まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

セカオワ コンサート

2024-04-25 | 暮らし
サンドーム福井に、セカオワが来る!!
娘と3人分、抽選で日曜に行けることになった。
後で分かったことだが、福井には8年ぶりとのこと。
会場前の交差点は渋滞で、右折するのに20分かかった。
娘のお友達情報では、渋滞を避けるために臨時駐車場から歩いて30分かかったと聞いたので、30分の余裕をもって出かけたので、開場の16時にかろうじて間に合った。
駐車場から15分くらい歩く途中、公園のトイレに列が出来ていたが、会場のほうがきれいかもねとスルーしたら、なんと200人くらいの列で、3階まで上がって、折れ曲がり1階のトイレに入るという列だった。
しかし、便房が41室とあり、女子トイレは男子トイレを囲むように出来ていて、一方通行で反対側に出る。中に誘導員が二人いた。するすると進むので殆ど待たずにすんだ。
このドームの収容人数は1万人と書いてあった。
この日の人数はどれくらいだろうか、満席だがステージ分を考えるとどうなんだろう。老若男女、幅広い層の人たちがいて、わたし達親子も何の違和感もなかった。
この日のテーマは「深海」なので、座席も魚の名前で分けられている。
「ミツマタヤリウオ北ブロック・・」ということで、人の波に吞まれての移動。

なんと、動画、フラッシュ禁止ということだが、撮影はOKとはびっくり。
それはそれは、舞台装置は素晴らしく、昔のようにオペラグラスなどいらない。昭和な考えだった。
左右のスクリーンに大写しで、おまけに歌詞まで流れるので、一緒に歌う時うろ覚えでもついていける。





腕にはめるライトが、歌によって色が変わり、一体感が増す。
あのライトが欲しかった。娘は「帰ったらゴミやよ」と、いうけど、手を振るとき欲しいなあ。みんな光っているなあと思った。
2時間立ちっぱなしで、おまけに「跳んで!跳んで!」って、山歩きよりは楽だし、楽しい。
夢のような2時間は、あっという間に終わった。

帰ってからyou tubeで「スターゲイザー」(Live DVD&・・)を、観たら、照明が、ドームでやったのと同じで何回も観てしまった。余韻に浸る。

Dragon Night

2024-04-24 | 暮らし
2015年 私にとってその年の3月は、この世の終わりのような時だった。
夫が亡くなり、続けて義父が亡くなり、葬儀と相続のことで泣いている暇はなかった。
そんな中で、2014年10月に発売されたという「ドラゴン ナイト」を、小学3年の孫のkouが、可愛い声で
♪ 人はそれぞれ正義があって 争い合うのは仕方ないのかもしれない~♪
と、歌ってくれた。舌足らずな旋律は、もともとの深瀬の声も全くそうだった。
♪ コングラチュレーション グラッチュレーション グラチュレーション ♪
英語もしゃべれないのに、流ちょうで驚いた。そして新鮮に響いた。
「僕の正義が彼を傷つけていたんだね」って、小3に歌われ、その後、一緒に歌えるようにと覚えたけれど、ちょっと違うと笑われていた。
弟のkenは、一緒に踊ったりして笑わせてくれた。
この子たちがいたから笑っていられたのかもしれない。
今では、高校生になってしまって、ドイツの留学生と友達になり、英語で話をしているという。そんな姿を、夫に見せたいと思うとじんとくる。

その後、セカオワの歌は、わたしの中で広がっていく。
「マジック」で、泣き、「幻の命」で泣き、「RPG」で、元気が出る。
「RPG」は、小学校の運動会で必ず流れるよ、とのことだ。
(「幻の命」は、メンバーのさおりさんが15歳の時泣きながら作った曲で、それに深瀬が20歳の時に歌詞を書いたとの本人たちのトーク)
そんなわけで、誰かのファンになったことも、特別どの歌手が好きということもなく暮らしてきた私に大きな変化が起きた。
深瀬の何とも言えない透き通った声と、どこを見るでもない瞳。
何か少し病んでいるような感じで、歌が切ない。
どうしてこんなに、心の奥に刺さるような歌を作るのかと思う。
最近の歌は、完全に覚えるには長すぎて、やたら物語性があったりするので覚えられないが、「サザンカ」などは、2018年ピョンチャンオリンピックのイメージソングで、毎日NHKで流れていたので覚えた。
と、いうわけで、CDも買って車で聴くという入れ込みようだ。

