★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

反省・謝罪・夜明け前

2023-05-16 23:06:56 | 思想


孟子曰、愛人不親、反其仁、治人不治、反其智、禮人不答、反其敬、行有不得者、皆反求諸己、其身正而天下歸之、詩云永言配命、自求多福、


じぶんが人を愛しているのに相手がそうしてくれない場合は自分の仁の不足を疑え、人を治めてうまくいかなければ自分の知を疑え、云々と、自分のせいにしなさいという有名な説教である。これは自分に対してだけ疑いの目を向けよという点が重要で、にもかかわらず、人に「自分を疑えよ」と説教して歩いているのが現代人である。一億総孟子化である。

むかし、パリの五月革命か何かの時に、エドガー・モランが「学生コミューン」で、学園紛争を古代の成人儀式になぞらえ、人口半分が大学にくることでついにブルジョア的人間の超克がくるで、と言ってたが、確かに来たね。年中成人式みたいな祭典、あるいは総孟子化というやつが。

現代人は、孟子の言葉を人に言ったらおわりだと言うことすら気がついていない馬鹿なので、ただ「反」(反省)せよと言っても無駄である。しかし、とにかく思い上がっている連中ばかりであるからといって、連合赤軍みたいに反省して死ね、はまずい。連合赤軍の方々は、モランが学生に媚びて嘘をついていることを知っていた。嘘つきは殺すしかないと思ってしまったのである。正直なところ、その点では、三島由紀夫も同類である。

その点、太宰の「生まれてすみません」のほうが気が利いている。太宰に限らず、びっくりするほど好きな人の前にばかりいすぎるのが有効である。目の前の光に怖じ気づき、つい自分の存在を謝ってしまう気持ちになり、反省の自己愛を突破できる。

しかし、学生運動の方々も問題にしたように、我々にとって謝罪は統治されることでもあった。今日なんか、テレビのなかで陛下が田植えをしてたが、わたくしはちょうどスパゲッティを食べていた。こんなわたしに生きている価値はなし。そんなわたくしが今日創った現代詩

大谷君は今日も大活躍なのに
おれは富岡多恵子を一篇読んだだけ
ごはんたべて元気だそう


こんな体たらくであるのだが、原因はどうも生まれにあるようだ。たぶん信州人には二種類あって、朝起きたらキレイな山脈がみえるから田舎っていいよねと思っている人間と、朝起きたらまだ太陽のぼってねえな山が迫りすぎてて夜明け前は比喩じゃねえなと思っている人間である。前者は山梨県民とか静岡県民とかと変わらない人種である。わたくしは、どうも後者のメンタリティを持っているようだ。反省や謝罪以前に周りの空気が暗いのである。

数日前、浜辺美波氏が朝のドラマで八犬伝おたくを演じて「馬琴先生天才過ぎる」と身もだえし、文学研究を迫害するする輩を地獄に落とそうと頑張っておられた。が、残念ながら、あともう少しで、馬琴はだめだ人情は108煩悩だみたいな近代文学が背後にせまっていることをわたくしは感じる。これが「夜明け前」のセンスである。どう考えても、孟子が批判する思いあがったやからよりもましであろう。

欺瞞的授業再開阻止

2023-05-15 23:51:04 | 思想


世衰道微、邪說暴行有作。臣弒其君者有之。子弒其父者有之。孔子懼、作春秋。春秋天子之事也。是故孔子曰、知我者其惟春秋乎。罪我者其惟春秋乎。聖王不作、諸侯放恣。處士橫議、楊朱墨翟之言盈天下。天下之言、不歸楊、則歸墨。楊氏為我、是無君也。墨氏兼愛、是無父也。無父無君、是禽獸也。公明儀曰、庖有肥肉、廄有肥馬、民有飢色、野有餓莩。此率獸而食人也。楊墨之道不息、孔子之道不著。是邪說誣民、充塞仁義也。仁義充塞、則率獸食人。人將相食。吾為此懼。閑先聖之道、距楊墨、放淫辭、邪說者不得作。作於其心、害於其事。作於其事、害於其政。聖人復起、不易吾言矣。昔者禹抑洪水而天下平。周公兼夷狄驅猛獸而百姓寧。孔子成春秋而亂臣賊子懼。詩云、戎狄是膺、荊舒是懲。則莫我敢承。無父無君、是周公所膺也。我亦欲正人心、息邪說、距詖行、放淫辭、以承三聖者。豈好辯哉。予不得已也。能言距楊墨者、聖人之徒也。


孔子が「春秋」を著したのは、孔子への理解も批判もその一冊によって為されるようにしたためだという。つまり、議論を孔子の思考の及ぶ限りに閉じ込めることである。「資本論」も「聖書」もそういうところがあったし、「論語」もそうだった。「こころ」や「万延元年のフットボール」でさえそういうところがあった。それらをめぐって起こるのは議論と言っても、解釈による批判的検討である。孟子によれば、そういう君子が書いた物以外のところでおこなわれるのは議論ではなく、邪説の繁茂にすぎない。自分のやっているのは下々のおこなう「議論」ではなく、邪説をただすことである、と。

とても権威的ないやな意見であるようにみえるが、実際、優れたの本の解釈というものが、統治や教育に向いているのは確かだ。思想の社会性というのは、思想や文学の解釈でしか生じない。わたくしは、かつての学園闘争のとりえは、それがマルクスの解釈や、裏で三島由紀夫や吉本隆明や花★清輝による古典解釈がおこなわれていた以外にあるのだろうかと思っている。決して、議論百出にあったわけではない。むろん、民主主義のプロセスとしての意味はあったと思うが、民主主義はそれほど短期的にどうにかなるものではない。昔も今も早く答えを出しすぎる若者は多いが、しかし、――それは若いからという理由だけではなかった気がする。

学生運動の資料をみていると、これを収集して本にする執念に驚かされるが、ある意味で、二十歳そこそこの経験に一生縛られるのは、きわめていやらしい意味で、受験戦争の体験をおもわせもするのである。大学時代の記憶がバリケード内での様々な体験であるのと、みじめなレジメつくっちゃったみたいなものであるのとどちらが本人にとってよいのかは人による。乾坤一擲の大勝負を遅らせるのも闘争である場合もあるような気がするのだが、熱気に煽られた受験も闘争もそれを忘れさせる。

