まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

6月は苦手

2021-06-26 | 暮らし
毎年6月になると、低い血圧がさらに下がって、朝の目覚めがつらい。
遮光カーテンを全部閉めると、朝になっても暗いと寝過ごすかと思い、少しだけ開けてある隙間から差し込む朝日に負ける。
5時になると、枕に直撃する光。
まだまだ眠いのでカーテンを閉めようにも、頭がぐらぐらして、目が回るので、しばらくベッドでごろごろする。
時々、朝起きた時に、どうして一人なのだろうと急に思ってしまうことがある。
思っても仕方がないのだ。
今日も元気で目覚めたら感謝なのだが、調子が悪いと、ひとりだなあと思ってしまう。

蒸し暑くて、何もしないのに汗が出るというのが嫌だ。
草をむしっていて立ち上がると、地球は回っていると感じる。
何とか暑さに慣れるよう、しずしずと働くことにしよう。

世の中が大変な時なので、自分の身体は自分で大切にしなくてはならない。

香港では言論の自由を奪われ、市民が辛い思いをしているというのに、自由な日本にいて、つまらないことをぐだぐだい言う自分は軟弱だと感じるが。
すべては、うっとおしい湿度の高い天気のせいにしてしまう。
皆さんごきげんよう。




藤の巻替え

2021-06-24 | 弓道
昨年の9月に巻き替えた藤が、またまた削れて剥がれそうになっていて、そのうちに替えようと思いつつ、延ばし延ばしになっていた。
昨年の9月には、そのままの藤を使って短くしていたので、新しいのを水に浸けて、ついでに握り皮も巻くことにした。
まずは、決心が鈍らないようにすべてを外した。
藤の下に書いてある数字とかは何だろう?


次に、道具を揃えて、いざ藤を浸すこと30分。
真ん中にあるガラスの破片が、不器用な私にとって大事な道具。
これは、亡くなったH先輩から頂いたもので、藤を巻き替えるときに使うようにとのことで、今迄も活躍している。



藤の初めと終わりは、細い針金のように削るのだが、これが職人さんなら空中で、小刀を鮮やかにシュッシュッと削るのだが、私がすると細くするつもりが途中で切れるということになる。
巻き終わりも、一旦セロテープで止めて、ガラスの上で藤を削ると、思いのほかきれいに細くできる。




上から補強用にボンドを塗り完了。
握り皮も継ぎ目がきれいになったが、初めと終わりは少しチョンボ。
とりあえず、日曜の講習会に間に合った。
まさか外れた藤にセロテープを貼って出るわけにはいかない。
概ねよろしいでしょう。
おおむねといえば、若かりし頃、弓を引くのが難しいくらい胸が大きかった。
何の話や?







手をこまねく

2021-06-22 | 暮らし
昨日の朝刊で、くらしの歳時記に
「なかなか手入れができずにいると、草の背丈も伸びて生え放題。
容赦なく広がる雑草に、手をこまねいています。」と、書いてあった。
この時期は、草の生えるスピードが速い。
先日の刈残しが気になって、再び出かけることにした。
草刈り機を使いたくて仕方がない。
草を刈るのが面白いのだ。
先の、文章の人も、早く草を刈りたくてうずうずしているのかと思った。
しかし、わたしの大きな勘違いだと気付いた。
「手をこまねく」と、言うと、何かしたくて準備して待ち構えていると思っていたのだ。
本来は、何もしないで傍観しているという意味である。
何となく、胸の前で手をすりすりするイメージがあったのだ。
恥ずかしながら、改めて我が家の「源泉」で調べてみた。
こまねく【拱く】①腕組みをする。②手出しをせずに傍観する。
ということで、決してごますりのように、手をもみもみして、機を窺がっている様子ではないことを知り、長い間勘違いしていたことが恥ずかしい。

さて、草刈りの話しだが、母が以前から気にしてくれていたので、草刈り機を買って、刈ったのだと説明する。
見たいというので、傘を立てられる椅子を用意して一緒に行った。
父も夫も健在の時は、母も鎌を持って手伝ってくれていた。
隣との境目は、機械より鎌を使った方が安全できれいだ。
椅子に座りながらも、周りの草を一生懸命引いてくれる。


母にデジカメでわたしの雄姿を撮ってもらうことにした。
望遠に合わせて渡しておいたら、たくさん撮ってくれた。
「うまく撮れたね」と、いうと「そうやわぁ」と、自慢げであった。
もう、手をこまねくことはない。









