まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

高見順の日記

2024-04-03 | 読書
最近のニュースで、名のある人の失言や、ネットでの発言がニュースになるのを観ると怖い。
人と人が、趣味や考え方を披露して、繋がることは否定しないが、その隙間にロマンス詐欺があったり、有名人にはマスコミの眼があったり。
不適切な発言は、あっという間に広がって、撤回できない。
なるべく、名前を出さないようにしながら、ひっそりとブログでつぶやく。
見ず知らずの人とつながるのも怖い。
それなら書き込みをしなければいいのにと言う人もいるだろう。
出来るだけ少数の仲良しだけでやり取りするならLINEでいいだろうが、そうなると既読だけではすまなくて、返事をし合うとやたら発信するのも申し訳なく、結局、不特定多数につぶやきたくなるというもの。
読んでも読まなくても迷惑をかけることなく、一人の夜のつぶやきなのである。たぶん、書きたい病なのかもしれない。
日記を人目にさらす気が知れないという人もいた。
小説家ではなくても、書きたい人、誰かに読んでもらいたい人は多い。
昔から多くの小説家は、日記を書いて本にしていた。
それが、何年か後に貴重な資料になったりする。

今読んでいるのは、「高見順日記 第二巻の下」昭和18年5月から昭和19年12月。全八巻あるうちの、戦争中の頃である。
高見順が北鎌倉にいたころだが、彼の故郷は福井県の三国町。
なので、ネットで加賀市の図書館の蔵書を調べたが、なかったので、福井県立図書館と、併設されているふるさと文学館なら、福井県出身の人の本があるに違いないと、HPのメールに問い合わせたら閲覧できますとのことだったが、閲覧では通わなくてはならない。
文学館の学芸員の方が、「石川県立図書館にあるので借りることができますよ」とのことで、早速加賀市の図書館に申し込むと、すぐに県立図書館から取り寄せてくださった。
ありがたい、貴重な本を手に取ってみることが出来るのである。
溢れかえるネット情報より、落ち着いて読める本はいいものだ。
と、ネットに書き込んでいるのもおかしいが。
鎌倉に文士達が集まり、その文士達の集いの中でのせりふのやりとりは映画のワンシーンのように生き生きと本の中で広がっていく。
川端康成と小林秀雄、今日出海、大佛次郎が、酒を飲んでいる。
また、飲んでいる。「そんなに飲んでいたら早死にするよ」と思うが、もう誰も生きていないのである。
あらら、この人とこの人の人間関係やばいなあとか、すでにいない人たちなので、もう秘密にもならないし、誰かに言っても本人から訴えられもしない。
しかし、悲しいかな誰かに言っても、関心がないだろう。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