横溝正史の『真説・金田一耕助』にたしか書いてあったが、彼の人気はどうも独身者にたいする母性愛にあるんじゃないかとか。いまの独身者もどこかしら母性愛を求めてるところあるかも、と私も一瞬おもったが、そんなことはなさそうだ。横溝は、もう老人になって、こんな与太を面白く堂々とかける男なのだ。そして、このゆっくりな俗っぽい感覚が、彼の作品の面白さをうんでいるのである。

とつぜん思い出したが、いつも「犬養家の一族」って間違えるひとがいた。これはミスにしては面白い。犬養毅から、安藤サクラにいたるまで、犬神家以上の壮大な遺産争いになるぞこりゃ。受験勉強では、こういうミスは悪なので、発展はのぞめない。横溝正史自身も言ってたが、作品のためにはあくの強さと笑いの組み合わせというのは、すごく大事なことだ。これは子どもの特徴というより、創造性の特徴なのであろう。

東大闘争の林健太郎監禁事件は有名である。林は、全共闘の荒くれ学生を軟禁された部屋で次々に論破したという伝説がある(ほんとかどうか知らないが)。が、その文学部長を林じゃなくて、その前の、萬葉学者の五味智英にしつづけておれば、そのどうでもいい論破じゃなくて、気持ちを歌に詠むみたいな闘争スタイルが流行ったかもしれんのに。ネット上で論破が流行るのはおもしろい。人は緊張感がない状況でこそ、論破を繰り返していいきになるものだ。受験勉強前の中2みたいなものである。しかし、むしろ、論破者が英雄たるゆえんは、林が監禁された文学部第弐号館みたいなところにおしこめられて全共闘を論破みたいなときであった。――とおもったが、考えてみると、林も軟禁されていたからこそ論破モードになったのかもしれん。ネット民も、視野の狭い状態で軟禁されているのと物理的に同じだから。。

その東大文学部長と東大生の正解争いは、いまでも続いている。ネットのどうでもいい正解争いのほうがまだおふざけが入っているだけましな気がするくらいである。もはや体制と反体制みたいな悲喜劇はみかけない気もするが、別に反体制が誰なのかは全共闘運動だってわけがわからなくなってしまったわけで、結局残ったのは、地域貢献対学部のミッションとか、幇間同士の戦いの頭の悪そうなあれであった。いまこそ彼らを体制側としてお餅のようにくるんで糾弾すべきである。学園闘争のスローガンじゃねえが「欺瞞的授業再開阻止」はいつも必要なのである。

ニワトリ泥棒と君主と

2023-05-14 19:39:45 | 思想


戴盈之曰、什一、去關市之征、今茲未能、請輕之、以待來年、然後已、如何、孟子曰、今、有人日攘其鄰之雞者、或告之曰、是非君子之道、曰、請損之、月攘一雞、以待來年、然後已、如知其非義、斯速已矣、何待來年。

ニワトリ泥棒にそもそも「君のやってることは君子のすることじゃない」と言うかどうかはわからない。ニワトリ泥棒もそんなことを言われては「今年は月に一羽にさしていただいて、来年になってやめます」みたいな嘘を言うに違いない。だから、井田法はすぐ実施しなきゃだめだ、すべきことはすぐしなきゃ駄目だと言われても困る。だいたい、ニワトリ泥棒の場合は、ただやめればよいことだが、井田法は違うだろう。

世の中、見事な弁舌だといわれているもののほとんどは、同じような立場の人間が、詭弁を押し通した例をみて、同じような立場ならこれもありかなと思う例がほとんどのような気がする。わたしが目撃しているのはほとんどそうだ。そこには、弁舌がなくてもあっても意見が通る条件がほぼ揃っている場合が多いわけである。

SDGsは、問題を問題ごとに解決するのではなく、その相互の連関としてとらえて解決するようにしてください、さすれば、権力や資本の都合を最小限に抑えられますみたいな主張に見えるので、――学級経営みたいなものに似ている。こういうときに、所謂「道徳」的なものが有効であるのは教員たちは知っている。子どもが卒業して、その環境が消えたときに、本人たちは、なぜあんな馬鹿なイデオロギーを強要されていたのかと恨むが、必ずしも問題はそんなことではない。道徳は、立場の違いみたいなものを無化し、ニワトリ泥棒の問題と君主の問題を同時に解決する機能がある。わたくしが、儒教みたいなものが今後復活するのではないかと考えている所以である。

これに対して、長い命脈をたもち、かえって100年後に活き活きするようなものは、役に立たないようにみえるのだ。そういえば、気がついたら、マーラーの第九番(1909)からもう100年以上もたってしまって、わたしは、彼と同じ世紀に生きていたことがうれしかったことに気付いた。こんな感情は、学級経営には使えないし、政治にもなかなか使えない。でもそれがよいのである。

動機と理由

2023-05-13 23:34:12 | 思想


從許子之道、則市賈不貳、國中無偽。雖使五尺之童適市、莫之或欺。布帛長短同、則賈相若。麻縷絲絮輕重同、則賈相若。五穀多寡同、則賈相若。屨大小同、則賈相若。」曰、「夫物之不齊、物之情也。或相倍蓰、或相什伯、或相千萬。子比而同之、是亂天下也。巨屨小屨同賈、人豈為之哉。從許子之道、相率而為偽者也、惡能治國家。

共産主義としばしば比定される許子先生である。孟子は、これに価値が違うというのが人のつくるものの特徴だ、見かけが同じだからと言って値段を均一にしちゃ駄目だ、と反論する。孟子は、世には精神的労働者と肉体労働者がいると言ってからこのせりふだから、価値がそこに込められた精神的なものによって違うという考え方は、むしろ人間について考えられていたことだ。統治の方便としての側面が孟子の言説にはつきまとっているような気がする。だから均田制みたいな徴税システムはかえって形式的である必要があった。徴税は、統治者の精神性を守るために、肉体労働者の精神性を無視した結果である側面がある。

ところで、許子の言う価値はその物の長さとか重さとかによって計られなければ値段に変換しようがないというのは、それは一理もそれ以上もある話である。これは共産主義というより、資本主義の理念ではなかろうか。この考えがなければユ★クロの服の大量販売はありえない。そして、その場合、服装は生活に従属し、価値から引き離されているような感覚が人々の間に均一に共有されている必要があるが、これは、無理に強要できるものではなく、知らないうちに同じような服を皆着ていることによって起こる。だから、それは売り続けないとそれが買われる根拠も同時に失うので、立ち止まることが出来ない。本当は、イノベーションとやらも賭なのであって、たいがい権力にまでみえる大企業によってイノベーションがおこなわれるのは、それを直ちに人々の買うものの均一化に持って行けるからであった。

