なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

鉄欠乏性貧血Hb3.7g/dLのその後

2024年04月12日 | 血液疾患

 2月13日に記載した、別の先生が診ている鉄欠乏性貧血Hb3.7g/dLの20歳代後半の女性のその後。

 MCV65.5と70未満を呈するのも少ないが、さらに血清鉄4μg/dL・血清フェリチン1.50ng/mLはなかなか見ない値だった。入院して2日間輸血を行い、その後は外来で鉄剤内服に鉄剤静注(フェジン3A=120mg)を追加していた。

 1週間後にはHb6.6g/dLとまずまず安心できる値にはなっていた。そこからは鉄剤内服を継続して、2週間後にはHb9g/dLまで上昇してきた。

 鉄分の摂取不足もあるが、痔出血が続いているそうだ。痔核の軟膏製剤も他院から処方されていた。

 痔の専門クリニックを受診して手術予定となったが、色々揉めて中止になっていた。患者さんの希望で県内有数の市立病院に紹介となったが、ご本人が気に入らなかったらしく受診中断となった。

 担当の内科の先生が、痔の専門クリニックの医師と電話で話していた。先方は開業医であり、問題のある患者さんには関わりたくないのだろう、と記載していた。当面は当院で貧血の治療を続けるしかない。

 貧血がHb6.4g/dLとまた進行して、鉄剤静注を短期間追加していた。担当医にストレスがかかる患者さんだが、辛抱強く診療しておられる。

 自称心的外傷後ストレス障害(PTSD)だが、実際はパーソナリティ障害?。(現在の病名は「~障害」ではなく「~症」にに変更された)

 

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癌化学療法の副作用?

2024年03月29日 | 血液疾患

 昨年11月3日に記載した悪性リンパ腫の86歳女性のその後。

 がんセンターに紹介して、悪性リンパ腫と診断されて、化学療法が始まった(RCHOP療法)。抗がん剤投与1週間目に白血球減少が生じるので、G-CSF製剤の皮下注(グラン)を2日間する必要があった。

 がんセンターまでそのために行くのは大変なので、当院で行うことになった。当院としてはがんセンターから指示があった2日間外来で行う。1日目は一応顔を見せてもらうが、2日目は注射だけして帰宅としていた。

 

 3月28日(木)に市内の内科クリニックから、3月22日に癌化学療法をしてから嘔気・食欲不振が続くので、入院も含めて診てほしいと紹介されてきた。そのクリニックには以前から高血圧症で通院している。前日夕方はクリニックで1本だけ点滴していた。

 便秘で2種類の処方が出ていたが(酸化マグネシウムとリンゼス=リナクロチド)、両者を使用すると今度は下痢(といっても便は少量)になって嘔気も生じる。抗癌剤の副作用というより、下剤の使い方がうまくないだけのようでもある。

 血液検査と胸腹部CTを検査したが、初診時のリンパ節腫大は軽減していた。胃腸の問題は特にないようだ。それでも現在ひとり暮らしなので、入院で点滴を行うことにした。(息子は仕事で東南アジアだが、娘は隣県なので来れなくはない)

 4月5日にがんセンターで画像検査が入っているので、それまでに退院できればというところだ。

 

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鉄欠乏貧血

2024年03月16日 | 血液疾患

 鉄欠乏性貧血の51歳女性の経過。病院事務職員で毎年健診を受けている。

 2011年の健診で赤血球431万・Hb 9.6g/dL・Ht 31.0(MCV 72.1)だった。2012年の健診でも同様で婦人科外来を受診している。過多月経・月経困難症の診断で、貧血への鉄剤(一時期のみ)や漢方薬が処方されている。その後はHb 7.2g/dL~12.7g/dLで推移していた。

 

 2019年の健診で、赤血球 396万・Hb 6.8g/dL・Ht 23.5(MCV 59.3)・血清鉄 10・血清フェリチン 1.34と極端な鉄欠乏性貧血を認めた。

 内科外来からの鉄剤投与(経口剤)で、Hb 9.9g/dL(同年の8月)→Hb 11.7g/dL(10月)→Hb 13.4(2020年1月)と貧血は改善した。その段階で血清鉄 132・血清フェリチン 26とまだ鉄は少なめだが、そこで治療は中断した。

 2020年8月はHb 10.5g/dL、2022年1月はHb 10.5g/dL、と低く目ながら保っていた。2023年2月はHb 7.5g/dLと低下したが、そのまま治療をしていない。

