★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

職業人の仁とAI

2023-05-04 23:07:30 | 思想


孟子曰:「矢人豈不仁於函人哉?矢人惟恐不傷人,函人惟恐傷人。巫匠亦然。故術不可不愼也。孔子曰:『里仁爲美。擇不處仁,焉得智?』夫仁,天之尊爵也,人之安宅也。莫之御而不仁,是不智也。不仁不智,無禮無義,人役也。人役而恥爲役,由弓人而恥爲弓、矢人而恥爲矢也。如恥之,莫如爲仁。仁者如射:射者正己而後發;發而不中,不怨勝己者,反求諸己而已矣。」

いまも人文的なものにとって、職業の問題はつねに難しいものである。――例えば、テレビのドラマでも、医者は弁護士、警察官のドラマが多いのは、その職業が社会的に正しいとされているからである。所謂学園ドラマでも、学校にいる児童や学生は一応善だという前提が働いている。しかし、我々はいろんな立場の職業に就く。それによって感情の性質はいつも異なっており、それは不可避である。そしてその異なりが、われわれのいろいろな心のもやもやを生む。なぜかと言えば、職業は職業同士で関係し合っているけれども、しばしばそれは対立しながら関係するからである。上の例だと矢職人と函(鎧)職人の関係がそうである。いまなら、作家と読者なんかもそれにあたるかもしれない。前者は自分の意図が通じることを祈るが、後者も自分の思いが書いてあることを祈っている。

確かに世はそういう関係――いや、矛盾に満ちているようにみえる。しかし、孔子は、仁が我々の住む里みたいなものであるべしと言った。職業が里ではなく仁こそが里である。そこに住んでいれば、上のような職業によるいがみ合いは起きない、仁をおこなえば、矛盾で気を病むことはない。自分の矢が当たらなかったとしても、矢のせいでも相手のせいでもない、自分を反省すればよい、ということになる。原因(里)は自らの仁のあり方に過ぎないからである。

最近は、自分に溺れずに関係性のなかの自分を客観化せよ、みたいな教えが学校教育でなされているが、これは、心のもやもやを社会的「矛盾」として認識すればよいみたいな次元にとどまるものである。だから、逆に全てを自分のせいには絶対にしない人間が増えたわけである。まだ自分に溺れて内省を繰りかえしていたほうがましであった。

ところで、さっき、「月に吠える」を読みなおしたら、やはり異常な傑作で、こんなのを乗り越えるのは本人も大変だけど、まわりの人間は大変だと思った。乗り越えられなさそうな作品に対する焦った人間たちの藻掻きみたいなことを考えないと、文学史はいけねえ。この場合、自分の努力を無化してしまうような強力な矢を創った職人に対する自分の矢に対する複雑感情の行方が問題なのだ。昭和文学は、そういう意味で藻掻きの結果としても非常に興味深いものがある。それは朔太郎を尊敬していた日本浪曼派みたいなひとたちにも当てはまることで、彼らのやっていることは、朔太郎を否定的媒介にしているようにみえるが、それ以上に朔太郎の否定なのである。こういう事態は、朔太郎みたいな人間の作品だけに留まらない。ある意味、普通の人間を超えていると思われるもの(例えばAI)に出会った場合の人間の反応の問題だ。

現首相のスピーチはなんか非常にひでえけど、終わったときの「はあオワッタ~」みたいな表情だけに人間を感じる。これは何かというと、首相の能力が官僚の作文よりも劣っていること、以前、自分作の詭弁を繰り返していたように見える安倍首相などよりも遙かにやる気に於いて劣っていることも意味している。これはある意味、AIと朔太郎後の人間みたいなものだ。AIがつくった作文やアドバイスについてあまりまだ検討する気がわたしはないが、――それが作成するそれがあくまでもアドバイスであって、てめえが実際に行動したり主張することを考えてない、他人事臭がするのではないかと推測している。したがって、それは必ずしもAIの問題ではない。言葉を自分関係ないものとして外注しようとするその人間の魂の腐りっぷりの問題だ。

この腐朽は、昔からテクノロジーの進化によってつまり不断の人間の努力によって起こる必然でもあるが、不断にそれに対する抵抗も起こるものである。この精神的運動こそが「人間」である。AIにたよるようになって便利になるというのは半分嘘であって、――いままで常に機械に対してそうだったように、機械にデータの処理(矛盾の提示や解消である)とかの労働を頼むと、その処理にくっついてたやる気が吸い取られ、ますます何かをやる気がなくなり、口先だけみたいな奴がふえるということである。それは、仁のような、内省による自分の把握、ではなく、矢や鎧の出来を評論するだけの、職業人ですらない何者かに過ぎない。人間は行為を他人に任せる性を持ち、それによってやる気や本性すら失って行く性も持つ。研究が、積み重ねられればなにかエネルギーを失うのとよく似ている。


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