スミダマンのほのぼの奮戦記

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八坂神社

2021-04-07 05:24:43 | 旅 ~京都

四条通東方面への突き当り、石段の上で目に飛び込んでくるのが2頭の青銅製の狛犬と朱塗りの西楼門。

国の重要文化財に指定され、八坂神社そして東山の象徴として

市民や観光客からも親しまれているが、実際の正門は南楼門でこの門ではない。

八坂神社では親しみを込めて地元の人々は「八坂さん」「祇園さん」と呼んでいるが、

昨年は八坂神社にとって素晴らしい年になった。

その詳細は後にアップします。

この西楼門をくぐり境内の参道に出る。

正門に見える鳥居のある社は疫神社だ。

この末社神社は疫病除けの神(蘇民将来)を祀っている。

尚、この日の境内には多くの屋台が出ていたのがやけに印象深かった。

この建物は絵馬堂で他の朱塗りの社と違って木造素地の大きな建物が控えめに建っていた。

さらに参道は続き正面を左に向かうと本殿のある広い境内に出る。

疫神社の隣には太田社がある。

当社の祭神は猿田彦神と天鈿女命(あめのうずめのみこと)だ。

猿田彦神は天孫降臨に際して日神の使いとして光尊の役割を果たした導きの神とされている。

天鈿女命は芸能の神とされている。

いよいよ正面に舞殿が見えてきた。

正門の南楼門は舞殿の右手だ。

参道には御千度詣として疫病収束・心願成就の祈りの断幕が訴えてくる。

まさに八坂神社の祭礼・祇園祭は今から約1150年前に始まったと言われているが、

京の町での疫病を収める為の祭りだった。

この新型コロナは八坂神社・祇園祭そのものだ。

俗に「えべっさん」と称される北向蛭子社。

祭神は事代主神で福の神、商売繁盛の神として崇敬されている。

現在殿は政保3年(1646年)の建造で国の重要文化財に指定されている。

境内の中心にデンと構える舞殿(ぶでん)は奉納行事のほか、結婚式でも行われる舞台。

花街の置屋や料亭から奉納された祇園情緒あふれる提灯には毎夜灯りがともされ、

星の灯りとともに素晴らしい空間を演出する。

大国さまと白うさぎ像がある大國主社。

縁結びの神(大国主神)を祀っている。

大国さまと白うさぎがマスクをしているのが痛々しい。

疫病守護の芽の輪くぐり。

左の輪を1回まわり次に右の輪をまわり、そのまま抜けていく。

今回の旅でも強く感じたのが男女の若者が着物を着て歩いている姿だ。

しかもかなり地味な着物を選んでいる。

古都・京都の町の光景作りに一役買ってとても素敵なことだと思う。

こちらが八坂神社の本殿で、前述したが昨年10月に

国の文化審議会において本殿を国宝に答甲、12月23日に指定された。

指定された理由は大きく2つ。

1つは建物の価値としてで、本殿は祇園造といわれ、本殿と拝殿を一つの屋根で覆った造りになっており、

そして又庇(孫庇)といわれる桧皮葺屋根の庇を廻らしている大規模で複雑な構造になっている。

もう1つの理由は祇園祭など京都の人々(町衆)に支えられ、

人々の心をつないできたというソフトの貢献が評価された。

まさに八坂神社は京都を見守っている神社だ。

尚、八坂神社には重要文化財の建物が29棟もあるというから驚きだ。

この鳥居の向こうは祇園しだれ桜で有名な円山公園だ。

(これは近々に又アップしますので乞うご期待ください。)

八坂神社にはこちら以外にもいくつかの関連お宮がある。

①八坂神社又旅社 ②少将井御旅所旧跡

③大政所御旅所旧跡 ④四条御旅所 などだ。

先述もしたが八坂神社内には15もの摂社・末社がある。

この神社も大神宮者という末社で皇室の租先神であり八坂神社御祭神素戔鳴尊の姉神にあたる、

天照大御神(内宮)と衣食住をはじめとした産業の守護神である豊受大御神(外宮)をお祀りしている。

摂社の悪王子社。祭神は素戔鳴尊。

現代語の悪とは意味合いが少し違い、昔は悪=強力という意味もあった。

明治10年に八坂神社に祀られるようになった。

美御前社という名の通り、美を象徴する神として祀られている。

古くから祇園の芸妓さん、舞妓さんをはじめ、美しくなりたい願望の女性はもとより、

美容理容・化粧品業者の崇敬を集めている。

東北門の鳥居、この向こうも円山公園。

方除の神を祀っている日吉社。

この社も昨年12月23日に重要文化財に指定された。

苦難を断ち切り未来を切り開く刃物神社(末社)。

八幡社、竈神社、風神社、天神社、水神社を祀る五社。

八坂神社の役員や関係物故者の御霊を顕彰し、御祭神としている租霊社。

市杵島比売命を祭神とした厳島社(末社)。

古くから容姿端麗で舞を踊ることから舞踊、謡曲の神として

殊に祇園の舞妓芸妓の皆さんに崇敬されている。

そんなことだから社の周りをぐるり朱色の舞妓芸妓の源氏名が書かれた板が取り囲んでいた。

それだけでも他の社に比べても華やかだ。

ということで本殿の裏一帯には京都の料理店などのメジャーブランドの店の献燈が並び

みなそれぞれ競い合っているようにも見える。

目についた所だけでも名を挙げてみると京料理ぎをん畑中、

南禅寺門前順正、祇園辻利、創作陶器たち吉、京料理美濃吉、たん熊本家 等々。

最後に八坂神社の歴史由来について。

社伝によると平安遷都以来の斉明天皇2年(656年)に

この付近に素戔鳴尊を祀ったのが当社の起こりといわれている。

京都三大祭の一つである祇園祭は毎年七月に行われる当社の祭礼で

天禄元年(970年)ごろから毎年行われるようになった。

八坂神社の社殿は1654年、徳川4代将軍・家綱によって再建され今日に至っている。