 

 2024年2月は、赤血球 385万・Hb 6.1g/dL・Ht 21.4(MCV 55.5)・血清鉄7・血清フェリチン1.34と極端な鉄欠乏貧血だった。MCV50台とこの血清フェチリン値はなかなか見ない。

 内科新患で診た先生(大学病院からの応援医師)はまた鉄剤の処方を開始した。腹部単純CTを行っていたが、異常は指摘できない。

 3月7日(木)の仕事中にめまい・ふらつきを覚えて、内科外来を受診した。その時は常勤の内科医が診て、めまいの注射や処方を出していたが、改善しなかった。

 鉄欠乏貧血そのものの症状として、鉄剤を連日静注することにした。症状は改善してきたので、ある程度続けて、血算再検後に内服だけにするのだろう。

 年齢的には婦人科の原因による貧血は軽快するころになり、消化管内視鏡検査も必要かもしれない。。それにしても、慢性だと貧血がひどくても身体的には慣れて対応できるものだと思う。

 

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悪性リンパ腫

2024年02月22日 | 血液疾患

 11月3日に記載した悪性リンパ腫疑いの86歳女性のその後。

 今月の始めにがんセンター血液内科の先生から、連絡が入った。悪性リンパ腫で治療している患者さんで、化学療法後の白血球減少に使用するG-CSF製剤の注射を当院で行ってほしいという。

 感染管理でがんセンターにお邪魔した時にお会いする先生だった。グラン注は院内にあるので、お引き受けした。診療情報提供書が送られてきて、昨年10月末に紹介した患者さんだとわかった。3か月経過して、すっかり忘れていた。

 

 11月6日にがんセンターを受診して、PET-CTで頸部・腋窩・縦隔・小腸間膜・傍大動脈~腸骨~鼠径部にリンパ節腫大があり、後頭部皮下や上腕骨・肋骨・脊椎・腸骨にも集積があって骨髄浸潤の所見と判断されていた。

 生検については部位の記載がなかったが(たぶん頸部か腋窩リンパ節)、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)と診断された。11月末からRCHOP療法が開始されている。

 RCHOP療法はリツキシマブ(R、商品名リツキサン)にシクロフォスファミド(C、商品名エンドキサン)・ハイドロキシダウノルビシン(H、商品名アドリアシン)・オンコビン(O、一般名ビンクリスチン)・プレドニゾロン(P)になる。(商品名と一般名がごっちゃになってのRCHOP)

 注射薬は第1日に、プレドニゾロンは内服で第1~4日に投与される。第6日~21日は休薬。1サイクル21日で、6または8サイクル行う。随分前、当院に腫瘍内科医がいたころに行っていたが、ただただ「教科書通りのことが行われている」、と感心してみていた。

 

 2月19日、20日とグラン注を行うようにという指示で、19日に患者さんがやってきた。紹介した時と同様にハキハキした物言いで元気だった。

 「(悪性リンパ腫は)治んないんでしょ」といっていた。ステージⅣ相当でも5年生存率は固形癌よりはいいはずだとは思うが、見当がつかない。

 

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貧血Hb3.7g/dL

2024年02月13日 | 血液疾患

 2月9日(金)、27歳女性が入院してきた。20歳代の入院は珍しい。20歳代の入院だと、大抵はインフルエンザで高熱・食欲不振とか、急性腸炎で下痢頻回・食欲不振などウイルス感染症になる。

 

 今回は極度の貧血だった。前日の外来で診た先生が、2日間入院して輸血をすることにしていた(濃厚赤血球2単位を2日行う)。

 精神科の診療所に通院していて、処方は抗精神薬・抗うつ薬・抗不安薬3種、それに抗てんかん薬(気分安定薬として?)とかなりの種類・量が出ている。

 東京の大学に行っていた時からの精神科に通院していたようだ。担当医が埼玉県の診療所に転勤したので、通院もそちらに替えていた。貧血を指摘されて、内科を受診するようにいわれたらしい。

 症状は立ちくらみ、動悸だった。Hb3.7g/dLと重度の貧血だが、白血球・血小板は正常域で、白血球分画も問題なかった。MCVが65.5と小球性貧血で、血清鉄4μg/dL・血清フェリチン1.5ng/mLと鉄欠乏貧血で間違いない。

