横浜市歴史博物館の「称名寺貝塚-土器とイルカと縄文人」を見てきた。
「称名寺貝塚」、縄文時代後期初頭の「称名寺式土器」というのは聴いたことはあるが、実際にその展示と解説を見たのは初めてである。この形式は西日本からもたらされたらしい。一方でイルカ漁の技法は北からの影響ないし、関東地方での独自の技法らしいとのこと。
称名寺貝塚の大きな特徴はイルカの骨が大量に出土していること、とのことである。これは縄文中期以降遺跡が小規模になり人口減少が著しい時期に、この遺跡ではイルカ漁により大規模な集落が維持できたことが特徴ということをギャラリートークで解説を受けた。納得できる話でもあるが、一方で、称名寺以外の入り江ではなぜイルカ漁がおこなわれて食料の確保が行われなかったのか、という疑問が湧いてくる。まだまだ納得できる理由・説明はないような気がする。
女性をかたどった土偶は「一般的に女性と云われるが、食物をもたらす女神ではないか。古事記のオオゲツヒメ神話などと関連付けられるのではないか」との指摘は面白かった。殺害された者の屍体の各部から栽培植物が生じるという説話は、東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布しているとのことある。
一方で男根をかたどる石棒の出土に基づく祭祀や、住居跡の様子などの展示・説明もあり、勉強になったギャラリートークであったと思う。
土器の形も紋様も初めて目にするようなものもあり、興味深かい。