こんななかでは、我々は何のために生きているかわからない。購買意欲は生活を維持するための「動機」に過ぎないが、それが生きる「理由」=目標になればより労働しなければならない強迫となるから、――われわれはもちろん意図的ではないが、資本主義の意図としては意図的に貧乏になっているようなものだ。すくなくとも、ある人々が労働者を低賃金に追い込んでいるのが意図的であるのは明白である。

小さい共同体で、社交があればそれも少しはましになるとある人たちは言っている。本当であるかはわからない。

このデッドロックに乗り上げた状態では、なるべく人がズルをしてさぼろうとするのは当然の流れのようにも思える。で、人集めが目的化した業界は、たいがい、「動機」と当為的な「理由」を混同させて人集めをするようになる。教師の場合もそうで、尊敬する先生にであったからという「動機」は、自分が教師でなければならない「理由」とは何の関係もない。しかしこれを混同させることでひとを集めなければならなくなっている。で、ますます現場がきついのでやめるという「動機」だけが生起するというね。。

絶望が始まったときから本当の反撃がはじまると我々は聞かされてきたのだが、思うに、最近は、その反撃とはその実自分に対する反撃であることが多いような気する。まずは、「動機」と「理由」を分離して考え直さなければいけないのだが、心の問題としては、前者のほうがより重要な気がするからで、絶望すると、生きる「理由」をまず諦めるという暴力が我々に発生する。むろん、最近のテロもそういう原因によって生起していると考えられる。

今日ものんびり生きていこう

2023-05-12 23:34:12 | 思想


孟子曰:「然。夫時子惡知其不可也?如使予欲富,辭十萬而受萬,是爲欲富乎?季孫曰:『異哉子叔疑!使己爲政,不用,則亦已矣,又使其子弟爲卿。人亦孰不欲富貴?而獨於富貴之中有私龍斷焉。』古之爲市也,以其所有易其所無者,有司者治之耳。有賤丈夫焉,必求龍斷而登之,以左右望而罔市利。人皆以爲賤,故從而征之。征商自此賤丈夫始矣。」

孟子は、ある商人が利益を独占しようとしたために、国家が再配分を始めたのだ、そのことを自覚せよというのだが、いまとなってはその起源論自体は信じがたくなっている。こういうことにかんしては、みんなが話題にし始めると、自分になぜ富がないのかという話に移行してしまうのであって、富はいらないと言っている孟子だから言う権利があるというものだ。資本主義と国民国家の合体したシステムでは、個人が富をひたすら目指して国家の制度をゆがませることを防ぐ手段は、根本的にはないといってよい。

大学時代、学園祭に、先日なくなったのっぽさんがやってきた。講演会でたくさんしゃべっていた。ふだん喋らない人だったから信用がおけるきがした。気がしただけである。――しかし、のっぽさんの存在は饒舌であることの怪しさをまだ戦後社会がおぼえていた証拠ではなかろうかと思った次第だ。

勉強のテンポを強制してるのが、学生の力の伸びない原因だ、当たり前のことである。これも、学生に強制的に喋らせるシステムである。学生にも沈黙が必要である。当為で発言を強制してばかりいるから、主体性が死ぬのである。主体性を強要する暴力がずっと働いているとずっと私はいっている。

西田幾多郎は、『一般者の自覺的體系』で「存在價値は當爲價値を否定する毎に高まるのである」と言っている。今日ものんびり生きていこう。

駅で待つこと

2023-05-11 23:27:14 | 文学


 いったい、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。大戦争がはじまってからは、毎日、毎日、お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷いベンチに腰をかけて、待っている。誰か、ひとり、笑って私に声を掛ける。おお、こわい。ああ、困る。私の待っているのは、あなたでない。それではいったい、私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。
 もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。胸を躍らせて待っているのだ。眼の前を、ぞろぞろ人が通って行く。あれでもない、これでもない。私は買い物籠をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。私を忘れないで下さいませ。毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。


――太宰治「待つ」


そういえば、駅で人を待っている人をあまりみないね、、、。東京ではまだ大いにいるんだろうが。

率直無垢な言葉と精神

2023-05-10 23:06:44 | 文学


松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分は大して目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽われていた。彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートを除りたかったのだが一分間に十才ずつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴に持って行く間はなかった。
 彼は鼻の穴を気にしながら遂々十一時間、――その間に昼飯と三時休みと二度だけ休みがあったんだが、昼の時は腹の空いてる為めに、も一つはミキサーを掃除していて暇がなかったため、遂々鼻にまで手が届かなかった――の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻は石膏細工の鼻のように硬化したようだった。


――葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」


大正時代の文芸で心を打つものが多いのはいろいろ原因があるんだが、白樺にしても赤い鳥にも共通したきわめて率直無垢なトーンがあって、芥川にさえある。志賀直哉が一番すごくて、言葉が立っているように思えた。言葉が生き物のように精神を示していたのである。これはすごい世界だったし、ここに常に回帰するのが我々の文化の何かなのは認められる。プロレタリア文学だってその側面は大きいのである。――と思うけど、この率直無垢さへの回帰は強さでもあり弱さでもあるような気がする。芥川だって、雑に言えば、「白」とかの路線をひた走ることだって考えられたわけだ。が、この作品内部に作品世界の崩壊そのものが含まれているその全体も、芥川の心から出たもんだと思う。思ったほど作為的じゃないと思うのである。その後の作家たちの右往左往も時代への対応のための作為だったとは基本的におもわないのである。いろんな人がいるんでおおざっぱには言えないけれども、常に言葉通りに精神が生きるような事態は、その精神そのものによって崩壊してゆくのだ。精神は人間関係に属してもいるからである。この逆説を強引に「生きよう」とすると吉本隆明のように「関係の絶対性」の高唱から罵倒による孤立の維持に至る。思うに、吉本は猛烈な勉強家で実際はその勉強が生活だったから、これを生きることができたが、――そうはいかない人が多いと思う。

手すり

2023-05-09 23:02:54 | 文学


「おい地獄さ行ぐんだで!」
 二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。
 赤い太鼓腹を巾広く浮かばしている汽船や、積荷最中らしく海の中から片袖をグイと引張られてでもいるように、思いッ切り片側に傾いているのや、黄色い、太い煙突、大きな鈴のようなヴイ、南京虫のように船と船の間をせわしく縫っているランチ、寒々とざわめいている油煙やパン屑や腐った果物の浮いている何か特別な織物のような波……。風の工合で煙が波とすれずれになびいて、ムッとする石炭の匂いを送った。ウインチのガラガラという音が、時々波を伝って直接に響いてきた。


