★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

我が身は竹の林にあらねども

2018-09-16 23:57:38 | 文学


我が身は竹の林にあらねどもさたが衣をぬぎ掛くるかな

これは「播磨守為家の侍佐多の事」(『宇治拾遺物語』)にでてくるのだが、「捨身飼虎」の薩埵王子のエピソードをふまえないといけない歌であった。王子は着物を脱いで木にかけてから、七匹の虎の子どもたちの上にダイブして自分を食わせたのである。王子は釈迦の前世のひとである。

ところが、この歌の故事が分からなかった佐多という侍は激怒する。佐多は播磨の守の侍だったが、郡司のところに行っていた。郡司はだまされた哀れな女をひろって自分の家で裁縫などさせていたのであるが、郡司が美人を隠して囲っているぞ、と告げ口した従者の言葉を真に受けて、彼女の部屋に着物を嫌がらせに投げ込んだ。で、この歌が返ってきたのである。

佐多は主人にこの件をくどくどしく報告し、結局首になってしまう。

確かに、愚かな男だとは思うが、この男に告げ口した従者もいやなやつだし、和歌に対するコンプレックスなどみじんも感じさせないところが寧ろすがすがしい。とはいえ、最近の無知をむしろ誇りに思う人々の台頭を思うと、たぶんいけ好かないやつだったとは思う。昨今の、幇間的クレーマーの類いであろう。

ただ、結局、佐多に着物を投げられた女は、佐多に対してかなりバカにした態度をとったことは事実であって、佐多が仮に故事が分かったとしてもバカにされたことには変わりがない。そして、たぶん彼女は、佐多が有名な故事すら知らないことを見越しているのである。であるからして、佐多が怒るのはある意味無理はないのであった。

侍は侍なりに自分の肉体からくる充実と崇高さを感じているような連中であったにちがいなく、それを知の権威でからかうのは得策ではなかった。この権威があれなのは、読者にとって実際釈迦の権威と重なっているだけでなく、最終的には彼を首にした権力とも重なっているからである。したがって侍の側にこういうのを粉砕したい気持ちがでてくるのは当然である。これは単にやられた側の悔しさというより、知的に馬鹿にされたことからくる自らの「意味」に対する疑念がバネになっているように思えてならない。昨今のことを考えてみても、やはり自由への、つまり反抗への意志は、自分を「意味」づけることのできない欠乏からくることが多いように思う。

ところが、結局、意味を組織化するのは、佐多のようなタイプではない。昔風に言えば、プロレタリアートの中の知識人というものの絶対的な困難があるのである。この問題をあまりなめてはならないとわたくしは思う。ルサンチマンというのは予想を超えて知性に対する影響をコントロールできないものである。

チンピラ成金とイエスはもともと近いところから出発してはいるのである。


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