セカオワのファンは、年齢層が幅広い。
わたしと、娘と孫の年代に及ぶ。



虎に翼

2024-04-18 | TV
「フテホド」が終わって、寂しいところへ「虎に翼」が始まった。
女性の立場を考えさせられる話だ。明治では女性の参政権もなかった。
フテホドでも女性の立場を取り上げていたが、昭和と令和でそんなに女性の立場が変わったようには思えない。
今は多様性を叫ばれるようになったが、政治などでも、女性が男性と肩を並べるところまで来たとは思えない。
まだまだ、育児や家事は女性主体ではあるが、結構男性が手伝ってくれる世の中にはなってきたみたいだ。
孫たちも「父ちゃん結構料理とかしてる~」と、言っていたのだが、いよいよ単身赴任となるようで、また母ちゃんは頑張らなくてはならない。
わたしたちの年代は、「虎に翼」でも言っていたように、嫁が「女中みたいなもん・・」というのがわかる。
夫は残業で遅くなったわたしを手伝ったり、食べ終わった食器は必ず運んでくれた。それくらいしかしなくても、わたし達の年代ではありがたかった。
それに、必ず「ご苦労さん、ありがとう」を、言ってくれる人だったので、すっかり、その言葉に騙されて頑張ってしまうのだ。
今では、運転手という役割も担っている。
義母は自分が100歳になっても、わたしがまだ70代だから運転は大丈夫やねと確認していた。義父母の介護は完全放棄して旅立った夫の代わりにわたしひとりの肩にかかってくる。

さて、今日の「虎に翼」の冒頭のシーン。
「女子部存続のためにがんばりましょうね」という彼女らの科白に身体が反応した。明治だよね、ドラマのその言葉。
令和だよね、今。
同じ言葉が必要な場面があるということに気づく。

女性の社会参加って、確かに進んできているようだけど、まだまだの感はある。
実は、先週の土曜の夜、町内の総会があって出席した。
その名も「初常会」はつじょうかいと読む。発情会ではない。
会計の事を「算者」と呼ぶ。今風に呼び方を変えるという感じはない。
田舎のこの町の時間は昭和初期から止まったままかも。
町内は188戸ある。公民館に参加したのは50名足らずだ。
鳥居を建てるかどうかの話に興味があって、たまに出てみよう、どのくらいの女性が出るのだろうとそのことにも興味があった。
義母は、「昔から、女なんかひとりも出んわ!」と、見てきたように言っていたが、まさしくそうだった。一人もいないのである。
後ろに座って、決算書をながめながら、土木、衛生、防災など今更ながらお金の動きを知る。結局、地震で壊れた鳥居を新しく建てないことになった。
大鳥居があるので、それを補修するということだった。
女性の世帯主は町内にいるはずだが、誰も出席しない。
他の町は、女性も出ていますよと聞いたし、区長も女性のところもある。
それぞれだが、わが町は進歩していなかった。
おまけに、明治と同じ言葉を聞いて立ち眩みしそうになった。






6億だってよ!!

2024-04-13 | 暮らし
山中の「加賀依緑園」へ行った。
すっかり陶芸家として名を成すようになった友達に誘われて一緒に行ったら特別待遇で、館内の案内をしてもらえた。
市の施設として、本日オープンだが、静かだった。
ところどころで外に出るので、靴を専用の袋に入れて持ち歩かなくてはならない。案内の方がいないと、どこにいるのか分からなくなりそうだ。
確かに「よしのや依緑園の別荘」ということで、天皇陛下もお泊りになられた・・という素晴らしい建物ではある。
「改修に6億だってよ!!」
消滅可能都市と言われる加賀市だがお金持ちなんかいって、思った。
武道館3階の弓道場の非常階段は手すりが老朽化していて、使用禁止になっている。
もう、何年も修理の申請をしているが、お金がないっていわれている。
それで、今年の大会は非常階段を使えない3階での大会は地震の後なので中止した。手すりの補修をしても、メリットはないから?
6億円かけて後の経済効果は期待できない。
指定管理者の方々にお任せして終わりのように見受けられた。
新幹線開通の日のお祭り騒ぎは、翌日から無人になった駅を見ると幻だったのかと思えるが、こちらは、オープンから静かだ。




改修した白木が浮いた感じがするのは否めない。
立派な建物だから必見の価値はあるが。
庭も大きな石や灯篭、池もきれいだが、ここの草むしり大変だろうねえと思った。
とにかく、館内は是非ご覧あれ、喫茶もあり、ここでお茶するのは最高に格調高くていい感じだ。これはおすすめ。

山の中なので、虫対策が大変そうだった。
















桜の溢れる日

2024-04-13 | 暮らし
近くのパン屋「ルイドール」は、お気に入りのパン屋だ。
土曜の朝7時半にはもうたくさんのパンが並び、次から次と売れていく。


初めて見たダイナミックな「カツカレーパン」食べたかったけど、ちょっとボリュームがありすぎて手が出なかった。
でも一度食べてみたい。


結局、いつものお好みのパン。イチゴとバナナとわかめスープ。



最近、カスタードクリームのパンにはまっているので、それも我慢できずに買ってしまった。
さて、桜が見える外で食べるかーー。



なんか殿が座っているように見える。
天気がいいと必ずここに座っていた。

そうだ!桜を撮りに行こう!!愛宕神社から一枚。



気持ちまで飛んでいきそうだ。






新幹線が停まる無人の駅

2024-04-11 | 旅行
買い物のついでにそっと加賀温泉駅へ寄った。
そっと寄らなくても、堂々と行けばいいのだが、人が殆どいないので気が引けたのだ。。
土曜だが人っ子一人いない。
電車の発着以外は人がいなくても仕方がないが、お弁当を売っているところも、特設イベントみたいに机だけだ。