――「蟹工船」



先駆的がんばり

2023-05-08 23:34:25 | 文学


「いや、いや、お前ひとりでは解決できない。まさか、お前、死ぬ気じゃないだろうな。実に、心配になって来た。女に惚れられて、死ぬというのは、これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース(茶番)というものだ。滑稽の極だね。誰も同情しやしない。死ぬのはやめたほうがよい。うむ、名案。すごい美人を、どこからか見つけて来てね、そのひとに事情を話し、お前の女房という形になってもらって、それを連れて、お前のその女たち一人々々を歴訪する。効果てきめん。女たちは、皆だまって引下る。どうだ、やってみないか。」
 おぼれる者のワラ。田島は少し気が動いた。


――太宰治「グッド・バイ」


大雨である。木曽川で重機が流された。子どもの頃、住宅とか人が木曽川の濁流に呑まれた事件があったが、次の日に愛知で大洪水であった。行く川の流れは絶えずして、みたいな生悟りを気取っている連中は都会人である。対して、木曽人は、案外、のど元過ぎれば熱さを忘れるところがある。流れた先を知らないからだ。

最近は、流れても環流するネット社会を我々は生きている。もはや田舎者も都会人も、洗練された学者も下品な学者も一緒になって濁流のなかをぐるぐる回っている。欠点をなくそうみたいな向上心はあるから、洗濯機の中に入ったみたいなものであろうか。そのなかでは、つい事態を分析して汚れに寄り添ってみたりすると味方が来たと勘違いする人間が意外と多い。読解力というのはつい正解をもとめてしまうのが人間関係の修復的な動きに似ており、その衰弱は人間関係が融通無碍であるようなネットを経験した我々に必然的にもたらされたものである。そのぐらいは自覚していないと我々は精神的に死ぬ。

私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。(アイザック・ニュートン)


たしかに洗濯機の外部にはそんな世界もあったかもしれない。

今日は図書館で大蔵経をめくり、道元の注釈書たくさん担いできたら研究室でしばらく身心脱落していた(違う)。西谷啓治の道元論によればによれば身心脱落は悟りであり乾坤一擲の行為であり、「死んだつもりや」ることであり「活きて黄泉に横たわ」ることであるようだ。彼の文章は、言葉が、なんだか洗濯機の濁流のなかのパンツのようにねじれて数珠つなぎになってしまう。西谷は、やる気なんかが疲労ですぐ死ぬことを知らないのか。

明日も、死ぬ気でがんばる、いや先駆的决意性でがんばるつもりである。

死ぬ気で依存的な

2023-05-07 23:05:56 | 思想


孟子之平陸、謂其大夫曰、子之持戟之士、一日而三失伍、則去之否乎、曰、不待三、然則子之失伍也、亦多矣、凶年飢歳、子之民、老羸轉於溝壑、壯者散而之四方者幾千人矣、曰、此非距心之所得爲也、曰、今有受人之牛羊而爲之牧之者、則必爲之來牧與芻矣、來牧與芻而不得、則反諸其人乎、抑亦立而視其死與、曰、此則距心之罪也、他日見於王曰、王之爲都者、臣知五人焉、知其罪者、惟孔距心、爲王誦之、王曰、此則寡人之罪也。

孟子は、長官をつかまえて「あなたの部下が一日に三回も隊列を離れたら殺しますか」と聞いたら「三回も待ちませんよ」と返された。で「なら、同じようなことあるでしょう。村のみんなが道ばたに転がっていたり、逃亡離散する壮年も数千人もいるではないですか、どうするんです」と返す。「それはオレの責任じゃない」。すると更に「仮に、他人の牛羊を預かりその人のために飼育するとしますと、放牧地と牧草を探すでしょう。で見つからなかった場合、牛羊を返しますか、それとも牛羊が死ぬのを眺めているんですか」と問い詰める。長官はたまらず「確かに、そうかんがえれば私は民を王に返すべきだ。私の罪だ」と降参する。で、それを王に伝えた、自分の罪を知っているのは彼だけでした、と。すると、王は「それは私の罪だ」と言うのであった。

ここまで物わかりのよい王でよかった。大概、責任を上と下におしつけて無責任なのは、この長官レベルなのでたしかにこのような次第なのかも知れないが、王だって「おれをみんなで無視している、みんな死んじゃえ」みたいなことを考えがちなのだ。思うに、ここでは牛羊の比喩が効いているのである。人間にはもしかしたら死んでも惻隠の情はわかない場合があるが、動物はいかにも「一見」かわいそうだからだ。修辞の勝利である。

もっとも、実践的には、この長官が部下をどうやって言うこと聞かせられるのかは分からない。「殺すぞ」「死ぬ気でいくぞ」みたいな恫喝をしているのかもしれない。王が立派なやつとは限らず、我々は簡単に命を賭けることはできない。かえって、人文学者なんかは、あんがい、戦争以上の価値を自分のやっていることに感じているから、つい「命をかけろ」みたいな指導をしてしまいがちなのだ。

昨日だかに、昨年度、大阪大学から都に移った、猛烈仕事人哲学研究者が、院生には哲学は死ぬ気でやれとしか言いようがない、みたいな発言をして炎上していたようである。自分がそんなモードで仕事をしているし、弟子たちも同じく死ぬ気モードなので別に問題はないように思えるが、――たしかに最近は、こういう発言に「殺す気か」みたいな反応が出てきがちなのだ。

死ぬ気で遣れ(遣隋使)

気になって、国会図書館のデジタルコレクションで、「死ぬ気でやれ」がどこまでさかのぼれるか調べてしまったことよ。「死ぬ気」だと、人情本が大量にヒットしてしまうのだが、近代労働的「死ぬ気でやれ」が通俗的に広がっているのは、どうも大正期あたりからのような気がする。ちゃんとみてないので分からんが。大正時代か何かの「金儲の近道 相場神髄」の広告で「相場をやるなら死ぬ気でやれ」が面白かったな。死ぬ気でやれというのは、なにか賭け事の匂いするのだ。あっ、そういえば、発火点の先生もたしか競馬の。。賭け事が生きるか死ぬか的涅槃である事情は映画にもなっている『競輪上人行状記』(1963年)を参考にせよ。競輪場で、涅槃交響曲が鳴り響く中、俺に任せて賭けろ念仏(哲学)に賭けろと説教する小沢昭一の末裔が、檜垣氏である。