遠的稽古

2021-06-19 | 弓道
せっかく新しい遠的矢を買ったのに、まだ一度も引いていないというYさん。
みんなに声をかけて、今日の午後遠的場に集合しましょうとなったが、朝から雨。
それでも、思う一念・・・中止とは言わず、小やみになるかもしれないことを祈りつつ、午後1時に遠的場を開けた。
久しぶりの遠的。
扉はガタピシ、埃だらけ。まずは掃除から。
畳を移動させるも重くて動かしにくいので、実家のいらない畳を弟に頼んで軽トラに載せて持ってきてもらった。
急の相談に快く乗ってくれて、持つべきものは弟。


午後2時には雨は止んだ。
とにかく、狙いをつけるために矢の行き所を的前で見て外れた矢の行き先を言う。
Yさんはしっかり引く人なので、だんだん的に中ってくる。
遠的は引けば引くほど的中は良くなる。
殿は、あんなデカい的に中らんほうがおかしい・・と、豪語していたな。


相変わらず空を狙うように引いてみる。
最後には、だんだん中ってくるが、今度は疲れてくる。
なかなか高得点には遠いが、何とか的に食いついている。
矢取りに行くたびにテクテク歩くので良い運動になる。
そろそろ的紙を貼り替えなくてはならないねえ。

的の段ボールに中っていれば大丈夫だが、周りは断熱材なので、摩擦で矢に溶けた水色が着くかもしれないと思ったが、雨で濡れていたせいか、矢勢がないせいか、抜いた矢に支障はなかった。
これから、天気が良かったら、外遊びもいいなと思う。
この後、3階の近的道場へ行ったら、山登りのように辛かった。
運動不足だ。












樹木たちの知られざる生活

2021-06-18 | 暮らし
植物はしゃべれないが、何らかの形で意思表示をしているのではないかと思ったりする。
家の中で、日々成長し、わたしより大きくなっていく姿は頼もしい。
植物にも雌雄があるものがある。
例えばキウイとか、イチョウとか。
オーガスタに雌雄がないだろうが、これはオスだと思っている。
わたしの背丈より高いし、頼もしいのでそう思う。

葉が4枚になると、他の葉のふちが枯れてくる。
それで、3枚にしてしまうことがあるが、どうも切ってしまうのが惜しい。
4枚目の新芽が出てきた。


「樹木たちの知られざる生活」ペーター・ヴォールレーベン
長谷川圭訳
副題「森林管理官が聴いた森の声」
を、読んでいると、人間がいかに傲慢かと思う。
人間がいなくても森は育ち、植物は生き続ける。
植物がないと人間は生きていけない。
それなのに、自分の思うようにしようとする。


観葉植物を育て、水をやっているので、自分が育てている気になる。
確かに、鉢植えにしたら、手をかけないと生きていけない。


毎年入れ替わっていく葉っぱ。
ついに4枚目。
おはよう。おやすみ。ありがとう。







草刈り機デビュー

2021-06-16 | 暮らし
父が持っていた草刈り機は、ガソリンを入れてひもを引っ張って、その上、重たそうで、草刈り機は男性の物と思っていた。
しかし、この頃は女性でも使える軽いものが出ている。
充電式でスイッチ一つで電源が入るし扱いやすい。
毎回、シルバーにお金を払って刈ってもらったり、知り合いの人に頼んだりしたが、今回、弟が刈ってくれた時に少し触らせてもらったら、結構いけそうだと思いJAに注文した。
いよいよ独り立ちできる。
そして、それが今日の午後に届いたので、早速お試し、デビュー。
ちゃんと保護メガネも入っていたので、長靴を履いて約120坪を刈り取る。
マキタで、重量は3.2kg。肩掛けのバンドが合わない。
力いっぱい縮めても緩いが、とりあえず刈ろう。


5月中旬に刈ってもらったのに、草はあっという間に伸びている。
少し、ハナカタバミを植えたので、ところどころ掘り返していたので、まばらである。



花を植えていてほじくったら出てきた。



「セーラー服と機関銃」を、思い出した。
ああ、快感である。しかし、長靴と草刈り機では、段違いだが。
音も静かで、時折、ジャリンというが、みるみる刈れていく。
しかし、あと一息でバッテリーが切れた。
取説には高速80分、中速110分。
中速で刈っていたのだが、時を忘れてがんばり若干手がしびれた。
帰りに実家へ寄って、弟に効率の良い刈り方を習い、マキタのバッテリーは掃除機と兼用できるというので、この際、掃除機もマキタにしたいなあと思う。

自然の中で働くことは快感だと思った。
人の中で働くと気を遣うが、自然相手は心が和む。
取扱いに注意して、ゆっくり楽しみながらの草刈りはスポーツだ。

この後、夜に弓を引いたら、案の定いまいちだった。
それを草刈り機のせいにした。


ビデオ審査

2021-06-13 | 弓道
土日は中高校生のビデオ審査で、私は土曜日に審査員として出かけた。
高校生が部活を3年間やってコロナの為に昇段審査が受けられないのは可哀そうであるという気持ちは分かるが、本来の審査というのは、やはり本番の道場で自分の力量を試すものであるとつくづく思った。

