中原淳一」に、あこがれたよね~。昔、昔の物語だ。
しかし、何冊かは在庫がなくて、結局購入したのは2冊だけだった。
あの時、わたしも若かった。へんてこなペンネームを使ったりもした。
笑える。そして、その詩は恥かしくて誰にも見せられない。
若い時は、恥ずかしくなかったのだろうな。


今は亡きやなせさんは、戦争の悲惨さを訴えていた。
そして、アンパンマンが今でも生きているのがすごい。
「手のひらを太陽に」も、作詞したんだった。亡くなってからもその功績が生き続けているのは凄いと思う。
さて、バックナンバーではなく、これから先に何かを残せたらいいなと思う。

ばぁばの定食屋さん

2021-02-11 | 料理
休日に、どこへ出かけるでもなく、夜更かしの朝寝坊なのでやんわりと起きる。朝ご飯は軽いほうが調子がいい。がっつり食べるとまた眠くなる。
体を動かすとお腹がすく。買い物に行くと、ハタハタが安かったので、ついつい2パック買ってしまい、南蛮を作った。
娘宅と実家の分と総菜屋さんになった気がする。
先日元気村で規格外の人参が安かったので買ってきたら、大根に負けない大きさの物があってびっくり。


南蛮に、玉ねぎや人参と、白髪ねぎを散らし野菜たっぷりに。



休みの日は、誰ともしゃべらず黙々と総菜作り。
あちこち持っていき「ありがとー」の声を聞き満足。


三寒四温

2021-02-08 | 暮らし
温かい日が続いていたので、窓を開けて驚いた。
あたりは真っ白。
しかし、雪がうっすらと積もるときれいだ。



いつもの見慣れた道も雪化粧。


どこまで行っても雪の華が見事だ。
曇天の空の下では、あたりはモノクローム。
そういえば「君は天然色」の歌を口ずさみたくなる。
しかし、さびの部分しか歌えない。
お~もいでぇ~は、ものくろ~む、いろをつけてくれ~♪


あまり大声で歌うと、ドライブレコーダーに残る・・・?




パウダースノーの道に、足跡も車輪の跡もつけたくないが。


昼になったら、融けていて天然色になった。
一挙に暖かい空気が吹いた気がする。
三寒四温というこの時期。風邪をひきやすいのでご自愛を。







抱き枕

2021-02-07 | 暮らし
母がぬいぐるみを欲しいと言うので、アマゾンで注文したら即届いた。
抱き枕なので、寝るときに片ほうの手の置き場所ができて喜んでいた。
弟にもらったチコちゃんも気にいったようで、顔だけだったのに服を作り、はずれないように抱き枕に縫い付けてあった。



娘は「可愛い猫やね」と、言うが、わたしは熊だと思う。
何はともあれ、ゆっくり眠れるねえというと、常に持ち歩いているようだ。
リビングの椅子に座っていた。


昭和のど真ん中

2021-02-01 | 昭和のど真ん中
世間では、昭和を区切るとき、戦前と戦後で区切るが、私は昭和のど真ん中に生まれて、自分の生まれた年で時代を区切っている。
昭和30年代というと、いわゆる高度成長期と共に育っていくわけである。
電話、TV、洗濯機、冷蔵庫・・どんどん家の中に増えていくことを、体感しながら育つのである。
東京オリンピック(昭和39年)の年に生れた弟は、全てが生まれた時にはあったのである。
そして、今ではパソコン、エアコン・・・大根を煮るのもIH。

そして、元号を3つも跨いでしまったことに恐れおののく。
ゆうべ缶の水素水を開けようとして、ついに自力では開けられず、これがひたひたと忍び寄る老いなのかと驚愕した。仕方なくゴムの力を借りたのである。

しかしながら、そのど真ん中にはまだいろいろな役割がある。
高齢の親の面倒を見つつ、まだ一人前ではない孫たちの塾の送迎と、節目ごとの集まりと、出資(入学祝などなど)。
このコロナ禍で、なんとか生活ができることに感謝しつつ。

さて、本題は楽しい仕事のことである。
仕事で寄贈される本の整理をすることがあるが、これがとても楽しい。
眼に入る記事が面白く、また興味深い。多くの方に見てもらえたら本も本望だろう。
古書店のように雑誌も集まり、その中の広告がまた面白い。
昭和30年9月発行の「世界」(岩波書店)と、言う雑誌にあった。
「尽歓談 尚重杯」「かたりつきても のみあきない」こういうの好きだなあ。



このコロナ禍では「遠隔 今一 喉詰」「リモートいまいちのどつまる」
リモートでは、同じ物を食するわけでもなく、目線も合わず、終了のタイミングも分かりづらく、喉に飲み物食べ物が今一流れにくい。
年のせいで呑み込めない訳ではない。