昭和3年の「実用精神療法」では、よくおこなわれがちな説得療法の例として、病人の見舞いに行って「気を大きく持て」「死ぬ気でやれ」といった例が挙がっている。思うに、院生に「死ぬ気でやれ」というのは、これに近いのではなかろうか。そして場合によっては実際になおる奴もいる。

文学はデカダンスが命であるが、それを研究という労働に当てはめようとすると悲劇的になってしまうことが常である。そういえば、むかし大学院のころ、先生に「ちゃんと規則正しい生活して徹夜しろ」と死ぬ気で怒られた気がする。これに比べると、哲学の分野は案外マジメ一徹が必要なのかもしれん。坂口安吾はよく分かっていて、「学問とは、限度の発見にある」と言っている。学問が文学のような精神を持つ危険性をよく分かっていたのだ。最近雑誌『感情』のバックナンバーを買ったが、――この雑誌、朔太郎と犀星が最初ふたりでヤっていたのがすごい。限度だけがないような人間でも雑誌が創れるのである。

我々は大学院なんかに入って、夢をみる。上のような雑誌の誕生の如き夢である。しかし、院生というのはやってることも目的も未来もすべて曖昧で一部を除いてまだほとんどの同業者にかなわないし、しかも青臭い青春なんかもしたい気もまだまだあり、つまり月に吠えたりしちゃったりするのであって、――「死ぬ気でやれ」はむしろ、研究をちゃんとやってればなんとかなるみたいな意味になることがかつては多かったんだと思う。デカダンス防止策みたいなものである。

たぶん、「死ぬ気でやれ」という場合「××を死ぬ気でやれ」とは言ってないはずで、「君なりに自由にガンバレ」みたいな意味でもあった筈なのだ。しかし、目的や研究対象を指示せずにただガンバレみたいなのが、合理的じゃなくブラックにみえる雰囲気になってきたんだろう。これは目的に奉仕する共同研究なんかがデフォルトの理系の一部なんかの影響だ。かかる状況では、「死ぬ気でやれ」は目的やノルマを強制することなんで意味が全然違ってくる。いまは文系の院生も早く業績つくってでてけみたいな雰囲気があるから、もう「死ぬ気でやれ」は叱咤激励の意味ではなく、ミッションの強制になってしまうのかもしれない。

でもだからといって、我々が哲学や文学の夢を捨てたら、それこそ我々は生きる意味がない。どちらかといえば我々は、巨人の星を「逝け逝け飛雄馬どんと逝け~」と変換して遊ぶ精神を目指している。ハイデガーの Vorlaufende Entschlossenheit zum Tode とは全然違うもんだと死ぬ気で主張したいところだ。ハイデガー的下世話な次元ではなく、魯迅の「鋳剣」ではないが、革命を死んだあとに首だけが動くみたいなことに求めているのが我々だ。だいたい「死ぬ気でやれ」なんかはまだぬるいんだよな、おれなんかいつも書類の締め切り前日になって「死んでもやるしかない」と死ぬの前提である。

実際、死んでもがんばる、というのは非現実的ではない。空海は死んでねえし、シューベルトの交響曲第九番は死後にがんばっている。発掘したのは他人だが、曲はいまでもがんばっている。いつ聴いてもシューベルトの最高傑作だと思う。

なぜ、そういう精神世界がなくなってしまったのか。たぶん、人間や言葉に依存する脆弱さが原因である。

その妙な強固な依存体質をやめないと、師弟関係みたいな学問世界だけでなく、少子化、高齢化、インクルーシブ教育、すべてがうまくいかない。適切に助け合う関係じゃなくて相互依存的になる。妻に依存し夫に依存し、子供に依存し親に依存し、上司に依存し部下に依存する、いまじゃ発達障害の存在に依存することさえあるからな。子どもの常軌を逸した我が儘な姿が時々見られるけれども、あれは妻を奴隷にしている夫と一緒で、親に依存しているのである(先日も言ったが、岡本太郎の言っている通りなのである――)。こういう事態に対し、他者に寄り添うべしみたいに抽象的に道徳化すると、なぜ日本人が他人から逃げたがるのか分からなくなってしまう。本当は依存されるのがいやなのだ。たぶん少子化もそれが理由のひとつでしょう。たぶん結婚しないのも一緒で。子どもと夫(妻)によりそったら奴隷になってしまうという恐怖がある。学生がコスパとかなんとか言いがちなのもそれでしょう。学校や教師の奴隷になりたくないんだろう。しかし、その発想そのものが奴隷の発想で、やるべきことはますますわからなくなり、便利な何かに縋りがちになるのであった。

むかしからいやだったのは、学校や親に強く依存したいがためにぐれている奴で、さっさと学校から自立すりゃいいものを。こういう輩は、大人になっても、何かを批判的に検証しようとする人間が自分とおなじくだだをこねているようにしか見えないのである。自分を何かの原因ではなく結果みたいに考え、その原因の種類もひとつやふたつの場合、もう暴れるしかなくなるのだ。かかる思春期のぐずりもそんな感じなのだが、教師によるハラスメントも原因は同じであるきがする。重要なのは、そういう依存的でな心からの反抗や叱責は絶対に必要だということだ。それを否定したらもう何もしない方がよいことになってしまう。――そして、実際していないので、日本は全体的に力が死ぬほど落ちているようにみえる。

しかし私は、別にそういうことは気にしない。依存するのは不可避でそれを避けようとするのも、我々が言葉に過剰に拘り続ける限り不可避である。我々を説明する新しい表現が必要だと思うのみである。藤村は「新しき言葉はすなはち新しき生涯なり」と言っている。

史上最強 不死の空海

2023-05-06 23:21:35 | 思想
支那で現在傳はつて居る本と云ふと、宋の時に矢張り坊さんでありまして、冷齋夜話、是は能く人が知つて居る本でありますが、其の本を書いた坊さんがあります。それは洪覺範と云ふ坊さんで、其の人の書きました天廚禁臠と云ふ本がある。是も餘り人の見ない本でありますが、それに宋の時の詩の法則が書いてあります。所がそれはどれだけの役に立つかと云ふと、一方詩と云ふものは、宋の時には既に音樂に掛りませぬのです。唐の時までは音樂に掛つて、歌ふことが出來た詩が、宋の時には既に音樂に掛らぬやうになつて居る。それで其の時にありました法則と云ふものは、是は音樂に掛るだけの價値のある法則ではありませぬ。それ以前の法則と云ふものは、支那には一つも殘つて居らぬ。支那は詩の本國でありますが、唐以前並に唐の時の詩の法則を書いたものは一つも殘つて居りませぬ。所が文鏡祕府論がある爲に、それが分るのであります。