そもそも弓道の審査や試合は、自分自身の未知の世界にチャレンジするものだと思う。審査員も受審者も緊張感の中で対面するのである。
やり直しのきく道場で淡々と引く姿、途切れ途切れの、的中結果の分かっている再生ドラマを観せられるのだ。
弦音も的中音も実感できないものを6時間見続けるのである。苦行だ。
途中休憩し、昼ごはんも頂いたが。
審査部の方たちも、撮影に携わった先生も大変であったとは思うが、せめて初段と弐段は普通の審査をして、日頃の稽古をどこまで平常心で出せるかを体験してほしい。

単に、コロナ禍でも弓道をした証を残してあげたいというのは違うと思う。
こんな時だからこそ不完全燃焼となっても、まだまだ若い人たちが、もっと弓を引きたい、チャレンジしたいと思って、将来大学や社会人になって続けてくれることを期待したい。

ずっと〇ばかりつけていると、いつの間にか落語でもないのに、落としどころを探してしまう。審査員として仕事をしなくてはという変な責任感が湧く。
ガイドラインがないと、その差は分からない無指定の審査。
結果は、落ちる人が少数になって、かえって落ちた子供が可哀そうな気がする。合格率が高いというのは、落ちた子供にとっては落胆が大きい。
合格率が低いと、落ちたもの同士でまた頑張りましょうと再挑戦する。
どちらがいいのかは別として、本来の昇段審査は、称号者であっても、緊張に負けて、自分でも信じられないおかしな矢が出たりするのだ。
幕を打ってしまったり、矢こぼれをしたり、掃き矢になったりというドラマがある。
残念だったね、入退場が間違ったね。みんなと動作が合っていなかったね。
というような、全体との和も見ることが出来る。
しかし、スクリーンには不可のない動作が続いていく。
薄暗く、頬付けもどうなっているのか見にくい。
息合も伝わらない平面の動き。これは一体何だろう。

早くコロナが収束して本来の審査が出来るようになりますよう。
すべては、コロナのせいなのだった。




歴史の人

2021-06-11 | 昭和のど真ん中
kouは中学三年だ。コロナ下での受験勉強。正確にはコロナ禍下。
テストがあるらしく、ぶつぶつつぶやいていた。
「日本国憲法が出来たのは・・」
「戦争が1945年に終わって、翌年1946年11月か‥」
「朝鮮戦争は・・」「1950年・・じぃじの生まれた年や」
「戦争が終わって10年後に、ばぁばが生まれた。」
「へぇ~。。オレらの勉強・・じぃじとばぁばの生まれた年がもう歴史や」
半世紀以上やもんね。
婆様などは90年越えたしね。
100年って昔なら妖怪の部類かも。
今でもカクシャクとしていている婆様は妖怪かも。

1950年あたりの団塊の世代は「戦争が終わってぼくらは生れた」世代。
それはもう、遠い歴史となって、その歌を口ずさむと泣けてきそうなくらい遠く懐かしくなってしまった。


ワクチン接種

2021-06-11 | コロナ
本日、16時からワクチン接種。
そろそろ時間かなと時計をみたら、3時33分33秒だった。この一瞬を捉えたことはラッキーなのか、散々(33)のぞろ目なのか。

近くの耳鼻咽喉科へ時間通りに行きクーポン券を出して待っていた。
わたしの後に、80歳は過ぎているだろう男性がクーポンの封筒を受付に出したが、予約がないので電話で取るように言われて帰された。
あのおじいちゃんは大丈夫だろうか。
ちゃんと予約の電話が出来るのだろうか。
後姿はシャツがズボンからはみ出ていて、余計に心配だ。
そういう人は多いのではないだろうか。
受けなかった老人と、受けられなかった老人がいるだろうことを把握できるのだろうか。

注射は殆ど痛みもなく終わり、15分経っても大丈夫で帰ったが、左腕が痛重。いたおも・・
今日は弓を引くのは止めよう。
また、違う花が開いていた。
君たちはコロナに関係なく咲いているね。







車に乗らない日

2021-06-05 | 暮らし
車に乗らない日というのがない。
仕事の往復に車を使う。
休みの日も、公民館へ資源ごみを持っていくときや、買い物に出かける時に必ず車に乗る。