 消化管出血や過多月経などはなさそうで、摂取不足らしい。身長160cm・体重64kgで現在はやせていないが、40kgだったこともある。摂食障害なのかもしれない。

 ここまで下がると、たまたま消化管出血などが併発するとショックで致命的になる。とりあえず、輸血でHbを5~6g/dlくらいにはしたい。輸血をする2日間だけの入院で、その後は外来で鉄剤を連日静注で投与することにしていた。

 精神科の主治医はいるので、内科では貧血だけ担当すればいい、ということになる。精神科の部分に関しては、内科では到底手に負えない。

 

 3連休だったが、病院からまったく連絡がなかった。金曜日は外部の先生が当直に来るまでの遅番をしていた。金土と内科の当番だったが、入院はなかった。(連休中病棟はいっぱいで入院不可となっていたが、受診後に要入院となることもある)

 入院の誰かが発熱して連絡がくることが多いが、それもなかった。ただ、昨日長期間透析で入院している患者さんが高熱を出してCOVID-19と判明した。職員からの感染が疑われた。(当方の担当患者も同室だった)

 

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急性リンパ性白血病

2024年02月03日 | 血液疾患

 2023年9月20日に記載した汎血球減少症の63歳男性のその後。

 9月15日に急性肺炎で入院したが、血液検査で汎血球減少を認めた。再検しても同様の所見だった。肺炎の治療は、免疫力低下を想定して、セフトリアキソンにレボフロキサシンを併用した。幸い解熱して、肺炎は軽快した。

 肝硬変、ビタミンB12欠乏など他の汎血球減少を来す疾患は否定的で、骨髄疾患の問題と判断された。退院日の決まらない入院中から、紹介先の血液内科の予約を取っていた。

 9月15日・19日の白血球分画で芽球は認めなかったが、9月22日の検査で芽球1%と出た。有意かどうかわからないが、予約をとっていた医療センター血液内科に連絡してみた。予定通りの予約日(9月26日)の受診で問題ないといわれた。(何をそんなに慌てているのかという感じだった。専門医とすればそんなものなのだろう。こちらが小心者ということ。)

 9月23日(土)に自宅退院したが、レボフロキサシンを受診まで内服継続としていた。9月26日無事に血液内科を受診していた(受診報告がFAXで来てほっとした)。

 

 1月31日に医療センターからの報告(診療情報提供書の返事)が来ていた。

 診断は急性リンパ性白血病。骨髄検査はdry tapだった。骨髄生検で芽球を認めて、B-ALL(Bリンパ芽球性白血病)と診断された。

 寛解導入療法(JSCTプロトコール)が開始されて、寛解となっていったん退院した。11月末には地固め療法(大量メトトレキサート療法)で入院していた。1月にまた地固め療法で入院している。(3回目の入院後に返事を出していないのに気付いた?)

 治療内容は難しくてわからないが、まず専門医の治療につなげられてよかった。

 

 研修医の時、20歳代の女性が出血性胃潰瘍(十二指腸潰瘍だったかも)で入院した。それは治ったが、血小板数10万未満が続いていた。特発性(現在は自己免疫性)血小板減少性紫斑病(ITP)を疑って、骨髄検査を行った。思いがけない結果で、急性リンパ性白血病だった。(白血球も3000くらいの低めの値で、貧血は出血だけの問題ではなかった。要は汎血球減少症だった。)

 研修病院に血液内科はなかったが、他院からの応援医師が血液内科で、そちらに紹介となった。女性は婚約中だったが、親同士の話合いで婚約は破談になったと聞いた。その後の経過はわからない。

 研修医の時から骨髄穿刺をしてきたが、教えてくれた指導医が思い出せなかった。研修病院の指導医ではなく、その応援で来ていた先生が指導してくれたのかもしれない。

 (骨髄像が自分では読めず、外注になってしまう。骨髄像だけではなく、特殊検査の提出もあるので、最近は自分ではやらなくなった)

 

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腋窩リンパ節腫脹

2024年01月07日 | 血液疾患

 アルコール性肝硬変・糖尿病で外来通院している86歳男性が、昨年12月29日に救急外来(発熱外来)を受診していた。

 非代償性肝硬変の悪化(腹水貯留・全身浮腫・肝性脳症)で7年前に入院したことがある。その後、禁酒して娘さん(二人暮らし)が生活と薬剤の管理をすることになり、病状は安定した。1か月に1回の外来通院を続けていた。

 