――内藤湖南「弘法大師の文藝」


御大師様は復活する必要がない。まだ生きているからである。これが、イエスの復活論議となれば、――肉と精霊、父なる神と子イエス、それ以外の我々との面倒くさい関係を考えなくてはならない。しかし空海の場合は、まだ生きているので問題ない。というか、うまく考えたものである。ただ生きているだけではない、永遠の瞑想に入ったのだから、我々は空海とともに考えるという僥倖を常に得ればよいのだ。最近は、清水高志氏の空海論も出たことだ。それは別に空海ルネッサンスではない。空海は今でも偶像に過ぎず、我々がおこなってきた、ため池づくり、うどんづくり、仏像づくり、いろんな営為が、我々が空海とともに考えてきたことであり、まあ他己(自己以外の自己を成り立たせる自己)としての空海といおうか、そんなものでありつづけるのである。

今日は、「史上最強 空海 讃岐に舞い降りた不滅の巨人」(このタイトルは、なんですか集英社か小学館の何かなんですか)という展示を見に、県立ミュージアムにいってきた。雨なのにそこそこ混んでた。おじいさんおばあさんがたくさん来てた。もしかしたら、わたくしもその仲間なのかも知れない。最近の漢文の勉強のおかげで展示の漢文がそこそこ読めるところもあった。勉強の効果あり。一字一仏法華経序品がかわいいな。これ普通に今でも売れるのではないか。

この展示は、特に鎌倉時代以降の空海の肖像画の紹介を頑張っていた。死んだ偶像への情熱ってすごいんだなと思った。しかしこれは、「あわれな神格化の努力よ」で済ますにはすごい迫力だし、これは御大師様はまだ生きているという伝説もなんか手伝ってるんじゃないだろうか。そういえば「下妻物語」でも伝説のレディースの姉御はまだ生きている、みたいなエピソードあったな。――というより、アイドル画に命を賭けてしまっているファンの人のことを考えればよい。推しの相手を神格化しているしているわけではないからだ。一定の質のものを世界中に売りまくるグローバリズムが世界レベルの仕事をやらねばみたいなモチベーションをなくしてしまうのは当たり前である。だから、グローバリズムは駄目なのである。たぶん死んでいるが生きて居るみたいなものに向かうときに我々は精神を持つ。考えてみると、近代文学派が一時期、近代的自我を神としてがんばれたのは、自分が生きているのか死んでいるのか分からない状態にあったからである。そうすると、我々の視線は、その対象がよく見えない空間をさまよって、却って世界をよく見るようになる。

われわれは、テクノロジーに釣られて世界を見直すことが屡々であり、最近はネットやパソコンが縁的なものや自然を再考(――ひいては、仏教的なものに対する興味を生じ)させた。今度は、世界ではなく人格を感じさせるAIが相手である。つまりそれが新たなヒューマニズムみたいな形で我々を輪郭付け、また自我を巡ってめんどくさい議論が巻き起こるに違いない。問題は、AIには死がないことである。死があるものに対しては、我々は死んでいるか生きているかわからない緊張感を持つ。しかし、終わらないシステムに対してはどうなのであろう。そういえば、県立ミュージアムには讃岐の歴史をナウマン象の辺りから体験出来る常設展示があって、縄文弥生のコーナーがなかなかよくできている。兎や狸、竪穴式住居が復元されていて楽しい。



がっ、国家の成立や空海あたりになると、ほぼ現代と同じめんどくささしか感じないのであった。たぶん、人間が、終わるものではなく、永久機関としての共同体、国家を発明したからだ。こんな中では、空海がでようと仙石氏がでようと事態は変わらないように見える。――というわけで、空海が死なないのは、国家の永久機関に対抗して、人間の思考を永久化し、我々を思考に追い込むためではなかったであろうか。そういえば、空海の持ってる独鈷杵みて、どこかのおばあさんが「あれで脳天たたけるよね」って言ってたけど、まあ使い方としてほぼ当たってる。少なくとも、煩悩を攻撃しなければならぬことは絵だけでも伝わるものである。

人の和、野獣の群れ

2023-05-05 23:41:32 | 思想
天時不如地利。地利不如人和。三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。夫環而攻之、必有得天時者矣。然而不勝者、是天時不如地利也。城非不高也。
池非不深也。兵革非不堅利也。米粟非不多也。委而去之、是地利不如人和也。


孟子は、戦争の時には、天の時や地の利より人の和が一番大事と言っている。そりゃまあそうかもしれない。しかし、これも説教であって客観的な事実を述べたものではないと思う。敗戦を天や地のせいにしたがる為政者は昔から多かったに違いない。日本だって、敗戦を帝国主義の歴史におけるタイミングや地理的不利(即ち、日本が日本であることだ)に原因を求めていた連中がものすごく多く、いまでも多いことは言うまでもない。そして、そのことを気に病んでいるうちに、国内の人心はばらばらになっているのであるが、それに頭が戦争ゲーム並みに疲れている連中は分からないだけだ。だから、この部分は、戦争よりも足下を見なさい、という説教に過ぎないのではないのかと言っているのである。なぜなら、孟子がほんとは分かっていたように、われわれは仁などとはほとんど関係がない野獣だからである。野獣↓



ところで、今日は、うしおじさんのとこの牧場で動物に会ってきた。馬・犬・山羊・羊とくると、やはり馬と犬は目つきで我々と話をしたそうな感じだが、山羊はなんか草しか見えてないかんじでどことなくやばい他人という感じだ。これが我々が羊に喩えられる原因だ。我々はコミュニケートできそうな下僕では自分を喩えない。――かどうかはしらないが、とにかく瞳孔が四角なのでなんかこわい。やばい精神状態に陥った漫画の主人公みたいなかんじ。バフォメットだねえ。。山羊を見るとユキちゃんと言ってしまうのは日本人のある世代だけか。。まあ一緒にきてた幼稚園たちは自分と大きさが似ている山羊に夢中で、馬はでかいから怖そうだった。馬もどこかしら馬鹿にした態度をとっていた。