開通までに間に合わなかったようで、完成は来年とのこと。


誰もいない駅。


わたしは上り線下り線が分からなくなった。
東京へ行くのは上りで、今までは福井へ行くのが上りだったが、金沢方面へ行くのが東京だから、これからは、上り下りを言うのはやめよう。
金沢方面、敦賀方面、東京行きと、はっきり言おう。
素敵な喫茶店だが、誰もいない。


温泉客はすぐに送迎のバスに乗るので、誰も駅に留まらない。


駅前のこのテントは何だろう。
これから進化していく駅となりますように。



花より団子

2024-04-07 | 暮らし
義母のコロナは回復に半月以上かかった。
そのため、わたしの予定はすべてキャンセルした。
桜が咲くと同時に、元気も出てきて、久々の予定のない日曜。
縁側で外を見ている義母が弱々しく見えて、午後に花見に誘った。
今日は最高の花見日和だ。
花見だけでは腹は膨れないというもの。団子を買ったら喜んでいた。
花より団子である。
しかし、1軒目のお菓子屋には花見団子は売り切れていて、2軒目は1本だけ残っていた。桜餅2個と花見団子1本を買った。








夜桜 お花見

2024-04-06 | 弓道
弓道仲間と弁天さんにある公民館で恒例の花見の会。
本来なら講習会だったのだが、2週間前義母の容態が心配で取りやめた。
ドタキャンをするのもどうかと思って早めにキャンセルしたが、幸い良くなってきて、夕食の準備をして花見に出かけることができた。
久々に飲んで弓道談義を熱く語っているみんな。
さて、何をどう熱く語ったのか、酔いが醒めるとすっかり忘れている。
ただ、到達できないからこそ続けていくことが出来るのだと言っていたような。
少しずつ上っているようで、迷い込んでいるようなところがある。
それでも、みんながそのことだけで延々と語れるというしあわせ。
延々と聴かされる者はお気の毒。


わたし達はここを、弁天さんと呼んでいる。
毎年、同じ所で花見をするが、毎年同じ花を愛でているわけではない。
今年の桜は、今年しか見れないし、必ず次の歳は年を取っている。
桜の木も年を取っている。
若いままでいたかったら、若いうちに死ななくてはならないと、寂聴さんがおっしゃっていたっけ。
今いることに感謝する。
そばにいる人々に感謝する。





高見順の日記

2024-04-03 | 読書
最近のニュースで、名のある人の失言や、ネットでの発言がニュースになるのを観ると怖い。
人と人が、趣味や考え方を披露して、繋がることは否定しないが、その隙間にロマンス詐欺があったり、有名人にはマスコミの眼があったり。
不適切な発言は、あっという間に広がって、撤回できない。
なるべく、名前を出さないようにしながら、ひっそりとブログでつぶやく。
見ず知らずの人とつながるのも怖い。
それなら書き込みをしなければいいのにと言う人もいるだろう。
出来るだけ少数の仲良しだけでやり取りするならLINEでいいだろうが、そうなると既読だけではすまなくて、返事をし合うとやたら発信するのも申し訳なく、結局、不特定多数につぶやきたくなるというもの。
読んでも読まなくても迷惑をかけることなく、一人の夜のつぶやきなのである。たぶん、書きたい病なのかもしれない。
日記を人目にさらす気が知れないという人もいた。
小説家ではなくても、書きたい人、誰かに読んでもらいたい人は多い。
昔から多くの小説家は、日記を書いて本にしていた。
それが、何年か後に貴重な資料になったりする。

今読んでいるのは、「高見順日記 第二巻の下」昭和18年5月から昭和19年12月。全八巻あるうちの、戦争中の頃である。
高見順が北鎌倉にいたころだが、彼の故郷は福井県の三国町。
なので、ネットで加賀市の図書館の蔵書を調べたが、なかったので、福井県立図書館と、併設されているふるさと文学館なら、福井県出身の人の本があるに違いないと、HPのメールに問い合わせたら閲覧できますとのことだったが、閲覧では通わなくてはならない。
文学館の学芸員の方が、「石川県立図書館にあるので借りることができますよ」とのことで、早速加賀市の図書館に申し込むと、すぐに県立図書館から取り寄せてくださった。
ありがたい、貴重な本を手に取ってみることが出来るのである。
溢れかえるネット情報より、落ち着いて読める本はいいものだ。
と、ネットに書き込んでいるのもおかしいが。
鎌倉に文士達が集まり、その文士達の集いの中でのせりふのやりとりは映画のワンシーンのように生き生きと本の中で広がっていく。
川端康成と小林秀雄、今日出海、大佛次郎が、酒を飲んでいる。
また、飲んでいる。「そんなに飲んでいたら早死にするよ」と思うが、もう誰も生きていないのである。
あらら、この人とこの人の人間関係やばいなあとか、すでにいない人たちなので、もう秘密にもならないし、誰かに言っても本人から訴えられもしない。
しかし、悲しいかな誰かに言っても、関心がないだろう。