Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

金大中氏死去

2009年08月18日 22時13分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 金大中元韓国大統領の死が報じられた。
 朴正煕・全斗煥の軍事政権との対決、73年の東京からの拉致、光州事件での死刑判決・亡命などなど、戦後の韓国の民主化の中で主導的な立場であった。
私が始めて名を知ったのは、拉致事件。
 当時金大中氏の救出運動を一生懸命やっていた仲間もいた。しかし救出運動を通して、日本での活動を通して、彼らはどのような政治家を日本に求めていたのだろうか、また自らなろうとしていたのだろうか?私にはよく伝わらなかった。当時の日本の閉塞感の中で、政治への苛立ち、そこで求められる政治家像、政治のあり方を私なりに想定したが、救出運動とは重なることはなかった。また韓国なりの政治家のあり方とは違うと感じた。
 朝鮮半島の分断という厳しい対決の構造の中で、現在の韓国は70年代には想像もできなかったとよく言われる。その中で金大中の果たした役割は大きいものであったと思われる。
 このようなタイプの日本の政治家はいないともいわれる。国家の悲劇が大きいほど大きな政治家が生まれるとすると、日本という国家に大きな役割を果たす政治家は、これから生まれなければいけないはずということなのか。
 仮定というのは歴史だけではなく現実の政治でも避けたほうが良い。だが戦後64年、このように存在感のあった日本の政治家はいただろうか、いるだろうか。このようなたくましい政治家がいただろうか、いるだろうか。あるいは必要がなかったのか、必要がないのがいいことなのか。そしていたとしたら日本の政治にとってプラスだったのかマイナスだったのか、比較してみたくなる。
 今、この歳になってみると、このようにしたたかに軍事政権と対決し、南北対話に踏み出した、という生き様に対し、素直に脱帽したい。

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