もっと観察すればいろいろあるのかもしれないが、――やはり犬からは、表情だけでなく動作と眼の表情が一緒に変化している感じを受けるが、山羊からははそんな感じを受けない。あと、羊はたしかに群れているのであるが、けっこう自分勝手な動きをしていると思った。群れるって、人間に限らずそういうものなのである。

あと、ただの偶然かも知れないが、山羊たちのおしっこや㋒ンチのタイミングって、どことなく同期してたきがする。一度「おれも」って言ってた山羊がいた(たぶん空耳)からである。小中学校の先生たちがよく感じることであるが、子どもが群れるのは、意識上で群れようとしたり同化しようとしてるというより、からだが勝手に群れちゃう感じに近いんだと思われる。あくびとか連れしょんのようなものなのだ。しかし別に意識が幼稚だというわけじゃない。我々にとって、からだと意識も群れているのである。                                         

職業人の仁とAI

2023-05-04 23:07:30 | 思想


孟子曰:「矢人豈不仁於函人哉?矢人惟恐不傷人,函人惟恐傷人。巫匠亦然。故術不可不愼也。孔子曰:『里仁爲美。擇不處仁,焉得智?』夫仁,天之尊爵也,人之安宅也。莫之御而不仁,是不智也。不仁不智,無禮無義,人役也。人役而恥爲役,由弓人而恥爲弓、矢人而恥爲矢也。如恥之,莫如爲仁。仁者如射:射者正己而後發;發而不中,不怨勝己者,反求諸己而已矣。」

いまも人文的なものにとって、職業の問題はつねに難しいものである。――例えば、テレビのドラマでも、医者は弁護士、警察官のドラマが多いのは、その職業が社会的に正しいとされているからである。所謂学園ドラマでも、学校にいる児童や学生は一応善だという前提が働いている。しかし、我々はいろんな立場の職業に就く。それによって感情の性質はいつも異なっており、それは不可避である。そしてその異なりが、われわれのいろいろな心のもやもやを生む。なぜかと言えば、職業は職業同士で関係し合っているけれども、しばしばそれは対立しながら関係するからである。上の例だと矢職人と函(鎧)職人の関係がそうである。いまなら、作家と読者なんかもそれにあたるかもしれない。前者は自分の意図が通じることを祈るが、後者も自分の思いが書いてあることを祈っている。

確かに世はそういう関係――いや、矛盾に満ちているようにみえる。しかし、孔子は、仁が我々の住む里みたいなものであるべしと言った。職業が里ではなく仁こそが里である。そこに住んでいれば、上のような職業によるいがみ合いは起きない、仁をおこなえば、矛盾で気を病むことはない。自分の矢が当たらなかったとしても、矢のせいでも相手のせいでもない、自分を反省すればよい、ということになる。原因(里)は自らの仁のあり方に過ぎないからである。

最近は、自分に溺れずに関係性のなかの自分を客観化せよ、みたいな教えが学校教育でなされているが、これは、心のもやもやを社会的「矛盾」として認識すればよいみたいな次元にとどまるものである。だから、逆に全てを自分のせいには絶対にしない人間が増えたわけである。まだ自分に溺れて内省を繰りかえしていたほうがましであった。

ところで、さっき、「月に吠える」を読みなおしたら、やはり異常な傑作で、こんなのを乗り越えるのは本人も大変だけど、まわりの人間は大変だと思った。乗り越えられなさそうな作品に対する焦った人間たちの藻掻きみたいなことを考えないと、文学史はいけねえ。この場合、自分の努力を無化してしまうような強力な矢を創った職人に対する自分の矢に対する複雑感情の行方が問題なのだ。昭和文学は、そういう意味で藻掻きの結果としても非常に興味深いものがある。それは朔太郎を尊敬していた日本浪曼派みたいなひとたちにも当てはまることで、彼らのやっていることは、朔太郎を否定的媒介にしているようにみえるが、それ以上に朔太郎の否定なのである。こういう事態は、朔太郎みたいな人間の作品だけに留まらない。ある意味、普通の人間を超えていると思われるもの(例えばAI)に出会った場合の人間の反応の問題だ。

現首相のスピーチはなんか非常にひでえけど、終わったときの「はあオワッタ~」みたいな表情だけに人間を感じる。これは何かというと、首相の能力が官僚の作文よりも劣っていること、以前、自分作の詭弁を繰り返していたように見える安倍首相などよりも遙かにやる気に於いて劣っていることも意味している。これはある意味、AIと朔太郎後の人間みたいなものだ。AIがつくった作文やアドバイスについてあまりまだ検討する気がわたしはないが、――それが作成するそれがあくまでもアドバイスであって、てめえが実際に行動したり主張することを考えてない、他人事臭がするのではないかと推測している。したがって、それは必ずしもAIの問題ではない。言葉を自分関係ないものとして外注しようとするその人間の魂の腐りっぷりの問題だ。

この腐朽は、昔からテクノロジーの進化によってつまり不断の人間の努力によって起こる必然でもあるが、不断にそれに対する抵抗も起こるものである。この精神的運動こそが「人間」である。AIにたよるようになって便利になるというのは半分嘘であって、――いままで常に機械に対してそうだったように、機械にデータの処理(矛盾の提示や解消である)とかの労働を頼むと、その処理にくっついてたやる気が吸い取られ、ますます何かをやる気がなくなり、口先だけみたいな奴がふえるということである。それは、仁のような、内省による自分の把握、ではなく、矢や鎧の出来を評論するだけの、職業人ですらない何者かに過ぎない。人間は行為を他人に任せる性を持ち、それによってやる気や本性すら失って行く性も持つ。研究が、積み重ねられればなにかエネルギーを失うのとよく似ている。

石清尾八幡宮の市立祭を訪ねる(香川の神社109-9)

2023-05-03 23:49:46 | 神社仏閣


石清尾八幡の市立祭である。



わたしは木曽の水無神社に頼みごとに行ったりして育ったけど、あの神社は神木のような巨大樹の中に埋没している神社なので、それが防風林になり案外風の音が聞こえない。ここの石清尾八幡は山体に沿って剥き出しになっている。だから、神事をしているときに、風が巻いたり立ったりするかんじがあり、雅楽や祝詞が風に舞っている感じがする。昔は非常にある種人口的な妙な雰囲気を醸していたに違いない。昔は海岸ももっと近かっただろうから潮の匂いもしたかもしれない。

