★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

人の和、野獣の群れ

2023-05-05 23:41:32 | 思想
天時不如地利。地利不如人和。三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。夫環而攻之、必有得天時者矣。然而不勝者、是天時不如地利也。城非不高也。
池非不深也。兵革非不堅利也。米粟非不多也。委而去之、是地利不如人和也。


孟子は、戦争の時には、天の時や地の利より人の和が一番大事と言っている。そりゃまあそうかもしれない。しかし、これも説教であって客観的な事実を述べたものではないと思う。敗戦を天や地のせいにしたがる為政者は昔から多かったに違いない。日本だって、敗戦を帝国主義の歴史におけるタイミングや地理的不利(即ち、日本が日本であることだ)に原因を求めていた連中がものすごく多く、いまでも多いことは言うまでもない。そして、そのことを気に病んでいるうちに、国内の人心はばらばらになっているのであるが、それに頭が戦争ゲーム並みに疲れている連中は分からないだけだ。だから、この部分は、戦争よりも足下を見なさい、という説教に過ぎないのではないのかと言っているのである。なぜなら、孟子がほんとは分かっていたように、われわれは仁などとはほとんど関係がない野獣だからである。野獣↓



ところで、今日は、うしおじさんのとこの牧場で動物に会ってきた。馬・犬・山羊・羊とくると、やはり馬と犬は目つきで我々と話をしたそうな感じだが、山羊はなんか草しか見えてないかんじでどことなくやばい他人という感じだ。これが我々が羊に喩えられる原因だ。我々はコミュニケートできそうな下僕では自分を喩えない。――かどうかはしらないが、とにかく瞳孔が四角なのでなんかこわい。やばい精神状態に陥った漫画の主人公みたいなかんじ。バフォメットだねえ。。山羊を見るとユキちゃんと言ってしまうのは日本人のある世代だけか。。まあ一緒にきてた幼稚園たちは自分と大きさが似ている山羊に夢中で、馬はでかいから怖そうだった。馬もどこかしら馬鹿にした態度をとっていた。

もっと観察すればいろいろあるのかもしれないが、――やはり犬からは、表情だけでなく動作と眼の表情が一緒に変化している感じを受けるが、山羊からははそんな感じを受けない。あと、羊はたしかに群れているのであるが、けっこう自分勝手な動きをしていると思った。群れるって、人間に限らずそういうものなのである。

あと、ただの偶然かも知れないが、山羊たちのおしっこや㋒ンチのタイミングって、どことなく同期してたきがする。一度「おれも」って言ってた山羊がいた(たぶん空耳)からである。小中学校の先生たちがよく感じることであるが、子どもが群れるのは、意識上で群れようとしたり同化しようとしてるというより、からだが勝手に群れちゃう感じに近いんだと思われる。あくびとか連れしょんのようなものなのだ。しかし別に意識が幼稚だというわけじゃない。我々にとって、からだと意識も群れているのである。                                         


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