Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

危機に対する対応

2013年09月04日 23時36分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 八幡平から降りてきて盛岡発の新幹線に乗っているとき、登録してある新聞社のメールが来て埼玉で竜巻が発生したとの情報がきた。気になったがそのまま家までたどり着いてからニュースを見た。
 そのとき、NHKのテレビを見ていたのだが、私にはどうしても理解出来ない投稿画像が何回となく流された。NHKともあろう放送局がこんなスマホの投稿画像をどうして何回も流すのだろうと不愉快になった。
 それはある女子高生が2回の窓からはじめは遠くの竜巻を写している映像から始まる。次第に竜巻が近づいてきてその女子高生は窓を閉めようとするのだが、風圧でなかなか締まらない。母親に手伝ってもらってようやく窓を閉めるのだ。締まらない窓ガラスに彼女はかなり動揺して声を出して母親を呼び窓を閉めた。
 はっきりいってとても危険な場面である。窓が閉まらなければ極めて危険な状態であるのはその画面を見ればすぐわかる。いろいろなものが舞い上がって窓に向っている。そのままでは風が部屋に入ってきて、女子高生も怪我をする寸前にようやく母親の助力で窓を閉めていた。
 しかし、私がどうしても納得できないのは、その間窓を閉めようとするところから母親を呼んで母親が苦労して窓を閉めようとしているのを片手で手伝いながら、その子は携帯かスマホを手放そうとせず、その上撮影を止めようとしないのである。母親もそれを承知で窓を閉めようとしている。
 私なら、私が高校生のときにこのようなことがあれば、撮影はまずやめて窓を閉めようとするはずだ。母親に手伝ってもらいながら撮影を止めようといない。いったいこの女子高生は危険と判断はしていても撮影することで窓が閉めにくいとかんがえなかったのだろうか。母親もそれを止めようとしないのだ。危機に対してまっとうな判断ができなくなったとしかいいようが無い。

 危機を回避する能力が欠如しているのではないか、と思ってしまった。危機に対する対処能力がない。災害や事故に対してあまりに無防備な姿勢ではないだろうか。

 さらに私が不思議に思ったのは、そんな画像をそのまま放送に使ってしまうNHKの報道姿勢だ。こんな危険なことをしている高校生に対して、「こんな危険なことをしてはいけない。撮影をやめて母親と自分の身を守る対応が必要。どうして窓を両手で閉めようとしないのか」とどうして注意をしなかったのだろうか。あれではあのような危険を冒すことを奨励しているような映像である。NHKともあろうものがおかしいのではないだろうか。

 NHKだったか他の民放だったか覚えていないが、やはりあの竜巻の中を走りながら左側面と正面の竜巻を写している動画も幾度も流された。周りの自動車もどんどん走っていく。竜巻の中を車が走っていくのが写されている。どうして停車しないのだろうか。投稿されても放送するような動画なのだろうか。

 ニュースで大雨で冠水した道路を車が走りすぎて行くのが写される。排気筒よりも深い冠水状態であるのが目に見えているのに手前で泊まろうとしないでわざわざ水の中で立ち往生するためにとしか思えない走り方をする運転者。これなどもとても信じられない光景である。

 ここにも危機対処の能力が日本の都会人に欠落している証左を見るような気がした。

 その前には、どこかの食堂に包丁をもった強盗がレジを襲っているとき、客が子供がいるにもかかわらずそれを撮影してツィッターだかフェースブックだかに投稿して、警察が危険だからやめるように諭したということが報道された。これなども私には信じられない危険な行為である。このように危険を回避する行動がとれず、危険を呼び込むような行為をするということが私にはとても理解不能である。

 危機回避能力、危機対処能力が著しく退化しているか、欠如しているのではないかと短絡的に考えてしまいそうである。

 台風や大雨などの災害、あるいは事故になりそうな状況に遭遇した時のとっさの行動は、習ってできることではない。何をした方がいいか、何をしては危ないか、これはさまざまな事象を経験しながらおのずと身につけていくものだ。
 私もこんなことを書いていても実際にいろいろな災害や事故に遭遇して我を忘れてオタオタするかもしれないが、上記のような行動は少なくともすることは無いと思う。

 悪ふざけ投稿も流行っている。バスの後ろにしがみついたり、地下鉄のホームから線路に降りて高圧電流が流れている空間に立ってポーズをしたり‥。投稿により自分の社会人としての危機を自ら招いているのも同じでは無いだろうか。危機の予知も出来ていないという点では、ひょっとしたら同じ病なのかも知れない。

 何かが欠けている。現代の日本、何かが変だ。