しかし、最近たまに自転車で買い物に出かけるようになった。
孫のkenが、中学に入ったので、お古の自転車を貰ったからだ。
ママチャリを捨てて、ギアチェンジが出来る自転車に乗れた嬉しさ。
本当のところ、kenに入学祝に通学用の高額自転車を買ってあげて、彼が乗っていた自転車をもらったのである。
それでも、カタカタとダイヤルを動かしてギァが変わると嬉しい。
それで、近くのコーヒー屋さんに豆を買いに出かけるようになった。
しかし、近いのだが、国道八号線を横切るとき少し緊張する。
右折の車が本当に止まってくれるだろうか、自分が国道を走っていると、歩行者や自転車に出会うと緊張すると同様、きっと車の人は国道をトボトボ渡る私に緊張するのではないか。
いつからか、道路は車のものになってしまっている。
登山道は人が歩くが、それとて危険は多い。
熊や獣も、登山道は移動しやすいかもしれない。
日中は人に譲っているだろうけど、夜はけものも登山道を歩いているかもしれない。
けもの道を人間が勝手に登山道にしたかもしれないからだ。
いずれにしろ、人は歩く時、公園以外は緊張感をもって歩かなくてはならないのだ。
そういえば、自転車だと白山をゆっくり眺めながら走ることが出来る。
雪が解けて、斑になってきていた。

家に帰ると、花が咲いているのに気づいた。
昨日は雨で、庭を眺めることもなかったので、たくさん咲いているのに驚く。






緊急事態!!の記事が

2021-06-03 | コロナ
本日の朝刊に「飲食店怒り・・五輪だけ特別か」と、いう見出しで、飲食店の張り紙の写真が掲載されていた。
それをここにアップすると著作権に関わるので出せないが、内容は
「緊急事熊宣言により休業させて頂きます4/25~5/11,5/31.6/10」と、日付が書き直されている手書きの写真だった。
熊が出たのか?と、あらためて大きな真ん中の字を見た。
「緊急事熊・・」に、なっていた。
どう見ても「心」ではなく「灬」である。
心より烈火のごとく腹が立つことを表わしているのかも。

笑ってはいけない記事なのに、笑えてしまった。
よりによって、記者の写した写真に熊の誤字。
記者は知ってか知らずか。
写真の横に「緊急事態宣言が延長するごとに書き直された飲食店の張り紙=東京・新宿」と、あった。
東京でも熊が出るんだぞ。


真夜中の組み立て

2021-06-02 | 暮らし
思い立ったが吉日というが、気づくといてもたってもいられなくなる。
毎日の暮らしの中で、忙しさにかまけて見ないようにしている部屋のすみっこ。
ふきんや雑巾も、毎日きれいに洗っているようで、気づいたら薄汚れていたりする。
テレビのリモコンも、まじまじと見ないので、ふと気づいたら汚れている。
常に掃除が行き届いていれば、何もかも奇麗なのだろうが、汚す人がいないと思うと油断する。
その気づいた時が替え時。
新しいふきんにする。くたびれたタオルを雑巾に格下げする。
しかし、人間がくたびれても頑張って生きて行かなくてはならない。
大事なのは、細胞を若返らせるために美味しいものを食べるべきだ。

さて、我が家の洗面所のカラーBOXが傷んでいることに気づいた。
前は剝がれているし、棚板はずれている。



引っ越しの時、前の家から持ってきていたので傷んで当然ではあるが。
仕事の帰りにニトリへ寄ってイメージしていたものがあり買って帰る。
3000円でおつりがきた。
これを20年以上使っていたのだからたいしたものだ。
カートに載せると、前が見えない。
ドライバーさえあれば組み立てられるはずだ。


殿が生きていた頃から、こういうことはわたしの方が得意で、殿は力仕事のところで出番だった。しかし、久しぶりでプラスチックの部品が多いことに驚く。
面白いテレビもないので組み立て始めたが、夜の9時過ぎにこういうことを始めるかな。。。


同じ高さにこれって??


別売りの引き出し用のレールを着ける。
ちょっとお茶を飲もう。汗が出てきた。


完成しましたよ!!
ひぇ~~10時半だ。一日が30時間あるといいのにといつも思う。



設置して完了。
明日の朝は気持ちが良いと思う。
風呂用のくつも洗面器も引き出しに入ってよか。





サボテン

2021-06-01 | 
ウッドデッキに置いてあったサボテンが咲いた。
実家の外の鉢がたくさん増えて綺麗な花を咲かせていたので、鉢を持って行って分けた貰ったのだが、なかなか咲かないので外に放置してあったのだ。
花の間はしばし家の中の窓辺へ。

それにつけても、ついに尾身さんが「何のためにやるか明らかでない」と、政府に説明を求めた。
オリンピック後の恐怖がみえる。

登山中、花に出会うとホッとする。
そんな風に、日常に植物は欠かせないのだと思う。
わたしたちも生物なのである。
目に見えないウィルスに悩まされ続けている中で生きていかなくてはならない。

庭を綺麗にしている家の前を通ると、その家の人の笑顔が見える気がする。