筥の蓋にひろげて、日蔭をまろめて、反らいたる櫛ども、白き物忌みして、つまづまを結ひ添へたり。
「すこしさだ過ぎたまひにたるわたりにて、櫛の反りざまなむ、なほなほしき。」
と、君達のたまへば、今様のさま悪しきまでつまもあはせたる反らしざまして、黒方をおしまろがして、ふつつかにしりさき切りて、白き紙一重ねに、立文にしたり。大輔のおもとして書きつけさす。
おほかりし豊の宮人さしわきてしるき日蔭をあはれとぞ見し
繊細な心を持っていれば、あるいは人の気持ちが分かるようになれば、いじめなんかはできないはず、――とか言っている教員が時々居るけれども端的に間違っている。まず、心というのは繊細にはなりようがなく、論理で御すしかないものである。また、人の気持ちというものは基本的に分からないものである。だから、上のような方針で教育すると、柔らかい口調で分かったような口をきく人間が出来上がる。マルクス主義者にもフェミニストにもこういう傾向はまだまだあって、潜在的な反発を生んでいる。
いまどきの政治家は首相をはじめ内容が全くない文章をぺらぺらとよく喋るが、この輩の存在を許しているのは、我々である。政治家を許せないなら、我々は空疎なスピーチをする学生など、未来のために、もっと許すべきではない。――ここ20年間もそんな感じで頑張っているのに疲れた人々は多い。ここまでやる気をなくさせた人間たちの罪は重いと言わざるを得ぬ。
日陰者といってかつての女房、左京の馬(女御・義子――皇子を埋めなかった――に仕えていた)に嫌がらせをする紫式部に、単に差別心があったのではない。自分がいつそうなるかもわからない自虐すれすれの心理とそんな歌を詠んでしまう心理とは大して違っていないのである。教育でいえば、一ついいところを褒めるという方針は他の悪いところを決めつけているに等しい。確かなことは、周りに調子を合わせているつもりで皇子を出産出来た彰子の女房というブランドにしがみついている紫式部はただ単にクズだということだ。クズが源氏物語を書けることとは全く矛盾しない。というか、それは「矛盾」ではなく単なるファクトであろう。論理は人を価値づけられない。しかし論理だけが感情に対立出来る。いじめをいつまでも感情の改造によって対処しているから、馬鹿みたいな寄り添い作戦ばかりになってしまうのである。クズに寄り添ってどうするんだよ。
遠い山々からわけ出て来た二つの溪が私達の眼の下で落ち合っていた。溪にせまっている山々はもう傾いた陽の下で深い陰と日表にわかたれてしまっていた。日表にことさら明るんで見えるのは季節を染め出した雑木山枯茅山であった。山のおおかたを被っている杉林はむしろ日陰を誇張していた。蔭になった溪に死のような静寂を与えていた。
――梶井基次郎「闇の書」
日陰が日陰ですまなくなった時代。風景を見ているうちに風景には我々と同じような生と死があることに気付かされるのだが、まだそれだけでは、「明けない夜はない」とかいってしまうこともあるであろう(最近、元芸大学長の長官だかが、そういう言葉を吐いて、芸術家たちの憤激を買った。マクベスの"The night is long that never finds the day"ではなかったことは確実であろうし……)近代文学の表現者たちが、案外生き急いでしまったのは、風景や自然に対抗しているというのは確実にある。
もっとも、病気への闘いと人間の制度への闘いをうまく納得しながら表現し得た者はあまりいなかったのかも知れなかった。