室町時代、管領の細川頼之が戦勝奉賽祭にともなって社殿を建てたので、それを契機に4月3日にお祭りをおこなうことにし、そこで農道具や植木の市が立ったそうなのである。だから「市立祭」と言うらしい。

いまでは、非常に長い参道(八幡通)が歩行者天国となり、いろんな催しがおこなわれている。今日は、綱引き大会とか、国分寺太鼓演奏とか、今年は吉田亜希氏などのパフォーマンスもおこなわれていた。最近は水無神社の祭もそうだけど、外国人も混じった雑多な空間ができあがっている。

ところで、今日の神事をみてておもったが、地元の有力な人たち?から捧げられていたおいしそうな食べ物、もし、木曽の水無神社であったら、周囲の山猿集団の襲撃をうけてしまう気がした。高松の山にも猿はいるんだろうけど、まだ神社に集う人間の数が多いので大丈夫かもしれない。思うに、昔のお祭りはまわりの動物に対する威嚇みたいな意味もあった気がするんだな。。火を炊いて大騒ぎしてね。。

暴君を×せ

2023-05-02 23:11:45 | 思想


齊宣王問曰。「湯放桀、武王伐紂、有諸。」孟子對曰。「於傳有之。」曰。「臣弒其君可乎。」曰。「賊仁者謂之賊、賊義者謂之殘、殘賊之人謂之一夫。聞誅一夫紂矣、未聞弒君也。」

殷の湯王が夏の桀王を追い出し、周の武王が殷の紂王を征伐したというが本当か。曰く、記録にあります。臣下が君主を殺す、こんなことしてよいのかと王が問う。「さあ、仁を損なう者は賊です。義を損なう者は残です。残賊の人は一夫という。周の武王は一夫の紂を殺したそうです、君主を殺したとは聞いてません」

所謂革命是認論である。フランス革命と王朝交代の中国の革命は違うとかいつまでもいっているから駄目なんじゃねえかと思う。問題は仁や義があるかないかである。日本の場合だって、これも昔は実際は革命だったのだが、いつのまにか、なんか一種の人事みたいに天皇が入れ替わるさあ新年度だみたいな感じになっている。三島由紀夫なんかが嫌ったのはそういうもので、新たな天皇による革命のススメみたいなものであった。強い否定が伴わなければ、革命や天は存在しなくなってしまう。これを嫌う我々の風土は、雑草が弱い雑草を押しのけるような世界だけが広がってゆく。

例えば、マイノリティによる革命が、我々にとっては無能な人間をやさしく排除することで、やんわり野原を形成する。だめなやつをしかり飛ばして包摂するよりも、支援して結果的に責任ある仕事から外すみたいなことを教師や上司がやっていると、我こそは有能なりと思っている人間が仕事を押しつけられるのを恐れて目立つのをいやがるようになる。そのかわりにでてくるのが虚栄心だけが止まらない雑草で、あとは地獄の野原である。

マルチタスクが苦手なの、みたいないい訳はかなり行われているけれども、一つのことをやりとげることだって一種のマルチタスクにほかならず、一つだけならできるだけみたいなことはありえない。多様な働き方=仕事の分担は、誰かが人の尻ぬぐいを大量におこなうことで成り立っている。これも、強い革命主体のような存在だけは全否定していることとつながっている。革命は、信じがたいマルチタスクの成果である。これをそれぞれ、ひとつの仕事の成就さえあやふやな状態に解体してしまっていることで、革命が起こらないのはもちろん、何も成果が上がらない野原が出来上がる。

野村克也が江夏豊に「クローザーで野球に革命をおこそうや」、と言った話は聞いたことあるが、投手の分担制は投手の体力的な負担を軽減したけれども、他人が引きおこした状況を引き受ける意味で、マルチタスク状態をひきうけるようなものだ。ある意味で、仕事を難しくしたのであるが、革命とは、他の人が引き起こした。状況を引き受けて勝利に導く意味でクローザーみたいなもので、野村の言ってたことは正しいのかも知れない。江夏の21球は、江夏の自作自演(+高橋のエラー)による革命みたいなかんじだが。

この老先生がかねて孟子を攻撃して四書の中でもこれだけは決してわが家に入れないと高言していることを僕は知っていたゆえ、意地わるくここへ論難の口火をつけたのである。
『フーンお前は孟子が好きか。』『ハイ僕は非常に好きでございます。』『だれに習った、だれがお前に孟子を教えた。』『父が教えてくれました。』『そうかお前はばかな親を持ったのう。』『なぜです、失敬じゃアありませんか他人の親をむやみにばかなんて!』と僕はやっきになった。
『黙れ! 生意気な』と老人は底光りのする目を怒らして一喝した。そうすると黙ってそばに見ていた孫娘が急に老人の袖を引いて『お祖父さん帰りましょうお宅へ、ね帰りましょう』と優しく言った。僕はそれにも頓着なく『失敬だ、非常に失敬だ!』
と叫んでわが満身の勇気を示した。老人は忙しく懐から孟子を引き出した、孟子を!
『ソラここを読んで見ろ』と僕の眼前に突き出したのが例の君、臣を視ること犬馬のごとくんばすなわち臣の君を見ること国人のごとし云々の句である。僕はかねてかくあるべしと期していたから、すらすらと読んで『これが何です』と叫んだ。
『お前は日本人か。』『ハイ日本人でなければ何です。』『夷狄だ畜生だ、日本人ならよくきけ、君、君たらずといえども臣もって臣たらざるべからずというのが先王の教えだ、君、臣を使うに礼をもってし臣、君に事うるに忠をもってす、これが孔子の言葉だ、これこそ日の本の国体に適う教えだ、サアこれでも貴様は孟子が好きか。』
 僕はこう問い詰められてちょっと文句に困ったがすぐと『そんならなぜ先生は孟子を読みます』と揚げ足を取って見た。先生もこれには少し行き詰まったので僕は畳みかけて『つまり孟子の言った事はみな悪いというのではないでしょう、読んで益になることが沢山あるでしょう、僕はその益になるところだけが好きというのです、先生だって同じことでしょう、』と小賢しくも弁じつけた。


――国木田独歩「初恋」


孔子と孟子の矛盾は、矛盾ではなく、「益」になるタイミングが違うのである。しかし、そんな益をありがたがって何千年同じような王朝交代を繰り返しているのは真の歴史の動因ではない、「初恋」みたいなものによって時代が動いているに過ぎない。独歩たちの心意気は確かに天下国家を覆そうとするものであったに違いない。