 12月27日から発熱があり、12月29日は上気道・呼吸器症状はないが、型通りにコロナとインフルエンザの迅速検査が行われた。結果は両者陰性。

 日直は腎臓内科医だった。カルテ画面に非代償性肝硬変なども簡単な病歴が付箋をつけているので、血液検査と画像検査を追加していた。

 血液検査では、白血球10600・CRP18.8と上昇していた。(ただし検査技師がいなくてできる簡易検査)

 胸腹部CT(単純)で肺炎はなかった。肝臓はわかりやすい肝硬変像。おそらく思いがけなかったと思うが、右腋窩リンパ節が複数腫脹していた。頸部・左腋窩・鼠径部のリンパ節腫脹はない。膵周囲のリンパ節も腫脹しているように見える。

 悪性リンパ腫疑いと判断していた。とりあえずのアセトアミノフェンと、念のためということで抗菌薬内服(ケフレックス)も処方していた。後は年末年始の休み明けに受診とした。

 

 1月4日に外来に来てもらったが、12月31日には解熱したという。食事摂取はまだ本調子ではないが、6割くらいに戻っているそうだ。案外元気だった。抗菌薬が効いたような経過だった。

 血液検査の再検と頸部~腹部(骨盤・鼠径部も)の造影CTを行った。右腋窩リンパ節は変わりなかった。膵周囲のリンパ節腫脹はあるようだが、それほどは目立たない。

 白血球6500・CRP6.3と炎症反応が軽減している。普通は悪性リンパ腫疑いだが、腹部の問題がないとすれば、右腋窩の化膿性リンパ節炎はあり得るのだろうか。

 肝硬変と皮脂欠乏性皮膚炎で体幹・四肢の掻痒感が強い。軟膏は2種類出しているが、それでも掻いてしまう。右上肢の皮膚化膿巣(診察時は瘢痕だけで、明らかな化膿はない)からのリンパ節腫脹の可能性も出てきた。

 入院するほどの病状でもなく、希望もしなかった。可溶性IL-2受容体抗体の外注検査を提出して、結果待ちとした。同じ抗菌薬を1週間追加した。

 

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全身のリンパ節腫脹

2023年11月03日 | 血液疾患

 10月31日(火)のお昼に救急外来の患者さんを診ていた。血液尿検査を提出して、結果が出るまで30分以上かかるので、午後0時半に食堂に行った。

 職員食堂と患者さん向けの食堂があったが、業者が引き上げてしまった。その後は、宅配弁当業者の弁当を食べている。

 外科外来に来ていた外科医に声をかけられた。明日の内科外来に患者さんを紹介したのでよろしく、という。86歳女性が1週間前に気づいた左腋窩の腫脹・圧痛を主訴に外科外来を受診していた。

 現在外科の常勤医は不在で、週に4日大学病院から非常勤で来てもらっている。この火曜日の先生は以前当院の常勤医だったので、話はよくわかる。

 血液検査と胸腹部CTを行ったという。結果はまだ見ていないかったが、乳癌ではないなあ、ということだった。発熱はない。

 単純CTだけなので、すでに終わっていた。確認すると、両側頸部~両側腋窩~縦隔~小腸間膜~大動脈周囲~鼠径部にリンパ節腫脹を認めた。

 血液検査では白血球6000・CRP1,2と炎症反応はごく軽度の上昇だった。LDHが336(124~222)と上昇していた。生化学検体の残りで外注の可溶性IL2受容体抗体を提出した。

 外科外来に行くと、外科医が帰るとところだった。CTを見ていて、悪性リンパ腫だったねえ、といわれた。明日がんセンター紹介の手配をします、と伝えた。

 患者さんはすでに帰っていた。自宅に到着したころに電話をしてみた。患者さん本人が出た。夫が亡くなってからは一人暮らしをしているそうだ。はきはきと会話ができて、理解力も十分だった。病院受診や買い物はもっぱらタクシーを使用している。

 市内に息子さんがいるが、離婚していて出張も多く、頼みにくいという。隣の県内に娘さんがいて、高次医療機関受診の際は頼めるかもしれないという。

 地域医療連携室に連絡して、がんセンター血液内科の外来予約をあらかじめとってもらった。早めに抑えないと、だいぶ先になってしまう。(幸い11月6日にとれた)

 翌日は、息子さん娘さんが付き添って受診した。全身のリンパ節が腫脹していて、悪性リンパ腫が疑われるが、生検をしないとわからないと伝えた。予約日の受診は大丈夫という。

 

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